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分け入っても分け入っても日本語

 語源に関する説は、思いつきのものが多いのが特徴です。根拠もなく、民間で流布している語源説のことを「民間語源説」と言います。英語で言えば「フォーク・エティモロジー」(folk etymology)です。
 民間語源説はたわいないものです。たとえば、「ウナギ」は、鳥のウ(鵜)がこの長い生き物を呑み込んで苦しみ、難儀をした。つまり「ウナンギ」なのだ。あるいは、「薬缶やかん」は、昔の合戦でかぶとの代わりにかぶった。矢が当たってカーンと音がしたから「矢カーン」なのだ―。どちらも「やかん」という落語に出てくるお笑い語源説で、もちろん冗談です。これらも広く言えば民間語源説です。
 ちなみに、「ウナギ」は、古くは「ムナギ」だった、という以上のことはよく分かりません。「薬缶」は、薬を煎じるのに使ったからで、これは国語辞典にも出ています。
 民間語源説はあまりにも多く、研究者でもそれと大差ない説を述べたしります(私の文章は違うと思いたい)。それで、テレビ番組のディレクターは、どの説が信憑性しんぴょうせいがあるのか判断がつかなくなるようです。語源の番組では、免罪符のように「※諸説あります」とテロップを出してごまかす、ということが起こります。
 しかしながら、実証的、論理的で、思わず「参った」と思うような語源研究もあります。民間語源説と一緒くたにして「※諸説あります」とまとめてはいけない研究です。こうした優れた研究の例として、岡崎正継さんの「『ハッケヨイ』の語源について」(『国語研究(国学院大学)』33・1972年3月)を紹介します。
 相撲で行司が発する「はっけよい」という掛け声は、「八卦良い」とも書かれ、一般には、易の「八卦」と関係があるように理解されています。
 あるいは、「発気揚々はっけようよう」なることばから来たとも言われます。私が子どもの頃に見ていたテレビ番組の相談コーナーでも、そう説明していました。
 〈“ハッケヨイ”を漢字で書くと、“発気揚揚”なんですね。“発気”というのは“気合を入れる”というような意味でしょうね〉(『NHK600こちら情報部 なんでも相談(1)』〔新書〕1981年)
 この「八卦良い」「発気揚々」が、まさしく民間語源説なのです。
 さて、岡崎さんの論文は、子どもの頃の話から始まります。生まれ育った高知県では、相撲の掛け声は「はっきょい」で、「はっけよい」ではなかったといいます。自分のことばと、唱歌などに出てくる「はっけよい」の違いから、問題の存在に気づくところが実に素晴らしい。
 調べてみると、日本相撲協会の審判規定にも〈ハッキヨイ〉とあったそうです。方言でも、協会の規定でも「け」ではなく「き」だったとすると、「はっきよい(はっきょい)」のほうが古い形だったという可能性が出てきます。もとが「はっきよい」ならば、「八卦良い」「発気揚々」などの語源説は怪しくなります。
 では、その「はっきよい」は何から来ているのか。
 ここで示されるのが、「競う」という意味の古い動詞「きほふ」です。古典では一般的な動詞で、たとえば、「万葉集」では〈渡る日の影にきほひて尋ねてな〉(過ぎゆく日の光と競争して、仏の道を尋ねたいものだ)のように使われます。
 「きほふ」の命令形は「きほへ」(=競え)です。これと「はっきよい」の「きよい」が関係あるのではないかと、岡崎さんは考えました。
 では、前半の「はっ」は何か。論文では、「早く」の意味の副詞「はや」が示されます。現代でも「今年も、はや半ばを過ぎました」のように言います。ところが、「はや」の古典での使い方を見ると、命令形とセットで使われることが多いというのです。
 たとえば、「万葉集」に〈はや帰りませ〉とあります。「早くお帰りください」と願う意味で、文法的には命令形です。古典では、「はや」の下に命令・願望などが来ることがほとんどだったようです。
 古典の時代、「はや―命令形」は一般的だった。とすれば、「はや」は「きほふ」の命令形「きほへ」とともに使われることもあったはず。ここから、「はや、きほへ」(=早く競え)というフレーズが推定されます。
 「はや、きほへ」という言い方があったならば、それが「はっきよい」→「はっけよい」と変化することは、音韻の面から考えても不自然ではありません。
相撲は、古く奈良・平安時代から盛んに行われていました。力士どうしが組み合って動かないとき、行事が掛け声を掛けるとすれば、「早く勝負をしなさい」、すなわち「はや、きほへ」と言うのはごく自然だった。これが今日の「はっけよい」になった。
 ―どうです、鮮やかでしょう。岡崎論文は、古い時代の実例の幅広い探索、文法論的な検討、音韻論的な検討、史実との整合性との検討と、あらゆる点から考察して、説得力のある結論を導き出しています。
 私が編纂に携わる『三省堂国語辞典』では、第5版(2001年)までは「はっけよい」を「八卦」の項目に示していました。でも、岡崎論文が世に出てからもうだいぶ経つのに、この記述は古いと考えられました。第6版(2008年)からは項目を独立させ、「はや、きほへ」(現代仮名遣いで「はや、きおえ」)の語源を示しました。
 

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

飯間浩明
飯間浩明

国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。

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