読者は、かつて、どのような教科書や参考書で勉強してきたであろうか。また、学校の先生は、どのような授業をし、みなさんは、それをどのように受容してきたであろうか。
日本人は、小学一年から中学三年までの9年間は、学校に通って勉強を続けることになっている。多くの人は、その前に幼稚園に3年、そして、人によっては、高校で3年、さらに大学で4年間勉強を続ける。高等専門学校や専門学校に通う人もいるだろう。とにかく、長い人は20年近くも学校に通い続けるわけだ。
われわれは学校で、将来、社会に出て仕事に就くために必要なスキルを身につける。そのようなスキルは、ゆっくりと身につけるべきか、それとも、最速で身につけるべきか。
自分で考えて、ゆっくりとスキルを身につけるのがよいと私は考えるが、現実はさほど甘くない。日本には、中国の科挙制度を模したと思われる受験制度がある。かつて「受験戦争」と形容されたこともあるこの制度は、最適な準備をして、競争に勝たない限り、「次のステップ」に進めない仕組みになっている。勝ち続ければ、より良い学習環境が与えられ、就職試験にも有利になる。みなが、難関校の受験を突破するために脳を最適化する。そのため、最適な方法で受験を突破する実力がつくような指導をしてくれる学習塾に通う人も多い。
ここで読者は、あることに気づいたかもしれない。あれ? これって東ロボくんと同じことしてるんじゃないの?
たしかに似ている。だが、人間の場合、受験に対して、2つの対処法があるのだ。一つは、学校や塾の先生に最適な方法で勉強を教えてもらって、受験を突破する方法。もう一つは、受験突破の方法を自ら考え続け、試行錯誤の末、場合によっては、ギリギリの成績で受かる方法。
一見すると、前者の方が効率が良く、頭も良い人に見える。後者は、危なっかしいし、成績も安定しないし、まるで運で受かってしまったように見える。だが、実際に社会に出てみると、われわれは、「過去問」タイプの課題ばかりに遭遇するわけではない。むしろ、新たな挑戦に遭遇することの方が多いかもしれない。そのようなとき、最適化された解法を暗記してきた人よりも、自分で工夫して道を切り開いてきた人の方が、創造的に仕事ができるとしても不思議はなかろう。
私は、大学を卒業した後、カナダのモントリオールにあるマギル大学というところに留学したが、そこで使われている教科書を見て愕然とした覚えがある。欧米の大学の教科書にも、日本と同様に設問がたくさん載っているのだが、なんと、ほとんど答えが書いてないのである。そして、その設問は毎週の宿題で出され、期末試験にも出る。だが、解法を覚えようにも、教科書の巻末に答えはない。ようするに、自分で考えろよ、ということらしい。
解法を覚えることではなく、自ら、解法を考えるプロセスにこそ意味がある。それができなければ、プロフェッショナルとして仕事を始めたときに、人真似しかできなくなってしまう。学生の頃から、考えるプロセスを大切にしていれば、社会に出ても、ゼロから自分で工夫する習性が身についているから、過去のパターンや他人の真似事でなく、「創造的」に仕事をすることが可能になる。
私は欧米の教育システムを盲信することはしない。だが、「答えのない教科書」は、日本でも導入すべきだと考えている。答えがあると、どうしても誘惑に負けやすい。一時間なら我慢できるかもしれないが、数日考えても解法が見いだせなかったら、答えを見る人が増えるだろう。でも、見てしまったら、そこで創造的なプロセスは終わり。知識は増えるけれど、そこには、自分でゼロから考えて創りだしたという達成感も喜びもない。
モントリオール時代、クリスマスも終わり、期末試験が近づいていたとき、インターネットの掲示板に面白い書き込みをした学生がいた。
「ヘルプ! ジャクソンの電磁気学の教科書の××ページの問題が解けません。もうすぐ期末試験ですが、それまでにこの問題が解けないと私の人生は終わりです。GPAがギリギリなのです。誰か答えを教えてください」
GPA(Grade Point Average)というのは成績の平均点である。欧米の大学は、このGPAが一定の点数を下回ると自動的に退学になってしまう。だから、この学生にとって、ジャクソンの教科書に載っている解けない問題は、まさに死活問題だったわけだ。
学生の悩み相談みたいな掲示板だったが、それに対する、ほとんどの学生の返答は、こんな感じだった。
「教科書をきちんと読んで、授業に出て先生に質問し、毎週の宿題も自分で考えていたら、絶対に解ける。それなのに期末試験のために答えを教えてくれというのは筋違いだ。ここで答えを聞いて覚えて期末試験を乗り切っても、あなたのためにならない。社会に出てからもやっていかれないよ」
厳しいだろうか。冷たいだろうか。そうかもしれない。でも、ここには、われわれがAI時代を勝ち抜くために役立つヒントがある。もともと欧米は、社会の流動性が高いから、このような教育をしないと生き残れないのかもしれない。日本は、比較的、流動性が低いから、科挙のような受験制度と暗記型の勉強が主流だったのかもしれない。だが、第四次産業革命では、世界が激変する。「答えのない教科書」は、AI時代を勝ち抜くための一つのヒントとなるように思うのだ。(続く)