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村井さんちの生活

2026年5月26日 村井さんちの生活

義母の友、遠方より来たる

著者: 村井理子

 GWに義母の幼なじみで親友のYさんが、グループホームに入居している義母に会うため、和歌山県からやってきた。Yさん長女とその夫、そして長男が彼女に付き添っていた。私は彼女と面識はなく、ましてや彼女の家族についてはまったく知らなかったが、夫は幼い頃から知っている人たちだそうだ。

 今回、Yさんが高齢だというのに(88歳)、滋賀県まで来てくれることになったきっかけは、義父母宅に送ってくれたお歳暮が返送されてしまったことだった。義父母は入所しているし、私たちもそう頻繁に郵便物や配達記録などのチェックができないため、大変申し訳ないことにYさん宅に返送された。そこでYさんが夫に連絡をくれ、いろいろなことが判明、それではGWに会いに行きますということになった。

 私は実は心配だった。入所して半年あまり、義母はずいぶん痩せた。昨年末の入院以来、認知症も進み、あれだけ饒舌だった人が会話もままならない。そんな姿を見るのは、Yさんにとってショックなのではないか。しかし、70年以上の親交がある二人に、今さら何を心配する必要があるというのか。会えばそこですべてがわかり合えるはずと私は信じた。そうでなかったとしても、仕方がない。人生なんてそんなものさ…と納得した。しかし、そう思えていなかったのは、夫である。

 Yさんご家族とGWの一ヶ月以上前から連絡を取って、当日のスケジュールを決めているのだが、夫の根回しがはっきり言って、ずいぶんしつこい。「GWだから道路が混むはずだから、午後の1時に待ち合わせということだけれども、午前11時がいいのでは」とか、100回ぐらい言い、実際に予定を変更したりする。ずっと話を聞かされるこちらは会う前から疲労感がすごい 。「まずは実家で集合し、お茶を飲んでから現地に向かうので、茶葉が必要」とか、本当に細かいことにこだわる(令和はペットボトルでいいだろ)。「かあさんの施設には親父も連れて行くので、そのように(親父の)施設に連絡を入れてくれ」とか(なぜトラブルを増やすのか)、一体なんなんだというほどの迷走だった。なぜ、物事をシンプルにできないのだろう。会いたいと言ってくれている方を、ただ、案内すればいいんじゃないの? 実の子の介護の闇ってコレか?!

 なんだかんだとあったものの、GWはやってきた。Yさんご一行はなんの問題もなく、義父母の家に車でやってきた。お元気そうな様子で足腰もしっかりされている。挨拶を交わして、さくっと義母のいる施設へ向かった(義父までつれて行くアイデアは事前に却下)。Yさんは明るく、お喋りで、きっと家族のリーダー的存在なのだろうと思わせた。迷うことなく義母の居室に行くと、Yさんは義母の名前を大きな声で呼んだ。義母は、眠っていたようだが、はっきりと目を覚ました。そして、にっこりと笑顔を見せたのだった。

 Yさんはうれしそうに、「そうよね、憶えているわよね。だって幼なじみだもの」と言い、一緒に通った母校の校歌を二人で歌い、握手をして再会を喜び合っていた。Yさんは20分程度義母の手を握り、二人が大好きだった歌を歌い(テレサ・テンメドレー)、そして最後にぎゅっと義母を抱きしめると、「さあ、行こう。疲れさせたくないから」とお子さんたちに声をかけ、あっさりと訪問を終えた。素晴らしい人だと私は思った。本当に、さらりとその場を去ったのだ。

 次に向かったのは、義父の入居しているグループホームだ。Yさんはもちろん義父のことも良く知っていて、少しだけ顔を見て帰ると言ってくれた。私は昨年末に恐怖の「おとうちゃんを捨てないで」事件を経験して以降、初めての義父との遭遇である。二度と遭遇したくはないと思っていたが、こればかりは仕方がない、行くことにした。

 Yさんとご家族が義父の居室に入ると、義父はすぐに泣き出した。ううッ、うぉぅぅ…と泣き出したかと思ったら「ハァ…情けない…」と言った。自分のことか? と思ったが突っ込まないでおいた。Yさんは「お元気そうやないの! 泣かないで、こんな素敵なところにいるのに」と明るく言い、義父を慰めた。義父は「なんのために生きているのかわからない、こんなところで毎日、毎日…」と、Yさんの手を握りしめて、大声で泣いていた。Yさんは「どんな形であれ、生きていることには意味があるのよ」と義父を励ました。その言葉を紙に書いて、義父の居室に貼っておきたいくらいだ。

 義父があんまりにも泣くので、Yさんの娘さんと息子さんが気を遣って、義父の居室に置いてあるアルバムをめくって義父に質問をしはじめた。「うわあ、かわいいですね、お孫さんですか?」と聞くも、義父は泣くのに精一杯でちゃんと答えない。Yさんの顔を涙ながらに見つめて「ワシの葬式には絶対に来てくれよ」と念を押していた。どんな約束? めんどくせえな、死後のことは気にすんな!

 Yさんの息子さんが写真のなかに私の姿を見つけたようだった。「あ、お嫁さんですね!」と義父に言うと、なんと義父は「嫁は原因不明の難病や」と答えた。どういうこと? なんなの? 難病ってなに?

 とにかく、本当に暗いのである。痩せ細り、ほとんど言葉を発することのなかった義母が満面の笑みを見せ、校歌を一緒に歌ったのとは裏腹に、義父は何不自由なく暮らせているし、悪いところなんて(性格以外)ひとつもないのに、とにかく、自分の不幸を嘆いている。それも涙ながらに。

 「目の前に三食出されて、なんの喜びもなくそれを食べて、ただ生きているだけや…なんでこんな人生になってしまったのか…もうこんなことならいっそ…」と嘆く義父の相手に限界を感じたのか、YさんではなくてYさんの息子さんが「さ、帰るか」と言って席を立った。その声を合図に私たちはゾロゾロと義父の居室を出たが、義父の「忘れないでくれよおお」という声が背中にまとわりつくようだった。

 忘れてぇ…できればすぐにでも。

 義父を担当している介護士のKさんが「ここのところずっと発言がマイナスなんですよねえ…」と言っていた。「課題はメンタルですね」と私が答えると、そうですねと言いつつ、Kさんは頷いていた。

 本当に、ここまでくると課題はメンタルなのだと思う。義父の気持ちがあまりにも落ち込むようなら、夫との外食を増やすとか、孫に頻繁に会わせるとか、そのような工夫をするべきなのだろう。職員さんにも迷惑をかけ続けるわけにはいかない 。施設に入ったらそれで終わりだと思っていた介護だが、そう簡単には終わってくれないようだ。

義父母の介護

2024/07/18発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
 どうして自分が「考える人」なんだろう―。
 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
 それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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