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私、元タカラジェンヌです。

2021年4月7日 私、元タカラジェンヌです。

第1回 早霧せいな(後篇) 強気な私と弱気な私の、デッドヒート

著者: 早花まこ

(前篇へ)

「美人ですね」にへこむ美人

 卒業後のお話の前に、どうしても聞いてみたいことがあった。
「ちぎさんは、『綺麗ですね』って言われても喜ばないのはなぜですか?」
「うん??」
 早霧さんといえば、入団当時から透明感のある美貌に注目が集まった人だ。容姿端麗な生徒がひしめく宝塚の中でも、抜きん出た麗人として認められていた。
 しかし、「綺麗」と言われるたび、なんだかぴんとこない……という表情で曖昧にうなずく様子が印象に残っている。
「うーん。外見は、天と両親からの授かりものでしょ。私にとっては、ゼロ地点。だから、そこを褒めてもらうと……もちろん有難いんだけど、『私は、まだゼロなのか』と思ってしまう」
 それに、「宝塚の美」は容姿だけではないと考えていた。動き、所作、心が表れるものとしての美。早霧さんが興味をひかれたのは、そんな美しさの追求だった。
 卒業してからも「美の秘訣」について聞かれると、彼女が語るのは決まって「内面の美しさ」についてだ。
「美容法について話したくないわけじゃなくて……実は、よく知らないのよ」
 本物の美人はこれだから、とため息が出る。
「いや、本当だってば!!」

 退団後の人生をどう歩むか、それは千差万別だ。表舞台から去る人も多い。
 卒業後のあり方について、早霧さんが他の元トップスターと話したことは殆どないという。同じ「男役」でもそれぞれの個性は当然ながら違うため、誰かをお手本にして真似することはできない。
 ここが新たなスタート地点――。宝塚から離れた早霧さんは、俳優として新たな人生のキャリアをゼロから始めようと意気込んでいた。
 しかし世間は、想像以上に「元男役トップ」として彼女を扱った。

逃げられない肩書きから、逃げない

 早霧さん自身に不安があったのも確かだ。
 17年間ずっと研究してきた「宝塚の男役」、ファンの方々が求める「早霧せいな」という枠組みから外れてみたとき、本当の自分ってなんだろう?と迷ってしまった。
「早霧せいなっていう着ぐるみから幽体離脱して、行き場がなくふわふわと彷徨っている気がしていた」
 今まで応援してくれた方々への恩返しの気持ちを土台に、女優として活動を始めた早霧さんではあったが、「元宝塚トップスター」と言われるたびに歯痒い気持ちがこみ上げる。
 意思が強いのもしっかりしているのも、全部「元宝塚」だから。歩き方や仕草に工夫を凝らしても、「元宝塚の人っぽい」の一言で済まされ、そこから進むことができない。
「姿勢が良いと宝塚っぽいと思われてしまうから、わざと背中を丸くしていた時期もあった。子供の時から姿勢が良いってよく褒められていたから、宝塚は関係ないのにさ」と実際に猫背になってみせながら、早霧さんは少し愚痴をこぼす。
「その肩書きがはじめにくるのは当然だし、私が男役をやり切ったことの成果でもあると分かってはいるけれど……」
 宝塚を称賛されれば、素直に嬉しい。自分にとってかけがえのない場所である宝塚を誇りに思いつつも、今の自分の魅力とは何かと自らに問いかけずにはいられなかった。「宝塚」という名前から距離を取ろうとしたのは、少しでも気持ちが近づけば自分はまた宝塚に染まってしまうと思ったからだった。
 それに、宝塚歌劇団という組織から出た時、俳優として舞台に立つ一方で、一社会人として何かできることを見つけたいという思いが湧き上がった。そのためにも、元トップスターとしてだけではない「表現者、早霧せいな」の認知度を高めなくては――。そう考えても、様々な取材やSNSでの発信の仕方に戸惑ったこともあった。
「宝塚では『多くを語らないことが美学』という感覚があるでしょ。今は、自分の言葉を自由に発信できるけど、うまく伝わるかいつも不安になる」
 広い世界に飛び出したい!と思いながら、いざとなると慎重になってしまう自分がいた。
「強気な私と弱気な私の、デッドヒートだよ」

 そうやって悩み考えながら過ごしたこの4年間、新たなお仕事や、ようやくゆっくりと過ごせる自由な時間を重ねるにつれて、早霧さんを縛っていた苦悩は少しずつ薄れていった。
「俳優の仕事をするのは、生活を支える職としてではない」と自覚し、自分自身がやりたいことなのだとはっきり認識した。過去の経験を大切にするだけではなく、今ここで求められていることに集中して力を尽くす。ただ、それで良いのだと思えるようになったという。

泥臭さをめざして

「死ぬまで……死んでからも、私にはこの肩書きがついてくると、最近ようやく覚悟が決まりました」
 重々しい言葉だが、それはこの1年ほどの舞台を経験して新たな手応えを感じたからでもある。
 新型コロナウイルスの影響で昨年の春に「脳内ポイズンベリー」の公演が中止となってしまった時には、舞台に立てることの幸せと有難さを痛感した。
 その半年後には、スペイン内戦時に無差別爆撃を受けた街とそこに生きた人々を描いた「ゲルニカ」に出演。演出家の栗山民也さんに、自分の未熟さや課題点を的確に指摘され、目が醒めるような思いだった。演技方法や心構えに至るまで毎日発見があり、役者として多くのことを学んだ作品だったという。
 主役の立場では気付けないことがあると思い至った早霧さんは、主演以外の仕事に挑戦したいと望むようになった。ゼロから演劇を学び直したい気持ちが険しい道を選ばせた。

  宝塚時代から早霧さんに影響を与えている俳優は、ブラッド・ピットとジョニー・デップだという。この二人は二枚目ともてはやされる反面、他人があまりやらない泥臭い役柄を好んで演じるところがある。
「良い面の裏の、汚いもの。人間の本質が滲み出る、そういうもの。私はそれが好きだし、自分も見せたいと思っていた」
 その言葉から、だんだんと早霧さんの美しい舞台姿と人間臭い演技がぴたりと表裏に合わさってくる。オスカルの壮絶な死に様。ルパン3世の愛嬌たっぷりの笑顔。怒鳴り散らす探偵ケイレブ。客席をどよめきのような笑いで包んだ佐平次。
 幻想の世界の王子様のような宝塚スターでありながら、早霧さんは役柄の心情をリアルに表現することを重視していた。
 宝塚時代に培った知識や技術は基本に持ちつつも、今はもっとシンプルなお芝居に挑戦したい。宝塚の延長線上から離れて、新たな「自分の武器」を探すという目標が早霧さんを駆り立てている。

そこには愛があったんだ

  元宝塚男役トップスター。それは、宝塚107年の歴史の中で100名前後しかいない、ほんの一握りの存在だ。華やかな舞台の裏で、苦労の末必死でつかんだその輝かしい肩書きと、早霧さんは今まさに闘っている。だからこそ、聞いてみたかった。
 早霧さんにとって、宝塚とはどんな場所でしたか?
「愛を学んだ場所」
 そう即答してくれた。今まで何度も尋ねられたであろう質問に、再び向き合った早霧さんが出した答えだった。

 華やかな表舞台の裏では、いつだって重圧に押し潰されそうだった。忙しさに追い詰められ、季節の移ろいも見失った。それでも、「早霧せいな」を育ててくれたのは宝塚。
「正解がない表現の世界で、ただ自分が信じることを無心にやり抜く人たちがいた場所。だからこそ、宝塚には究極があった」
 宝塚で実践するのは演技、歌、ダンスといった芸事だが、早霧さんは舞台に誠実に取り組むうちに、その内側にあるのが「人としてどのように生きるのか」という課題であると気付いた。
 人との出会いと別れ、仕事への誠意、絆。それら、人間を支え成長させる力を愛と感じるから、「宝塚こそ愛を学んだ場所」と彼女は語る。
「あたたかい応援を受け取る一方で、今いる場所から引きずり降ろされそうな激しい言葉をぶつけられることもある。良いことだけじゃない、凄くハードなこともある。その両方を知りたくて宝塚にいたんだよ。しかも、厳しく追い込まれる状況の中で」
「こういう話をすると、恐ろしく研ぎ澄まされた人物だって思われそうだけど、そんなことはなくて。しょうもないことも大好き。だから17年間続けられたんだとも思う」
 彼女はいつでも面白いことを巻き起こす天才であり、どれほど忙しくてもふざけだしたら止まらない。精神も体力も削る熾烈な闘いの世界にいて、人生を楽しむことを忘れないタカラジェンヌだった。

早霧せいなの才能

 トップスターの座から退いて、4年。これまでの枠組みからの「幽体離脱」が終わり、本来の早霧さんが人生を楽しみ始めている。
「宝塚を卒業した後、色々な選択肢がある中で、表現の世界に入って良かったと今は思う。ゴールがない仕事は、きっとどこまでも進んで行ける。それが私には、何より楽しい」

 取材中、早霧さんは考えを重ね、ひとつずつ言葉を紡いだ。どんな質問でも受け止め、思考を巡らせ、時には言いよどみ言葉を選び直し、心の内を明かしてくれた。スターのプライドにすがっていては決して語れない、一人の役者の歩みがそこにあった。
 飾り気のない言葉をたくさん聞かせてくださった後で、早霧さんは「これ、まとめるの大変だねー」と呟いた。
「期待された回答とは、多分全然違うことを話しちゃったと思うから。巻き戻して、もう一回やり直す?」 
 あっけらかんとしたその一言に、「早霧さんの才能は?」という質問の答えが「切りかえる力」であったことを思い出した。3時間以上も語り尽くした取材の終わりであろうと、おかまいなしに切りかえる。何を話していても、興味のあるキーワードがあれば切りかえる。
 どんな苦しみに打ちひしがれても、早霧さんは切りかえる。生きることに真面目で、誰に対しても誠実である早霧さんの心は、決して崩れ落ちない。幼い頃に夢見た肩書きから解き放たれることは、その肩書きを真に受け入れることでもあるのだろう。俳優、早霧せいなの歩む道は、はるか遠くまで続いている。

早霧せいな(さぎり・せいな)
長崎県佐世保市出身。俳優。元宝塚雪組トップスター。
宝塚卒業後は舞台や映像などで幅広く活躍。4月からはTBS系ドラマ「ドラゴン桜」に出演する。
また5月にはM&Oplaysプロデュースの舞台『DOORS』が世田谷パブリックシアターで、6月以降は地方6都市で上演予定。
オフィシャルサイト https://seinasagiri.com/

(おわり)

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

早花まこ

元宝塚歌劇団娘役。2002年に入団し、2020年の退団まで雪組に所属した。劇団の機関誌「歌劇」のコーナー執筆を8年にわたって務め、鋭くも愛のある観察眼と豊かな文章表現でファンの人気を集めた。BookBangで「ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱」を連載中。
note https://note.com/maco_sahana


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