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私、元タカラジェンヌです。

2022年8月31日 私、元タカラジェンヌです。

第8回 夢乃聖夏(後篇) パワフル母ちゃん、おなかいっぱいの幸せ

著者: 早花まこ

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なんでもテキサス

 かつて男役を極めたことは、今の生活で役立っていますか? そう問いかけると、夢乃さんはきっぱりと言った。

 「いいや。なんの役にも立ってないわ」

 困ってることならあるよ、と、彼女は続けた。公園の砂場で子どもと遊んでいると、無意識のうちに足が広がっている。素敵な親子写真を撮っても、写真を見ればいつも男らしく仁王立ち。

 かろうじて役に立っているのは、「声が大きい。着替えと化粧が速い。入浴も、食事も異様に速い」ということ。宝塚ではいつも時間に追われていたし、団体行動を守るために予定時刻より早めの行動が徹底されていたのだ。

 「子どもの幼稚園では、うちだけ常に『5分前行動』しちゃう。そんなことしなくて良いのに、なかなか変えられないよね」

 今の夢乃さんの口癖は、「子育てはテキサス」。「テキサス、テキサス、なんでもテキサスだー!」と繰り返す彼女をしばし黙って見守っていると、ようやく説明してくれた。彼女の中でテキサスは、「自由、広い、なんとかなる」というイメージで、のんびりと子育てをしたくてついつい口にしてしまう。だが、実際は些細なことが気になって、なかなかそうはいかないという。

 雪組にいた時も、夢乃さんは、舞台での技術や見せ方に細かく気を配る方だった。おおらかな人柄と繊細な配慮を併せ持っていた彼女だが、組替えをしてすぐに、そのキャラクターを大いに発揮することになる。

星組らしさと雪組らしさ

 同じ宝塚でも、5つの組はそれぞれカラーが異なる。その頃の雪組は、日本物や、伝統的でしっかりとしたお芝居を得意としていた。男役12年目に雪組への組替えが決まった夢乃さんは、「星組らしい男役、暑苦しい夢乃聖夏」は雪組に似合わないのではと戸惑った。だが、彼女の「星組らしさ」こそが期待されていたのだ。

 プロデューサーに「あなたの情熱で、雪を溶かしてください」(本当にこう言われたのだと、夢乃さんは語る)と熱弁され、「私は変わらなくて良いんだ」と思ったという。「自分の道をぶれずに進むだけ。いや、まだまだパワーアップするぞ!」と決意した。

 組替えの前には、普段は滅多にない長期休暇があり、夢乃さんは大好きなアメリカに90日間滞在した。ニューヨークでダンスや歌のレッスンに励んだが、ちゃんと食も楽しんだ。

 「1日に2、3軒、ハンバーガー屋さんを巡ったら、体がニューヨークに慣れちゃって、いくら食べてもまだいける! めっちゃ太りました」

 元気いっぱいで帰国した夢乃さんは、2012年、雪組のお稽古に参加した。そしてすぐに、星組とは全く違う雰囲気に驚くことになった。

 バウホール公演「双曲線上のカルテ〜渡辺淳一作「無影燈より〜」のお稽古場でのことだった。夢乃さんが真ん中で踊るシーンで、大きな歩幅で動く彼女に、誰も合わせてくれない。しっかりついて来て欲しいと伝えると、「端の人の位置がずれてしまいます」という返答。

 「先生の指示を守るのも、確かに大事。でも、お客様に楽しんでもらうために『まずは大きく動く』、そして『真ん中の人に喰らいついていく』。そういう根本的な気迫が足りないと思ったんだよね」

 「私なんてさ…」と、ある思い出を語ってくれた。「長崎しぐれ坂―榎本滋民作「江戸無宿」より―」の蛇踊りのシーンで、下級生だった彼女は蛇の尻尾を持つ係だった。ダイナミックに動いたあと、曲の最後の決めポーズ、彼女はすっかり幕の中に入っていたという。

 「でもそのままやったし、誰も気にしてなかったし。蛇が格好良けりゃ、私なんて幕の中で良かったのよ」

 笑い話はさておき、夢乃さんは雪組の生徒に対して、もっと積極的に舞台に立ってほしいと感じたのだ。

出る杭は打たれるけれど

 当時の雪組の生徒は、先生や上級生に言われたことを忠実に守る、真面目な雰囲気の人が多かった。まとまりはある一方で、自由奔放な勢いに欠けるという弱さがあったのは確かだ。だからといって各々が好き勝手にやれば良いということではないし、悪目立ちしてしまう難しさも、夢乃さんは理解できたそうだ。

 「そりゃ、出る杭は打たれるよ。そこで雑草のように、『私だー!』って、頑張らんといかんよね」

 大人しく見えた雪組の下級生だが、個性とやる気がないわけではないと、夢乃さんはすぐに気がついた。下級生をただ叱るだけではなく、お稽古の合間に言葉を交わし、彼女たちの声に耳を傾けたからだ。

 一人一人が「変わりたい」、「もっと思い切り舞台で自分を表現したい」と思っているのに、どうすれば良いのか分からない。団体行動を守ろうとするあまり、新しい挑戦に踏み出せずにいたのだ。

 黒燕尾のダンスナンバーでは、全体の空気感がわずかにずれているように感じる。みんな、一生懸命に踊っているのに、もったいない!と、夢乃さんは小さな工夫を伝えることにした。

 たとえば、肩から肘までのライン。腕がぶれないことで体の動きが安定して、燕尾服にもシワがよらず、群舞がきっちり揃って見える。そういった、星組で学んできた技術や心構えが雪組のカラーと合わされば、より良い、より面白い舞台を作ることができると確信したという。

私を見ればわかるはず

 台本にはない台詞や動きを即興で演じるアドリブは、生の舞台の醍醐味だ。ふざけ過ぎてはいけないが、台本や演出を守りながらアドリブを考えることは、役者にとって勉強になる。夢乃さんは、その場の空気感をお客様と一緒に楽しみたくて、積極的にアドリブを取り入れていた。毎日違う演技をする夢乃さんを見ようと、舞台袖には下級生たちが集まるようになった。

 「まず自分が心から楽しんで、生き生きと舞台に立ちたかったから。下級生がそれを感じてくれたのは、嬉しかったですね」

 そんな夢乃さんだから、素晴らしい持ち味があるのに表現しない下級生を見ると、「もっと個性的に生きたら?」と発破をかけたくなったという。

 「お客様のためでもあるけど、それと同じくらい、自分の人生が盛り上がった方が楽しいじゃない? って」

 それは、改まって教えることではなかった。同じ舞台で私の姿を見ればわかるでしょ、と思っていたという。その言葉を聞くと、毎日のお稽古で新しいアイディアを出し、汗だくで練習していた夢乃さんが思い出される。厳しく注意した下級生に付き合い、居残ってお稽古をしたり、納得いくまで色々な方法で練習したり…。どんなに大変なお稽古でも、夢乃さんはいつも楽しそうだった。「プロだから、舞台に私情は持ち込まない」と、何があっても舞台では嘘のない笑顔になった。長い公演は1ヶ月半もあり、どうしても感情的になってしまう日もある。それでも踏みとどまっていつも通り舞台に立つ、それが夢乃さんの心の強さだった。

人間パワースポット!?

 夢乃さんが舞台袖に立っていると、下級生が不意に歩み寄って来ることがあったという。少し言葉を交わしてしばらくすると「ああ! 元気が出ました!」とお礼を言って去っていく。「なに!? 私、パワースポットか?」と思ったというが、まさにその通りだったのだ。彼女が振りまく太陽のような明るさは、周囲を元気にして、次第に雪組の雰囲気を変えていった。

 雪組の男役が影響を受けたことのひとつが、公演プログラムに掲載される生徒のスチール写真だ。顔の角度や手のポーズなどで個性を出す人がいるが、夢乃さんの場合、斜めの角度から勢いをつけて大胆にフレームインする。その撮り方に憧れた下級生がコツを聞いて真似するほど、格好良かった。

 「普通じゃ、面白くないもん。星組の組長さんだった英真(えま)なおきさんの撮り方に、私も憧れてたんだ」

 英真さんは、役の雰囲気によってあえて視線を外したり、笑顔でも真顔でもない、一瞬で目を引く表情を作られたりしていた。それを見ていた夢乃さんは、撮影の前に自宅でポーズの練習を繰り返し、独自の写り方を研究したという。

 「本当にやりたかったのは、3Dの写真。写真から飛び出したかったの。そうすれば公演プログラム、もっと売れると思わない?」

 3Dではなくても、夢乃さんの写真はいつも飛び出して見えましたよ。そう伝えると、彼女は笑って、伝説のポーズを再現してくれた。

直感から生まれるアイディア

 雪組で過ごした時間は、実際に在籍していた2年半の年月よりずっと長く感じるほど濃密だったと、彼女は語る。仲間も、作品も、出会った役も色濃かったと振り返る夢乃さんだが、一筋縄ではいかない役でも、役作りのやり方は直感だったそうだ。

 「台本って、人物の心がそのまんま書いてあるから、それをいじくらずに、素直に読むだけ」

 膨大な量の台詞も、お風呂に入りながら覚えることが多かった。リラックスできる時間に台本を読むと、演技のアイディアもぽんぽんと思い浮かんできたという。

 「私、星組にいた時は結構2枚目だったのにさ、雪組では笑いを取る3枚目の役ばっかり。なんで!?」

 そう言って、彼女は不満げな顔をして見せた。「まあ、マズウマ系男役をめざしてたからだな」と呟く夢乃さんに、思わず「え!?」と聞き返した。

 「まずいんだけど癖が強くて、なぜかもう一度食べちゃう。そんな男役になりたかったんだよ」

 マズウマ系!?の豊かな発想は、毎公演の宴会にも活かされた。星組仕込みの余興の面白さは、下級生だけではなく上級生も楽しみにしていたほどだった。

 宴会ではなくても、彼女のおかしなアイディアは止まらない。30歳の誕生日には「三十路(みそじ)を歩きたい」と言い、楽屋の廊下に、インスタント味噌汁に付いている味噌の小袋をたくさん並べて、その路を練り歩いた。

 そんな夢乃さんの持ち味が最大限に発揮されたのは、「Shall we ダンス?」のドニー役だ。ぴったりとしたリーゼントヘアに、派手な衣装。映画版では竹中直人さんが印象的に演じた、暑苦しい勢いで主人公にダンスの楽しさを教える重要な役どころだった。面白くて目が離せないと観客の間で大きな話題となったが、作り上げるまでには大変な苦労があったそうだ。

「余興のイロハはすべて夢乃さんに教えていただきました」という早花さん。お二人は楽しそうに次々とポーズを決めてくれました!

プレッシャーを跳ねのけて

 「私がこけると、この作品が失敗するんじゃないか。ものすごいプレッシャーでした」

 主人公にたくさん絡みつつ演技の邪魔をしない。それでいて誰よりも目立たなくては、物語が進まない。最も難しかったのは、銀橋でのお芝居から賑やかなナンバー「Let’s start a party night」に繋がるシーンだった。BGMのない無音の銀橋で、ドニーが話し出す。そこから派手に歌い踊り、主人公がダンスに引き込まれる流れをしっかりと見せなくてはならない。

 「台詞のテンポ、滑舌、一歩の動きまで、めちゃくちゃ命懸けた。すっげえ練習した」

 周囲にばかにされてもへこたれず、大好きなダンスを嬉しそうに踊るドニーの姿は、不思議な感動を呼んだ。好きなことに夢中になる楽しさに多くの人が共感し、「ドニーさんの人」と呼ばれるほど、観客の記憶に残る役となった。

 元気に舞台に立って充実した日々を過ごしていた夢乃さんだが、だんだんと、宝塚を卒業した後の人生について考え始めてもいた。

 都会で生活したいという憧れが大きく変わったのは、30歳を過ぎた頃だったという。

 「人生で何が大切か考えた時、家族の近くにいるのが私の幸せだって思ったの」

 中学校卒業と同時に家を出て、10年間一人暮らしを続けた夢乃さんは、仲の良い家族と過ごす生活を欲していた。

 はじめは心配ばかりしていた両親も、「ともみがやれるところまで頑張れ」と応援し、見守ってくれるようになった。夢乃さんもまた、遠くから支えてくれる家族に感謝し、「宝塚を卒業したら故郷に戻り、家族と一緒に過ごしたい」と思うようになっていった。

未来へ進む時

 九州で結婚して、家庭を築きたい。そんな将来像を漠然と思い浮かべながら舞台に邁進していた時、雪組はひとつの節目を迎えていた。

 生徒の世代交代が進み、夢乃さんは雪組の中でもより重要な男役スターとして扱われるようになった。上級生になればなるほど、重責がのしかかる。そう理解していたからこそ、簡単に「まだ宝塚にいたい」と言うことはできないと思い、結婚して家庭を持つという夢に心が傾いていった。それに、15歳の時から徹底して守ってきたタカラジェンヌのイメージが、夢乃さんを苦しめてもいた。

 「舞台の上では、よそ見してるお客様に『こっち見てよ!』って思うのに、休演日の私は誰にも見られたくなかったなあ」

 疲れ切った顔、緊張の解けた姿で外出しても、ファンの方の視線を感じると気を抜けなかった。「宝塚の看板を背負う」ということは、いつ、どこでも男役スターのイメージを壊さないように振る舞うことであり、それが次第に夢乃さんの負担になっていた。

 「舞台で全力を出し切っていたから、休日はもう、頑張ることができなかった」

 自分には似合わないと思った雪組を好きになり、大切な役や仲間と出会った。組替え後、「ベルサイユのばら」に2度も出演し、「バラタン」の曲こそなかったもののスターの立ち位置で活躍した。黒燕尾のシーンでは、トップスターの近くで踊る男役になれた。下級生の頃から掲げていた目標を着実に達成してきた充実感は、確かに夢乃さんの心を満たしていた。

宝塚の「とっつぁん」

 卒業公演に選んだ演目、「ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―」で夢乃さんは最高の当たり役、銭形警部に巡り会った。

 この作品は、早霧(さぎり)せいなさんと咲妃(さきひ)みゆさんの宝塚大劇場と東京宝塚劇場トップお披露目公演だった。夢乃さんと早霧さんは同期生、同じ九州地方の出身で、信頼し合う友人同士でもある。

 夢乃さんにとって最後の、宝塚大劇場での初日。感慨に浸っているはずの彼女は、開演前から大騒ぎしていた。トップお披露目をお祝いしようと、2メートルほどのレッドカーペットを調達したのだ。数分といっても舞台裏にレッドカーペットを敷くなんて、スタッフさんから注意されそうなものだが、必死に準備する銭形警部を咎める者はいなかった。

 「私の出番がお芝居のしょっぱなだったから時間がなくて、もう大忙しよ」

 舞台へ向かう早霧さんは大爆笑しながらも感激して短いレッドカーペットを駆け抜け、初日の舞台裏は笑いに包まれた。どんな時でもとことん楽しむ、夢乃さんの他は誰も思いつかないアイディアに、組全体が盛り上がった出来事だった。

 人気漫画のキャラクターを宝塚の生徒が演じられるのかと、心配の声もあった作品だったが、幕が開いてからは大好評だった。情に厚く格好いいルパン三世を演じた早霧さんと、敵だが腐れ縁の友情を演技に滲ませた銭形警部、夢乃さん。2人の阿吽の呼吸が観客の心を惹き付けたことが、公演が成功した理由のひとつだと思う。「夢乃聖夏」がふんだんに活かされた、銭形警部の演技だった。

 そして忘れてはならないのが、宴会の余興だ。退団者は多忙なので余興をすることはほとんどないのだが、夢乃さんにはやり残した夢があった。

 「どうしても、バラタンがやりたい」。彼女のその一言で錚錚(そうそう)たる上級生たちが集まり、宴会のステージで本番さながらのバラタンを披露した。ファンの方お手製の本格的な衣装を着て、夢乃さんは全力で踊った。笑いが止まらないはずが、私は涙が出そうだった。心と体の全てを今この瞬間に注ぎ、こんなにも精一杯生きる人が他にいるだろうか、そう思った。

 「銭形のとっつぁんで退められるなんて、私の宝塚人生、もう最高でしょ」

 卒業までの日々を思い返して、夢乃さんは朗らかに笑った。

 「毎日、『今日、退めても良い』って覚悟でやってた。今日だけに命懸けて、今日のことしか考えてなかった。いつ死んでも、悔いのない生き方をしようって思ってたから」

 公演中の睡眠は、毎晩10時間。「終演後の1杯」を何より楽しみにしていた、豪快で格好良い「ともみん」は、観客にも生徒にも惜しまれながら泣き笑いの明るい千秋楽を迎え、宝塚を卒業した。

再び、人生大転換

 夢乃さんはもう、芸能活動をするつもりはなかった。卒業を決めてすぐに人生の伴侶に出会った彼女は、驚くほど理想通りの道を歩むことになる。宝塚を卒業してから7ヶ月後に結婚、すぐにお子さんに恵まれた。

 「銭形のとっつぁんから急に花嫁、そして母。もう、人生の大転換だよね」

 男役の人が宝塚を卒業すると、髪の毛を伸ばしたりスカートを穿いたり、それまでとは違う自分を満喫することがある。夢乃さんの場合は、

 「一気にお母さんになったから、お洒落をする時間なんてなかったの。結局、今も、男役の時の格好のまま。ズボンが一番動きやすいからね」

 現在は、子どもを幼稚園に送り出してから1日中、一番下の赤ちゃんのお世話をして過ごす。どれだけ忙しくても、お洒落を楽しめなくても、それは夢乃さんが思い描いた「家族と過ごす日常」の幸せな毎日だった。

 「自分が夢乃聖夏だったっていうこと、もう忘れかけてるよ」

 今、宝塚の舞台を観劇すると、一人の宝塚ファンとして見入ってしまうという。しかし下級生から意見を求められたら、「もっとこうしてごらん」とアドバイスがすらすら出てきて、自分でも驚くそうだ。昔から夢乃さんは、一度舞台を観ただけで多くの生徒の特徴をとらえる方だった。かつて男役を極めたから出来る的確な指摘を本人にはっきり伝え、その改善方法を熱心に教えてくださる。

パワフル母ちゃんの土台

 タカラジェンヌとしてもう一度、舞台に立ちたいと思うことはありますか。その質問に、夢乃さんは「ない」と即答した。完全燃焼したから宝塚の舞台に戻りたいとは思わないし、生まれ変わっても宝塚には入らない。その言葉は、彼女が少しの悔いもなく、男役「夢乃聖夏」に全力を注いだ証だった。

 「生まれ変わったらね、アメリカの男の人になって、ヘイヘーイって言いたいよ。牛とか、追ってね」

 カウボーイやねと笑う彼女に、もうひとつ質問を投げ掛けた。

 では、もしもお子さんが「宝塚に入りたい」と言ったら? 彼女は、「応援します」と、今度も即答した。

 「自分が楽しかったっていうこともあるけど、一番良かったのは、超素敵な人たちと出会えた場所だから」

 宝塚で苦楽をともにした人とは、卒業して何年経っても仲良しでいられる。同じ舞台に立っていない生徒とも、すぐに意気投合できる。

 「上級生も下級生も、貴重な仲間。たとえ性格や考え方は違っても、絶対に裏切らない人たちなんです」

 夢乃さんにとって、宝塚とはなんですか。

 「いや、もう、全てですよ。私という人間の土台だね。多分みんな、一緒のこと言うんじゃないかな」

 そう言って、夢乃さんは微笑んだ。

 「宝塚にいると、何があっても途中で投げ出すことはしない。宝塚で身に付けた体力と忍耐力、気力が、子育てに役立ってるしね」と、彼女は胸を張った。子育てに役立つことは、やはりあったようだ。

 「私は他の人みたいに、憧れ続けて必死に努力して宝塚に入ったわけじゃなかった。それでも大切な第2の故郷が出来たんだよ」

 それにね、と夢乃さんは続ける。

 「宝塚で過ごした時間は、7割が辛いことだった。でも残りのたった3割が、他の場所では経験できない強烈な幸せで、それだけでおなかいっぱい」

 おなかいっぱい。インタビュー中、彼女が何度も口にした言葉だ。お金を稼いでも名誉を手に入れても、心が満たされる人生には近づけない。宝塚でもらったものは、おなかいっぱいの幸せだった。その中には涙も悔しさもあるが、全てがかけがえのない宝物になり、夢乃さんの心を満たしている。15歳の時には想像もしなかった生き方が、夢乃さんを、今日の幸せへと導いたのだ。

 もしも夢乃さんが退団せずにあのまま宝塚にいたなら…そんな想像をすると、夢乃さんは笑って呻き声をあげた。

 「私だったら、化石になってるよ。いや、完全燃焼しすぎて、もう灰になってるわ!」

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

早花まこ

元宝塚歌劇団娘役。2002年に入団し、2020年の退団まで雪組に所属した。劇団の機関誌「歌劇」のコーナー執筆を8年にわたって務め、鋭くも愛のある観察眼と豊かな文章表現でファンの人気を集めた。BookBangで「ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱」を連載中。
note https://note.com/maco_sahana

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