先日、「親って本当に大変だ」という出来事を目撃したので、今回は介護から少し離れて、それについて書いてみようと思う。
先代の愛犬ハリーが亡くなって早一年。保護犬テオがわが家に仲間入りして半年以上が過ぎた。テオはもともとドッグスクールで数ヶ月間保護されていたこともあり、訓練されている。散歩のときにリードを引っぱることもなく、本当に飼いやすい犬だ。
一方、先代ハリーは体重五十キロを超える巨漢のうえに、プロレスラー並の怪力だった。本気を出されたら私なんて簡単に吹っ飛ばされた。私だけではなく、かなり腕力の強い夫も吹っ飛ばされて骨折したほどの怪力だったハリーの散歩は、楽しくはあったが緊張を強いられるものだった。晩年はすっかり穏やかとなったが、それでも見た目も厳ついし、本気を出したら軽トラぐらいの力はあるわけで、私一人の散歩では、100%安心できたことはなかった。
テオは、体こそ大きいが体重はハリーに比べて十五キロ以上も軽いし、なんといってもゴールデン・レトリバーだ。キャラが明るい。見た目もかわいい。着ぐるみが歩いているみたいで、すれ違う人からは「かわいい!」とか「キャー!」という声が出る。ただし、テオも犬、そしてまだ若い。猫が歩く姿を目撃して弾丸のように家を飛び出したこと数回。スイッチが入ると誰にも止められない。だからこそ、事故がないように気をつけねばならない。小さい生き物、特に素早く動く生き物は必ずといっていいほど追いかけようとするからだ。
さて、前置きが長くなったが、先日の早朝のことだ。私はいつも通り、テオを連れて散歩に出ていた。早朝(朝六時半から七時頃)を選ぶのは、当然、人や犬が少ないという理由がある。なるべく事故を回避したいという気持ちが強いのだ。大型犬はそれぐらいの心構えでちょうどいいと思っている。
テオとゆっくり歩いていた私だったが、野鳥が近くまで飛んできたのを目撃して、座って観察することにした。若い頃にはそんな余裕はなかった。今となっては立派な中年。野鳥の姿に思うことのひとつやふたつはある。テオと一緒に立ち止まった。そしてぼんやり野鳥の姿を眺めていた。すると突然、テオのリードにテンションがかかった。緊張が一瞬にして伝わってきた。慌ててテオを見ると、頭をぐいっと上げ、背中の毛をぶわっと立てている。警戒モードだ。他の犬の急接近か!? と思い、視線の先を見てみると……なんと、二歳ぐらいのパジャマ姿の男の子が三輪車で移動しているではないか!
エエッ!? 二度見した。こんな朝早くに、幼子が一人で三輪車に乗っている!?
当然、テオはその姿を人間だとは認識しておらず、たぶん小動物だとでも思っていたのだろう、低く唸って、そしてますますリードにテンションをかけた。私は素早く立ち上がって、テオが走って行かないようにリードを引き、両足を踏ん張った。
すると十メートルほど後方から、「〇〇くん!!!」という声が聞こえて来た。女性が猛スピードで走ってきている! あ、お母さんだわ! と思って一瞬安心したものの、三輪車に乗った子どもはなんと、果敢にアスファルトの緩い下り坂を攻めようとしていた。そして実際にその子は坂道を、私とテオのいる方向に向かってゆっくりと下り始めた。徐々にスピードを上げる三輪車、叫びながら追いかけるお母さん、ますますボルテージのあがるテオ!!
坂道を下ってくる子どもが、私とテオの横を通り過ぎた。私はテオを引っぱって踏ん張っていた。パジャマ姿で三輪車に乗ったその子は、ゲタゲタ笑っていた。お母さんはもう少しで追いつきそうだったが、家の方向からだろう、もう一人の子どもの「おがあさーーーーーーーん!」という大きな泣き声が響いてきていた。本当だったら私が止めてあげたかったが、なにせテオが興奮していたので、テオを止めるだけで精一杯だったのだ。
お母さんは私の側を通り過ぎながら、「脱走しちゃって〜!」と大声で言った。私は、「わかる!!!」と答えた。他に何が言えたというのだろう。そして全速力で子どもを追いかけるお母さんの背中に「うちも男の子だったし、わかる〜!!」と大声を出した。若いお母さんはあっという間に子どもに追いついた。さすが若い。私だったらすでに五回ぐらいは転んでいる。大人の目から見たら数十メートルの脱走だったけれど、あの子どもにとっては大きな冒険だっただろう。
いや〜、本当に小さな子どもの面倒を見るって大変だ。父親はどこだとか、家族はどこだとか、目を離すべきではないというご意見もあるだろうが、親だって完璧な生き物ではない。防ぐ方法はいくらでもあるだろうが、それをかいくぐってしまうのが子どもだ。子どもの予想外の行動には本当に驚くし、私自身、何度も肝を冷やしたことがある。若いお母さんは優しく息子を叱っていたが、内心、とても焦っていただろう。止めてあげられなくて申し訳なかったなと思いつつ、テオが三輪車を追いかけなくて本当によかったと、心から安堵した出来事だった。……と、ここまで書いて、先日義父に「お母さんが玄関から出て行ってしまう」と相談されたばかりだということを思い出した。双子の息子を追いかけまわした育児は終わったけれど、今度は義母を追いかけなくてはならない私の人生。AIがなんとかしてくれないかな……。
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村井理子
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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- 村井理子
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むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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