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石内都と、写真の旅へ

2017年11月28日 石内都と、写真の旅へ

横浜篇――建物、人間の忘れ物 その3

著者: 与那原恵

 横浜の旧遊郭街、永楽町・真金町をあとにして、つぎに石内都と私が向かったのは山下町である。この町の一角にあった高級アパート「互楽荘」を石内が撮り始めたのは一九八六年だが、当時すでに解体工事が進行中で、翌年に取り壊されてしまい、いまはない。

 石内は約一年間にわたり互楽荘に通ってシャッターを切り、二百点をプリントした。その一部を個展「屋内シリーズ『互楽荘』」(一九九二年六月、ギャラリー手)で発表しており、展評を加藤典洋(評論家)が書いている。

 「取り壊し工事のさなかのアパートなのだが、つい昨日まで人が住んでいたような気配もあり、また完全に打ち棄てられた廃墟の気配もある。生き物と違って、建物は少しずつ、時間をかけて死んでいく。鉄製のドア、陶器の便器はもう死んで朽ち果てているのに、そのすぐかたわらで畳はうっすら埃をつもらせ、人のあしうらの油分のせいだろうか、足跡を指紋のように浮かびあがらせている」(「太陽」一九九二年九月号)

 互楽荘シリーズは、これまで写真集にまとめられることなく、石内の収蔵庫で約三十年もの間、ひっそりと眠っていた。けれど、横浜美術館の個展開催のために収蔵庫を点検したところ、撮影当時のままのプリントがあらわれたのである。三十年の時間も吸い込んでいるような作品は、二〇一七年十月、写真集『yokohama 互楽荘』(蒼穹舎)として刊行された。

 加藤が評したように、ここにたしかに人が暮らしていたという生々しい写真の数々がおさめられている。ページをめくっていくと、互楽荘の随所に凝った意匠が施されていたことがわかる。また石内は、付近のビル屋上から全景を俯瞰した作品を撮っており、いま見れば、時の流れの中に置き去りにされた建物の最期の吐息も聞こえてくるようだ。

石内都「yokohama 互楽荘#1」 ©️Ishiuchi Miyako

   石内が互楽荘にカメラを向けた一九八〇年代半ば、バブル景気が始まろうとしていたこのころは多くの近代的建築物が容赦なく破壊された時期でもある。横浜は開港以来の歴史を物語る豪壮な建築物が多く残る地区だが、その一方、昭和初期に建てられた集合住宅の大半は失われた。関東大震災(一九二三年)後の横浜復興を物語る近代的集合住宅の保存を訴える声はあったものの、大規模な再開発計画の前にかき消された。

 互楽荘を撮ったいきさつを石内に尋ねた。

「同潤会が建設した平沼町アパート(横浜市西区平沼)には『APARTMENT』(一九七八年)で撮影して以来、通っていたけれど、八〇年代半ばに近く取り壊されると知って、あらためて撮りはじめたのね。それと並行して同潤会の山下町アパート(中区山下町)も撮影するんだけど、そのとき山下町アパートの住民から、同じ時期に建てられた集合住宅が町内にあると教えられ、訪ねたのが互楽荘だった」

 外観はかなり古びていたが、一歩中に入ると、広々とした中庭があり、コの字型の三階建て(一部四階建て)の建物で、一貫した建築思想で設計された同潤会のアパートとはちがい、施主の個性が感じられたという。

「そればかりでなく、この建物にはどこか影の濃さを感じて、何かが引っかかった。ほどなく、互楽荘の歴史を私は知ることになるんだけれど、それは私が撮ってきた赤線、そして日本の戦後の歴史ともつながっていた。私がこの建物を撮らずにはいられなかった理由があったのよ」

 石内が互楽荘を訪れたとき、建物内部では解体作業が進んでいたものの、まだ五、六室は住人が生活している様子だった。ここを撮影させてもらうにはどうすればよいのか考えあぐねていると、どこからかギターの音色が聞こえてきたという。

「哀切を帯びたクラシックのギター曲。音色をたどると二階の一室からだった。その部屋のドアにギター教室の看板があったのでノックしてみると、長髪で彫りの深い顔立ちの男性が出てきた。彼にこの建物を撮らせてほしいと話すと、快く受け入れてくれたのよ。それがギタリストの斉藤敏雄さんとの出会い。彼のおかげで互楽荘を撮影することができた。建物に惹かれたのはもちろんだけれど、斉藤さんに会うのが楽しかったのね。とてもすてきな人だった」

 まるでドラマのワンシーンのようだと私は思った。この斉藤敏雄という人物に私はとても興味を持ったのだが、彼はすでに他界しているという。斉藤についてはおいおい調べることにして、私たちは互楽荘のあった場所へと歩いていった。

 山下町二十四番地一。そこは山下公園にも近く、神奈川県民ホールの真裏になる。水町通りに面した互楽荘の跡地にはガラス張りの「ワークピア横浜」(一九九四年竣工)が建っていた。何とも味気ない建物で、互楽荘をしのばせるものは何もない。

 あたりを歩くと、五十四番地に説明板があった。それによれば、かつてこの場所には一八八三年(明治十六)に創建された横浜最古の洋風建築「モリソン商会」(四十八番館)があり、いまも煉瓦造の一部が保存、展示されていた。さかのぼればこの一帯は、互楽荘が建てられる二十四番地もふくめ、横浜開港の翌年ごろから建設が進んだ外国人専用のエリア「居留地」だったのである。そこで、互楽荘建設以前のこの地の歴史を追ってみることにした。

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*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

与那原恵

ノンフィクション作家。1958年東京都生まれ。『まれびとたちの沖縄』『美麗島まで 沖縄、台湾 家族をめぐる物語』など著書多数。『首里城への坂道 鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』で河合隼雄学芸賞、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(文化貢献部門)受賞。

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