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村井さんちの生活

2021年12月17日 村井さんちの生活

オープンスクールからの帰り道

著者: 村井理子

 年末も押し迫り、受験生のいるわが家の緊張感も徐々に増しているはずだったのだが…ここにきて、一周回って達成感が出てきている。まだ受験もしていないのに、まるですべて終わってしまったかのような、爽快な気分だ。これはどういうことだろう。諦めではない。なぜか、軽く幸福感まである。脳が異常事態宣言を発令中なのかもしれない。

 というのも、面談に次ぐ面談、実力テストに次ぐ実力テストで、すっかり疲れ切ってしまったのだ。親がこうなんだから、当の受験生なんて大変だろうにと、ママ友とのランチで話した。結局、なるようにしかならんよな! アハハハハ! と、一旦開き直ったら、そのあとはひたすら楽になった。長い人生、いろいろなことがあるさ、ギャハハハハ! と、ママ友と笑っていれば心も軽い。これが年明けにどのような気持ちになっているのか、それは神様にしかわからない。私にはわからない。想像したくないので、年始の楽しみにしておこう。

 こんな感じで、子どもよりも先に逃避モードに入った私なのだが、実は先日、高校のオープンスクールに初めて参加してきた。次男の担任の先生が、「村井君にはこの学校も合うと思うんですよね~」とおすすめしてくれた私立の高校で、私も、次男も、それまで一度も検討したことがなかった学校だった。

 共学で文武両道だそうだ。ふぅん…と興味を抱きつつ、学校の公式サイトをくまなく読み込んでみた。想像以上に素敵な学校じゃない? と次男に聞いた。次男も、そうやなぁと頷いた。場所も遠くはない。ちょっと行ってみるかと、重すぎる腰をようやくあげてオープンスクールの日程を調べたのだが…。

 最近の受験事情って、すごいですね。オープンスクールの参加予約がインターネットでできるんですね。なんと出願までWeb対応しているではないですか。なんて素晴らしい時代になったのだろうと喜びつつ、あっさりと申し込みを完了させ、そして行ってきた。すっごく楽しかった…私が。

 建て直したばかりだという校舎はぴかぴかで、最新設備が揃っていた。カフェテリアにはスナックの自販機まである。アメリカか! と思った。先生たちも大変にこやかで優しく、校内を案内してくれる現役の学生さんたちは朗らかな声で挨拶をしてくれるのだった。「天気のいい日はこちらのカフェテラスでランチもできます!」という学生の声に、自分の高校時代、校舎裏の非常階段で煙草を吸っていた友達の顔が脳裏に浮かんできた。彼女、元気にしているだろうか。

 オープンスクールに参加する生徒と保護者は数十人単位で教室まで案内され、そして黒板に映し出された学校説明を見て、各教科の先生たちから受験対策について説明を受けた。「時間がありませんので早口でしゃべります! ケータイで撮影して下さってかまいませんよ!」という先生の言葉に驚いた。授業中に小説を読んでいたら、生物の先生に聖書で頭をぶん殴られた私にはにわかに信じがたい言葉であった。時代は変わった。良い時代になったものだ。そう思った瞬間に、楽しくなってきた。

 教室に入るのが少し遅くなってしまったため、私と次男は教室の最も後ろの席にいたのだが、前に座る中学生の数人が寝始めていた。しかし、私のボルテージは最高潮だ。先生の言葉に必要以上にウンウンと頷き、書いたメモは8ページにも及んだ。最後のほうは、もうすっかり自分が受験する気満々になってしまった。若いって、学校って、本当にすごい。先生たちの情熱を感じる。高校生に戻りたい。もっとしっかり勉強していればよかったなぁと、心から思った。オープンスクールはあっという間に終わり、帰り道で次男に「楽しかったね!」と言うと、「お、おう…」という返事だった。

 実はこのあと、次男には秘密にしていた計画があった。わが家の息子たちは双子ということもあって、なかなか一対一で行動する機会がない。ましてや、息子のどちらか1人と私で食事をすることなど滅多にない。だから、オープンスクールが無事終わったら、次男とランチを食べようと思っていたのだ。駅の近くにステーキハウスがあることは事前に調べていた。次男は寝ることの次にステーキが好きだ。寄る年波に勝てない私は、ステーキには惹かれないけれど、ハンバーグランチだったら食べられる。帰り道が苦しいからライスはやめておこう…などと考えつつ、ちょっとおしゃれなステーキ店に次男と到着した。

 私が中学受験のために勉強をしていた時期、母は模試が終わった私を、いろいろなレストランに連れて行ってくれた。特に何を話したわけではないけれど、楽しい時間だった。模試があるたびに母がレストランに連れて行ってくれたことは、40年以上経過した今でもはっきりと記憶している。それも、とても良い思い出として。あれは母なりのエールだったのだと思うのだ。

 だから、次男も、私とオープンスクールのあとに行ったステーキレストランのことをいつか思い出してくれるといいなと思った。なんとなくしんみりした。目の前のテーブルに座る次男は、およそ中学生には見えないほど成長している。ガツガツとステーキを食べ終わり、天井のあたりを見て、何やら考えている。私は食後のコーヒーを飲みながら、こうやって家族の時間は繰り返すのかな、なんて感傷に浸っていた。いやそれにしても大きくなったなあ、この子…と感動していたら、その目の前の次男からLINEが届いた。何ごとかと急いで見てみると、

 肉が固すぎて草

 と、書いてあった。

 母の感傷を吹っ飛ばす草の衝撃。きっと子どもの頃の私も、同じぐらいの勢いで母の感傷を吹っ飛ばしていただろう。なんとなく自信がある。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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