シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

お坊さんらしく、ない。

2023年3月13日 お坊さんらしく、ない。

二十三、「自己カルト」だったのかもしれない。

著者: 南直哉

 大学に入ってまもなく(GW明けくらいからだろう)、私は大学にほとんどいかなくなった。今を去ること40年以上前の話である。

 毎日のスケジュールは、忘れもしない。あれほど繰り返せば忘れようもない。

 10時過ぎに起きて、ロールパンかパンの耳を食べて、日替わりで道元禅師の『正法眼蔵』とハイデガーの『存在と時間』を、午後4時くらいまで読んでいた。

 それから開店したての銭湯に行き、いつも必ず一番に来るヤカン頭の爺さん(少しでも水を足そうとすると「うめるんじゃねェ」と怒る)に気を遣いながら、湯舟の隅につかり、頭に上った血を下す。

 入浴後は晩飯である。商店街にある和洋中の食べ物屋を順番に回りながら、メニューの上や右から、書いてあるとおりに注文した(何を食べるか考えるのが苦痛だったから。自炊はまったくしなかった)。

 アパートに帰ればおよそ午後6時。それからは、哲学・思想関係の書物を乱読しながら、明け方くらいまで止めどない妄想に沈み、それを時々メモに毛が生えた程度の文章にしていた。

 外が明るくなる頃には、頭が痺れて来て思考が続かなくなり、合わせて夜中にハイになって書いた文章のロクでも無さに毎度失望して、敷きっぱなしの蒲団で寝た。

 こういう日を繰り返していたのだから、今で言えば、ほぼ定義通りの「ひきこもり」だろう。ただ、本人としては、「しなければならないこと」、あるいは「せずにはいられないこと」をしていたら、結果的に「ひきこもり」的生活になっていた、ということである。

 今般、思いもかけず明らかになったのは、この「大学不登校」生活が、親にバレていて、なおかつ、当時の近隣住民に怪しまれていた事実である。これにはビックリした。

 それというのも、当時私は髪が伸びると、手持ちのハサミで適当に切っていて、これまた結果的に、いわゆるオカッパ頭のようになっていた(とても「マッシュルームカット」などと言えた代物ではない)。床屋に行く金と時間が惜しかったのである。

 そのうち夏になって、とにかく暑いし、自分で切るのも面倒になったので、私は一念発起、床屋で頭をまるごと剃った。念を押すが、この時の「剃髪」は、ただの効率の問題に過ぎない。

 ところが、その直後、まったく音信不通の息子を心配した母親に頼まれて、叔母がアパートに様子を見に来た。この叔母が、私の「頭髪事情」を曲解した。

 「ナオちゃんがおかしくなった。頭を剃って裸で暮らしている!」

 当時の東京も7、8月は猛暑だ!四畳半にはクーラーは無論、扇風機も無かったのだ!高い本の衝動買いをするのに、アルバイトが嫌いで、金が無かったからだ!暑さのピーク、昼下がりに窓を開け、上半身裸でいて何が悪い!!全裸で外を徘徊していたわけではない!!

 報告を聞いた両親は、狼狽気味に急遽上京してきた。

 「アンタ、一体なにやってるの!?」

 「大学には行ってる!」

 私はこの「行ってる」を呪文のごとく繰り返し強弁して、両親の不審を撃退したのだが、実は撃退になっていなかった。彼らは階下の大家に「ご挨拶」と称して、聞き込みに行っていたのだ。

 つい先ごろ、何気なく昔話をしていた時に明らかになったのが、この聞き込みである。

 「大学にほとんど行ってないの、どうして知ってたの?」

 「下の大家さんが言ってた。アナタのところの息子さん、ほとんど部屋から出て来ないって。いつも裸で窓際にいて、ご近所の人も、不思議がってるって。あれで本当に学生なのかって。あんた、完全に『怪しい人』扱いだったわよ」

 しかし、あの時、この件で両親は私に何も言わなかった。

 「どうして、言わなかったの?」

 「お父さんが、何か言って(こじ)れるとマズい、言って拗れるより、言わなくて拗れる方が、オレ達もアイツもダメージは少ない、って」

 結果的に拗れた息子に関して、時折彼が見せた、見事な判断の一例である。

 今思うに、当時の私は、たとえば「思想マニア」だったわけではない。

 「マニア」ならば、興味のある物や情報の収集が楽しいだろう。「同好の士」もできるだろう。が、私はそうではなかった。「せずにいられない」ことをしている者に「楽しむ」余裕は無いし、あの作業に「仲間」は要らない。

 では、「思想依存症」「思想中毒」だったのか。しかし、「依存症」や「中毒」は、その対象が普通、物品や具体的な行為をともなうものである。もし、「思想依存症」「思想中毒」が存在するなら、それはむしろ、「カルト」と呼ぶのに近いのではないか?

 ただ、「カルト」なら、それは組織や集団の存在が前提である。

 特定の指導者の教義やアイデアによって組織された集団が、個人を「信者」に仕立て、思いどおりコントロールする。「信者」はその指導者やアイデアに忠誠を尽くし、その代償として、自身の内部に巣食う「不安」や「恐怖」を、とりあえず棚上げする(しかし、それらが解消されることは決して無いし、解消させない。いつまでも金品や労力を搾取するためだ)。大まかに言えば、そういうことであろう。

 私はあらゆる組織や集団と無縁だったから、もちろん「カルト信者」には該当しない。

 ただ、考えたいことを考え続けているうちに、ほぼ完全に孤立して、他人からは「不審者」と目されていたことは事実である。

 仮に当時、自分のこの状態を、他人から忠告されても批判されても、まったく受け付けなかったろう。本人は「しなければならない」「せずにいられない」「大事なこと」をしているつもりだったからである。だから、父親は「何か言って拗れるとマズい」という「好判断」を下したのだ。

 すると、この状態は少しく「カルト的」と言えないか?

 「カルト信者」は、同じ信者以外の人間関係がほぼ切れる。他人の忠告や批判には耳を貸さない。結局周囲から「怪しげな集団」と見られるだろう。

 もし、集団とは無縁のまま、ある特定のアイデアを持つ個人が、他人に耳を貸さないまま孤立して、周りから「怪しい人」と思われても、自分は「おかしくも異常でもない」と思い込んでいたら、それは言わば「自己カルト」ではないだろうか。

 私は当時「『正法眼蔵』に取り組んでいた」のだが、他人から見れば「『正法眼蔵』に囚われていた、依存していた、中毒していた」のかもしれない。その結果、親が懸念して上京し、ご近所に随分と怪しまれ、学生時代一人の友人もできないまま、最終的には出家した、となれば、軽度の「カルト」状態と言えなくもない。

 私は、昨今、この「自己カルト」的状態の人が増えているような気がして仕方がない。

 それがSNSの浸透と比例しているのではないかと思うのは、世間から言わせればかなり特異で、ほとんど異常なアイデアでも、SNSでのみ情報を集めれば、異論をすべて排除して、自分を支持する考えだけに閉じこもることは可能だからである。

 この「カルト」状態は、それ自体は大して問題ではない。ただ、「自分は正しい」と思い込んでいる限り修正が効かず、周囲からの孤立が深まる傾向がある。それが問題だと、私は思うのだ。

 他の「孤立」問題は、当事者が困っていたり苦しんでいたりするなら、他人が近づいて援助することもできるだろう。が、「正しい人」は困っていない。少なくとも困っている自覚がない。したがって、周囲の者は困惑するが、手の出しようがない。

 「正しい人」の孤立がさらに深まると、周囲の態度は彼に対する困惑から敬遠、あるいは嫌悪に変わる。すると、それに応じて「正しい人」の孤立は、次第に周囲への「敵意」を生み出していく可能性がある。

 最近世上で「孤独」問題が論じられたりするが、この「自己カルト」的な孤立問題も、今は広がりが小さいかもしれないが、深刻度は既に高いだろう。

 そうならないためには、「自分が正しい」という信念を疑う習慣を持つことが大事である。が、それは個人にとって、「正しい」答えを出すよりはるかに難しい。

 だから修行するんだと、仏教は言っていると、私は「我田引水」したいと思うが、これもカルトと言われてしまうかな。

 

※次回は、4月10日月曜日更新の予定です。

この記事をシェアする

ランキング

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

南直哉

みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。

連載一覧

著者の本


ランキング

イベント

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら