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住職はシングルファザー!

2024年4月19日 住職はシングルファザー!

21.「除夜の鐘」を生配信――コロナ禍で仏教ができること

著者: 池口龍法

28歳で結婚。2児の父となったお寺の住職が、いろいろあって離婚。シングルファザーとしての生活が始まった。読経はお手のものだが、料理の腕はからっきし。お釈迦さまも、オネショの処理までは教えてくれない。かくして子育ての不安は募るばかり……。一体どうやって住職と父親を両立すればいいのか!? 「浄土系アイドル」「ドローン仏」などが話題の、京都・龍岸寺の住職によるシングルファザー奮闘記!

除夜の鐘に復帰

 そして、コロナ禍のなかで迎えた初めての年末。

 2020年12月31日、大晦日の除夜の鐘。

 シングルファザーになって以降も、可能な範囲で浄土宗の総本山である知恩院に奉職してきたことはすでに書いた。

 京都の東山にある知恩院の名所のひとつが大鐘で、日本三大梵鐘のひとつに数えられる。直径2.8メートル、重さ70トンもあり、僧侶17人が力を合わせて撞く。大迫力の光景を一目見て新しい年を迎えようと願い、毎年何万人もの参拝客が訪れる。師走の京都の風物詩である。

 逆に言えば、知恩院のお坊さんたちは、大晦日まで休めない。京都は盆地で冬は底冷えがする。同じ近畿でも大阪や兵庫の都市部では積もるほどの雪は珍しいが、京都は年に何度か雪景色になる。運悪く大晦日に積もり、朝から作業着で雪かきをし、参拝者の安全を確保するところから、長くて寒い一日が始まった年もあった。

 除夜の鐘を撞き始めるのは夜10時40分頃。百八打するのはおよそ2時間がかかる。それでも撞き手はまだいい。身体を動かしているから寒くないし、一打ごとに新年が近づいていく昂揚感もある。しかし、警備を担当する役に就くと、撞き手が鐘楼に到着するよりもずっと前から、参拝者の安全に配慮し続けることになる。その間、たいして身体を動かすこともないから、身体はすみずみまでじわーっと冷え切っていく。鐘撞きが終わるのが深夜0時30分頃、そこから撤収作業を行うから、帰路に就けるのは午前2時頃になる。

 年功序列の厳しいお寺のなかでは、こういう過酷な仏事はどうしても若手僧侶が中心を担う。奉職したての20代半ばぐらいの頃は、「たまには年末ゆっくりしたいです」なんてとても言えない空気があり、10年ほどは毎年大晦日に出仕した。

 しかし、シングルファザーとなれば話は別である。幼い子供2人を置いて私が出かけることを、いくら総本山でも強要するわけにはいかない。「できればお手伝いしたいんですけど子供が小さくて…」なんて申し訳なさを装いながら、出仕を辞退するようになった。龍岸寺には鐘楼はないので、ゆっくり年越しそばを食べてテレビをつけてまったり特番を見るのが、離婚して以降の大晦日になっていた。

 ただ、この年の除夜の鐘は、前年までとはまるで事情が違った。数万人の参詣者が詰めかけて「密」になるのは絶対に避けるべきだったから、無参拝で行うことを早々に決めた。警備や誘導への人員配置が必要ないから、例年どおり鐘を撞くだけならまったく楽にできた。

 しかし、世の中は、例年よりもはるかに新しい年への希望を求めていた。新型コロナウィルスとの戦いがどうか終息してほしいと願っていた。せめてPCやスマホの画面越しにでも鐘の音を届けるべきだという声が、大晦日が近づくにつれ強くなっていった。

 でも、にわかに除夜の鐘のライブ配信をしたいと願っても、総本山においてさえそのための機材もなければ、技術もない。機材に関しては、予算建てしたところでコロナ禍になって以降ずっと品薄で、手に入れることが極めて難しかった。

 私に白羽の矢が立てられた。

「機材を貸してくれないか」と。そして、「そろそろ除夜の鐘、出仕できるやろ」と。

 すでに離婚から3年が経ち、長女が小学5年生、長男が小学3年生。留守をスタッフに任せて、私が深夜まで知恩院に詰めるのもさほど不安ではなくなっていた。

 「しゃあないなぁ」と多少もったいぶりつつ、ライブ配信への協力を約束した。シングルファザー住職になって以降、私は百パーセントから程遠い力でしか仕事ができず周囲に迷惑をかけている申し訳なさを抱えていたから、必要としてもらえたことでずいぶん気が晴れた。

 だが、約束したのはいいものの、底知れぬプレッシャーに押しつぶされそうだった。コロナ禍になる少し前からお寺の行事のライブ配信をしてきた経験はあった。でも、知恩院の除夜の鐘のライブ配信は、まるで規模感が異なる。使用するカメラの台数もはるかに多く、広い境内にLANケーブルを配線するのも楽ではない。

 成功すれば、お参りを断念された方もご自宅で除夜の鐘を聴いて新しい年を気持ちよく迎えてくれるだろうし、他のお寺でも行事をライブ配信しようとする機運が高まるだろう。でも、失敗したらどうなるか。「お坊さんが背伸びしてライブ配信なんてするから…」と失笑されるかもしれない。私だけでなく、宗派全体が恥をかくかもしれない。

 冷静に考えれば、私だってライブ配信の専門家ではないから、身に余る大役である。でも、約束した以上は、せいぜいこの機会に学べるかぎり学び、あとはシングルファザー生活で培った度胸でぶち当たるしかない。

 迎えた当日。鐘楼内にお坊さんは大勢集まったが、ライブ配信の知識があるのは私だけ。緊張している様子を見せても誰も助けてくれないので、平静を装って配信席に着いた。

 予想されたとおり、鐘の音を聞いて一年を終えたい人は多かった。常に数千人が視聴し、日付が変わる頃には同時視聴者数が1万人を超えた。海外からのアクセスもあり、YouTubeのスーパーチャット機能で、世界各地の通貨での投げ銭がお賽銭のごとく寄せられた。大成功だった。

伸びなかった登録者数

 しかし、シングルファザー住職に果たしえたサクセスストーリーは、せいぜいこれぐらいである。

 法要を庭先でやってみたり、除夜の鐘のライブ配信を実現させてみせたりと、苦境を瞬発力と胆力で切り拓く曲芸は得意になったが、曲芸が求められたのは世間が正気を失っていたコロナ禍の初年ぐらいだった。翌年になれば、ワクチン接種が進み重症化しにくい病気になったから、ピリピリした空気はずいぶん薄らぎ、それとともに私が救世主のごとく頼られることはなくなった。

 それでも、開設したYouTubeチャンネルは、できるかぎり更新を続けていた。お寺から動画を届けることで、まだまだ重たい空気を浄化したいと願ったからだった。また、長男に仏教の教えを学ばせるためとか、うまく話す練習のためとかの目的もあった。しかしなにより大きかったのは、長男と一緒にカメラに向かう時間は楽しかったことだ。

 毎週日曜日は早めに食事を済ませて、洗い物は放ったらかして機材のセッティングにかかり、カメラの前に向かう。夜8時になると、ライブ配信開始のボタンを押し、「今週の終わりの会」という番組タイトルをコールする。

 皆さんが小学生の頃は、毎日下校前に「終わりの会」が開かれていなかっただろうか。正しく生活していれば問題ないのだが、うっかりすると、「池口君が掃除をサボってました」「悪口を言ってきました」と先生にチクられたりする嫌な公開裁判である。長男に聞くとやはり「終わりの会」は開かれているという。

 先生に怒られるのは嬉しくないが、怒られると禊が済むから気持ちはすっきりする。謝罪する場があるのもありがたい。社会人になると、業務日報をつけて一日の仕事内容を報告することはあっても、人として正しく生きられているかどうかを省みる機会がない。週末も暗い気持ちを引きずって、そのまま翌週を迎えてしまう人もきっといるだろう。

 だから、小学生のときの初心を取り戻し、自分自身に向き合う「終わりの会」を、お寺の本堂から届けようというのが、「今週の終わりの会」のコンセプトであった。

 まずは、私たち親子が我が身を省みて悔い改める。あまりに堅苦しい内容になってもつまらないので、私が長男の恥ずかしい過ちを冗談まじりに暴露する。うまくいけば長男の困惑ぶりに盛り上がるが、うっかり度が過ぎると泣きじゃくって配信が大荒れになる。他にも、お寺の本堂からお経を届けたり、雑談に興じたりと、1年半ほどにわたって配信を重ねていった。

 すると、お寺の本堂からの配信への需要は高く、ぐんぐんファンは増えていった―などと書ければよかったのだが、現実は厳しかった。配信の同時視聴者数は10人程度、チャンネル登録者数はせいぜい三桁どまり。

 素人がにわかに始めたチャンネルとしては上出来かもしれない。長男にとっては、カメラの向こう側に10人程度が見ていてくれるのは、大きな刺激だったと思う。しかし、知恩院の除夜の鐘は、同時視聴者数1万人を超える配信―日本のお寺を代表する風物詩的な行事と比較するのもおこがましいが―に比べれば、まったく手ごたえがない。

 「コロナ禍×仏教」という完璧なジャンルで仕掛けているはずなのに、私たち親子が届けているコンテンツは視聴者に刺さらず、決して人気を誇れるほどの数字を獲得できていない。

 「コロナ禍のいまこそお坊さんが」という私なりの使命感で、カメラに向かっていたつもりだった。でも、視聴者は心に刺さらないものは見ない。忙しすぎるせいで日常生活はとにかく無駄を省く引き算の発想で過ごしているせいで、クリエイティブな気持ちに蓋をしているから、配信のときも脳が凝り固まったままである。

 実際、私たち親子の配信は、毎週決まった時間がくればカメラの前に座るが、ほとんど準備をしていない。BGMもないままに、親子がだらだら話すだけ。顔も疲れているし、トークにも覇気がない。いくら仏教が求められるタイムリーな状況であっても、人気コンテンツとして評価されるほど、YouTubeの世界は甘くない。

 おそらく、チャンネル登録者数が何万人もいるカリスマYouTuberは、私たちと違って、カメラの回っていないところでも並々ならぬ労力を費やしている。努力なくして成功はしない。そのことを体感できただけでも、親子ともども大きな収穫だったのかもしれない。

 

*次回は、5月3日金曜日更新の予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

池口龍法

僧侶。浄土宗・龍岸寺住職。2児の父。1980年兵庫県生まれ。京都大学卒業後、浄土宗総本山知恩院に奉職。2009年、フリーマガジン「フリースタイルな僧侶たち」を創刊。2014年より現職。念仏フェス「超十夜祭」や浄土系アイドル「てら*ぱるむす」運営などに携わる。著書に『お寺に行こう!  坊主が選んだ「寺」の処方箋』が、共著に『ともに生きる仏教 お寺の社会活動最前線』がある。『スター坊主めくり 僧侶31人による仏教法語集』の監修もつとめる。Twitter: @senrenja

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