新桐生駅に到着して、迎えの車に乗った石内都と私は、市街へと向かった。ほどなく、渡良瀬川に架かる橋を通り抜けるとき、石内は「錦桜橋。普通の橋になってしまったわねえ」とつぶやく。石内にとって思い出深い橋だった。
現在の錦桜橋は二〇〇五年に架け替え工事が完了し、かつての面影をとどめていない。石内の記憶にある錦桜橋は、一九二五年に開通した鉄鋼製洋式ワーレントラス構造の橋である。それ以前のつり橋を架け替え、鉄鋼材を三角形に組み合わせた頑丈な橋が完成した。だがその橋も戦後たびたび襲ってきた大型台風により、一部が流失したことがある。
「私が四歳のころかな。夕方近い時間に川の向こう、たぶん母の実家にひとりで行こうとしていた。錦桜橋は工事をしていて、しかたなく私は川原におりて行った。橋が途中で途切れていたのは、台風の被害のためだったのね。仮設の橋を渡ったような気もするけれど、そんな私に、どこに行くの? と声をかけた人がいた。私の記憶はそこでプツリと終わっている。それが私の桐生での最も古い記憶なのよ」
石内は「桐生タイムス」記者の蓑﨑昭子に会った二〇〇二年、錦桜橋の老朽化による架け替え工事が始まると彼女に教えられ、〈錦桜橋〉シリーズを撮影している。約八十年の風雪に耐え、行き交う人びとを見つめてきた錦桜橋。何度も塗り直されたペンキは剥がれ、ひび割れた表面、錆びついたボルトが生々しくモノクロプリントに浮き上がる。石内は、威風を湛えつつ命を終える橋を静かなまなざしでとらえた。
石内都「錦桜橋#3」 ©Ishiuchi Miyako
この写真を撮ったころ、石内の四歳の記憶は「思い出」という範疇からはずれ、くっきりと焼きついた光景となっていたという。〈幼い少女が川を渡る。その横で少女に話しかける私がいて、それを俯瞰している私がいる。3人の私が同時にそのシーンに登場する〉(石内都「ワーレントラスの橋」)。
錦桜橋は大きく姿を変えた。無骨な鉄鋼材によって視界を遮られることもなく、広々とした川を見渡すことができるが、「橋を渡る」という感覚は薄れてしまったのかもしれない。初夏の光を浴びて、水面をキラキラと輝かせる渡良瀬川。いまそこにワーレントラスの橋は存在しないけれど、かつてその橋があった気配のようなものを私が感じるのは、石内の〈錦桜橋〉を見ているからだろうか。そうして、鉄鋼の大きな橋を見上げる四歳の石内も目に浮かんでくるのだった。
歳月は流れ、四歳の少女だった石内は、いま、自身をテーマにした映画の上映会のために錦桜橋を渡っていく。
映画が上映される本町の「桐生市有鄰館」は、江戸時代から昭和初期にかけて建てられた十一棟の蔵群である。十八世紀初頭、桐生に移り住んだ近江商人の二代目が手広く醸造業を営み、隆盛をきわめたという。塩蔵、味噌醤油蔵、酒蔵などがまとめて桐生市に寄贈され、市の重要文化財として保存されるとともに、イベントスペースとして活用されている。
桐生市有鄰館の煉瓦蔵。撮影=蓑﨑昭子
上映会場の煉瓦蔵は市内最大級の煉瓦造建物といい、アーチ状の石組みが建築当時のままにあり、古い煉瓦の風合いが美しい。その内部の壁面には蓑﨑が海外での石内展などで集めたポスターコレクションが展示され、石内を歓迎していた。二回上映のチケットは完売、追加上映をするほどの人気で、会場にやってきた監督の小谷忠典もよろこんだ。
石内は「歴史のある建物でフリーダの映画が上映されるのは、とってもうれしい。桐生は絹の地であり、多様な刺繍の技術がある。そんな場所でこの映画がどう受けとめられるのか、楽しみにしている」と語る。
そういえば、資生堂ギャラリーで個展「Frida is」(二〇一六年)が開催された際、石内と対談したファッションデザイナーの黒河内真衣子は、写真集『Frida by Ishiuchi』からインスパイアされたといい、さらに自身のブランド「mame」は、一八七七年に桐生で創業した刺繍屋の職人や工場の存在があって成り立っているのだとも語っていた。伝統的技術と最先端技術を融合し、世界的にも高い評価を得ているノコギリ屋根の工場を黒河内はたびたび訪れているそうだ。
いよいよ上映が始まる。フリーダ・カーロが生まれ、最期を迎えた家ブルーハウス(メキシコシティ)で、フリーダの遺品を撮影する石内に密着するカメラ。その合間に、フリーダが愛用した民族衣装テワナドレスの地、オアハカ州イスモ地方でのロケがはさまれる。ドレスを鮮やかに彩る刺繍家たちの丁寧な仕事がすばらしい。
かぎ針を使った「ガンチョ」と呼ばれるチェーンステッチ、ミシンによる機械刺繍「カデーナ」がイスモの代表的な刺繍で、母から娘へと伝えられてきた技だ。厚い布地に太い針をさしていく音が、まるで心臓の鼓動のように聞こえる。女性たちは、それぞれの人生とともに刺繍に込める愛、伝統を継ぐ仕事への誇りを語っている。大輪の花をモチーフにした見事な刺繍をほどこしたテワナドレスも祖母から母、娘へと継がれてきた。桐生の観客たちは身を乗り出すように女性たちの手仕事を見つめている。メキシコと桐生、遠く離れた地であっても、美しいものを作り出す情熱は同じだ。
映画のラストシーンは〈Frida by Ishiuchi〉を出品するパリフォト会場(二〇一三年、グランパレ)の石内である。客席から「あ」という驚きの声が漏れた。石内がまとう着物が桐生で織られた銘仙だということがわかったのだろう。
石内はこう話す。「あの銘仙は〈絹の夢〉を撮っているときに、桐生織塾で織られている最中だったの。塾長で織物作家の新井求美さんの作品。織機にかかっていたブルーの糸が美しかったので撮影をして、写真集〈絹の夢〉の表紙にしている。織りあがったあとに買って仕立て、パリフォトで着たのは銘仙を知ってほしい気持ちもあったから。まさか、この映画が桐生で上映されるなんて考えもしなかったけれど、桐生の人たちによろこんでもらえたならパリで着てよかった」
与那原恵
ノンフィクション作家。1958年東京都生まれ。『まれびとたちの沖縄』『美麗島まで 沖縄、台湾 家族をめぐる物語』など著書多数。『首里城への坂道 鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』で河合隼雄学芸賞、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(文化貢献部門)受賞。