かれこれで30年余、住職などしていると、忘れがたい人や出来事、言葉などがあるものだ。中でも、思わぬところで、思わぬ時に聞いた言葉は、インパクト絶大である。
「ぼく、なんでここにいるんですか?」
境内の落ち葉が「秋の風情」ですまない量になった夕暮れ、ついにやむを得ず、住職は竹箒を手に掃き掃除を始めた。
しばらく掃いていたら、膝の裏あたりに妙な気配がする。振り返ると、どこから入って来たのか、4、5歳の男の子が正しく直立している。
びっくりして身をかがめ、顔を覗き込むと、丸刈りで『スヌーピー』に登場する「チャーリー・ブラウン」に似た彼は、顔立ちに似合わぬアーモンド形の眼から鋭い視線を発して、こう言った。
「あの、ぼく、なんでここにいるんですか?」
言うまでもないが、これは「お母さんが連れて来てくれたんでしょう」などという、阿呆なその場しのぎの答えが通用する代物ではない。彼は、自分がこの世に存在する意味を問うているのだ。私は、この種の問いも、それを言う子供も、絶対に舐めない。
そもそも、これを問うなら、その人物は私にとって「子供」ではない。「小さい大人」である。私には、このような問いを何度も舐めた答えで誤魔化されてきた、痛恨の記憶がある。こういう時、大抵の場合、答える方は問う方より、はるかに愚かである。子供を舐める愚かさに、ほとんどの「大人」と称する人物は気がつかない。
私は言った。
「あのねえ、ボクねえ、ボクの言ったことさあ、和尚さんも、ずうっと考えているんだけど、どうしてもわからないんだ。世界中で偉い人がずうっと考えてきたんだけど、わからないんだよ」
彼は両手に拳を固め、微動だにしない。
「だからさあ、ボクもこれから頑張って考えて、いつかわかったら、和尚さんに教えてよ」
一挙に体中の緊張がゆるみ、彼はいきなり後ろを振り向いた。その先の山門のところに母親らしい女性が、何だか申し訳なさそうに立っている。
手で招いて挨拶をすると、彼女は、
「突然、本当に申し訳ありません。この子、最近こういうことを、色々な人に何度も言うので、私も困ってしまって……」
で、近くの住職のところに、連れてきたわけである。
母親は何度も頭を下げながら、子供の手を引いた。
「ほら、和尚さんに、さようならしなさい」
「さようなら」
と言う彼の顔は、「やっぱりダメかあ」感丸出しであった。
すまん! 君の失望は和尚さんにもよくわかる!! でも、嘘だけは言わなかったんだよ!!! それはわかって!!!!
「やらないで後悔するより、やって後悔するほうがイイ、って言うじゃん。でも、やらないで後悔するなら自分一人ですむけど、やって後悔したら、他人も巻き込むじゃん!」
真冬の一歩手前という時節、吹きさらしのプラットフォームで電車を待っていたら、この寒風(和尚は寒がり)に膝上スカートの女子学生が3人(中か高か不明)、にぎやかに後ろにやって来た。
今も不思議だが、真冬並みの寒さになっても、学校は女子生徒に「ミニスカート」を義務付けているのであろうか? その理由は何なのであろうか? もし校則か何かで決まっているなら、止めたほうがよいのではないか。
その時も、いささか義憤めいたものにかられながら、私の頭は勝手に回り出した。
するとその時、ひときわ元気で張りのある声が、
「あのさあ、よくさあ、みんなさあ、やらないで後悔するより、やって後悔するほうがイイ、って言うじゃん。でもさァ、やらないで後悔するなら自分一人ですむけど、やって後悔したら、他人も巻き込むじゃん!」
これを聞いた別の二つの声が爆笑した。
「ヤダあ! ○○ったら!!」
「よく言うよっ!!」
同じく聞いた和尚も、頭で言いたいことが破裂した。
「よく言った! すごいぞ!! アンタはえらい!!!」
私はこういう言葉を聞くと元気が出る。こういう言葉は、実感を伴わない限り、決して出てこない。おそらく、彼女は世間が漠然と受け容れて使っている流行り言葉に、経験からくる違和感があるのだ。それはほとんど身体的な実感なのだろう。しかし、この実感を言葉にすることは、また別の話である。自らの実感を言葉にするには、それを可能にする視点と方法が要る。この視点と方法を生み出す土台が教養なのだ。大多数がなんとなくそうだろうと思っていることを、まるで違う観点から考えるには、大なり小なり「教養」が要る。彼女には確かにそれがあるのだ。書物の嵩の問題ではない「教養」が。
間もなくやって来た電車に私は乗ったが、3人はお喋りを優先したのか、乗らなかった。話題はすでに「後悔」を離れたらしく、3人の口は楽し気に忙しなく動いていた。あっという間に視界から消えた3人の誰かが言った言葉を、私はしばし考え続けた。
実に面白いことを言う娘だ。ただ、どうしてあんなことを思ったんだろう。ただの皮肉なら大したセンスだが、何か過去に言葉通りの「やった後悔」があったのだろうか。もし、そうでないとすると……
考えながら、私はいささか気になってきた。もし、言った本人が、皮肉でもなく「後悔」もないなら、今どきの中高校生たちは、こんなことをすぐ口にできるほど、他人に気を使いながら生きているのだろうか。「やらない後悔より、やって後悔」などという気楽なセリフに、単純に「励まされ」ないようになっているのだろうか。そうではなくて、言った彼女は、例外的「教養」人なのか。
昨今の世の中を見渡すと、彼女は世代の例外ではなくなっているような気がする。もしそうなら、彼女たちをそうさせているのは、愚かで無教養な「大人」であろう。
「ただの苦労話は自慢話と同じだ。聞いて面白いと思うヤツは誰もいない。頼まれない限り、するな。どうしてもしなければいけない時には、全部笑い話にしろ」
私の父親は教員であった。しかし、子供の私にはワケのわからないところがあった。
よくクラスメートから、「家で勉強教われるんだろ、いいな」と言われたが、さにあらず。
小学校に入って間もなく、宿題がわからなくて「教えて」と、持って行ったら、
「家に帰ってまで仕事はせん!」
小学生に言うセリフか!
そういう人だから、勉強は一切教わらなかったが、数年に一度くらい驚くようなことを言い、その幾つかは頭に打ち込まれて忘れようがなくなった。この「苦労話は自慢話」には前がある。
「オマエな、他人が『オレはうまくいった、得をした、褒められた』というような話を聞かされて、面白いか? そんなわけないだろ? いいか、他人が聞いて面白い話は、オマエが失敗した、損をした、怒られた、酷い目にあったという話だ。だから、そういう経験を大事にしろ。ただし……」
と、この後、「ただの苦労話は……」が続いたのである。
今にして思う。「失敗した、損をした、怒られた、酷い目にあった」という経験を、嫌でもよく考えれば、必ずそこに教訓がある。人に話す価値のあることがある。
しかし、語るにはテクニックが要るのである。
私が失敗して落ち込んでいる時、
「まあしょうがないな。利口者は、他人から言われた時にわかる。人並みのヤツは、痛い目にあってわかる。馬鹿は、痛い目にあってもわからない。失敗してわかれば御の字だ」
凡人の身に染み入る失敗の切なさは、まさに実感の最たるものだろう。その切なさを笑い話に変えるのは、これまた相応の教養である。けだし、「ぼく、なんでここにいるんですか」と問うことは、その教養の始まりなのかもしれない。
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南直哉
みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- 南直哉
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みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。
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