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お坊さんらしく、ない。

 修行僧になって最初の2年、私は全く永平寺の外に出なかった。

 「お前みたいに我儘なヤツは、まずは僧堂でガンガン削られなきゃダメだ。3年と言いたいところだが、まず2年は一切外に出るな」

 入門にあたって、師匠が言った指示を守ったのである。

 何とか2年をもちこたえると、師匠から電話がかかってきた。

 「これで、2年か。まあ、よし、一度帰って来い」

 私は、ようやく師匠と永平寺に許可されて、2年ぶりに「シャバ」の空気を吸ったのである。

 師匠の寺に戻って3日目、朝の掃除をしていると、師匠がやって来て唐突に言った。

 「俺はこれから出かけるが、11時に法事がある。代わりにお前が行け。檀家には話してある」

 「えっ! 僕ですか!?」

 「他にいるか?」

 「でも、修行して、まだ2年ですよ」

 「じゃ、出かけるから、ちゃんと経本を見て読経しろよ」

 「で、でも…」

 師匠はもう聞いていなかった。

 11時前に迎えの車が来た。

 「お迎えに来ました。お弟子さんに来ていただけるそうで…」

 玄関に出てみると、丁重な言葉使いの70代かと見える人は、紋付きの羽織袴を着けていた。後日聞くと、この時の施主家は、旅館を営む、かなり有力な檀家だったのである。私は通常、ほとんど緊張することのないタチなのだが、この時ばかりは、口の中が乾いた。

 家に着くと、一家がほぼ総出で迎えてくれた。幼児以外は全員和服の合唱で、

 「今日は何卒よろしくお願い致します」

 迎えに来た主人に導かれて大きな仏間に行くと、50人近くがすでに仏壇前に整列して坐っている。実は、これ以来今に至るまで、葬式ではない、個人の家の法事で、これほどの規模のものに出たことがない。

 「あの住職の弟子って、どの程度のモンだ?」的な、100本(50人✕2)近い視線を背後から浴びつつ、私は必死の読経をした。それまで永平寺の法要係として、大掛かりな本山法要の経験は積んでいたものの、要は一兵卒の立場に過ぎない。

 ところが、この日は50人の主役で、かつデビュー戦である。しかも居並ぶ長老級の親戚縁者は、これまで様々な坊さんを見てきたに違いない。その肥えた「選僧眼」の前なのだ。

 最後は息も絶え絶えに読経を終え、師匠に必ずしろと厳命された、挨拶を兼ねた短い法話をした。何を話したかは、全く覚えていない。

 お勤めをすべて終えると、主人は正座して両手をつき、何食わぬ顔で(気圧(けお)されている者には、そう見えるのだ)、

 「和尚さん、ご丁重な読経をいただき、誠にありがとうございました」

 ヤクザ映画で見たような、堂々たる言上であった。

 それから直ちに、かねて準備の御膳が運ばれてきて、忽ちのうちに御斎(おとき)(法要後の宴席)になった。実は、ここからが問題だったのである。

 「いやあ、ありがとうございました。緊張したでしょ。顔、青かったよ」

 などと言いながら、始まりの挨拶を施主がした直後から、お参りの人たちが次から次へと、酒のお酌に来るのである。

 「もう、今日、仕事ないでしょ。ほら、ぐっと、ぐっと」

 「いや、僕、そんなに飲めないんで…」

 これは本当である。私は完全な下戸ではないが、非常にアルコールに弱い。ビール一杯で顔が赤くなってしまう。

 「な~に言ってるの、あの住職の弟子が飲めないわけがない」

 私はこの時初めて、容易ならざる事態に立ち至ったことを悟った。飲めないと言っても、誰も信じないのである。師匠は話していないのか!!

 開始後10分も経たないうちに、私は明らかに危険な状態になった。避難しないとヤバい。

 「すみません、ちょっとトイレに…」

 話によると、自分で立って、歩いてトイレに行った、らしい。が、その後の記憶がまるで無い。

 気がつくと日もすっかり暮れて、私は寺の座敷の蒲団の上だった。頭がグラグラして、体中が重い。

 「しまった…!」

 そう思っても、もう遅い。こうなるくらいなら、多少不興を買っても、断然酒は断るべきだった…と、先に立たない後悔をしていると、がらっと襖が開いた。

 「お前、檀家が3人で運んで来たぞ」

 師匠が笑いを噛み殺している。

 「連中、えらく恐縮していてな。本当にすみません、でも、本当にそんなに飲ませてないんですって、『本当に』を繰り返して、何度も頭を下げていたぜ」

 「すみません…」

 「まあ、これで檀家にお前の酒のレベルは知れ渡るから、今後は大丈夫だな、あははは」

 半分はアンタのせいだと内心思ったが、失態は失態である。恐縮していると、

 「ほら、忘れてきたろ、コレ」

 師匠は「御布施」と上書きされている熨斗(のし)袋を差し出した。

 「え? 僕に?」

 「檀家が一緒に持って来た。お前がお経を読んだんだろ、受け取れ。今日はこのまま休め」

 師匠が襖を閉めた後、私はしばらく熨斗袋を眺めていた。

 「御布施かあ…」

 ふと正気になって、あらためて「御布施」の字を見て、私はそれを開けてみた。

 「5万円!」

 40年近く前のことであるが、私は、この時の衝撃を今も鮮明に覚えている。

 修行歴2年の、文字通りの若僧である。それが正味30分の読経である。しかも途中で気絶したとは言え、いわゆる「アゴ、アシ」付きの「仕事」である。それで5万円!

  その2年前まで月給13、4万円で、私は働いていたのだ。それが30分で5万円。私は恐怖に近い感情に襲われた。

 「これは、危ない」

 自分のしていることを、ただの「金儲け」、ただの「生業」と考えたら、確実に道を誤る。およそ世の中、危ない仕事以外で、30分で5万円、払うだろうか。

 私は今でも、御布施をいただく時、心のどこかに、薄っすらと(もう、薄っすらになってしまったが)怖れとためらいがある。そして今思えば、師匠は私がそう思うようになるだろうと思い、いや、そう思わせようとして、わざと大きな法事に行かせたのではないか。

 師匠はある日、私に言った。

 「お前、坊さんなんだから、何でもいいから、一つくらいはタダでやれ」

 当時、師匠は近所の子供たちにタダで書道を教えていた。私はその後、師匠の言うことだからと思い、希望する人との面談は、一切タダですることにした。

 これまた、今にして思う。師匠は、坊さんとお金の関わりに無神経、無自覚になるなと、私に教えたかったのではないかと。

 世上、宗教と金が一緒の話題になって、よいことはまず無い。そして、釈尊の昔、修行僧は金に触れることを禁じられていた。

 それを思い、かれを思う時、私は自分の経験と師匠の教えをこれからも大切にしようと肝に銘じる、まさに「今日この頃」である。

*次回は、2023年1月9日更新予定です。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

南直哉

みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。

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