「石内都と、写真の旅へ」一覧
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横浜篇――建物、人間の忘れ物 その5
一九五二年四月、「サンフランシスコ講和条約」が発効した。これ以降、横浜市内で接収されていた地域・建物が徐々に返還されていく。その一方、約七〇ヘクタール(約二十……
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横浜篇――建物、人間の忘れ物 その4
もとは横浜村の畑地であった居留地は、多くの外国商人の進出により、整備されていった。居留地の外国人は、安価な借地料で土地を借りることができ、期限が定められていな……
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横浜篇――建物、人間の忘れ物 その3
横浜の旧遊郭街、永楽町・真金町をあとにして、つぎに石内都と私が向かったのは山下町である。この町の一角にあった高級アパート「互楽荘」を石内が撮り始めたのは一九八……
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横浜篇――建物、人間の忘れ物 その2
『連夜の街』は、二〇〇一年、あらたにプリントした作品などをおさめた『Endless Night 2001連夜の街』としても刊行されている。横浜美術館の展覧会準備のために、二冊の……
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横浜篇――建物、人間の忘れ物 その1
石内都と桐生を旅してから四か月が過ぎた。この間の石内は、横浜美術館で開催される個展「石内都 肌理と写真」(二〇一七年十二月九日―一八年三月四日)の準備に多忙な……
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桐生――上州の風にのって その4
映画「フリーダ・カーロの遺品」の上映後、石内とアーティスト・片山真理との対談が行われた。 片山は一九八七年埼玉で生まれ、群馬県太田市で育った。先天性の四肢疾……
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桐生――上州の風にのって その3
新桐生駅に到着して、迎えの車に乗った石内都と私は、市街へと向かった。ほどなく、渡良瀬川に架かる橋を通り抜けるとき、石内は「錦桜橋。普通の橋になってしまったわね……
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桐生――上州の風にのって その2
石内と桐生との関係が大きく変わるのは、「桐生タイムス」記者の蓑﨑昭子との出会いが大きい。「彼女が桐生への入口を大きく開いてくれたのよ。いま桐生は私のあらたな拠……
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桐生――上州の風にのって その1
浅草発の東武伊勢崎線「りょうもう7号」に乗車したのは、二〇一七年四月三十日。ゴールデンウィークに入り、よく晴れた気持ちのいい朝だった。石内都と私の行く先は、彼……
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U.S.A.――POSTWAR SHADOWS その7
オープニングの翌日、石内は映画監督・脚本家・プロデューサーのウィラード・ハイクと妻のグロリア・カッツが主催する自宅でのランチパーティに招待された。夫妻は「アメ……
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U.S.A.――POSTWAR SHADOWS その6
つづく〈中期〉は、テーマが身体へと移行した時期の作品である。「1・9・4・7」は四十歳を迎えた石内が、自分と同じ齢の手や足に刻まれていると感じた人生の歳月、「……
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U.S.A.――POSTWAR SHADOWS その5
十月五日、オープンの日を迎えた。広々とした会場では石内の写真家としての足跡に沿い「特徴ある三つの期間」の作品群が、七つのブースで展示され、それぞれの壁は淡い色……
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U.S.A.――POSTWAR SHADOWS その4
ニューメキシコの旅を終えてロサンゼルスに帰った石内は元気を取り戻し、再びゲティ美術館での展示作業に没頭する日々となった。主任キュレーターとの厳しいディスカッシ……
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U.S.A.――POSTWAR SHADOWS その3
ジョージア・オキーフが繰り返しテーマとした花の絵に強い印象を受けていたという石内。エロティシズム、ジェンダーの文脈で語られることの多い作品だが、オキーフはそう……
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U.S.A.――POSTWAR SHADOWS その2
九月二十五日金曜日の朝七時半。いつもならゲティ美術館のアマンダが石内を迎えにくる時間だが、今朝タクシーでレジデンスにやってきたのは、ロサンゼルス在住のドイツ人……
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U.S.A.――POSTWAR SHADOWS その1
バシャ、バシャ……。どこからか水のはねる音が聞こえる。 私は夢を見ているのだろうか。バシャ、バシャ。規則的な音だ。私はベッドの中でぼんやりと目を覚ます。あたり……
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Mexicano――「フリーダ・カーロ」を撮る その5
二〇一五年五月十日、ロンドン・ヒースロー空港に石内は降り立った。 写真ギャラリーとして世界的に知られる「マイケル・ホッペン・ギャラリー」で「ISHIUCHI MIYAKO F……
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Mexicano――「フリーダ・カーロ」を撮る その4
こうして撮影をつづけた石内だが、その終盤近く、ショッキングな知らせがもたらされた。東京の石内の自宅の留守番電話に残されたメッセージが伝えられてきたのだが、それ……
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Mexicano――「フリーダ・カーロ」を撮る その3
石内はフリーダの遺品を「Mother’s」や「ひろしま」と同様に、自然光を利用して撮る。35㎜のカラーネガフィルムを詰めたニコンF3、手持ちというスタイルも同じだ。 「……
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Mexicano――「フリーダ・カーロ」を撮る その2
コヨアカンのブルーハウスに暮らす陽気で活発な美少女フリーダは、一九一三年、六歳の時に小児麻痺に冒された。九カ月もの間ベッドを離れることができず回復後も右足は細……
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Mexicano――「フリーダ・カーロ」を撮る その1
石内都が、メキシコ近代を代表する画家フリーダ・カーロ(一九〇七~五四)の遺品を撮影するためにメキシコに向かうと言ったのは、二〇一二年二月のことだった。 フリ……
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MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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