松原俊太郎→滝口悠生
お返事いただいて、日記における「読み手の不安定さ」とはどういうものなのか考えました。日記は、日付があり、その日に書き手が経験した出来事、感じたこと、思ったこと、考えたことなどが書かれる、安定した強固な形式を持っており、本来は私秘的なものなのかもしれない、と読み手にドキドキさせるようなものや、公開を前提とされているはずなのにあまりに何も書かれていない日があるとか、ころころと文体が変わっていくといったものが読み手に「不安定さ」をもたらすということはあるかもしれません。カフカの日記やペソアの『不安の書』は、日記といっても日付が記されているだけで、けっして読みやすくはなく、強度のある断章で構成されており、文字通りブロックを投げられているようで、読み手にはハードなものです。
「アイオワ日記」「読書日記」というふうに書かれる対象がある程度、明示されていると、読者としては付き合いやすいですね。滝口さんが言われているように、公開を前提とされている「アイオワ日記」では書かれていないことが気になりました。「書きたくないことは無理に書かない」という姿勢もよくわかるような気がします(もちろん多分に邪推だと思いますが)。日記という読み手としても書き手としても共有されやすい形式であるために、自分に置き換えて考えやすいというのもあるのでしょう。小説ではこういったことはあまりないような気がします。「アイオワ日記」はIWPに参加するためにアイオワに滞在すること、公開されることが、普段の日記を「つける」から「書く」になったきっかけになっていて、内容も参加作家との交流や異国で見聞きしたことが中心になっている紀行日記といった印象を受けますが、滝口さんが日本に帰ってこられてから書かれた日記も読んでみたい、諸々の差異、変化を見てみたいという欲が湧いてきました。
特異な例になりますが、日記ということで、福岡道雄さんの1990年代後半から2000年代前半にかけての彫刻作品を思い出しました。「何もすることがない」、「僕達は本当に怯えなくてもいいのでしょうか」、「何をしても仕様がない」という一文がそれぞれ一枚の画面にびっしりと電気彫刻刀で彫られている作品です。1日で捗った日でも3行ほどらしく、一枚の画面が一文の反復で覆われた画面を目にすると、日々の営みの記録、日記のように見えます。制作はひとりでアトリエでなされたそうですが、作品として公開されることは前提とされていて、けっして自閉した自己の慰み、浄化などではなく、誰にでも馴染みがありながら普段意識されることはあまりない一文が読まれ、意識化され、分有される、開かれた作品になっています。
日々つける私秘的な日記が、読者の目や日記という形式を意識することで公私が入り混じった開かれたテクストになっていく過程は興味深く感じます。滝口さんからもらった戯曲に関する指摘は、戯曲が演劇界のなかで閉じられていて、観客や読者に開かれていないのでは、という指摘であるように読みました。「戯曲の読み手は、それが上演を前提とする場合、なによりもまず演出家や演者がそれを読む者として想定されてしまうわけで、観客はその先にいるようにも思えます」、このことに関して、読まれることを前提にしていない、上演する側に重きを置いて書かれているように読める戯曲・上演台本はあると思いますが、僕自身は、上演を前提とする際は、そのときどきの上演の条件(劇場、劇団、演出家、俳優)を考えながら書くことにはなりますが、観客・読者もそのなかに含まれており、優先順位はありません。
「読みとしての上演を観客が経験するとき、観客は戯曲の読み手としての足場を奪われ、観客席にとじこめられ、戯曲と上演=書き手と読み手の関係が舞台上に現れるのを観るのが観客?」これが常態化しているのであればもう演劇なんて観に行きたくないと思ってしまいますね……「読み手としての足場を奪われ」というのはどういったことなのでしょう。チェーホフの『かもめ』の上演を観て「こんなのチェーホフのかもめじゃない」と怒っている方をイメージしました。チェーホフやベケットといった古典でない限り、戯曲を読んで上演を観に行くひとはそう多くはないと思いますが、読まずに観に行く場合は上演における読みはわからないですよね。
戯曲を読む前でも後でも上演は読みに影響を与えそうですが、その上演の読みが一つの正しい読みというわけではなく、戯曲は多くの読みに曝され、上演・再演されるからこそ、おもしろい媒体になりうるのでは、と思います。先の方はもうその上演には行かないでしょうが、別の『かもめ』はまた観に行くでしょう。戯曲と上演の距離が問題になっているように思います。稽古中に書き換えながら、そのときの俳優、美術、演出を組み入れて書かれた戯曲は、上演台本とほぼ同じ、上演との差異があまりないものになり、読みとしての上演にはあたりません。僕の場合は、稽古を見て、演出家らと話し合って書き換えることはありますが、基本的にはひとりで書いてひとりで完結させます。前提としていることは違いますが、やっていることは小説家と同じです。目の前の一つの上演に絞って書くということではなく、誰もが読めるように、上演できるように書くことが最低限の開かれた戯曲のあり方だと思っています。
観客は、大作家でない限り、上演をもとに戯曲に興味を持つことになるかと思いますが、戯曲を読むとき、上演とは別の世界、というと大仰かもしれませんが、別の上演を経験することができるのではないでしょうか。使い方によっては作家やその時代の空気をただ懐かしく消費するためだけの商品に堕してしまう恐れはありますが、戯曲は、観客と共有される媒体なのだと思います。これは映画にも小説にもない演劇特有のものだと思うので、上演に奉仕するだけの閉じられたものではなく、観客や読者に開かれた戯曲を書いていきたいものです。
12月7日、8日に京都芸術センターの講堂で音響家の荒木優光さんとサウンド/ドラマ『おじさんと海に行く話』という音響上演を行う予定で、現時点では戯曲と小説のあいのこみたいなテクストになっています。新しい試みで、まだどうなるかわかりませんが、何か発見があるかもしれません。またぜひ京都にもいらしてください。
http://www.kac.or.jp/events/24547/
11月15日 松原俊太郎
『演劇計画Ⅱ -戯曲創作-』
委嘱劇作家:松原俊太郎、山本健介(The end of company ジエン社)
演劇計画Ⅱアーカイブウェブサイト http://engekikeikaku2.kac.or.jp/
京都芸術センター http://www.kac.or.jp/
サウンド/ドラマ『おじさんと海に行く話』
音響家・音楽家の荒木優光による、音を主体とした上演シリーズ(音響上演作品)の新作を発表します。松原俊太郎が書き下ろしのテキストを提供。
日時:2018年12月7日(金)19:00、12月8日(土)14:00/19:00
会場:京都芸術センター 講堂
作:松原俊太郎
構成・サウンド:荒木優光
http://www.kac.or.jp/events/24547/
演劇計画Ⅱ -戯曲創作- 関連企画 松元悠『カオラマ』
松原俊太郎の創作中の新作戯曲『カオラマ』の第一稿・第二稿を基に、リトグラフ作家の松元悠が作品を創作・展示します。
日時:2018年12月13日 (木)-2019年1月6日 (日) 10:00-20:00
※2018年12月26日(水)~2019年1月4日(金)は休館
会場:京都芸術センター ギャラリー北・南
戯曲:松原俊太郎『カオラマ』(第一稿・第二稿)
展示:松元悠(リトグラフ作家)
http://www.kac.or.jp/24664/
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滝口悠生
1982年、東京都八丈島生まれ。埼玉県で育つ。2011年、「楽器」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2015年、『愛と人生』で野間文芸新人賞を受賞。2016年、「死んでいない者」で芥川龍之介賞を受賞。2022年、『水平線』で織田作之助賞を受賞。2023年、同書で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞、「反対方向行き」で川端康成文学賞を受賞。他の著書に『寝相』『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』『茄子の輝き』『高架線』『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』『長い一日』『いま、幸せかい? 「寅さん」からの言葉』『往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ』(植本一子氏との共著)『ラーメンカレー』『三人の日記 集合、解散!』(植本一子氏、金川晋吾氏との共著)等。
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松原俊太郎
作家。1988年熊本生まれ。2015年、処女戯曲「みちゆき」で第15回AAF戯曲賞大賞受賞。2019年、『山山』で第63回岸田國士戯曲賞受賞。他の作品に戯曲「忘れる日本人」、「正面に気をつけろ」(単行本『山山』所収)、小説「またのために」など。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 滝口悠生
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1982年、東京都八丈島生まれ。埼玉県で育つ。2011年、「楽器」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2015年、『愛と人生』で野間文芸新人賞を受賞。2016年、「死んでいない者」で芥川龍之介賞を受賞。2022年、『水平線』で織田作之助賞を受賞。2023年、同書で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞、「反対方向行き」で川端康成文学賞を受賞。他の著書に『寝相』『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』『茄子の輝き』『高架線』『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』『長い一日』『いま、幸せかい? 「寅さん」からの言葉』『往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ』(植本一子氏との共著)『ラーメンカレー』『三人の日記 集合、解散!』(植本一子氏、金川晋吾氏との共著)等。
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