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私、元タカラジェンヌです。

2022年2月22日 私、元タカラジェンヌです。

第6回 美城れん(後篇) 嘘がないお芝居がしたい、嘘がない人生を歩みたい――自分らしさを貫いて生きる

著者: 早花まこ

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ボンバーヘアー未遂事件

 2014年の星組公演「The Lost Glory」は、美城さんが専科生となって2つ目の出演作だった。長年所属した組だが専科から公演に加わるとなれば、今までとは違うことがいくつもある。緊張していた彼女の大きな支えとなったのが、主演の元専科・(とどろき)(・ゆう)さんの存在だった。

 男役だけではなく宝塚全体を牽引する立場であった轟さんは、あたたかく気さくな態度で接してくださった。すっかり打ち解けたのは良いが、安心し過ぎた美城さんは、忘れられない大事件を起こしてしまう。

 舞台化粧をするのが人一倍速い彼女は、お化粧が完成している生徒も多い中、いつも開演30分前から取りかかっていた。ところがある日、お化粧を始めてから、(かつら)を整えるためのネットをまだ被せていないことに気が付いた。いくら舞台化粧の速い美城さんとて、開演に間に合うように鬘を整える余裕まではない。

 「本日の私、髪の毛がボンバー決定だわ。そう思ったら焦って、お化粧も遅くなっちゃって…」

 舞台途中の早替わりならまだしも、開演に間に合わないなどあってはならないことだ。そんな絶体絶命の彼女に手を貸してくださったのは、恐れ多くも轟さんだった。専科の遥か上級生、おまけに公演の主役なわけで、本来ならば美城さんがお手伝いするべき方だというのに。しかし、切羽詰まった美城さんは礼儀など気にしていられなかった。こともあろうに、鬘ネットを被せるよう轟さんに指示を出し、なんとかお化粧を終えた。

 「いし(轟さんの愛称)さんったらすごく器用で丁寧だから、私の鬘、パーフェクト!」

 なぜか自慢げに振り返る美城さんだが、まだピンチは続いていた。猛スピードで衣装を着た彼女の出番は、轟さんとせり上がる場面だった。息を切らせて走っていくと、せり上には美城さんの靴を持ってスタンバイしている轟さんの姿が。

 「いしさんは大笑いして許してくださったけど、心底反省したよ〜」

 さすがの美城さんも、「退団しなくては」と思うほど落ち込んだそうだ。「その後は二度と遅れなかった」と神妙に語る彼女に、当然です!と思わずつっこみたくなるエピソードだった。

専科生の目線

 宝塚では、1年のうちに何回か数名の生徒が組を入れ替わることはあるが、ほとんどの生徒は組替えを経験せずに卒業していく。上級生になれば10年近く、あるいはそれ以上の長い年月を同じ組内で過ごす。それぞれの人柄や長所短所を理解し合うと、組の生徒同士に「あうんの呼吸」が生まれるものだ。

 慣れ親しんだ星組以外の、しかも自分だけが「あうんの呼吸」を感じられない公演に初めて出演する時は、単純に怖かったと美城さんは振り返る。しかし、思い切って飛び込んでみると、そこは星組と同様の「宝塚」だった。公演に向けてコツコツとお稽古に励む日々に変わりはなかったし、初めて出会う生徒たちも、知れば知るほどそれぞれが面白い人だった。

 「初めての組でも『私は役者です』ってしっかり言えたら、皆が一緒にお芝居してくれる。組とか学年とか関係なくて、みんな役者、私も役者。そう思ったら、一気に視野が広がったなぁ」

 新しい経験に緊張する日々の中でも、専科生として作品に関わる楽しさを見つけた。また、組という組織の外から宝塚を見たことがきっかけで、新たな発見があったという。

 「宝塚がちょうど100周年を迎えたこともあって、これから宝塚がどういう作品をやるのか、他の舞台とはどう違うのか。そんなことを考えながら仕事をするようになったの」

 国内だけでなく海外にも、質の高い演劇やミュージカルが沢山ある。宝塚の魅力を知り尽くした彼女だからこそ、厳しい目で自らの仕事と向き合えたのだろう。「本気で全力を尽くさないと、この世界ではやっていけない」と常に感じていたという。幅広いジャンルの舞台に興味を持っていた彼女の知識と経験は、宝塚の作品で発揮されることとなる。

君こそナイスリー・ナイスリー

 「専科・美城れん」の存在感が揺るぎないものになったのは、2015年、星組公演「ガイズ&ドールズ」のナイスリー・ナイスリー役を演じた時だった。丸々としたスタイルで舞台上を駆けずり回り、数多くのミュージカルナンバーを次から次へと歌いこなした。

 以前、宝塚で上演された同作が記憶に残っていた美城さんだが、最終的に参考にしたのは、海外のミュージカル映画の映像や資料だったという。まるでブロードウェイの舞台から飛び出してきたような演技だったと伝えると、「そう! まさにそれを目指してたのよ!」と身を乗り出した。

 「ブロードウェイの劇場で観るような、歌って踊る小粋なおじさんを演じてみたかった」と熱弁した後で、彼女はニヤリと笑った。

 「まあ…ブロードウェイ、行ったことないけどな」

 女性である自分が男役として「アメリカ人のおっちゃん」をどこまで演じられるか。彼女のチャレンジ精神がむくむくと頭をもたげたという。

 個性のある脇役は、ふくよかな体型で舞台に立つこともある。舞台衣装の下には「肉布団」と呼ばれる分厚い服の形の布をまとうのだが、これが不自然になってしまうとお芝居のリアリティが半減してしまう。ふくよかな役柄を演じることが多かった美城さんは、体型の見せ方に人一倍のこだわりを持っていた。

 ナイスリー・ナイスリーは、アメリカ人の中年男性。衣装はスーツで、動きが多い役だ。

 「上のスーツ生地にはりが出るように、肉布団の厚みを微調整してすごくこだわった。アメリカ人のおじさん体型を目指して、それが動いても自然なように、お衣装部さんとかなり細かく打ち合わせしたよ」

 さらに彼女は、お稽古場から毎日、肉布団を着込んだという。重さのある肉布団を着て長時間歌い踊るお稽古は、大汗をかいてヘトヘトになる。だがこういった努力のおかげで共演者もナイスリー・ナイスリーの雰囲気をより感じられ、作品を作る力になるのだ。

 様々な組の公演に参加する専科生は、時として出演する公演が次のお稽古期間に重なることがある。「ガイズ&ドールズ」のお稽古に加わった美城さんも、その前に出演していた公演の千秋楽を終えてからの参加となった。ほとんど出来上がった作品に途中から入ったわけで、とにかく毎日必死で「アメリカ人のおっちゃん」を作り上げていった。

 「そりゃ大変だったけど、お稽古が始まると楽しい気持ちの方が勝ったなあ」

 ナイスリー・ナイスリーは、多くの登場人物たちとの台詞や歌の掛け合いがある役だ。どんなお芝居をしようかと頭で考えるよりも、演じていくうちに共演者との絶妙なバランスが出来上がっていったという。

 「主演のみっちゃん(北翔(ほくしょう)海莉(かいり)さん)ですら、私が勝手に作ったお芝居に乗っかってくれたの。『ごめんよ、スター』って思いながらも、自由にやらせてくれることに感謝しかなかったよね」

 毎日の公演、絶好調で「ガイズ&ドールズ」を熱く沸かせていた彼女だったが、勢いが止まらず大変だったこともあった。ある日のパレード(公演の最後、生徒全員が大階段を降りてお辞儀をする場面)でついつい音楽に乗りすぎて大階段を踏み外し、7、8段ほど滑り落ちてしまったそうだ。それでも客席に向かって満面の笑みを見せたまま、踊るようにテンポよく歩き出した。そこまで役になり切るとはさすが、と感心している私に、「そうそう!って、本当は照れ隠しだったけど」と、笑顔で真実を教えてくれた。

怪演!「るろうに剣心」

 2016年、雪組公演「るろうに剣心」に出演した際も、美城さんは舞台を大いに盛り上げた。彼女が演じた喜兵衛役は、観客の視線も話題もかっさらってしまった。憎たらしい悪人面でいばり散らすが、主人公・剣心の前ではひっくり返ってしまう情けない男で、その表情も仕草も「宝塚の男役がやって良いのか!?」と思わせるほどの怪演であった。全て彼女のアイディアから生まれた演技だったが、演出の先生からの指示は、ほぼなかったという。

 「もう、指導のしようがなかったんだろうね。こんな私に好き勝手やらせちゃったから、ほれ見たことか〜」

 もっと驚いたのは、作品の後半では違う役に扮した美城さんが、全く異なる雰囲気の人物を作り上げたことだ。喜兵衛とは打って変わって、気品のある堂々とした佇まい。日本の政治と外交を支え、文化の成長に尽力した要人、井上馨役だ。

 その夫人・武子役を頂いた私は、美城さんとの初めての共演にとても緊張していた。しかし、基本的な演技の動きと方向性が定まった後は、「こうして」と指示されることは一度もなかった。動きの多いパーティーの場面でも、美城さんと打ち合わせしたのは「小道具のオムレツを、毎回必ず、どうにかして取りに行く」ということだけ。自由にして良いから、どんな演技をするかを自分で毎日考え、実践しなくてはならない。それは相手役さんに頼ってはいけないということではなく、むしろ「もし私が失敗しても、美城さんは必ず助けてくださる」という絶大な信頼を感じていたからできた挑戦だった。

 お芝居の途中、ストップモーションになる演出で美城さんは、必ず私が吹き出すような一言を言ってから静止した。御本人は涼しい顔、私は毎回笑いを堪えるのに必死であった。いつか言い返したいと思っていたが、美城さんを笑わせるアドリブなんて思いつくはずもなく、毎日笑い負かされていた。そのアドリブまで役になり切った一言であり、客席から見れば自然なやりとりに仕上がっていることも、美城さんの芝居心の凄さであった。

 私にとって大変学び多く、楽しかった公演の日々は忘れ難い。一緒にいると笑いが絶えない、そんな美城さんが持つ豊かな包容力と器の大きさに支えて頂いた。

久しぶりの共演にも絶妙なコンビネーションを披露する美城さんと早花さん。

 美城さんは専科への異動が決まった当初、「2年間は在団しよう」と考えていたという。その2年間で雪組、月組、星組へ出演し、経験を積み重ねていくうちにこれまでにない充実感に満たされていった。

 「専科になってからいろんな人と出会って、いろんな役をさせてもらって…。やっぱり宝塚が大好きだって思ったのが決め手だったな」

 美城さんはついに、宝塚を卒業する決心をする。

角刈りの卒業公演

 2016年、星組公演「桜華に舞え/ロマンス!!」。この作品との巡り合いは偶然だったものの、長年慣れ親しんだ星組の公演で卒業できたことは幸せだったと振り返る。

 「宝塚で役者を極めた」という達成感はあったのだろうか。その問いに美城さんは「とんでもない」と、すぐに否定した。「役者を極めた」などという言葉は、役者の方々にすごく申し訳ないよ、と。

 「役者っていう仕事は、多分、一生極めらんないよね」

 だけど…と、彼女は言葉を続けた。「桜華に舞え」で西郷隆盛役を演じると知った時は心が躍ったという。

 「角刈りの鬘を被ってくれるかって訊かれて『もちろんですよ!』って。そんな卒業、最高じゃん。わくわくしたなあ」

 時代を切り開き、豪快に生き抜いて散った歴史上の人物と巡り合えたことは「『おお! 有難うございました!』って笑顔になるくらい」嬉しかったそうだ。

 作中、敵軍に追い詰められた西郷隆盛は、自らの生を悔いなく生き切ったと感じ、出会った人々に感謝しながら人生を終える。それは、実際の西郷隆盛の心情や状況とは違うのかもしれない。でも、美城さんが表現した彼の人生には「生きる希望」があった。西郷隆盛は、こんなにもあたたかな希望に満ちて世を去った―そう、観客が信じるようなリアリティが感じられた。

 「お稽古や公演が進んでいくと、『本当に幸せな宝塚人生だった』っていう思いが、どんどん大きくなったの。この道を選んだのは間違いなかったって」

 宝塚を卒業していく美城さんだからこそ演じられた、西郷隆盛。その演技に宿る真実味に、観客は心打たれたのだろうと伝えると、

 「役者として完璧ではなかったけど、最後まで嘘がなく演じられたってことかな」

 嘘がないお芝居がしたくて、嘘がない人生を歩みたくて、ずっとずっと自分らしさを貫いてきた。最初から最後までずっと自分に厳しくはできなかったけれど、その分自分にも人にも優しくありたかったと、彼女は微笑む。

 「それで理想は、私の周りにいる人たち皆を笑わせたい!!」

 千秋楽の舞台。角刈りの西郷どんはいつもと変わらず観客を笑わせ、あたたかい涙を誘っていた。一度は諦めかけた夢に挑戦し続けた少女は、20年後、役者「美城れん」に成長した。客席からの鳴り止まない拍手は、美城さんを新たな世界へと送り出しているようだった

大切な人と歩む

 宝塚在団中、美城さんがよく訪れた場所はハワイだった。初めてハワイでフラを見た時、宝塚の初観劇にも似た高揚感を覚えたという。それ以来、幾度も足を運び「将来はハワイや海外で暮らしてみたい」という漠然とした夢を抱いていた。

 だが、ハワイで暮らすことが決まった今も「英語は苦手」と明るく笑う。

 「でもコミュニケーションが好きだからね、お友達になるのは早いよー」

 卓越した演技力が垣間見える、表情豊かな語り口に魅了されていると、言語の通じない友人たちと笑い合う彼女を想像するのは容易だ。

 「宝塚にいた時は、舞台と恋愛を両立できなかった」と、美城さんは振り返る。

 「でも『ロミオとジュリエット』の乳母を演じて、いつかは絶対に心から大切だと思える人と結婚したいって思うようになった」

 宝塚を卒業したタイミングや積み重ねてきた人とのつながり…それらが一生を共にする大切な人との出会いに繋がったと、彼女は繰り返し語った。

 2020年以降、新型コロナウイルスの影響で世界中が劇的に変化する中、美城さんは様々な思いを巡らせていた。医療従事者の方々や感染防止対策に尽力する方々に感謝すればするほど、何もできない自分がもどかしかったという。誰とも会えず、先行きの見えない恐怖に心が押しつぶされそうだった。

 自分の無力さに打ちひしがれていた時、SNSを通じて数々のメッセージを受け取った。それは、美城さんが発信したハワイの美しい風景やカラフルなハワイのお菓子の画像、彼女の心から滲み出る言葉へ返ってきた「声」だった。思いがけない反響があった時、孤独感がふっと薄れたという。

 「今の私ができることをやって、少しでも誰かの力になれば良いなって思う」

 現在、彼女は「美城れん」の名前でSNSの発信をしている。以前「まだ芸名にすがっているんですか?」と言われたことがあったと、彼女は打ち明けた。そうなのかもしれないね、そう言ってから美城さんは続けた。

 「でも、今でも思いがいっぱいあり過ぎて、芸名の自分をなくすことはできない。本名の私と同じように、自分の大事な一部なの。私から『美城れん』は取れないよ」

 「おまえの努力は誰も持ってけやしない」、かつて祖母が彼女に言って聞かせたように、時が経とうと、宝塚で積み上げた日々は彼女の中にある。

旅立ちを前にして

 いよいよ、ハワイでの美城さんの生活が始まろうとしている。大切な人と暮らす新しい場所でどんな出会いがあるか、どんな景色が待っているのか。今はただただ楽しみながら飛び込んでいくだけだと、彼女は語った。

 「宝塚にいる間は、死ぬのが怖くなかったの。でも今、死ぬのが怖いって思う。変だけど…これ以上の言葉にはできないのよ、これ」

 宝塚では日々の研鑽に追われ、その瞬間を生き切っていた毎日だった。卒業してから、美城さんの視野はさらに広がった。知りたいこと、やってみたいことが増えるたびに、彼女は思った。「ああ、もっと生きていたい」。

 「毎日を、大事に生きていたいと思う。それが、宝塚を卒業して、私が一番大きく変わったこと」

 その演技で多くの観客の心を動かしてきた美城さんは、周囲の期待とは逆に、今はもう役者をやりたいとは思っていないという。

 「『宝塚のおじさん』とか『宝塚のおばさん』が好きだったから。もう、そういう部類だったでしょ、私」

 今まで美城さんが演じてきた魅力的な役の数々が思い浮かび、思わず笑ってしまった。彼女も一緒に笑顔を浮かべる。

 「そういうのが私、楽しかったの。宝塚が好きだったの」

 「たからづかが」と、一音一音を噛み締めるように、美城さんは言った。その一音一音から、彼女の愛がこぼれ出た。夢のために努力を重ねた受験生の頃も、自分と向き合えず苦しさを抱え込んでいた時も、美城さんは「宝塚」が好きだった。不器用なほど一途なやり方で、彼女の宝塚を愛してきたのだろう。

 美城れんさんにとって、宝塚とはどんな場所だったのだろうか。この質問に、彼女は即答した。

 「全て」

 その気持ちは、卒業して5年が経った今、少しも変わらない。そしてこれからも変わらないと、彼女は確信している。

 「宝塚は、私の全て。今、私がここにいるのは、宝塚と出会ったおかげだから。宝塚がなければ、私の『最初』も『最後』もない」

 嘘のない生き方がしたい―そう、美城さんは繰り返し口にした。それは、決して簡単ではない。だからこそ、美城さんは自らの生きる姿勢をもって、その信念を示す。彼女の勇気ある生き方は、今日も誰かに幸せをもたらしている。

(おわり)

美城れん(みしろ・れん)
福井県福井市出身。元宝塚専科の男役スター。
2016年に宝塚を卒業し、現在はハワイ島で暮らしている。
インスタグラム @ren.mishiro

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

早花まこ

元宝塚歌劇団娘役。2002年に入団し、2020年の退団まで雪組に所属した。劇団の機関誌「歌劇」のコーナー執筆を8年にわたって務め、鋭くも愛のある観察眼と豊かな文章表現でファンの人気を集めた。BookBangで「ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱」を連載中。
note https://note.com/maco_sahana

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