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村井さんちの生活

2021年11月22日 村井さんちの生活

大晦日の税込み税抜き大激論、その意外な結末

著者: 村井理子

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 私にとって悪夢のような行事。それはわが家の年越しイベントだった。なぜだかわからないけれど、義理の両親が大晦日からわが家に泊まり込んで正月を過ごすのが例年の決まりで、私はそれこそこの十年ほど、修行僧のような心持ちで正月を送っていた。まさに荒行だった。それでも、近くに住む両親が息子夫婦の家で年越しをしたいと思うのは当然のことだろうと理解していた。ソロ活動が何より好きな私にとっては理解不能な心情なのだが、通常、高齢者は孫と過ごすためなら命を燃やす。ちなみに私のママ友は毎年夫の自宅で年越しをするたびに夫に対する気持ちがゼロに、憎しみが100に近くなると言っ…おっと、ここまでにしておこう。

 さて、義母が消費税に強くこだわるようになってから初めての年越しだった。一杯飲んでいい気分になったように見えた義母が突然、消費税の表示について強い口調で話しはじめた。内容としては、経営していた和食料理店で提供するランチの値段を税込みにすべきか、それとも税抜きにすべきかということだった。私は、「どっちでもいいんじゃないすか」と答えた。夫も「べつにどっちでもええんとちゃうの」と答えた。すると義母が、「でもお客さんから不満が出るでしょう?」とイラッとした顔で言う。私も夫も、その意味がよくわからなかった。何度私たちがそれでは税込みにすればと言うと、いや私は税抜きでないと困る、それじゃあ税抜きでええやんと言えば、いや、税込みじゃないと困ると、本気で意味のわからないやりとりが続き、夫がついに爆発した。「どうでもええやないか!」

 私はと言えば、この不毛なやりとりが愉快でたまらなかった。グフフ、なんだか面白いことになってきたぞ…と、気軽に考えていたのだ。もちろん、義母の様子が変わってきていたことには気づいていた。でも、まさか、それが認知症の始まりだとは思わなかったのだ。夫と義母が本気で揉めているのは気になったのだが、二人は似たもの親子で、普段から喧嘩も口論も珍しいことではなかった。お互い、ジャブを出し合っているぐらいにしか見えなかった。そのうち議論を見学するのにも飽きてきたので、しれっとパソコンに向かって大好きなインターネットショッピングをしていたのだが…背後から突然、義母の怒った声が聞こえてきた。

 「文句があるんだったら、はっきり言いなさいよ。帰って欲しいんやったら、今から帰るで!」

 あらぁ、予想以上に口喧嘩がこじれちゃったかもしれないわね、これだから酒を飲んで口論なんてろくなことにならないわ~と思ったのだが、なんと義母の視線は私にロックオンだった…私かい! 私に怒ってんのかい! えええっ!

 私は狼狽(うろた)えながらも冷静な声で義母に「そんなことないですよ。ゆっくりしていって下さい」と答えた。確かに心のなかでは一秒でも早く正月が終わってくれと念じていたが、それを態度に出したつもりはなかった。そもそも、私のソロ活動について、義母は慣れっこのはずだ。どれだけ義母が様々なアプローチ(例えばお茶会に誘うとか、いっしょにデパートに行って花柄のワンピースを買いましょうとか)を仕掛けても、私は無反応を貫いた。それも二十年近くだ。だから今さら義母が私の態度を叱るなんて考えられなかった。

 しかし義母は、憮然とした表情でリビングから出て行った。バーンとドアが閉まる音がした。これは珍しいことなので、面食らった。義母はそもそも、冷静な人だ。たとえ怒っていたとしても、それを表に出すような人ではなかった。義母は宿泊する部屋に戻った様子だったが、部屋の中からは大きな声が聞こえてきていた。義父に対して何か言っている。帰る、いや帰らないと揉めていたのだ。

 これまずいんじゃないの!? と思った。これは今までで最もまずい状況だ。私は夫に「どうする?」と聞いた。すると夫は「ほっとけばええよ」と答えた。それもそうやなと思い(あっさり)、私はインターネットショッピングに戻り、ようやく寝たのは夜中過ぎだったと思う。義母の大きな声はしばらく聞こえてきていた。それにしても、一体なにが起きたのだろうと、とても不思議だった。

 さて、翌朝。つまり、正月だ。私は朝早くから起きて、締め切りの迫る原稿を書いていた。するとそこに義母が現れたのだ。私は義母の顔を見るなり、「おかあさん、夕べはすいませんでした。帰って欲しいなんて思ってなかったんですけど、そういう感じに見えましたか? そうだったらごめんなさい」と言った。すると義母は「え?」と答えた。その表情はいつもの義母だった。穏やかで、明るく、私に気を遣って、朝からエプロンをして、キッチンの片付けをしようとしてくれていた。義母は少し不安そうな表情で、「私、あなたに何か言ったかしら?」と私に聞いた。義母の戸惑いに気づいた私は、「いえ、なんでもないです。私の勘違いでした」と答えたのだった。

 結局、この年の正月以降、わが家の年越しは、私たちが実家に戻り、両親と一緒に食事をし、大晦日の夜遅くに解散というスタイルになった。消費税で揉めたからではない。場所が変わると義母が混乱することが分かったからだ。このようなライフスタイルの変更は、この一年で一気に増えた。私が辛くてたまらなかった年越し行事は、義理の両親が年を重ねたことがきっかけとなり、静かに終わったのだ。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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