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私、元タカラジェンヌです。

2021年6月2日 私、元タカラジェンヌです。

第3回 香綾しずる(後篇) まだまだ視野を広げたい。生きるって、楽しいですよ。

著者: 早花まこ

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大型新人男役、雪組に現る

 香綾しずるさんのお母さんは、大の宝塚ファンだった。子供の頃から夜行バスに乗って地元・山口から兵庫県宝塚市まで宝塚観劇へ出かけ、家では舞台のビデオを見て育った香綾さんだが、のめり込むほどの宝塚ファンではなかった。
 お母さんに頼み込まれ、宝塚音楽学校を受験した。結果は、見事一発合格。まさか受かると思っていなかった彼女の喜びは、他の合格者とはまるで違っていた。
 「これで春休みの宿題をやらなくていい! やった〜〜〜!!」
 勉強から解放されたかわりに、厳しい上下関係と芸事のお稽古でがんじがらめの日々が始まった。その過酷さに音を上げ、毎日泣き暮らす生徒も少なくないのだが、
 「音楽学校での2年間はすごく楽しかったです。あの、すべてに追い詰められてる感じが!」
 ここでも人並外れた適応力を見せつけ、4番という好成績で宝塚歌劇団に入団、初舞台を経て雪組に配属された。
 卒業した今だからこそ語ることができる本音がある。
 「宝塚の舞台に、夢中で憧れてはいなかったんです。だから初舞台も、あんまり感動しなかった」
 華やかな雰囲気に酔いしれて、感動に浸る……初舞台生ならではのうっとりとした瞬間があるのだが、香綾さんはその遥か先を、シビアな眼で見据えていた。
 「宝塚に入ったからには、自分のやるべきことをやる。与えられた役はとことん追求するし、芸事の技術を少しでも上げたかった」

 実際、香綾さんは実に堂々とした下級生だった。初々しさなど微塵もなく、きりっと張り詰めた表情の下級生たちの中で、とにかくよく笑う。「態度が大きい!」と叱られても、舞台に立てばどんなに端っこでも活躍して上級生を黙らせた。ベテランでも冷や汗をかくほどの緊張感のある場面も、香綾さんはひょうひょうとやり遂げてみせた。
 2008年「君を愛してる」の新人公演では、余裕綽々といった顔でソロを歌い上げた。ぴりぴりとした空気感のお稽古場でさえ楽しそうな香綾さんに、スターさんだけではなく周囲の私たちも驚いてしまった。

 「私、全く緊張しないの。いつも楽しくてしょうがない。みんな、見てくれ〜!って」
 その舞台度胸と実力で様々な役をこなしていき、2009年には新人公演主演の座を掴む。男役6年目、演目は「ZORRO 仮面のメサイア」。
 宝塚大劇場と東京宝塚劇場で、それぞれ一度ずつだけ上演される新人公演。その主役とは、誰しもが憧れる輝かしい立場だ。名実ともにスターとして認められることの条件のひとつでもある。
 元々「主役をやりたい」という強い願望を持っていなかった香綾さんは、そのチャンスが巡ってきた時も冷静だった。
 「私の場合、キラキラとしたスター性ではなく、努力の結果で選ばれたと思いました。だからこそ、与えられたからにはしっかりやろう、と」
 他人のあり方にとらわれず、淡々とやるべきことを重ねてきた香綾さん。2期上の私から見ていて、彼女は新人公演の主演という立場に舞い上がってはいなかった。本番では、彼女が持って生まれた芝居のセンスと努力の結果が発揮され、高い評価を受けた。

 だが新人公演主演を見事に果たしたこの時、彼女の心の中には、誰も想像し得ない思いが生まれていた。
 「私、真ん中は向いてない――そう思いました」
 誰よりも豪華な衣装で眩しいライトを浴びることは、香綾さんにとって重要ではなかった。

芸も笑いも、自分に厳しく

 「新人公演の主演から、少しずつ違和感を覚え始めました。スターになるよりも、私にしかできない役をやりたいなって」
 研10で演じた「若き日の唄は忘れじ」加治(かじ)織部正(おりべのしょう)役をきっかけに、その思いは更に強くなる。主役を支える脇役や、渋さを活かせる大人の役柄は彼女にとって主演以上にやりがいを感じるもので、何より純粋に、演じるのが楽しかった。
 そんなふうに自分の進みたい道をひそかに決めた香綾さんだが、人が羨むような出番に恵まれた時は、感謝と同時に、静かな葛藤を抱いた。少しでも実力が落ちたら自分はここにいるべきではない、と強く意識したという。
 「学年が上がっても日々のレッスンは欠かしませんでした。もっとできる、もっと上手くならねばと、常に自分自身に課していたような気がする」
 高い技術力がありながら努力を怠らない。そんな彼女の発言には、いつも重みと説得力があった。新人公演や様々な場面のリーダーとして的確にみんなを指導した彼女は、多くの下級生だけではなく、上級生やスタッフの先生からも信頼されていた。
 2011年「ロミオとジュリエット」では、上級生たちとともにアンサンブルをまとめていた。膨大な量の歌とダンスを覚えるだけではなく、細かい振り付けやコーラスの注意点を全て理解している彼女は、方々から頼られて大忙しであった。

 「自分自身に厳しいのは、性格ですね! でも、納得いくまで突き詰めたいだけで、無理してやってたわけじゃない。その結果、下級生が私の努力を認めてくれていたなら、嬉しいですね。やるべきことをやらない上級生には、誰も付いて来ないから」
 香綾さんが皆から慕われていたのには、他にも理由があった。厳格な実力派でありながら、常にユーモアを忘れない香綾さん。ユーモアというか、相手が思わず声を出して笑ってしまうほどの「芸」だった。
 舞台袖では出番ぎりぎりまで全力で変な踊りをおどり、忙しい早変わりの合間でも一発芸を欠かさない。暇さえあればふざけているのに、一歩舞台に出れば完璧な演技を見せる……彼女のそんな一面に、生徒だけでなくスタッフの皆さんも魅了されていた(たまにやり過ぎて、叱られることもあったことは付け足しておく)。
 「誰かが見ていてくれる限り、私は必ず何かをする」一流スターの名言かと思いきや、舞台袖や楽屋での悪ふざけについてのコメントだ。
 そう。彼女を語る上で欠かせない要素が「笑い」だ。なかでも公演ごとに催される宴会の余興では、その尋常ならざる才能を発揮した。「小さなバイオリンを持った葉加瀬太郎さん」「鬘も衣装も手作りのライオン・キング」など、香綾さんにしか演じられない数々の名キャラクターが雪組宴会の歴史に残っている。
 「余興で何を見せたいか、どう聞かせたいのか、ポイントを確実に押さえること。コレ、すべてに繋がるから、ほんと大事!」
 しょうもない話題の中でも、きらりと光る発言だ。

スターである前に役者である

 余興のキャラクターを作る時、最初にその役に抱いたイメージを大切に突き進むという香綾さん。これは、お芝居での役作りも同じだという。
 初めて台本に目を通すお稽古である「本読み」。彼女は、この段階ですでに的確に役の人物像をとらえる役者だった。だからお稽古に迷いがなく、完成度の高い演技ができる。
 様々なお話を聞く中で、彼女が唯一「苦手です」と語ったことがあった。
 「役の生い立ちや性格の設定を決めること。私は、全然できなかった。これがきちんとできる人を、本当にすごいと思っていました」
 それでも、お芝居が巧い。それが、香綾しずるの凄まじさだ。
 宝塚の作品は歴史的な事柄を扱ったものが多く、役を膨らませるためにその人物が生きた時代や国について研究し、役のプロフィールを細かく設定する人は多いのだが、
 「時代背景は調べない。そういうことに、興味がないんですよ、結局」
 香綾さんはいつも、手渡された一冊の台本から人物をつくり出していた。直感を大切に、演じる人物をどれだけ作中で活かせるか。そんなふうに、お芝居に挑戦していた。
 「私は自分の役について質問されると適当に答えちゃうし、舞台に出たら設定なんて全部忘れて感覚だけ。なんにも考えられないんです」
 自分では「適当」と言いながら、演じるキャラクターは完璧に近い形で心身に叩き込まれている。
 「真ん中にいる人は、印象に残って当たり前。私はどんなに目立たない役をやっても、『あの役の人、良かったね』と言われるようになりたかったんです。お客様が劇場を出る時に、たとえ役名は覚えていなくても、『あの役、素敵だった』って思われる人になりたかった」

 香綾さんが演じた様々な人物の中で、忘れられない役のひとつが「星逢一夜(ほしあいひとよ)」の鈴虫だ。早霧(さぎり)せいなさん演じる主人公・天野晴興の、養育係の老人役だった。この役は、本番の舞台に立った後に心情が変化した、香綾さんにとって珍しい役であった。
 「舞台で自分たちだけの世界が生まれた時に、お稽古場よりも役の思いをより感じやすくなりました」
 早霧さんの晴興が、舞台で一段と真に迫る表情を醸し出した。その演技に引き込まれるように、鈴虫のあり方も進化していったという。晴興へ注がれる肉親のような慈愛が色濃く表現され、悲劇的な世界観にあたたかみとやわらかい切なさを生んだ。
 苦労もあったがその分思い入れの強い作品となった「星逢一夜」は、その後中日劇場で再演され、その際香綾さんは徳川吉宗を演じた。お芝居の土台となる役者を目指していた彼女にふさわしい大役だ。ただならぬ風格と、感情を抑えた芝居に滲む悲しみが鮮烈だったその演技は、観客に絶賛された。

 香綾さんはそれからも、「星逢一夜」の二役のように、自分にしかできない役を追い求めていく。そして卒業間近、14年間培った実力と貫き通した信念を注ぎ込める役に巡り合う。
 「『ドン・ジュアン』の亡霊役。あれこそ、私がやりたかった役どころでした」

 愛を知らない男ドン・ジュアンを翻弄し、愛と破滅へ誘う亡き騎士団長は、観た人の間で大きな話題となった。
 「直感のままに演じて、“印象に残る役”と言われたのは本当に嬉しかったなあ」
 美しさを追求する宝塚の舞台では前代未聞といえるほど、強烈なメイクだった。生気のない白い顔色、曲がった鼻筋、顔面を斜めに横切る大きな傷……。そんないでたちの亡霊が、客席だけではなく出演者をも激しく煽るように、フラメンコを踊る。
 「ドン・ジュアン」の舞台に姿を現した恐ろしい亡霊は、圧倒的な存在感で作品全体に強烈な意味合いを持たせた。同じ舞台に立っていても、亡霊が放つ雰囲気に大きな影響を受けた。特に、歌声が聞こえるとその世界観に引きずり込まれるような感覚を味わった。
 「お稽古場も舞台も、とにかく楽しい作品でしたね。出演者もみんな生き生きしていたし」
 そうなのだ。研ぎ澄まされた集中力が必要とされるこの作品でさえ、舞台袖ではひょうきんな亡霊がみんなを毎日笑わせていた。他人の写真にわざと写り込んで心霊写真を捏造したり(亡霊の姿なので、本気で怖い)、他人のナンバーをノリノリで歌ったり、ふざけたい放題の香綾さんであった。

 宝塚時代から、香綾さんがよく言っていた言葉が「継続は力なり」だ。努力したことは、すべて自分の身になる。この信念のもと、ひたすらお稽古を重ねて実力を磨いた。
 卒業して単身ベトナムへ渡った時、そこが新たな「継続」のスタート地点であり、また宝塚から「継続」したことの成果でもあった。
  「ベトナムで日本語を教えていた生徒が、今は日本で立派に働いている。そういう姿を見るとやっぱり継続は力なり、と思いますね」
  「継続」は口で言うほど簡単ではないし、誰にでもできることではない。目の前の現実や日々の感情に振り回されず忍耐を続けるという苦しいイメージは、次の言葉で雲が晴れるように変わってしまった。
  「今のお仕事も楽しいですよ。楽しくないと、続けられないもん」
 彼女は、「継続は力なり」を全力で楽しんでいる。同じことの繰り返しにも好奇心を光らせ、いつも何かに興味を惹かれているのだ。
  「辛いことがあっても、寝たら忘れる。なんとかなる! と思えるので、引きずらないんです」 

進み続け、楽しみ続ける

 長い歴史と伝統を重んじる宝塚の中にいても、価値観がぶれたり自分の気持ちを見失わなかった香綾さんは、卒業後も「元タカラヅカです」と声高に自己紹介することはなかった。
 宝塚の素晴らしさを心底理解して楽しみ尽くしたからこそ、「男役・香綾しずるを誰も知らない世界」へ飛び込むことに迷いはなかった。今はもう、再び舞台に立つことは全く考えていない。新たな世界で、まだまだやるべきことが彼女の前に広がっている。
 日本アジア青年交流協会の仕事は、外国人技能実習生が日本で就職すれば終わりというわけではない。むしろ、ここからが重要だ。
 こまめな監査、報告書の作成、企業と実習生の双方への丁寧なヒアリングで、些細な問題点を洗い出して相談にのる。昨今は新型コロナウイルスの感染拡大により、海外渡航の中止や制限など大きな影響を受けたため、より親身なケアが必要だ。
 香綾さんをはじめ協会の人たちは、最近メディアで取り沙汰される外国人技能実習生が関係した事件の報道に、強いもどかしさを感じている。犯罪に手を染める人はほんの一握りだと、彼女は強く訴える。香綾さんが関わったベトナム人の若者は、みんな真面目で誠実だったからだ。
  「日本に入国後も、頼りになる監理団体の人間がしっかり彼らに向き合えば、悪事に関わる若者は確実に減ります」
 その言葉は、生徒一人一人と対話を重ねて見守ってきた実体験に裏打ちされている。技能実習生の能力の高さと真摯に学ぶ姿勢が評価され、人材育成の意識の高い優良な企業がこの制度に参加するようになった。しかし残念ながら、外国人を単なる労働者としてしか見ない企業もあるのが現状だ。
 日本の技術や知識を会得したベトナムの若者が母国へ戻り、より豊かで平和な社会を作る力となる。その目標を達成するためには、彼らを受け入れ、ともに働く日本の人たちの理解が必要だ。
  「事件のニュースだけを見て外国人技能実習生に悪いイメージを持たないでほしいと、お伝えしたいんです。彼らはみんな意欲的に勉強して、一生懸命に働いています」
 そう話す香綾さんの瞳に、「元タカラジェンヌ」という肩書は見えなかった。それは国際交流の一端を担い、若者の夢を叶えるために奮闘する、ひとりの誠実な社会人の瞳だった。

 取材中ずっと、宝塚時代の話よりも、自分自身を語るよりも、香綾さんが強く熱く話したのはベトナムの技能実習生のことだった。宝塚で過ごした時間を懐かしく思い出しながらも、彼女は今、向き合う仕事と助けるべき人たちに心血を注いでいる。

 新たな人生を歩き出した香綾さんに、今だからこそ、こう質問をした。香綾しずるにとって、宝塚はどんな場所?

 「自分の人生をつくってくれた場所。私の生き方の基盤が出来上がったのが、宝塚という所です」

 久しぶりに再会した香綾さんは、パンツスーツに身を包み、慣れた手つきで名刺を差し出してくれた。そこに書かれていたのは、芸名ではなく本名だった。
 芸事を極めた宝塚の世界を飛び出して、新天地で新たな挑戦が続く日々を送っている。それでいてなお、香綾さんは「もっと色々な経験がしたい」と言い切る。
 「まだまだ、視野を広げたい。たくさんの人と関わりたいし、楽しみたいな」

 「生きるって、楽しいですよ」
 取材の最後に放たれたこの言葉は、ありふれたお飾りではない。そしてまた、深い意味もない。本人曰く「特に何も考えていない」。香綾さんは、生きることを楽しむ才能に溢れている。

(おわり)
香綾しずる(かりょう・しずる)
山口県周南市出身。元宝塚歌劇団男役スター。
宝塚卒業後は一般社団法人・日本アジア青年交流協会に勤務、現在は常務理事を務めている。
日本アジア青年交流協会HP https://jay.tokyo/

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

早花まこ

元宝塚歌劇団娘役。2002年に入団し、2020年の退団まで雪組に所属した。劇団の機関誌「歌劇」のコーナー執筆を8年にわたって務め、鋭くも愛のある観察眼と豊かな文章表現でファンの人気を集めた。BookBangで「ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱」を連載中。
note https://note.com/maco_sahana


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