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村井さんちの生活

2024年12月24日 村井さんちの生活

村井はもう詰んでいる

著者: 村井理子

 連日、やることが多すぎて、人生が辛くなってきた。仕事だけならまだいいけれど、18歳の双子の息子たちにはまだまだ気が抜けないし、なんといっても義理の両親の問題が山積である。しかし、私は心に決めている。私の人生は私のものだし、私の時間は私のためにあるのだと。だから、シビアに判断すべきところは、その通りやりますと日頃から鼻息荒く家族には伝えている。伝えてはいるが!

 先日、猛烈に翻訳をしていたら、家の固定電話が鳴った。出てみると、訪問看護師さんからだった。義父の体全体に発疹が出ているので、受診させて下さいという内容だった。もちろん、「はい! すぐに受診させます、ありがとうございまぁ〜す!」と答えたが、受話器を置いた途端、私はすぐに翻訳作業に戻った。とにかく私には急ぎの仕事がある。私の人生は私のものだ。発疹ぐらい、なんともないぜ。それより、これは編集者さんに待ってもらっている翻訳原稿だ。この原稿は予定よりも相当遅れてしまっているものだ。もうこれ以上お待たせすることはできないのだ!

 こんなことを考えながらしばらく作業を続けていると、訪問看護師さんから今度はダメ押しのようなメールが届いた。電話を切ったあと、私が何ごともなかったかのように仕事に戻ったのを、訪問看護師さんはどこかで見ていたのだろうか。それとも私の声に、何か怪しい響きでもあったのだろうか。

 メールには、「今日は休診の皮膚科が多いですから、明日以降で大丈夫です」とのメッセージと、上半身裸の義父の写真が四枚ほど添付してあった。なぜ私が義父のセミヌードを見る必要があるのだろうと思いつつ、長年お世話になっている訪問看護師さんだし、すごくいい人だからと自分を納得させつつ恐る恐る写真を見てみると、確かに赤い発疹が上半身の至るところにあって、なるほど、かゆいのだろうなと思った。まあ、そういうことなのだろう…なんなのこの気持ち…。

 義父の裸を見て困惑した私だったが、しばらくしてふと気づいた。写真に写った義父の表情が、なんだか最高に満足そうなのだ。「ウム」とかなんとか、言ってそう。「ようやく見つけてくれた。さすが看護師さんや」とかなんとか、思ってそう。やけに堂々としている。なんなら胸を張っている(発疹もあるけど)。

 「なんやねん…」と、思わず言ってしまった。ようやく助けてもらったみたいな表情じゃないか。なにか、写真を見ている人間を責めているような目線だ。私? 私が悪いの? と、被害妄想が膨らんでくる。そんなことを考えてはダメだと、必死に自分を止める。でも、訪問看護師さんから電話がかかって来る度に、責められているような気持ちになるのだ。家族の介護が足りないと言われているように思ってしまうのだ。もちろん、看護師さんはそんなことなど一切考えてないのだろう。それでも、ちゃんと面倒を見ていますと胸を張って言えない私は、被害妄想からそう思ってしまう。どれだけやったら終わりが来るの? どれだけやれば納得してもらえるのだろう。そう考えて暗い気持ちになる。そしてその後に、かる〜く、義父に対して腹が立つ(ここが一番いけない)。

 よくわからない苛立ちを抱えつつ仕事をしばらくやって、ようやく夫にメールを書いた。看護師さんから送られて来た写真を転送し、「お義父さんが発疹らしいです。私は今日仕事、明日午前通院」と、前倒しで「私は本日仕事中ですし、明日も出来れば動きたくないので、あなたの方が会社を休めないか」と匂わせた。すると電光石火のごとく夫からケータイに連絡が入り、「俺は明日絶対に休むことが出来ない仕事があるから、申し訳ないが親父を病院に連れて行ってくれないか。今日、診察してくれる病院をなんとか探してあとで送る!」ということだった。そんな情報は私の方が詳しいと思うが、まあいい、そのままにしておいた。そしてしばらくして夫が送って来た病院は、義理の両親宅の近くにある美容外科だった。レーザーフェイシャル、ダーマペン、マッサージピール、ケミカルピーリングなどとウェブサイトに書いてあった。お肌ツルツルにしていいんですか?

 結局、翌日、私が自分の病院に行った帰りに義父をピックアップして、駅前の皮膚科を受診させた。受診が終わり、薬を受け取り、義父を車に乗せ、実家に送り届けたら、残りの体力はゼロだった。義母はデイサービスにいるため家にはおらず、義父は寂しいのか、まだ帰らないでくれと言っていたが、私はいつものように「子どもたちのごはんを作らなくちゃならないから、もう帰るね」と言って、実家を出た。その言い訳だったら、義父は一回で納得してくれるからだ。

 すき家の牛丼を買い込んで戻り、ベッドに倒れ込むようにして寝た。しばらく寝てから、訪問看護師さんからのメールに添付されていた義父の写真を改めてよく見た。着古されたパジャマの襟は酷く汚れていて、毛玉だらけになっている。下着もヨレヨレで、気の毒な状態だ。髪も伸び、髭も伸び、仙人みたいになっている。妙に堂々とした仙人だが、いくらなんでもこれではかわいそうだと思い直し、起き上がって、ブラックフライデーのセールでパジャマや下着類を揃えた。似合うだろうと思って、赤いチェックのパジャマにした。

 以前だったら、義父のパジャマや下着類は、義母が完璧に揃えていた。襟の汚れたものなど、決して与えることはなかっただろう。今はそれも出来なくなっている。本来であれば家族がすべきことが、出来ていないと言われても仕方がない。そのうえ、義母が何を着て夜を過ごしているのか、私は知らない。夫も知らないだろう。ケアが行き届いていないのは、義父だけではなく、義母も同じなのだ。

 このままで本当にいいのか。特別養護老人ホームに入所出来ないこの中途半端な時期に、何か出来ることはないのだろうか。きっとたくさんあるはずなのだが、介護生活も長くなってきて、やるべきことは明らかなのに、体が、心が動かないというのが、わが家の(というか、私の)現状だ。気温も下がってきており、これからはインフルエンザやコロナにも細心の注意を払わなければならない。私はこうやって、書いてストレスの発散が出来ているけれど、孤独に介護を続けている人も多いだろう。明るい話題を見つけたいとは思うものの、介護に関しては、なかなか難しい。夫も必死にがんばってはいるものの、ようやく仕事から解放される週末すべてを両親の世話に明け暮れるのも相当なストレスだろう。

 つまり、村井家は詰んでいる。詰んではいるものの、正月はやってくるので、北海道の塩いくらを注文した。正月くらいは楽しく過ごさなきゃ…そう思う余力はあるので、まだまだ大丈夫だ。

義父母の介護

2024/07/18発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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