村井家の年末年始といえば、義理の両親がなぜだか大晦日にわが家に布団と共にやって来て、数日宿泊していくというのが恒例だった。しかし、義母が認知症になってからというもの、場所が変わると混乱するようになった義母への配慮から、わが家のメンバー全員で大晦日に実家に行き、会食・懇談などして数時間を過ごして解散という、素晴らしくシンプルな過ごし方になった。私にとっては願ったり叶ったりで、お義母さん、ありがとう! という気持ちでいっぱいであったが、去年の年末、村井家にはちょっとした事件が発生していた。実は、夫と次男が些細なことが原因で口げんかをし、冷戦状態にあったのだ(今現在も継続中)。
年末が近づき、喧嘩継続中の二人を見かねた私が次男に「年末年始、どうするつもりなの?」と聞いたときのことだった。次男はむっとした顔で「俺は親父に謝るつもりはないし、年末はバイトや」と言うではないか。「ということは、実家に行かないってこと?」と聞くと、次男は黙り込んだ。義父母がどれだけ自分を愛し(少なくとも、認知症発症前の義母は命がけで孫を愛していた)、粘着性の高い性格の義父は夏前からおせち料理に関して発言するほど正月に人生を賭けていることを、彼は知っているからだ。
「俺は元日に一人で行くわ」と次男は言った。一人で行くわけがないので、最終的に私が連れて行くことになるのだろうが、まあ仕方がない。私自身も家族のしがらみに縛られるのは嫌だし、そんな私の息子なので気ままなのは理解できる。ということで、大晦日、次男はアルバイトに行き、長男、私、夫の三人で夫の実家へと向かったのである。
義父は長男をひと目見ると、泣き始めた。想定内だ。夫はそんな義父を見るのが嫌なのか、義母とだけ話をしていた。義母はもう、長男のことを記憶していない。それでも、笑顔で「大きくなったわねえ」と言ってくれた。長男も事情はわかっているので明るく対応し、義父の湿度の高すぎる行動(手を握って離さない、体を触る)にも必死に耐えていた。夫は義母の面倒をみて、私はただただ義父が注文した高級おせちの中身を吟味し、試食し、時を過ごした。義父のいつもの自慢話は白目で聞き流し、義母とはノンアルで乾杯! 義母は終始笑顔だったし、良い時間を過ごせたと思う。大晦日の食事会は終了し、義父の絡みつくような視線を背中に感じながら私たちは猛スピードで家に戻ると、それぞれが好き勝手な年越しを過ごしたのだった。次男はすでにバイトを終えて帰宅していた。
そして元旦。次男が「俺、友だちと初詣や」と言いはじめた。ぐっと堪えて、「今日は予定通りなので、早めに帰って来るように」とだけ伝えた。次男は結局、18時過ぎに戻って来た。「明日でよくない?」と言いはじめる次男を問答無用で車に放り込み、実家に向かった。これが終わらないと、私の年は明けないのである。
今か今かと待っていた義父は、次男を見ると泣き始めた。想定内だ。義母は次男があまりにも成長してしまったため、私に「この人は誰?」とか、次男本人に「あなた、誰?」と聞き続けた。最初は明るく対応していた次男も徐々に表情を曇らせた。義母の変化は理解しても、今まで可愛がってくれた祖母が自分の存在を忘れてしまうのはショックだっただろう。あまり長居するのもお互いにとってプラスにはならないと判断して、一時間程度経過したところで、実家を去ることにした。……しかし!
ふと気づくと、それまで大感激しながら次男と話をしていた義父の顔色が土偶色になっていた。私は小さい声で次男に「アレ? じいじの顔色、おかしくない?」と聞いた。すると次男はまじまじと義父の顔を見て、「アカン!」と答えた。私も突然のことで焦ったのだが、見れば見るほど義父は顔色を失い、そして表情が虚ろになった。「あ! いつもの貧血だ!」と気づくまでそう時間はかからなかった。義父の体が傾いたところを、力が無駄に強い次男ががっしりと支えた。これは義父が過去に数回経験しているシチュエーションだ。
貧血で倒れる→体を支えてもらって移動
という、この一連の流れは、私も過去に3回ほど立ち会っている。私が言うのもおかしいかもしれないが、次男はとても心優しい子で、突然のことだというのに義父の体をひょいと抱え上げて、寝室まで連れて行ってくれた。義父はオイオイ泣きながら、次男の名前を何度も繰り返して呼び続ける。私はいたたまれなくなった。ああ、ピュアな次男よ。あれは罠かもしれないぞ。いや、そんなことはないはずだ、ないはずだけれど、今までのパターンからすると、数分で回復するはずだ! ベッドに寝かせてもらった義父は、次男に向かって両手を合わせて、そして号泣していた。
私は義父母の寝室を出て、廊下でうろうろしていた。ダメだ、見ていられない。しかし母親としてこのままにしているわけにもいかない。寝室に戻ろうか、それとも次男に任せてしまおうかと悩んでいると、聞こえてきたのだ。義父が次男に対して、必死に訴えている声が!
義父の次男への涙の訴えは、要約すると以下だった。
1)こんなに寒いのに息子夫婦には毛布も買ってもらえない
2)息子夫婦はワシが話をしても「ジジイがまた何か言ってる」という顔をしている
特に2)に関しては、バレていたのかという気持ちだ。1)に関しては、毛布は買っていたが、義母がどこかに持っていってしまって、行方不明になっていたようだ。これらを次男に伝えたあと、義父はがくりと首を垂れて、意識を失った。後から聞いたところによると、次男は義父が亡くなったかもしれないと思ったそうだ。義父は数分で目を覚まして元気になった。次男と私は「ああよかった」と言い合い、義母に手を振って、そそくさと実家を後にした。
帰りの車のなかで次男が「ヤバいやろ……」とぽつりと言った。「確かに、今日もかなり焦ったな」と答えると次男は、「ほんまに大変やなあ、介護って」と言っていた。
このままどこかにドライブに行ってメシでも食おうよと次男がいうので、「それもそうやな!」と答えて、車なんてほとんど走っていない元日の夜に、「それにしても驚いたね!」と、ゲラゲラ笑いながらファミレスを目指したのだった。
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村井理子
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 村井理子
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むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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