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石内都と、写真の旅へ

2017年12月26日 石内都と、写真の旅へ

横浜篇――建物、人間の忘れ物 その5

著者: 与那原恵

 一九五二年四月、「サンフランシスコ講和条約」が発効した。これ以降、横浜市内で接収されていた地域・建物が徐々に返還されていく。その一方、約七〇ヘクタール(約二十一万二千坪)におよぶ米軍人・軍属家族の住宅群「横浜海浜住宅地区」(本牧町など)は返還されず、さらに、五六年五月には米軍独身将校宿舎「ベイサイドコート」(新山下)があらたに建設され、市内各所の駐留部隊がこの宿舎に移転した。これらの地区が返還されるのは八二年になってからである。

 互楽荘は先に触れたように一九五六年十月、接収解除となり、建築主の宮崎庄太郎の娘、愛子が経営を引き継いだ。米軍文官宿舎として使われた十一年の間に、互楽荘は荒れてしまった箇所もあり、愛子は建物の大改修を行っている。電気やガスの設備を整え、各室に水洗トイレを設置、建具なども一新して居住者を迎え、一階にはレストランなどの店舗が入った。

 それから約三十年後、石内都が互楽荘を訪れ、クラシックギターの音色に引き寄せられて、ギタリスト斉藤敏雄に出会ったのだ。石内は振り返る。

「斉藤さんは独特の魅力のある人だった。互楽荘を撮らせてもらいたいという私の申し出をすぐに了承してくれたのは、なぜなのかわからないけれど、彼と話すのが楽しくて、取り壊すまでの一年間通ったのよ。斉藤さんは当時四十代前半ね。いつも細身のジーンズにブーツというスタイルで、かっこよかった。すでに互楽荘は取り壊し工事の音が響いていたけれど、彼の室内がとてもすてきだった。古いランプがいくつもあって、木製のさまざまな椅子が置いてあり、それから炎が見える古いストーヴもあった。窓辺にはトンボの形をした凧があった。古いモノにとても愛着を持っている人だった」

石内都「yokohama 互楽荘#62」 ©️Ishiuchi Miyako

  この室内を石内は撮影しており、写真集『yokohama 互楽荘』に、彼への感謝の言葉とともにおさめている。そのページを見ると、斉藤の室内は互楽荘建設当時のパンフレットに掲載された写真とほとんど変わらず、床の間などもきれいなまま残っていて、そこには本が積み重なっている。彼が互楽荘の一室をいつから借りていたのか、石内はわからないという。

「元町で美容室を営む奥さんがいて、お嬢さんもいると聞いていた。でもプライベートはそれぐらいしか知らない。互楽荘の部屋のドアにギター教室の看板を掲げていたけれど、生徒を見かけたことはなかった。でも斉藤さんは演奏活動をしていて、神奈川県立音楽堂で行われた彼のリサイタルの案内をいただいて聴きに行ったことがあったわ。十七、八世紀のスペインの楽曲を中心に演奏していた。そのリサイタルは互楽荘が取り壊されてから数年後だったと思う。彼が転居した本牧のマンションに遊びに行ったこともあるけれど、しだいに連絡が途絶えてしまい、いまから十年ぐらい前に、斉藤さんの知り合いだという女の人から電話をもらって、斉藤さんが亡くなったと知らされたのよ」

 互楽荘最後の日々を過ごし、スペインの古典曲を奏でていたという斉藤。私のなかで彼のイメージがふくらんでいく。

 インターネットで調べると、斉藤の友人がブログで彼について書き残していた。それらによれば、斉藤は一九四二年横浜生まれ。若いころから自転車で日本一周するなど、旅好きだったようだ。複数のギタリストに師事し、七七年からリサイタルを行っている。また、九〇年代半ばには能楽師や琵琶奏者とともに、チェコ、ハンガリー、ドイツ、スペインでも公演したという。ただ、CDなどを残すことはなく、二〇〇七年の秋、がんのため死去。六十四歳だった。

 そのころ石内は、「ひろしま」シリーズの撮影のため広島へ通っていた時期でもあり、弔問はかなわなかった。

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*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

与那原恵

ノンフィクション作家。1958年東京都生まれ。『まれびとたちの沖縄』『美麗島まで 沖縄、台湾 家族をめぐる物語』など著書多数。『首里城への坂道 鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』で河合隼雄学芸賞、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(文化貢献部門)受賞。

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