シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

村井さんちの生活

2024年11月21日 村井さんちの生活

大きな声では言えない、介護費用の話

著者: 村井理子

 大きな声では言えないが、地味に私を追いつめつつある問題がある。ずばり、どんどん高額になってきた介護費用だ。

 わが家のケースは、なかなか複雑だ。まず、義母の認知症の進行が早く、介護度が高い(要介護3)。素人考えながら、そろそろ要介護4でもいいのではないかなと思う状況になっている。徘徊も増えてきている。老老介護状態の義父の介護負担も重くなってきたが、実際の介護費用も、じわじわと高額になってきていて怖い。もちろん、介護保険の支給限度額に収まる範囲内であれば費用負担も抑えられるのだが、義母の場合は支給限度額を超えるサービスを受けているので(その必要があるので)、超えた部分の金額はすべて自己負担となる。

 義母の介護費用にプラスして、義父の介護費用も必要だ。義父は要支援1の状態で健康状態は良いが、高齢であるため、訪問介護師によるチェックを受けている。こちらの費用はそうかかるものではない。しかし、老老介護状態の二人の生活を支えるため、ヘルパーさんを複数人数お願いして、どうにかして暮らしを回している状態だ。二人に支給されている年金は、当然、介護費用のすべてをカバー出来る額ではないし、二人の生活費は確保しなければならないので、現状ではわが家が介護費用のほぼすべてを負担しているのだが…。

 毎月支払う介護費用が家計を圧迫しつつある。このまま高額になっていくようなら、サービスを減らし、私か夫がどうにかして時間をやりくりして、二人の介護をしなくてはならないということになる…のか? えっ、無理! それは無理。特別養護老人ホームにお世話になるという選択肢はないのか? あるはずだ。あるはずなのだけれど、それには義父が難色を示している。

 もちろん待機リストにはすでに入っているが、お呼びは一向にかからない上に、義父は義母の入所に猛反対している。先日、勇気を振り絞って、それならあなたは入所する気持ちはあるか聞いてみたが、絶対に入所はしないと宣言していた。ショートステイも二度とごめんだということだった。なんて言ったらいいかな~、本当に可愛げがないのである。全然、かわいくないのだ。映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』の信友監督の良則お父さんを見習ってほしいものである。全国のファンから、ハンバーグを食べただけで「かわいい~!」の声がかかる104歳を!

 わが家特有の事情もある。わが家の息子たちは双子のうえに18歳で、ただでさえお金がかかる時期だ。そりゃもちろん、義父母のことだって、助けられる部分は助けていかなければならない、だって(義理だけど)親だもの。しかし、私はかなり納得がいかない気持ちになっている。というのも、義父が介護サービスそのものを、ほとんどすべて否定しているからで、否定している人に対して、必死になってやる必要あるの? と思いはじめてしまったのだ。だったら、そのお金で家族旅行にだって行けるのに、とも思ってしまう。菩薩の村井もとうとう、普通に意地悪な村井になってきた。

 義父だけを責めるのはよくない。たぶん、よくない。そう思いつつ、文句を言うのはあいつだけ…いや、あの人だけという現実。先日、義母に対する介護サービスを拒否しまくる義父に業を煮やしたケアマネさんが、私のところに連絡をしてきた。「なんとかお義父さまと話しあってください」ということで、これ以上ないほど嫌々、義理の両親の家に行って来た。義父の言い分はこうだった。

 デイサービスに行っても認知症は治らないので、行く必要はない。
 行ったとしても、風呂に入れる必要はない。
 わしは二度とデイサービスも、ショートステイも行かないし、特別養護老人ホームにも入らないし、母さんを入れることもない。
 終了。

 チーン! という音が聞こえそうだった。あ~、なるほど~そうですか~と力なく答える私だったが、義父の愚痴は止まらなかった。私はもう、地蔵になった気持ちで聞き続けた。

 幸せではない。
 惨めだ。
 こんな人生ではなかったはずだ。
 侘しい。
 どうにかしてくれ。

 かつて、ここまで重い男がいただろうか。モアイか? このような言葉を投げつけられた私が真っ先に思ったのは、「今までのすべては無駄だったのか?」ということだった。今まで何年間も、ケアマネさんはじめ介護チームの素敵な仲間たちと考えて、あれやこれやと動いて、みんなで精一杯やってきたつもりだけれど、本人がこれじゃあ、意味ないんじゃないの? 

 そしてなにより、私が義父のこのような言葉に納得できないし、同情もできない理由は、彼があまりにも周囲に依存しているからだ。誰かが自分の人生を変えてくれる、誰かがすべてをやってくれると完全に信じ込んでいる。今まで半世紀以上、その役割を担ってきたのは義母だったのだろう。義母、お疲れ。そして義母が認知症になったいま、その願いを叶えられるのは、息子とその嫁だけだと義父は信じ込んでいるのだ。んなワケないだろ

 幸せではないと言うけれど、それを誰かのせいにするのはやめませんか? それに、幸せはなるものじゃなく感じるものだって長渕だって歌っている。感じてくれよ、週に一日でもいいから。

 なんだかとても虚しい。じわじわと圧迫される家計、何をやっても満足してくれない義父。私はもう、どうしたらいいのかわからない。夫も頭を抱えている。一番ケアしてあげなければならない義母が置き去りになっている。義母に会いに行ってあげなければとは思うものの、私の足は夫の実家から遠のくばかりだ。それから、息子たちがあっという間に18歳になってしまったじゃないか! 義父母の介護に奔走しているあいだに、成長しちゃったよ! もう本当に、踏んだり蹴ったりだ。

義父母の介護

2024/07/18発売

この記事をシェアする

ランキング

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


ランキング

イベント

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら