先日、泊まりがけの出張があり、東京に滞在していた。息子たちはすでに19歳で手がかからなくなっているので心配はないが、子育てが終わったと思ったら急に始まるのが高齢者介護だというのは、もう誰もが(40代から50代のみなさんは特に)知っている。わが家の場合は、義父、義母ともに介護が必要で、在宅介護中(すでに六年目に突入)。義父は週に二日、義母は週に五日、時には六日、デイサービスに通っているうえに、ヘルパーさん、訪問看護師さんによる支援も受けている。ケアマネさんが完璧なまでに組み上げてくれた介護スケジュールで、これがうまく回れば(たまにはハプニングが起きようとも)、在宅介護は順調だと言える。しかし、なぜか私が出張に出ると、必ずと言っていいほど緊急事態発生を知らせるケータイが鳴る。
今回はちょうど、東京駅に到着した時だった。留守は夫に任せてあるはずなのだが、なぜかいつもこうなるねとどんよりとした気持ちになった。新幹線を降りつつ改めて確認すると、訪問看護師さんからの連絡だ。申し訳ないとは思いつつ、とりあえず編集者と会う約束をしている場所に急いだ。というのも、時間が押していた。とある作家と某社で対談をする予定だったのだ。留守番電話が録音された様子がわかったので、東京駅の地下道を歩きながら聞いてみる。
「今日、訪問日だったのですが、お父さまがいらっしゃいません。鍵がかかってでかけておられるようで、今日の午前中に訪問予定だったヘルパーからもメモが残されています。お出かけ中だったらいいのですが、ご家族の方は付き添われているのでしょうか?」というものだった。「あーっ!」と声が出そうになった。今日は夫が実家に滞在しているはず。急いで夫に連絡を入れるが、夫はめったにケータイに出ない男だ。100回鳴らして1回出れば幸運である。急いでメッセージを打った。「今日、ヘルパーさんと訪看さんが来る日だけど、もしかして外に出てる?」 するとしばらくして、「外でカツ丼食ってる」と連絡が入った。カツ丼か……それは仕方があるまい……
私はすぐに訪問看護師さんにメールを打った。「申し訳ありません。義父は無事です。今日は夫が付き添って外食に出てしまったようです。今後、直前のキャンセルが発生しないよう気をつけます」 訪問看護師さんからはすぐに「気にしないで」という内容のメールが返ってきて、胸をなで下ろした。そして私は無事編集者に会い、そして対談の席へと向かったのだった……と、ここで話は終わらない。
東京から戻り、「お義父さん、どうだった?」と夫に聞くと、夫が暗い顔をして「めちゃくちゃ大変だった」と言う。何がどう大変だったのか説明するよう、若干ウキウキしながら聞くと、「親父、とんだクレーマーだよ」と言うではないか。ますますウッキウキしながら詳細を尋ねると、夫はうんざりした顔で話しはじめた。
とあるレストランに行き、カツ丼を注文してしばらくすると、夫のケータイにケアマネさんから連絡が入ったらしい。訪問看護師さんから「村井身柄確保!」の一報を受けたケアマネさんが、一応、夫に連絡を入れてくれたのだと推測する。ケアマネさんに、訪問の予定をうっかり忘れて義父を連れ出してしまったことを詫びようと、夫はケータイ片手に店を出た(相手がケアマネさんだと出るんですね)。そしてしばらく介護スケジュール、今後の予定などの話をして、店内に戻った。すると、関西一鈍感だと噂される夫でも気づくほど、店内の様子がおかしかったそうだ。従業員の女性が憮然とした表情をしており、義父がなにやら大きな声で言っていた。
夫が席に戻って義父の話している内容を聞くと、義父は従業員に対して、皿の洗い方が十分ではないとクレームを入れていた。この連載では何度か触れたことがあるが、義父は元調理師で、和食料理店の店長の経験がある。そんな理由もあって、他店のオペレーションや接客、ひいては皿の清潔感まで、ものすごく気にして、迷わずクレームを入れる(非常に煩わしい)。私が義父と外食したくない理由トップ1がそれ、トップ2が「話題が全然面白くない」、トップ3が「性格が暗い」である。ちなみに義父はスーパーマーケットへのクレームも頻繁で、私は以前彼を「クレーム・マイスター」と呼んでいた。
私は思わず夫に言った。「外に連れ出してあげたい気持ちはわかるけど、外食はもうやめなよ」
思い出してみてほしい。双子の息子たちが幼かったころ、とてもじゃないけれど外食なんてできなかった。一人が泣けば、一人は暴れ、大騒ぎする。私たちはあっという間にそれに懲りて、家で平和に食事をするようになった。誰の目を気にする必要もないからだ。外食を諦めたって、別にどうってことはないのだ。
「たまには連れ出してあげたいと思ってさ。でも俺、また親父にキレちゃったよ」と夫は残念そうに言っていた。「私だったら、そもそも連れ出さないもん。何か絶対に起きるから。お義母さんだったら問題ないんだけどねえ〜」と言うと、夫は静かに頷いていた。
連れ出してあげたかったのは、本当はお義母さんのほうだったのかもしれないと、ふと思った。
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村井理子
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- 村井理子
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むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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