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土俗のグルメ

2023年2月10日 土俗のグルメ

第3回 「ライスハック」という極意

著者: マキタスポーツ

 この記事にたどり着いてしまったあなたは、少々変だと思う。この「考える人」においてグルメ関連の連載ならば、あのエリックサウスの稲田俊輔氏がいるのだし、小山田浩子さんの「小さい午餐」という素晴らしい食エッセイもある。わざわざ私の連載を読むのであれば、「活字悪食」であることを自覚していただき、覚悟を持って、且つ、油断しながら読んでほしい。

 そう警戒するのには理由がある。私には食べ物に関する独自の行儀があるからだ。それを「え!?」とどん引きされることが怖い。しかし、すでにそれなりの字数を使っている。それでもまだ読んでみようと思ってくれたあなたはもう仲間だ。そう勝手に断定する。

五箇条の「ライスハック」

 あなたはきっと食べ物、あるいは食べることに意識的なはず。しかし、斯様な食癖が、この世界に存在していることまでは知らないのではないだろうか。

1. 汁の再生

2.鍋の先発完投

3.閃き丼

4.薬味芸

5.「空腹」を愛でる

 これは私が普段行なっている“食事術”。第2回でも触れた「ライスハック」である。一つずつ説明していこう。

“汁”への偏愛

 まず1.「汁の再生」。食事をすると、どうしても“余り汁”が出る。例えばぶり大根、またはニラレバ炒めなどのアレ。この余汁(よじゅう)をタッパーに取っておいて、冷蔵庫に保管→翌日以降利用する。アレンジは自由。雑炊の“原資”にしても良いし、うどんのお出汁に再利用も良いだろう。

 まだ結婚する前、半同棲のような状態だった当時のカノジョは、冷蔵庫に大事にしまわれていた謎のタッパーを見て首を傾げていた。その後結婚、妻となったカノジョは一気にその疑問を解消しようと私に迫ってきた。

 曰く「この得体の知れない汁はなんだ?」と。私が口ごもっていると、さらに勢いづき「気持ち悪いから捨てろ」と、にべもなく言う。こうなると“聖戦”だ。私の大事にしているものを「価値なし」と判断した罪は重い。徹底抗戦し、その陣地だけは守った(その代わり他の陣地は相当奪われた)。

 意地汚いと思うだろうか。しかし待ってほしい。古着のコーデがアリで、なぜ料理のお古はNGなのだ。アンティークの家具を、最新の家電と組み合わせて共存させるインテリア観がOKなら、余汁を使いまわして悪いことはないだろう。

 人は“汁(知る)を知らない”―。

 汁中心史観論者の私からすれば、世間の汁に対するスタンスは極めて冒涜的だ。人体のほとんどは水という“汁”で出来ているのだし、地球の7割は海という“汁”だ。人類の経済活動の痕跡が地球の表面を覆い尽くした年代を「人新世」というならば、人類の汁活動の痕跡を全てと考えるのが「汁新世」だ。自分でも何を言っているのかわからないが、とにかく余った美味しい汁を粗末に捨てるなんて勿体無いことをするなと言うのである。

先発完投型のフライパン

 次に2.「鍋の先発完投」。卵焼きを作る、あるいは肉を炒める。その後皆は、そのフライパンを洗ってから次の料理を作り始めるだろうか? 私はそうしない。その汚れたままのフライパンを“居抜き”で使用する。前任のオーラ、言わば残像か、それをフィーチャリングするのである。コゲがこってり残っているものはさすがに除外するが、案外良きコラボ感が出たり、洗い物が楽になったりする。

 ちなみに私が家庭で使っているのはテフロン加工ではない、鉄パン(鉄製のフライパン)。銅パンもいいが、そんな上等なものじゃなく、鉄パンを育てていくことをお勧めしたい。テフロン加工は技術いらずの効率的な道具ではあるが、もう完成していて手の加えようはないし、癖が出にくい。その点、鉄パンは個性というか、使う人ならではの癖が出て、世界に二つと無い物になりやすい。最近の俳優の顔と、昔の俳優の顔ぐらい違う。

 清潔に保つには、使い終わりの手入れが大事である。洗剤は使わず、焦げは熱を入れ、こそぎ落とし、また熱入れしたら、最後に油入れだ。これを何回かに一度やればいい。それ以外は専用のタワシなどでゴシゴシやる程度でいい。とにかく、フライパンはエイジングするに限る。

俺は冷蔵庫DJ

 3.の「閃き丼」は、「背徳感」が重要。

 専業主婦の妻は家にいないことが滅多にない。そんな妻が不在の隙に、狙ったわけでもなく、本当に一瞬の閃きでやったことが功を奏した―そんなデタラメでジャンクな丼のことだ。

 年齢のこともあり、食事のことは何かと心配されている。それはそれで大変ありがたいことである。でも、家庭生活を安定的に運ぶためには、時には“平和な悪事”も必要。その快楽は確実に存在する。別に不倫をするわけでもなし、やっていることは小さなチープスリル。

 先日敢行したのはミートボール丼。子供の弁当用として置いてあったレトルトのミートボールを炊きたての飯に載せ、上から生卵を割りそのままグチャグチャとさせながらヤったのだ。

 閃く直前までは違うことを考えていた。とりあえず飯だけは炊いていて、「目玉焼きとスパムを焼いて載っけて食うか」ぐらいに思っていたところ、冷蔵庫を開けて、目に飛び込んできたのがそのブツで、「ん? これは?」と思いつき、一気呵成にそちらへと舵を切った。そのテンポ感も大事。でないと、大事な何かが天使のように消えていなくなってしまうような気がするからだ。

 かつて、同じ要領でサラダの残りと、ツナマヨを丼にして大成功したこともあった。「スパゲティ丼」「飯釜になめ茸ぶっ込み丼」が最高だったこともある。その時の私はまるで初期のヒップホップDJ。私というフロアが一気に淫らにヒートする。いっそ「冷蔵庫を開いてからある物で決める」というルールで競技化しても良さそう。

 さらに、その後、証拠は隠滅。完全犯罪を達成した知能犯のような自分に酔いしれた。

窮地を救う名バイプレイヤー

 4.薬味は「芸」。

 肉でも魚でも、味噌汁でも、ソーメンでもなんでも薬味セットさえあれば、メインを引き立てつつ、時短にもなり、気分良く食事が出来る。ネギ、大葉、カイワレ、青唐辛子、パクチー、みつば、なんだっていい。

 あらかじめ切ったり、刻んだりしておき、それを「コンテナ」に全部一緒に入れておく。その時の私は、名バイプレイヤーしかいない芸能事務所の社長気分だし、一生金に困ることはないマネーマシンを作ったような気分でもある。

 薬味は窮地だって救う。出先で用意されたものが口に合わない時、保冷バッグに入れておいたコレで何度も命拾いをした。

 「芸」は身を助くと言う。「政治」や「経済」が世間に欠かすことが出来ないメイン料理なら、薬味は「芸」だ。無くてもいいけど、無きゃこんなつまらないことはない。

「飢え」の祝祭化

 最後は5.「空腹」を愛でる。

 この連載の初回でも述べたことであるが、大事なことだからあらためて書く。

 “飢餓感の無い食事”は悪手だ。普通は「行い」があって「食事」があると考えるだろう。だが私の場合、全ての行動は食事のため。「空腹」という“歓喜の瞬間”を正しく迎えるように準備する。メシが大好きな私にとって「満腹」は最悪なのだ。だってそれ以上メシが食べられないのだから…。

 皆にもそれを勧めたい。現代はあらゆるものが満ち溢れている時代だ。この時代を擬人化すれば“ぶくぶくに太り、なおも「退屈〜なんか面白いことない?」とか言ってる某々”。はたして、それでいいのだろうか?   

 「飢え」を祝祭化するのである。その瞬間をしかと捉え、内在化させ、エンターテインさせる。そして、使い切り、残さず最後までいただき切る。満腹は哀しみであり、空腹はもはや娯楽なのだ。全てのエンタメに「空腹」という概念は適用出来る。

 以上、これらを私はライフハックならぬ「ライスハック」と呼ぶ。1.2.4.あたりは家事の持続可能な開発目標にもなるだろう。SDGsというより“メシDGs”だ。

 どうだろうか、ここまで読み切ったあなたはやっぱり変だ。でも、確実に友だちだとは思う。内容をハッキングされないようにされたし。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

マキタスポーツ

1970年生まれ。山梨県出身。芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家など、他に類型のないエンターテインメントを追求し、芸人の枠を超えた活動を行う。俳優として、映画『苦役列車』で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞をダブル受賞。著書に『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)、『すべてのJ-POPはパクリである』(扶桑社文庫)、『越境芸人』(東京ニュース通信社)など。近刊に自伝的小説『雌伏三十年』(文藝春秋)がある。

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