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私、元タカラジェンヌです。

2022年2月21日 私、元タカラジェンヌです。

第6回 美城れん(前篇) 私の努力は、誰も持っていけやしない――不器用で一途な少女が抱いた夢の先には

著者: 早花まこ

美城れんさん

芸とユーモアの人

 宝塚歌劇団には、花月雪星宙という5つの組の他に、「専科」という生徒の集団がある。専科生は各組へ特別出演して、重厚な演技が必要とされる年長の役や身分の高い役などを担う。その1人だったのが、美城(みしろ)れんさんだ。

 福井県福井市出身、「さやかさん」の愛称で親しまれている彼女は、1998年に宝塚に入団した。星組に所属した後、専科へ異動したのは2014年。男役でも女役でも個性的な役柄を演じこなし、名脇役として数多くの作品で活躍した。

 新型コロナウイルス感染防止のための対策がなされた、カフェでの取材。すっきりと晴れやかな表情で現れた美城さんは、ハワイへの渡航を間近に控えていた。どんなに真剣な話題でも、ユーモアが溢れ出る……それが美城さんだ。伺いたいことは沢山あるのに、ひたすら笑っているうちに終了してしまう予感がしていた。まずは宝塚との出会いから、しっかり伺わなくては。

 「その話、長いよ〜。聞いてくれるかい?」

 お願いします、と答えるまもなく始まった彼女のお話に、気がつけばすっかり引き込まれていた。

スコットランドでの運命の出会い

 小学校が、どうしても好きになれなかった。

 黒板の方を向いて整然と並べられた40ほどの机と椅子。そんな教室が自分のいる場所だと思えなかった美城さんは、4年生の時に、福井県から長野県の山あいにある小学校へと山村留学に出向いた。

 全国各地から集まった20人ほどの生徒は、山の上にある古民家のような学生寮で暮らし、少人数の学級では1人1人に合わせた速度で勉強が進められた。豊かな自然の中でマイペースに過ごせる学校生活は、彼女に合っていた。生活をともにした生徒たちとは今でも仲が良いのだと、彼女は楽しげに語る。

 その後、街の中学校へ入学した美城さんだが、やはり学校生活には全く馴染めなかった。そこで今度は単身イギリスへ渡り、スコットランドのフリースクールへ進学した。厳しい規律に捉われず、のびのびと勉強できる環境に恵まれていたけれど、焦りも感じていたという。

 「海外の学校へ行けば色々なチャンスや可能性と出会える。そこで、将来やりたいと思えることを探しておいで」という母の言葉が忘れられなかったのだ。美城さんを心配して、彼女らしく過ごせる教育環境を探し続けてくれた母の気持ちは、痛いほど理解していた。そんな美城さんだが、スコットランドで運命の出会いを果たす。

 ある日、同じ寮の日本人生徒の部屋へ遊びに行った美城さんは、壁に貼られたポスターを見て強い衝撃を受ける。それは、初めて見る「タカラジェンヌ」の写真だった。彼女の第一印象は、「なにこれ、気持ち悪い!!」。

 見たこともない華やかな舞台化粧と色彩に驚いたものの、一時帰国の時に「一度でいいから観劇してみて!」と強くすすめるその友人に連れられ、初めて宝塚大劇場へ足を運んだ。演目は花組「心の旅路/ファンシー・タッチ」。初観劇の帰り道、美城さんはかつて抱いたことのない強烈な思いに涙を流していた。ああ、私はここで仕事がしたい――。

人生を選び取れ

 「大劇場前の花のみちを、大号泣しながら帰ったの。あれは、言葉で説明できない感情だなあ。全部がうわあって、はじけてた」

 「男役になりたい」、「この舞台に立ちたい」など具体的な目標は何もなく、ただ「これがいい」という感覚だったという。とにもかくにも「宝塚」というものに強く惹きつけられた。

 「その時期のことは、おかしいくらい鮮明に覚えてる。流行ってたゲームボーイを何分で、どうやってクリアしたとか、そういうことまで」

 異様に研ぎ澄まされた少女の感覚が、宝塚に出会ったことですさまじい化学変化を起こし、その心を駆り立てていく。

 「宝塚で仕事がしたい」という強い意志を抱いたまま、美城さんはスコットランドの学校へ帰る日を迎えた。宝塚に入るためのレッスンは留学先ですれば良い、必要な情報はこれから集めよう。そう両親に言い含められ、シンガポール経由のイギリス行き飛行機に乗ったのだが、

 「シンガポールの空港で、係の人に帰りのオープンチケットを見せて、日本に帰りたいって訴えたんだよね。あの時のパワーは、自分でもよくわかんないよ」

 こうして美城さんは、独断で帰国を果たした。

 宝塚の舞台に立つためには、宝塚音楽学校に入学しなくてはならない。中学3年生から高校3年生までの間に最大4回の受験のチャンスがあるが、合格倍率は約25倍という狭き門だ。必要なレッスンを始める以前に、美城さんは中学校を卒業しなくてはならなかった。小学生の頃から一度として馴染めず、ずっと避けてきた学校生活をもう一度始めてみて、どうだったのか。

 「それがね、なんと全然へっちゃら。宝塚に入るっていう目標ができたら、苦痛だった学校生活も楽しくなっちゃったの」

 宝塚を受験するには家族の協力が不可欠だったが、

 「お稽古の教室を探そうとしても、『自分で調べれば』って電話帳を渡されただけ」

 突然見つけた荒唐無稽とも思える夢のため、留学の途中で帰国してしまった。そんな娘を、ご両親が心配しないはずはなかった。当時、「宝塚に入るのは特別な人だけ。一般家庭から入学するなんて無理だ」と考えていたご両親は、美城さんの宝塚受験に大反対だった。

 孤独に奮闘する美城さんの味方はただ1人、祖母だけ。手厚い祖母の助けによって、宝塚を受験するためのレッスンに通うことになった。

 ところで。留学期間の半ばで日本に帰国した美城さんは、驚いたことに、それ以来一度もスコットランドのフリースクールを訪れていないという。長期休暇だったといえど多くの生活用品はスコットランドに残したまま。「大好きだった折原みとさんの本とか、全部置いて来ちゃったなあ~」と笑う美城さんだが、宝塚への強い思いがあったとはいえ、とてつもなく常識破りの行動には思わず言葉を失ってしまった。

合格のためなら何でもやる

 宝塚受験に必須のバレエも声楽も未経験だった美城さんだが、そのやる気は止まらなかった。学校でクラシックバレエの教室を知っている生徒を探し出し、一緒に連れて行ってもらった。声楽の課題であるコールユーブンゲンを学校の先生に習い、繰り返しCDを聞いて、最初の1、2音を出されれば全て歌えるまでに暗記した。

 「譜面は少しも読めなかったから、とにかく頑張って暗記した。多分、今でも全部歌えるよ」

 しかし、中学卒業時の初めての受験は不合格だった。

 翌年からは、よりレッスンに没頭する毎日だった。高校に通いながら、週末ごとに福井市の自宅から関西までバレエと声楽を習いに行く日々。宝塚の機関誌「歌劇」を毎月買っては、

 「もう穴が開くほど読んだ。私のすべて。すべてが、そこに注ぎ込まれてた」

 2回目の受験、一次試験は突破したが二次試験では不合格。この時、一緒に受験した友人が合格したことに、美城さんは大きなショックを受ける。合格できない自分への憤りも加わり、もう受験をやめようかとも思った。だが、

 「もっとレッスンをすれば、次こそは必ず合格する。絶対に諦めてはだめよ」

 祖母からそう叱咤激励された美城さんは、さらにレッスンに熱中した。学校が終わると泊りがけで関西のバレエ教室へ。関西に一泊して翌朝福井へ戻り、祖母から朝食と昼食のお弁当2つを受け取って学校へ。そしてその日の放課後は県内のバレエ教室へ行き、そのまた翌日は学校帰りに関西へ一泊――。

 「もう、変な自信がついたわけ。だって、中学2年生でバレエをゼロから始めた私が、2年間毎日バレエを練習しちゃったもんだからさ」

 3歳から習っていた日本舞踊を本格的に習得して名取となったのも、宝塚受験に役立つと考えてのことだった。そんなふうに1日も休むことなく宝塚への夢に全力を注いだ美城さんは、3回目の受験で、ついに念願の合格を勝ち取った。

 宝塚音楽学校には厳しい規律がある。芸事の鍛錬だけではなく、厳正な上下関係と礼儀作法を徹底的に叩き込まれるのだ。その伝統ともいえる厳しさは有名だが、美城さんは全く知らずに入学したという。ただでさえ規則に縛られる学校教育が苦手と感じていた彼女にとっては、耐えがたい環境であったはずだ。

 「最初はすごく驚いた。でも、そこで教わることは『人間の基本』。お礼を言う、自分が間違えたことを反省する、心を込めて校舎の掃除をする。そういうこと全部が『真心』を学んでいるって思ったら、感動しちゃったのよ」

 大胆な発想の転換をした美城さんは、厳しい指導も感謝して受け止められるようになったという。だが、初舞台を目指して本格的に芸を磨く本科生(宝塚音楽学校2年目の生徒のこと)になると、高い壁にぶち当たった。並々ならぬ努力を積んで入学したのに、同期生の中では成績が低迷してしまったのだ。

夢が叶って低空飛行

 「ものすごく努力して合格したんだっていう自信が変なプライドになっちゃって、思い通りの成績を取れない自分を受け入れられなかったんだよね。やる気が、一気に冷めちゃった」

 必死に頑張ってきたのは、自分だけではない。そう理解するのが遅かったのだと、彼女は振り返る。さらに、

 「練習しなくてはいけないと分かっていても、気恥ずかしくてできなかったの」

 理想の動きができない自分が嫌で、ダンスの授業をさぼってしまったこともあったという。

 若かった頃の自分を語る美城さんの言葉は、どこまでも率直だ。私自身もそうだったが、タカラジェンヌに限らず多くの人が、理想と違う自分と向き合うことができない時期を経験するのではないだろうか。そんな「格好悪い」過去の自分は、できれば忘れてしまいたい。しかし、美城さんは違った。

 「自らの実力不足を認められなかった」とはっきり言えるのは、その後の彼女が自分自身と向き合えるようになったからだろう。

 1998年、美城さんは宝塚音楽学校を卒業した。84期生として宝塚歌劇団に入団し、宙組公演「エクスカリバー/シトラスの風」で初舞台を踏む。

 「本科生の時は、鏡に映る自分を見ようとしなかった。あまりの出来なさに愕然とするのが嫌でさ。それで結局、最後の成績もブービーだったのよ」

 39人中38番目だったという、卒業試験の結果。「どんな役でも任せられる芸達者な専科生、美城れん」のイメージとは、あまりにもかけ離れている。

 お稽古熱心で、情熱を持って舞台に挑む役者になるまでの道のりは、どのようなものだったのだろうか。

プライドを捨てて

 入団後、星組に配属された美城さんに、ひとつの転機が訪れる。それは上級生の男役、(のぞみ・)(けい)さんとの出会いだった。希さんのダンスを見て、「こんなふうに踊りたい」と強い憧れを抱いた。それをきっかけに、研3(入団3年目のことで、宝塚では研究科○年と表す)になる頃には大きく意識が変わっていたという。

 たとえ数分のラインダンスの出番であっても、宝塚の舞台を作る一員。尊敬する上級生と同じ公演に出るのだから「もっと上達して皆のレベルに追いつかなくては」と、朝から晩まで休日も関係なく、とにかく必死に練習に励むようになった。

 「やりたくて選んだ仕事なのに、私は何をやってるんだ!って目が覚めたね。努力し始めたら、芸事が楽しくてしょうがなくなった」

 練習に打ち込んだ成果が徐々に表れ、公演の出番が増えていくなか、ひとつずつ丁寧に取り組むことを根気強く続けた美城さん。

 「どれだけ練習しても、自分の出来に満足するってことはないよ。それでも舞台に立つことに、楽しさを見出すようになったの」

 「皆の前で努力することが恥ずかしい」という気持ちを手放したことで、美城さんは舞台人としての覚悟と強さを手に入れたのだろう。

 「宝塚を3回も受験した」、そのプライドがずっと努力の邪魔をしていたのだと、美城さんは振り返る。でも「宝塚を3回も受験した」からこそ、簡単に退団するわけにはいかなかった。その根性のおかげで20年間も在団できたと、彼女は語る。

 「だってさ、私が身につけたものは、誰も持ってけないんだよ」

 それは、挫折を重ねた受験の日々に、祖母が美城さんに掛けた言葉だったという。

 「おまえの努力は、誰も持ってけやしないよ」

 星組は、めりはりのある上下関係の中で充実した舞台を作る、下級生といえども甘えられない厳しさのある組だった。美城さんが今も鮮やかに思い出すのが、男役の象徴である黒燕尾のダンスシーンのお稽古だ。はりつめた緊張感の中で、男役の群舞が爪の先まで動きを揃えて踊る。その中の1人として踊りながら、心が震えるのを感じた。

 「宝塚とはこういうものだと、まさに思えた瞬間なの。この景色は、宝塚に入った私しか見られない。ここにしかない光景なんだって、ただただ感動していた」

 2010年に梅田芸術劇場と博多座で選抜メンバーにより上演された、フレンチミュージカル「ロミオとジュリエット」。のちに宝塚大劇場・東京宝塚劇場でも上演されて人気を博し、宝塚以外の公演でも再演を重ねることとなる作品に、美城さんは、初演のピーター役として出演した。

 ジュリエットの乳母についてまわる従僕ピーターを、美城さんは、観客をくすりと笑わせる可笑しみのある人物に作り上げた。やんちゃな若者たちにからかわれたり、かと思えば意気投合したり、調子に乗って乳母に叱られたり。10年以上前に観劇したこの舞台のピーターは、私の心にも印象深く残っている。

 その後、再演されるたびにピーターは「メインキャストではないけれど、場面の雰囲気を作るキーパーソン」として、個性的な人が演じる役所となった。演出や振り付けの効果があるとはいえ、初演でこの役を「おいしく」作った美城さんの功績によるものではないだろうか。

 宝塚に入りたいという夢を実現させたら、次に目指すのは「スターになること」という生徒が多いのは当然といえる。少しでも活躍して、華やかな出番が欲しいと願う人も多い中、美城さんが心惹かれたのは「スターを支える脇役」だった。当時の星組の上級生には、深みのある演技や強い存在感でお芝居を支える生徒が何人もいた。自分もそういう役者になりたいと憧れた美城さんだが、「面白味のある脇役」になるのは難しいと覚悟してもいたという。ぴったりの当たり役が巡ってきて活躍しても、それはその時の一回だけ。お芝居に必要とされ続けるためには、どんな役でも個性を活かして演じられる確かな実力が必要だ。与えられた役をとことん研究して表現することで、美城さんは憧れた立ち位置、いつでも必要とされる役者に近づいていった。

 「主役は絶対に必要だけど、周りがいなくちゃ始まらんよね」

 そう可笑しそうに笑う美城さんの瞳には、「周りの役者」の楽しさと誇りが輝いていた。

 「私、こんなにダメなやつだ」

 「ロミオとジュリエット」の舞台で愛嬌たっぷりのピーターを軽快に演じながら、美城さんの視線は目の前の乳母役に注がれていた。この役を演じたい――心の底から湧き上がるような感情を抱いた。そのチャンスが彼女に巡って来たのは3年後。星組大劇場公演「ロミオとジュリエット」のキャスト・オーディションを受けた美城さんは見事、乳母役を掴んだ。ほっとするまもなく待っていたのは沢山の台詞と動き、そして重要なソロナンバーだった。

 ジュリエットが生まれた時から慈しみ育ててきた乳母は、ジュリエットの成長を誰よりも喜び、ロミオとの恋が実るよう神に祈る。その心情を歌う「あの子はあなたを愛してる」というナンバーは、振り付けも場面転換もなく、舞台上にたった1人で歌う大曲だ。宝塚では、スター以外がこのようなシーンを担うのは極めて稀で、1幕のクライマックスでもある。

 この曲で表現したいことを含め、美城さんの心の中にはすでに「乳母」という人物がしっかりと立ち上がっていた。しかし、それまでの公演で演じた人たちの印象が強い役でもある。自分のイメージが共演者や観客に受け入れられるだろうか? そんな不安感に追い詰められるうち、充分歌い込んだはずの曲なのに、歌うことができなくなっていた。

 「こりゃいかん!と思ってさ、毎日、下級生に歌を聞いてもらってたんだ」

 10人ほどの下級生の前で、美城さんは、緊張を曝け出して歌った。

 「自分でやりたいって言った役なのに、情けない。私、こんなにダメなやつだ。ごめんよ!って言って。下級生は毎日、聞いてくれたよ」

 驚いて一瞬言葉を失った私に、「上級生は、いつでも皆のお手本であるべき」、そんな宝塚の常識を打ち破ることをしていたと、美城さんは笑いながら語った。

 男役でありながら、年長の女役を演じることに抵抗や不安はなかったのかと尋ねると、美城さんはぷるぷると首を横に振る。

 「関係ない、関係ない。男とか女とかより、ただの役者だからね、私」

 大切なのは、自分がその役柄に心惹かれ、適しているかどうか。

 「そりゃあさ、私はガリッガリのモデルの役は出来ないけどね……ばあやさんなら、頑張ればいけるでしょ」

 頷いて良いのか分からない言葉の後で、「そうそう、大好きな台詞があるの」と、彼女は瞳をいっそう輝かせて話を続ける。

愛を伝える「ばあや」

 それはジュリエットが、ロミオとの結婚に猛反対する父と言い合い、頬を叩かれた後のシーンだ。嘆くジュリエットに、乳母はこう語りかける。

 「お父様はあなたが憎くて叩いたんじゃあない。聞き分けのない子供だと思って、つい手が出たんですよ」

 これが、初演の時から彼女の心を捉えて離さない台詞だという。

 各シーンを明るく盛り上げ、若者の恋を手助けすることが、作中の乳母の役割だ。それに加えて「乳母の最重要ポイント」と彼女が強調するのは、「父親の深い愛を、ジュリエットに伝えること」。

 「なんだろうねえ、この台詞はすごく、綺麗だと思うの。これが、全ての愛。ばあやは愛の橋渡しをするんだよ」

 その短いシーンで、美城さんの演じた乳母は、きわめて愚直にジュリエットに語りかける。「若者の気持ちを無視する身勝手な大人」と見せかけてその実、すれ違う親子の思いに寄り添っていた美城さんの演技を思い出した。

 「あの場面、『ザ・愛』じゃない?」

 美城さんはふふっと微笑み、まっすぐに私をじっと見つめた。

 乳母役の中に見出した愛を、どう表現するか。精一杯お稽古を重ね、いよいよ公演の初日が迫る。初日前の舞台稽古の日。初めて衣装を着てスポットライトの中で「あの子はあなたを愛してる」を歌った時、大きな感動が美城さんを包んだ……と言いたいところだが、

 「ああ、やんなきゃ良かったよ! 私、こんなの無理です〜」

 1人で立つ大劇場の舞台は、これまで彼女が体験したことがないほど圧倒的に大きかった。「それは、想像を絶する感覚」で、この広大な空間を毎日単独で埋めているトップスターさんたちを改めて尊敬したという。そして、感じたこともない孤独と緊張に負けそうになった彼女を救ったのは、オーケストラが奏でる音楽だった。

 「音楽が私を乗っけてくれて、ああ、幸せ……って感じられた」

 自らの表現に集中するきっかけは、舞台の上にある様々なものがくれるのだ。

新たな「宝塚」の世界へ

 「やんなきゃ良かった!」という美城さんの弱音は、決して無責任な感想ではない。キャリアを重ね、自分のコンプレックスと向き合いながら努力を重ねてきた美城さんが全力で挑んでもなお、舞台は難しいのだ。彼女はあの大役をやり遂げたことを、少しも自慢げに語らない。当時を振り返って情けない悲鳴をあげる彼女から、うわべを取り繕う気持ちは全く感じられなかった。

 美城さんが演じた乳母は、明るく賑やかなキャラクターにとどまらず、14世紀のイタリアに生きた1人の女性の半生をも感じさせた。ロミオから預かった一輪の薔薇を持つ指先、優しくも寂しげに見つめるその仕草だけで、深い愛情と決意を表現していた。

 美城さんの乳母役は、大好評だった。目標としていた、作品を支える役者としての大きな一歩を踏み出したはずなのだが、彼女の胸中には思いもよらない決心が生まれていた。

 「大劇場の公演が終わった後に、『次の公演で卒業します』ってプロデューサーに言ったの。自分の出来ばえに満足しなかったことと、もう精一杯やり切ったという気持ちの両方があって。だってこれから、これ以上の表現や実力を見せていかないといけないわけでしょ? 出ないわ、もう!」

 退団の意志を聞いたプロデューサーは驚き、ひとつの提案をした。「専科へ異動しないか」と――。

 専科へ行って、組を超えて色々な公演に出演する。多くの役と、人と出会う。今も変わりなく大好きな宝塚で、さらに新しい世界が美城さんを待っていた。

 だが美城さんは、答えた。「いえ、卒業します」

 だって……と、彼女はため息をついて当時を振り返る。

 「専科に行ったら楽しすぎて、もうやめられなくなっちゃうよ」

後篇はこちらから

美城れん(みしろ・れん)
福井県福井市出身。元宝塚専科の男役スター。
2016年に宝塚を卒業し、現在はハワイ島で暮らしている。
インスタグラム @ren.mishiro

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

早花まこ

元宝塚歌劇団娘役。2002年に入団し、2020年の退団まで雪組に所属した。劇団の機関誌「歌劇」のコーナー執筆を8年にわたって務め、鋭くも愛のある観察眼と豊かな文章表現でファンの人気を集めた。BookBangで「ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱」を連載中。
note https://note.com/maco_sahana


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