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村井さんちの生活

 先日のことだ。最近、仕事が忙しい私は朝6時に起きて翻訳作業をしているのだが、その作業が波に乗り始めた9時頃、ケータイが鳴った。ケアマネさんからだった。ピンときた。たぶん、義母のデイサービスへの送り出しで、きっとトラブルが起きているのだ。

 義母は、平日はすべてデイサービスに通っているが(朝9時に出発し、昼食、入浴、夕食を済ませて18時過ぎに帰宅)、その支度や送り出しをするために、ヘルパーさんも平日の8時半から30分間、義父母の家にやってきてくれる。そこで不測の事態が起きて、ヘルパーさんからケアマネさんへヘルプ連絡があり、ケアマネさんから私へ何らかの確認のための連絡が入ったに違いない。介護生活も長くなってくると、だいたいこの辺りの勘は働くようになっている。すぐさま出ると、少し心配そうな声でケアマネさんが、「理子さん、どうしましょう…」と言うのだった。

 「お義父様が、今日のデイサービス、お休みされると電話連絡してたみたいなんです」と、ケアマネさん。「ほほう、理由はどういうことで?」と聞くと、「お義母様、肩が痛いってことなんです。それで、お義父様が病院に連れて行かれるって言うんですが…連れて行けるでしょうか?」

 ここでケアマネさんが確認したかったことは、3つだ。まず、義父が義母を連れて病院に行くことは本当に可能なのか。そして2つめは、義母は本当に肩が痛いのか。そして3つめは、最悪の場合、私が実家に赴き、義母を連れて受診することは可能かということだ。私の答えはすべてNOだった。

 義父がタクシーを呼んで義母を病院に連れて行くことは、想像しただけで不可能だ。義父は車の乗り降りが一人ではできない。義母の肩の痛みは普段から時折訴えているため受診済みで、痛み止めと湿布が処方されており、服薬して様子を見れば軽快することが多い。そして、私が実家に行き義母を病院に連れて行くことが可能かどうかについては、その日、夫が車で遠出していたので無理な話だった。電車で移動したら酷暑なので死んでしまうし、ほら、私だって仕事があるんですよね。

 私とヘルパーさんとケアマネさんの出した答えは全員一致で「義母をデイサービスに預ける」だった。

 「デイサービスに行けば看護師さんがいますし、痛み止めと湿布を持って行けばちゃんとケアしてくれます。お家で過ごすよりも安全です。本当に受診が必要と判断されたら、連絡を入れてくれますから」と、ケアマネさん。問題となったのは誰が義父を説得するかで、ケアマネさん曰く、ヘルパーさんはすでに説得に失敗したとのことだった。

「ちょっとアタシ、今から義父に電話しますんでッ! 少し待ってて下さいね。義母にはデイに行ってもらいますッ!」と私はケアマネさんに伝えて、一旦、ケータイを切った。

 すぐに実家に連絡を入れると、義父が「モヒモヒ…」と出た。すでに泣いている。

 「お義母さん、具合が悪いんですか?」と聞くと、「肩が痛いと言うから、病院に連れて行こうと思うんや…もうどうしたらええんや…理子ぉ…もうどうしたらええんかわからへん…うううう」という、いつもの泣きが入っていた。

 あまりの嫌さに私は髪を掻きむしりながら、「だからぁッ! デイサービスにいッ! 行かせてあげて下さぁぁぁぁいッ! 肩の痛みに処方されたお薬あるでしょ? あのお薬と湿布を持たせてあげてください。デイの看護師さんが見てくれますし、家にいるより安全です。寝たかったらデイで寝かせてくれますから!」と答えた。

 すると義父は泣きながら、「ヒー…」と納得した。その直後、ガバッと誰かが義父の手から受話器を奪ったような音が聞こえた。そして明瞭な声で「理子さんですか? ヘルパーの〇〇です、いつもお世話になっております。鎮痛剤と湿布の場所を教えてくれませんか? お義父さんに聞いてもわからないんですよ(軽く「チッ」)」

 私は素早く薬と湿布の場所を伝えた。ヘルパーさんは「了解しました。二つともあります。すべて準備は整いました。私はこのまますぐに出ますが、ケアマネさんに連絡を入れて、デイのお迎えをもう一度依頼いたします!」と答えてくれた。私は「ありがとうございます。私の方からもケアマネさんに状況説明のメールはしておきます」と伝え、なんだかめちゃくちゃスッキリした気持ちでケータイを切ったのだった。

 そして私はすぐさまケアマネさんに、無事義母を送り出したと報告をし、ケアマネさんとまた一つ問題解決したねと喜び合い、仕事に戻った。しばらくしてケアマネさんから「お義母さま、服薬され、痛みも取れて元気という報告がありました。昼食もすべて食べられました」とメールがあった。

 午後になってヘルパーさんからケータイに連絡があり、義母がコードレス掃除機の充電器をどこかにしまい込むことが繰り返されており、掃除ができなくて困っていると聞いた。

 「もし購入されるのであれば、昔ながらのコードのついたタイプのものですと、助かります!」ということだったので、私は晴れ晴れしい気持ちですぐにネットで注文、翌日には義父母の実家に配送完了したのである。

 私、ケアマネさん、そしてヘルパーさんの間にもシスターフッドが誕生したような気がする。いやはや、こうやって無駄のない連携ができるのは、介護スタッフのみなさんがいい人たちだからだよね。感謝、感謝。

 …と、この話を自慢げに夫にした時、夫が「その掃除機って紙パック式?」と聞くので、「いや、サイクロンだけど」と答えたら、「紙パック式の方がよかったと思うわ」と言っていた。

 なんなの? 前世が紙パックなの?

義父母の介護

2024/07/18発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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