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村井さんちの生活

2024年10月22日 村井さんちの生活

デイサービスは旅館じゃない

著者: 村井理子

 年末が近づき、マライア・キャリーの歌声も聞こえだしたことで、私はかなり焦っている。連日、自分の仕事以外の雑事が多すぎて、翻訳作業が一向に進まない。私はなぜ、こんなにも家族に時間を割かなければならないのか。他のご家庭は一体どうなっているのか!? 疑問ばかりの今日この頃だ。

  さて、先日のことだ。珍しく、訪問看護師さんから留守電が入っているのにふと気づいた。その日は朝から翻訳作業をしており、集中したかったために着信音をオフにしていたのだ。早速聞いてみると、義父のことだった。

  「実は、御義父様のことでご相談です。今日の午前中に訪問いたしましたが、メンタルの状態が悪く、『帰らないでほしい』、『寂しい』と涙ながらに訴えられました。そこでケアマネさんとも相談したのですが、一日滞在型のデイサービスの利用をされてはいかがでしょうか? 御義母様が自宅におられないことで寂しさを感じられているなら、一緒のデイサービスに行くことでそれは解決できます。また、入浴、食事など、必要なサービスを受けることができます。どうぞご検討下さい」

 なにぃ!? 泣いて「帰らないで」だと!? なんということだと唖然とした。最近、私はあまり夫の実家に顔を出していない。なぜかというと、義父のこういった態度がどうしても嫌だからだ。私が顔を出さないのが理由なのかもしれないが、とうとう義父は湿度が高めな甘えを介護従事者にぶつけるようになった。イライラしながら「とっちめてやる」と考えていると、ケアマネさんからも着信があった。

  「ヘルパーさんにも訴えられるようなんです。泣いて『帰らないで』と訴えられて対応に困ったという報告があがってきています。それから、御義母様がデイサービスに行くことを阻止される回数が増えています。やはり、御義母様と同じ一日滞在型のデイサービスを利用された方がいいのではないですか? お一人でいられたら孤独も募るでしょう」と言うケアマネさん。言葉は優しかったが、もう何年も付き合いのある人だからわかる。彼女も多少呆れている様子だった。

  それはそうだろう。義父のメンタルケアは、普通であれば家族が行うべきことで、介護従事者にそこまでやってもらえると思っているなんて、義父は決定的に何か勘違いしている。そしてケアマネさんの本音を言えば、「おい家族、そこは自分たちでなんとかせえよ」と言いたいと思うのだ。私が彼女だったら、確実にそう思う。私は大変恥ずかしい気持ちとともに、ケアマネさんに即答した。「行かせましょう!! 説得は私がします!」

  ということで、私はすぐに義父に電話をした。「来週、デイサービスのお試しに行って下さい(以上)」。義父は納得したようだった。自分が訪問看護師さんとヘルパーさんに泣いて訴えたことは、すでに私の耳に入っているとわかっていたと思う。むしろそれが作戦だったのかもしれない。強い抵抗もなかった。

  そして一日滞在型デイサービスのお試し利用の日がやってきた。義母も通うそのデイサービスは、広い邸宅を改築した建物で、和風建築の雰囲気が大変良い、明るい施設だ。食事も二回ついているし、入浴サービス、洗濯サービスまである。スタッフも気さくで優しいと聞いていた。義母と一日一緒にいるわけだし、メンタルが弱っているらしいし、これでだいじょうぶじゃろ! と、高をくくって安心していた私がバカだった。

  夕方過ぎに、ケアマネさんから連絡があった。「特に問題なくデイサービスで過ごされたのですが、なぜか明日、御義母様を休ませると言って家に戻られたらしいんですよね。明日って何かありました?」ということだった。「いえ、明日は特に何もないです」と答えながら、じわじわと心のなかに「あいつ…また何か企んでいるんじゃ…」という疑念がわいてきた。「とりあえず、私の方で原因を調べます」と伝え、そしてすぐに夫に連絡を入れた。

  「なにかきな臭いぞ…」

 「え? どういうこと?」

 「たぶん、何か不満があったんやろ。明日お義母さんを休ませると言ったあたり、どうも怪しい。電話してみて」

 「…」

  嫌そうにしていた夫だったが、電話をして義父に事情聴取を行ったそうだ。すると義父は怒った様子で「ごはんの量も少ないし、提供のタイミングが悪いし、スタッフの愛想もない」と言ったとのこと。その腹いせで、義母を休ませると言ったらしい。二度とデイサービスなど行かないと宣言したそうだ。それを説明する夫の顔からは表情が消えていた。ということで、夫の代わりに私が激しく怒った。

  私が納得できない点は、まず、介護スタッフに対して帰らないでと泣くなんて、卑怯だということだ。介護従事者が義父を相手にするときは必ず、1対1の状態だ。そんな状態で泣きながら「帰らないで」と言われたら、私だったら全力で走って逃げる。彼女たちも、絶対に、絶対に心のなかで「きっつい」と思っておられるだろう。そして、私がいちばん気に入らない点は、怒りの表明として、義母のデイサービスをキャンセルするという行為だ。義母はあなたの所有物じゃないと言ってやりたい。義母から必要なケアを奪うなんて、何の権利があってできるのか。それからもうひとつ付け加えよう。デイサービスは旅館じゃないからな!! そこのところ、早く理解してくれや!

義父母の介護

2024/07/18発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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