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村井さんちの生活

2022年1月19日 村井さんちの生活

辛いなら、やめてしまえばいいんじゃないか?

著者: 村井理子

 今年のお正月は、村井家恒例「なぜだが義理の両親がわが家で宿泊&年越し」という私にとって地獄イベントが開催されなくなって三年目ということで、穏やかに、楽しく、自由な時間を過ごすことができた。雪は降っていたけれど、雪が降るということは、正月ぐらい子どもを連れてどこかへ行くべきという謎の義務感も「雪だからいいや」であっさり片付けることができるから最高だ。正月と雪というコンボは、一年走り切った私を祝福してくれているかのようだった。だって私、去年、がんばったもの。

 去年は中盤から後半にかけて、翻訳書書き下ろしの執筆で、とにかくよく働いた。翻訳書は骨太のノンフィクションで、スケールの大きな冒険譚だ。深海を潜る、強靱な肉体と精神を持つ女性の生き様を訳すのは、胸躍るような経験だった。著者はほぼ同い年で、一時期は同じ地域に住んでいたこともわかり、余計に親近感がわいた。著者の勇気、自分を奮い立たせる不屈の精神。訳せば訳すほどに著者のことが好きになる、そんな一冊だった。

 一方の書き下ろし原稿では、自分の家族について書いた。家族といっても、今一緒に住んでいる家族ではなく、元々の家族の話だ。両親と兄と一緒に、港町に住んでいた頃の記憶を掘り起こし、資料を集め、親戚の人たちに聞き取りをした。よりいっそう、「家族」ってわからないものだという気持ちが強くなった。ずっしりと重い内容の、まったく別のタイプの二冊に、同時期に没頭できたことは本当に幸せなことで、珍しく「あたしってもしかしてラッキーかもしれない」と思ったのだった。しかし…。

 二冊を無事校了したと思ったら、仕事が手につかなくなった。これはもう、完全にすべてを出し切ってしまったからだと思う。こういうときは、無理に仕事をしようと思ってもダメだ。それは重々わかっているので、別のことをやっておくことにした。優先順位トップはもちろん息子たちの進学だが、幸いなことに、二人とも目標に向かって連日取り組むことが出来ている。それであれば次は、義理の両親だ。新しい年を迎えて、二人の生活も次のフェーズに入ってきているように思えた。義父は不思議なことに日に日に体力を蓄え、精神的にも強くなってきているように見える。自分がしっかりしなければならないという責任感だろう。一方で義母は、徐々に認知症の症状が進行してきているように感じられる。

 両親が、日常を楽しむことが出来ていないなと感じられたのは、正月が明けたころだ。デイサービスからは、年末からキャンセルが続いているという報告を受けた。キャンセルが続くと、介護チームからも、連絡も入り始める。「デイサービスには行ってほしいんです。それでないと認知症が進行してしまうのは確実です」、「お二人で家に籠もってしまうのは心配です。なんとかデイサービスに行くように説得していきましょう」、そんな言葉を聞き続けていたら、なんだが疑問がムクムクとわいてきてしまった。

 もし二人が、デイサービスに行くことが苦痛であるなら、休ませてあげてもいいんじゃないかと思いはじめたのだ。義父に話を聞くと、「相談しようと思ってたんや」ということだった。「みんなが一生懸命考えて、スケジュールを組んでくれたことはよくわかっている。でも、デイサービスがあると考えると、前の晩から嫌でたまらなくなる。行きたくないんや。この家で、自分のしたいことをして、ゆっくり暮らしたい。週に二回も、ほぼ一日中、デイに行くのは辛くてたまらない。母さんの面倒はわしが見る。だから、もう勘弁してくれ」

 義母はすでに、デイサービスに通っていることすら、忘れがちになっている。

 こんな話を聞いて、すっかり気の毒になった。私だって行きたくないと言うだろう。デイサービスが楽しくないとか、楽しいとか、そういうことではなくて、決まった日に、ほぼ終日、必ず行かねばならないとなったら、それはまるで学校じゃないか。私は学校が嫌いな子どもだったので、そう考えたらぞっとしてきた。私が年老い、デイサービスに行く必要がある状態になったとしても、たぶん、「行かない」と突っぱねる。子どもが何を言おうとも、私の人生に口出しするなと、たぶん、言う。よかれと思ってやってくれるのはありがたいけど、重い! 強引! ほっといて! と大声で文句を言って騒ぐだろう。想像できるだけに笑える。

 「それは考え直されたほうがいいです!」と一生懸命言ってくれるケアマネさんや看護師さんに頼みこんで、デイサービスを変えてもらうことにした。午前から午後まで時間を取られるタイプのサービスではなく、一日数時間、運動をメインに時間を過ごせる場所はどうだろう。それも、週一回だけ。もしそれも嫌なら、数か月、休ませてあげたらいいじゃないか。「休みはじめたら、二度と通えなくなります」…たぶんそうかもしれない。でも、その時はまた次の一手を考えていいですか?

 それは辞めたほうがいいと言われれば言われるほど、「それじゃあ二人の気持ちはどうなんですか?」という疑問がわいてくる。二人にはまだ心がありますよ。苦しいのなら、楽にしてあげればいいじゃないですか。そこで何か起きたとしても、それは二人の人生なのではないでしょうか…精一杯支援して下さる介護チームのみなさんに、こんなことは決して言えないけれど、でもやはり、私は今の状況は両親にとって息苦しく、辛いものだと思うので、辛いことは全部、やーめた! と思う年始なのだった(仕事は辞めないよ)。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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