先日、数か月ぶりに義母に面会するため、グループホームに行ってきた。最後に彼女に会ったのは、年末に義母が搬送された総合病院の病室だった。穏やかな表情はしていたものの、ナースステーションに最も近い病室で寝かされていた義母は、間違いなく重病人で、「急変もありうる」という医師の言葉は現実味を帯びていた。
その後本当に幸運なことに、義母はすっかり回復、年明けにグループホームの職員さんと一緒に退院した。夫はそれに付き添ったが、私は自宅で待機した。大勢で行ってもあまり意味はないと、入院だけは人の何倍も経験している私は知っている。だから、夫と連絡を取り合い、義母がグループホームに到着するのを確認するだけでその日は何もしなかった。そんなこんなで、結局私は、昨年末から一度も彼女に会っていなかったのだ。
会わなかった理由はいくつかある。グループホームから届く彼女の様子を伝える文章や写真は詳しく状況を教えてくれたし、職員さんからの連絡も頻繁だった。でも、最も大きな理由は、あれだけパワフルだった義母が立つこともできなくなるほど衰弱した姿を見るのが、正直、辛かった。いや、怖かった。
そして何より、自分が想像していた以上に、疲労の蓄積があった。一旦グループホームに入居すれば、家族がしなければならないことは少ない。それも、極端に少なくなる。極端に少なくなったことを体感した瞬間から、心は完全に逃避モードに入る。ちょっと休憩させてもらおうの、その「ちょっと」があっという間に一か月、そして二か月になるのだ。そしてじわじわと、過去の記憶が甦ってくる(甦らなくてもいいのに!)。
あの時、〇〇さんに「なぜ同居してあげないの?」と言われたなとか、「このままじゃかわいそうですよ」と、全く知らない近所の人に言われたなとか、「家にいるんだからそれぐらいやってくれ」と夫に言われたチッとか、そんなことがぐるぐると頭のなかを回りはじめ、そして「もう十分やったよな」という気持ちになるのだ。
一旦、「私はもう十分やった」というお墨付きを自分自身に与えたら、次は、そこはかとない悲しみがやってくる。「思えば、長い年月にわたって義母と戦った」とか「それでもあの人は根っからの悪い人ではない、むしろいい人だったのかもしれない」とか、義母と初めて会った時の彼女の年齢に近づいた今になって、「あの頃の義母の苛立ちが理解できる気がする」とか、感情が渦のようになって、ただただ、ため息が出る。そして悲しい。
先日、友人とこのなんとも言えない気持ちのループを話合っているとき、ふと、「私たちはもしかしたら、傷ついたのではないか」という結論に至った。疲れた、腹が立った、うんざりしたではない。私たちが感じているこの「痛み」は、心が傷ついたときの痛みなのだ。
私は介護を経験して、少なからず心に傷を負ったのではないだろうか。何を大げさなと言われてしまうかもしれない。でも、介護のために自分の用事を後回しにしたり、誰でもやってしまいがちな「介護? うわ、めんどくさ」という気持ちで、やらねばならぬことをサボったことがバレて怒られたり(そんなの私だけかもしれないが)、認知症になった義父母が起こす数々の事件に遭遇したりといった経験の蓄積は、ただただ、痛みとなって今なお残っている。
そして私たち(家族)だけではなくて、介護に従事している人(介護のプロ)はだれでも、介護という困難な仕事を通して痛みを感じていると私は思う。
久しぶりに会った義母は、私を見ても黙りこくっていた。車椅子に座った状態で、至近距離から私を睨み、黒部峡谷のように深いしわを眉間に寄せていた。しばらく睨んだ後、突然狼狽して、小さい声で「向こうに行きます」と、グループホームのダイニングを指さした。みんながテレビを見ているダイニングルームに行きたいと言うのだ。私は義母を引き留めた。もう少し話をしたかったから。
「お義母さん、私のこと、分かる?」と聞くと、首を横に振る。仕方がないので作戦を変える。
「お義母さんは今日もきれいですね。髪の毛もきれいにカットしてもらって、お肌もつるつるですよ」と言うと、ようやく義母の表情がぱっと明るくなった。「そう?」と小さい声で返すので、「そうだよ」と大きな声で答えた。調子に乗った私は義母の居室に置いてある古いアルバムを取り出して、写真を見せた。義母が人生の頂点にあった頃の、いきいきとした写真ばかりだ。着物を着て、ばっちり化粧をして、満面の笑み。義母はそれを見ても何も言わなかったが、徐々に私に慣れて、最後は笑顔を見せて、手を振って別れた。私が買い集めたかわいい服を着せてもらっているし、居室も清潔。お布団もふかふか。環境は最高だ。
職員さんによると、背の高いイケメン男性介護士(ロマンスグレー)を「パパ」と呼び、楽しそうにしているという。昼間は大好きな歌謡曲を流してもらい、ずっと楽しく歌っているらしい。食事も8割程度自分で食べることができるようになった。
「穏やかで、笑顔を絶やさず、明るくされていますよ」という職員さんの言葉がありがたかった。
義母に会い、帰宅して、どっと疲れた。でもほんの少しだけど、心の負担が軽くなったような気がするし、ほんの少しだけど、義母のことが好きになったような気がする。あくまで、気がするというレベルだけれど。
こうやって、時は流れていくのだろうと思う。
-
-
村井理子
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
この記事をシェアする
ランキング
MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
-
- 村井理子
-
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
連載一覧
対談・インタビュー一覧
著者の本

ランキング





ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら







