シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

村井さんちの生活

 とにかく、大変な一日だった。

 その日は京都のNHK文化センターで岸田奈美さんとのトークショーが開催された。慣れ親しんだ京都の街に久しぶりに行くことも楽しみだったが、なにより、以前からお会いしたいと思っていた岸田奈美さんと会えるということで、私のテンションは上がりっぱなしだった。

 初めてお会いした岸田さんは、ひと言で表現すれば、「キュート」! 明るい笑顔、ハキハキとした口調が心地よく、聴衆のみなさんをおおいに笑わせ、楽しませ、おまけに私にもとても気を遣って下さって、岸田奈美の本気を間近で見たような気持ちだった。岸田さん、素晴らしいわあ〜と感動し、再会を約束し、私は晴れやかな気持ちでNHK文化センター京都教室を出て、真っ直ぐ大丸京都店に向かった。途中、一ミリも寄り道をしなかった。真っ直ぐ大丸だ。それにしても久しぶりにやってきた、大丸デパート。学生時代は眺めるだけ、働くようになると散財するようになり、今となっては「子育てを終え、ようやく戻って来たぞ」という感慨のあるデパートなのだ。

 張り切って入店し、真っ直ぐ向かったのはもちろん地下一階、そして地下二階の、いわゆるデパ地下「ごちそうパラダイス」だ。というのもその日、私は絶対に購入しようと心に決めていたものがあった。それは「いづう」の寿司だった。巻き寿司もいいが、鯖寿司もいい。チャンスがあれば盛り合わせも頼みたい。フフフ、今日は働いたのだから、思い切り買ってもいいのさ…と、いつもの理由をつけて、寿司だけに留まらず、ステーキやらサンドイッチやら、思うままに買い求め、両手いっぱいに紙袋を下げ、意気揚々と京都駅に戻った。そしていつもの電車に乗って、家まで戻ろうと思ったのだが

 途中で次男からラインが入った。「大変だ!! いま、じいじからわけのわからない電話が来た!」

 思わず、チッと舌打ちが出そうになったが、「え、どういうこと?」と返した。すると、「俺もよくわからんのや! なんかゴニョゴニョ言うから、まったく意味がわからないんやけど、唯一わかったのは、ばあばが大けがして、病院に運ばれたってことや!」

 エーーーーーッ!

 「どこの病院??」とラインを返すと、「〇〇病院らしい!」と次男。その時私はちょうど、その病院の最寄り駅から少し手前の駅に到着したところだった。「わかった、病院に行くわ」と次男に返事をし、すぐに夫に連絡を入れた。外出していた夫は直接病院に向かうということだった。私は病院の最寄り駅で降り、紙袋に入った大量の食料を両手に抱えて、タクシー乗り場に向かった。しかし、ど田舎のその駅に当然タクシーは一台もなく、しばらくベンチに座って待ってはみたものの、駅には人間の影すらない。私と大量の食べ物だけだ。仕方ない、歩くかと思って、私は病院に向かって歩き出した。

 病院の救急病棟に行くと、夫がいた。「何があったの?」と聞くと、「おふくろが庭で派手に転んで、顔をバッサリや」ということ。ええッ!? バッサリってどのぐらい? と聞くと、深さ一センチ、長さ七センチの傷が頰にできてしまったという。声が出そうになった。あれだけ美容にこだわった義母の顔に、そんなに大きな傷が!

 「なんで庭になんか出たんだろうね」と夫に聞くと、「何かの集金があったみたいなんや」ということだった。腰を圧迫骨折している義母は、足元がおぼつかない。だから、外には出ないようにねと声かけはしているが、認知症のご家族をお持ちの方はわかると思うけれど、お願いはほとんど通じないのである。義母は玄関の呼び鈴に応じて外に出て、転倒して、義父が昔張り切って買った、特に役立つわけでもない巨大な庭石に顔をしたたかに打ち付けた。

 診察室に呼ばれて行くと、うわああと声が出そうになるほど大きな傷を顔に負った義母がしょんぼりと座っていた。「相当深く切ってますから、がっつり縫ってます」と、若い医師が言った。「かわいそうに、痛かったと思いますよ」と気の毒そうだった。様々な薬を処方された義母を夫と一緒に家まで送り届けたが、義母は自分がなぜ大けがをしてしまったのかは理解していなかった。しかし、顔に傷を負ってしまったことに関しては、相当ショックを受けているようだった。よく見ると、耳のあたりから後頭部にかけて、血まみれだ。このまま寝かせることはできないと思い、義母に「お義母さん、お風呂に入ろうか」と言ってみた。「耳のところとか、頭の後ろに血がたくさんついてるから、きれいにしないとね」と言うと、義母は素直に「そうね、そうしてもらおうかな」と言った。

 義母を入浴させるのは初めての経験だったが、特に何も問題はなかった。髪を洗って血を洗い流し、きれいな下着とパジャマを着せて、それだけの話だ。でも、義母が私に「あなたにこんなことをさせて申し訳ないわね」と言うものだから、その言葉に私の心が反応してしまい、涙が出そうになった。こちらこそ、こんな怪我をさせてしまってごめんなさいと義母に言うと、「だいじょうぶよ、こんなのペンキを塗ればすぐに消えちゃう」と持ち前の愛嬌とユーモアを込めて義母は言った。そんな義母の言葉に、無性に泣けたのだった。

 そして、私が泣いたのは義母の言葉のせいだけではなかった。病院へ向かう途中に座った駅前のベンチに、買ってきたすべての食材を置いてきたことに気づいたのだった。相当焦っていたのだと思う。落とし物の多い私だが、まさか、いづうの寿司を、ステーキを、酒を、惣菜を、弁当を落とすとは夢にも思わなかった。

 二日後、傷の様子を医師に見せに行くことになっていたので義母を迎えに行くと、なんと義母は大きな傷の上に、本当に真っ白のペンキを塗ってしまっており、まさに有言実行だと(おのの)くしかなかった。医師も驚いていたが、「まあ、大丈夫でしょう」と苦笑していた。

 怪我をしてからしばらく経過したが、義母の頰には大きな傷が残っている。義母は毎日鏡を見ては、その傷をなんとか隠そうとして、いろいろなものを顔に塗ってしまう。その工夫たるや、すごい。そんな義母の姿を見る度に、かわいそうなことをしてしまったと心が痛む。避けられなかったことだとは思うけれど、とにかく気の毒だ。美人で有名だった義母だけに、美白に命をかけて生きてきた義母だけに、それを守ってあげることができなかったことが悔やまれる。夫にとってもショックだったようで、「おばあちゃんなんだし、いいやろ」とは言うものの、おばあちゃんだからって、顔に傷をつくっても大丈夫なんて言えないことは、夫だってちゃんとわかっているだろう。

 顔の傷をずっと気にする義母に、「コンシーラー、買ってくるわ。すごくいいやつ」と声をかけると、「それ、すぐにお願いしますね」と言っていた。ちょっと笑った。

義父母の介護

2024/07/18発売

この記事をシェアする

ランキング

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


ランキング

イベント

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら