先月、テレビに出た。某公共放送の「看板番組」と言われるもので、ゴールデンタイムもいいところの放送だった。過去にも数回出たことはあるのだが、これほどの有名番組は初めてである。
「ブラタモリ」という番組で、あのタモリさんが恐山にやって来て、私や下北半島の地質を研究している方々が、彼を案内するという体裁のもので、檀家が「方丈(禅寺の住職がいる書斎・居室。転じて住職の呼称)さんがブラタモリに出る」という情報を回覧する事態になり、改めてタモリさんの「偉大さ」に恐れ入った次第である。
幸いに番組は好評だったようで、お褒めの言葉をいただいたりしたが、実は、現在の恐山はメディアの取材については慎重かつ厳格である。基本的に、仏教か恐山信仰そのものをテーマにするものしか許可しない。例外は、参拝者が自由に拝観できる風景や建物しか撮影しない「旅番組」で、これには比較的寛容である。
絶対に許可しないのは、境内のイタコさんの撮影と、「心霊」関係の番組である。これは理由の如何を問わずダメである。恐山参拝者の心情と信仰の護持を最優先する山主の方針で、私も最大限尊重している。
恐山とは別に、私個人への取材依頼もある。そういう時は、テレビの場合、私へのインタビューか、誰かとの対談しか受けない。以前、私に3か月「密着」するというドキュメンタリー番組から依頼があったが、即座に断った。いつもの晩飯の様子や、移動中の新幹線の中まで撮って、何の意味があるのかわからなかったからだ。
出演を断ったことを後悔したことが一度だけある。それは道元禅師の主著『正法眼蔵』を都合100分で解説するという番組で、依頼された瞬間、「やろうかナ」と思ったのだが、自分が斯界の「アウトサイダー」だという自覚があったので、ここは「保守本流」に譲ったほうが奥ゆかしいだろうと、ガラにもなく謙遜し、その筋の学者を推薦して、辞退したのである。
ところが、出演したのはその学者に非ず、『眼蔵』については素人同然の評論家であった。当時、ネット上にも「あの人選はなかろう」とか、「アレなら南直哉を出したほうが面白い」というコメントがあったと、後で知人から聞いた。確かに「アレならオレがやるべきだった」と後悔したものである。
かくのごとく、概して私がメディア、とりわけテレビの取材に消極的なのには、実は理由がある。トラウマがあるのだ。
私がテレビに生まれて初めて「取材」されたのは、今から30年近く前、永平寺に入門して2年目のことである。某公共放送の永平寺特集に「隠し撮り」されたのだ。
当時私は、「暫到和尚」(入門志願の新人修行僧)の教育係に配属されていた。私の係は、暫到和尚の所持品検査や基本的作法などを指導する部署で、私に言わせると「それなりに」厳格であった(後日当時の暫到和尚に会うと、私の「それなりに」は、彼らの「とんでもなく」になる)。
この部署の撮影は前日に終わり、私が指導当番のその日は、「いつものとおりでよし!」と、係の責任者にわざわざ確認の上、私は「いつものとおり」仕事をしたのである。
ところが、その日、私が所持品検査をした新人僧一人が、あろうことか、どこかの「クラブ」(女性とお酒を飲むところ)のメンバーズカードを持ったまま来てしまったのである!
所持品検査から1年ほど経ったあと、
「どうして途中で捨てなかったんだ?」
「気がついたんですが、あまりのことに焦りと困惑で頭が真っ白になって、足だけ機械のように動いて、気がついたら門まで着いちゃったんです」(恐るべきは永平寺の圧力!)
入門の前晩、「娑婆との別れ」に当たり、友人たちが盛大な「壮行会」を開いてくれたらしく、彼はしたたか酔って、カードをもらったことも、どういう事情で持って来てしまったのかも、皆目わからなかったそうである。
しかし、あの時カードを見つけた私には、そんな事情は関係ない。「なんだ! これはっ!!」の一喝とともに、文字通り首根っこを押さえて、玄関から外に叩き出したら、その新人僧は階段から転げ落ちた。3、4段の短い階段だったが、どういうわけか、彼は両手両足をひろげて一回転するような、派手な落ち方で、まさにこのシーンを隠し撮りされたのである。
さらに「見どころ」は続く。
「いったいどういうつもりで永平寺に来たんだ!」と、立ち上がりかけた新人僧に、上から大声で怒鳴ったら、その私の背後右から、建設会社の課長を退職して入門した小柄な同輩が、「ここはなあ、ススキノやカブキチョウじゃねえんだぞっ!」
この番組を見た大抵の人は、このセリフも私が言ったと信じているが、誓って私ではない。私はほぼ下戸で、「ススキノ」は全く知らず、「カブキチョウ」も新宿の怖いところ、くらいの認識しかなかった。
後に聞いたら、番組のこのシーンが流れると、当時の永平寺の全外線電話が鳴り響き、全国の曹洞宗住職や僧侶の人たちから、怒声さながらの抗議が延々と続いたという。
「何だ、あの背の高い若僧は!?」
「ヤクザ上がりなのか!?」
「本山でカブキチョウとは何だ!!」
「あんなヤツ、昔は一人もいなかった!」
翌朝は大変だった。永平寺にテレビは無いから、何が起こったか知る由もない。一夜明けたら、先輩から、
「直哉! お前、下山だ!」
「どうするつもりだ? アレ」
老師方から、
「直哉和尚、困ったのお……」
「もう少し、やりようがのお……」
それまで師匠と親しか知らなかった私の出家が親戚中にバレて、実家の電話も一晩中鳴り続けたという。
「ナオヤちゃんそっくりのお坊さんが、テレビに出てる!」
「何がどうしたの!?」
「出家、なんで許したの!?」
当時の永平寺にまともな広報担当者がいなかったので、この映像を含め、ほとんど無制限に撮影して、そのまま放送できたのである。
その後数年して、マスコミ各位にその名が知られるほど「厳格極まりない」広報担当者になった私は、知り合いの某公共放送局員に、さる筋から入手したビデオを見せて、
「これ、どこから撮ってるの?」
「少なくとも、100メートル以上は離れているでしょうねえ」
「でも、音は?」
「すごくデカい、高感度の集音マイクがあるんです」
この番組はビデオになって販売され、さらにDVD化した。以来、10年以上、永平寺入門志願者の「事前教育」ビデオの定番となった。
「こんなヤツ、さすがにもういないだろう」と思ってやって来ると、僧堂などで私を見て、「まだいる!」と驚愕する破目になったそうである。
この一件のトラウマが、私の「メディア原体験」であり、今に至るまで、「黙っていると何をされるかわからん」という警戒感と、一貫した「消極姿勢」の元になっているのだ。
以来、数度、テレビに出たが、トラウマとは別に、一つ強く感じたことがある。それは、テレビで語る言葉の問題である。
テレビ番組は長くて1時間、特番でも2時間、どんなに深刻な問題でも、いかに複雑なテーマでも、その時間内にケリをつけなければならない。すると、言葉は、考えてから出すのでは遅くなりやすい。条件反射的に言葉が出ないと、往々にして間に合わないし、それが出来る者が重宝される。
ということは、テレビの中の言葉は、声が大きく、刺激的な言い回しほど、目立つし「売れる」だろう。それは往々にして、「思考のショートカット」になりかねない。私はテレビの言葉に馴れることの危険を感じたのである。
おそらく、ネット社会の拡大と深化は、この言葉の傾向を加速させるだろう。より刺激的で強い言葉が吸引力を持ち、その言葉もAIが用意することになりかねない。
自分で考える「面倒」を避け、アルゴリズムが導出した数個の選択肢を、「自分の考え」として選択するという、考えの省力化と効率化が奨励されるかもしれない。
それで何が悪い、という人もいるだろうが、私はそれに共感できない。おそらく、それは自分の言葉に対するプライドゆえであろう。そんなプライドに今後も意味があるかどうかは、定かではないが。
*次回は、11月14日月曜日更新の予定です。
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南直哉
みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- 南直哉
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みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。
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