「今、緊急で動画を回しています」とは、動画配信者が、急ぎのお知らせをするときとか、何か事件が勃発したときに使う言い回しだが、私は今、まさにそんな気持ちでこの原稿を書いている。わが家の「義父母の介護」が大きな節目を迎えているからだ。私は自分の人生に何かに大きな動きがあると、それが深刻なことでもハッピーなことでも多少ニヤついてしまうクセがあるのだが、今も若干ニヤついている。
まず、ここ数週間で起きた事件を挙げてみよう。
1) 義母、転倒し、右手首を骨折。
2) 義父、庭で転倒し、そのままの姿で近隣住民に発見される。
3) 義父、介護度が上がる(要介護1)。
4) いよいよその時が来たと悟った私、介護施設のコンサルタント会社を訪問する。
書いているだけで軽く疲労したが、ここ数週間で慌ただしく上記のようなことがわが家には起きていた。継続的に読んで下さっている方は記憶にあるかもしれないが、義母はここ半年で怪我が続いている。顔を何針も縫い、腰の骨を圧迫骨折し、そして今回は右手首の骨折だ。すべて転倒が原因で、足腰が徐々に弱りつつあるのは明らか。週に五日デイサービスに通い(朝9時から夕方18時まで)、訪問看護師さんが週に二度、ヘルパーさんも毎朝訪問してくれている。それでも怪我をしてしまう。デイサービスの穴を埋めるべく、家族が週末に通ったとしても、防ぐことは不可能だろう。在宅介護が限界を迎えていることは明らかだ。義母の安全を考慮して、ケアマネさんと私は本格的に義母のこれからを考えはじめていた。つまり、義母を高齢者住宅、あるいは老人ホームに転居させる計画だ。しかし、そこには義父の説得という難題が立ちはだかっていた。
次に、当の義父だ。認知症の症状は顕著ではないものの、年齢なりのもの忘れや勘違い、不穏な言動が増えてきた。特に、精神的な不安定さが目立ち、それは家族が気づくだけではなく、介護従事者からも報告が上がるほどだった。泣きながら「帰らないで」と言われたという証言が増えてきた。義父は一切気づいていないかもしれないが、住宅内で一対一の介護をしている際に、利用者から涙ながらに帰らないでと言われて戸惑わない介護従事者は少ないのではないだろうか。私だったら走って逃げる。そんなこんなで、「義父にも手厚い介護が必要だ(メンタル面のケア含め)」と、私とケアマネさんは話しあった。ケアマネさんは「お義父様も限界なんです。介護施設に入居すれば、二十四時間態勢で職員がいるし、他の利用者さんもいる。寂しさはある程度解消されるのでは」と言うが、ソロ活動が最も好きな私には、義父の「他者にメンタル面のケアを求める」という姿勢が一切理解できないので、ケアマネさんの言う「お義父様も限界」という言葉が義父に対して優しすぎるのではなどと凶暴な思いを抱いたりもする。
私が最も懸念しているのは、義父の苛立ちや焦燥感が、すべて義母に対して発散されている現状だ。義父は、義母の行動のすべてをつぶさに見て、そしてそれを「おかしい」と指摘し、「なんでそんなことをするんだ?」と理由を尋ねる。それも強い口調で。私からすると、「病気がさせることで、義母は悪くない」というのが理由のすべてなのだが、義父は義母の疾患ならではの行動をとにかく一つ一つ拾い上げ、怒りをぶつける。私がいくら「認知症ですから」と言っても、もうダメだ。もう無理。この、地味だがじわじわとダメージを与えるであろう義母への攻撃は終わることはない。だからこそ、ケアマネさんの言う「ご夫婦ふたりとも入居したほうがいい(ただし、介護度も必要性も違うので別の施設になるだろう)」という言葉は、私には理にかなっているように思える。
義父は先日の夕刻、庭で倒れていたところを近隣住民のみなさんに発見され、救助された。気温の高い時間に倒れ、誰も気づくことがなかったら、危ないところだったかもしれない。私が次男と共に実家に立ち寄ったとき、本当に偶然に、その救助の瞬間を目撃した。家のなかに誰もいないので急いで探したところ、庭で義父が倒れており、人だかりができていた。義父は意識が朦朧とした状態で、まったく動かず、次男と近所の人たちが必死になって義父を助け起こさなければならなかった。救急車を呼ぼうとすると、近所のA氏が「まずは冷やしたほうがええ!」と言い、私たちは義父の体温を下げるのに必死になった。しばらくすると義父はすっかり意識を取り戻し(本当に申し訳ないが、私は軽く疑っている。実は意識は完全に消失していなかったのではないか)、「息子は〇〇株式会社で働いており、ここにいる嫁は〇〇工務店で働いている」と、一個も正解していない自慢話を始めるほど元気になった。そして次男に頼み、お姫様抱っこをしてもらい(ギエッ!!)ベッドに運ばれ、そして次男の手を握りながら、涙ながらに様々なことを言っていた。私は義父のその姿を直視することができず、キッチンでうろうろしていた。
意識不明状態が演技だったとしても、義父が転倒したことは事実だ。ということで、私とケアマネさんは電話会議を開き、サービス内容の一部変更を行うことになった。そしてケアマネさんから「介護施設のマッチングをしてくれる会社があるんです。詳しいですよ。行ってみますか?」という言葉が初めて出た。具体的に動きましょうというGOサインのように思えた私は、早速、行ってみることにした。とにかく多くの情報を与えてくれ、今の義父母にはどのような施設が合っているのかを丁寧に教えてくれて、大満足だった。同行した夫も、そう感じていただろう。そしてその日以降、私たちは高齢者住宅や老人ホームなどの施設を精力的に見学していくことになる。
介護施設のマッチング会社を訪問した一週間後、義父母宅でサービス担当者会議が開催されることになった。義父母の介護に従事してくれている関係者が全員集まって、現状の確認や今後の課題を話し合う場だ。私も参加を要請されたために実家へと急いだ。ケアマネさん、訪問看護師さん、デイサービス職員、ヘルパー派遣会社の担当者が集まる和室に行った私が見たのは、座敷の上座に苦虫をかみつぶしたような表情でどっかりと座る義父だった。先日の意識消失からのお姫様抱っこ希望義父とは別人のようだった。ケアマネさんは視線を下げて資料を見ていた。他のメンバーも静まり返っていた。そこで義父がおもむろに口を開いた。
「夫婦は常に一緒にいるべきなので、お母さんのデイサービスの回数を減らしたい」
えーーーッ! 私も、私以外のメンバーも、唖然とした。これだけ怪我が重なっているのに、これだけ在宅介護がピンチなのに、この期に及んでまた減らすの? 介護施設への入所が決定するまで、どうにかして義母の安全を確保しようと全員一丸で動いているというのに、私はすっかり肩透かしを食らったような気分になった。義父はまだそこにこだわっているのか。手放してあげることも愛だと私は思うけどね。
私は義母だけでも入所させたいと義父を説得する気満々でいたし、ケアマネさんもきっとそれを折り込み済みで、施設入所のタイミングまでをどうにか繋いでいくようなプランを考えていただろう。しかし当の義父は、そんなことは想像すらしていない。在宅介護をこの先も続けるつもりで、そのうえ、デイサービスの回数を減らそうとしている。まさか目の前の私が、もうすでにグループホームやサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)、特養(特別養護老人ホーム)の見学を超精力的に行ってますよ〜という状態だということなど、想像もできていないのだ!
さて、すでに私は義母のための施設の目星までつけている。それはケアマネさんにも伝えてある。マッチング会社の担当者にも伝えた。夫とも話しあい済みだ。とてもきれいで落ち着いた場所で、職員さんも素敵だった。義母にはぴったりの場所だし、部屋の空きもある。しかし、義父にはそれを言い出すことができていない。夫も、激高せずに説得する自信がないそうだ。そんなこんなで、時間だけが過ぎていく。
どれだけ騒がれても、泣かれても、説得をするしかないのだろう。正面切ってぶつかっていくしかないみたいだ。義父には気の毒なことだとは思うが、義母が安全に暮らすためには、そうするしかない。
老いるって本当に大変だ。自分の老後ばかり考えてしまう毎日で、暑さもあってげっそりしてきた。しかしわが家の義父母の介護もラストスパート。最後まで走り抜きたい。
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村井理子
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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- 村井理子
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むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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