第8回 友達は、まぜるな危険 〜I can’t stop the loneliness〜
著者: 山野井春絵
「LINEが既読スルー」友人からの突然のサインに、「嫌われた? でもなぜ?」と思い悩む。あるいは、仲の良かった友人と「もう会わない」そう決意して、自ら距離を置く――。友人関係をめぐって、そんなほろ苦い経験をしたことはありませんか?
自らも友人との離別に苦しんだ経験のあるライターが、「いつ・どのようにして友達と別れたのか?」その経緯を20~80代の人々にインタビュー。「理由なきフェイドアウト」から「いわくつきの絶交」まで、さまざまなケースを紹介。離別の後悔を晴らすかのごとく、「大人になってからの友情」を見つめ直します。
※本連載は、プライバシー保護の観点から、インタビューに登場した人物の氏名や属性、環境の一部を変更・再構成しています。
「私を介して知り合った2人は、私をすっ飛ばしていつの間にか距離を縮めていきました」。
20代のころ友達2人と同時に距離を置いた経験を持つのは、専業主婦の志麻さん(32)。現在は、夫と1人娘とともに、夫の赴任先であるニューヨークで暮らしている。独身時代は、女友達と3人で共同生活をしていた。1人は中学時代からの親友、まさみさん。もう1人は、大学時代のバイト仲間、夏子さん。志麻さんが引き合わせるまで面識がなかった2人は、あるときから急速に仲良くなったという。そんな2人を、志麻さんが遠ざけたのには、仲違いだけではない別の理由があった。
毒親から逃げてきた地元の同級生
私の実家は栃木にほど近い、埼玉の北部です。東京の大学に進学したタイミングで、1人暮らしをしていた母方の祖父の家に居候しました。祖父は少し耳が遠い程度で元気だったのですが、私が卒業する間際に体調を崩して入院しました。退院後は埼玉で私の両親と同居することが決まり、社会人になったばかりの私は1人、東京の古い一軒家に残されたのです。
祖父の家から駅まで徒歩10分、就職した会社へは地下鉄で20分ほど。実家から通うことを考えればずいぶん楽でしたが、築50年の二階建ては1人暮らしには無駄に広く、夜は寂しいを通り越して恐怖でした。少し物音がすればドキッ。タイル張りの昭和な浴室では洗髪時目を閉じるのも怖いので、しょっちゅう銭湯へ通っていました。学生時代から付き合っていた彼(現在の夫)は、当時関西勤務で、遠距離恋愛。ワンルームにでも引っ越そうかと思ったのですが、家賃を考えるとやはり祖父の家からは離れがたく、おっかなびっくり1人暮らしを続けていたのです。
その家へ最初に転がり込んできたのは、地元の同級生、まさみでした。
まさみも都内に進学しましたが、1人暮らしを許されず、就職してからも実家から時間をかけて通っていました。よくうちに泊まりに来ていたまさみは、ある日泣きながら「ここに置いてほしい」と懇願してきたのです。まさみが実のお母さんと昔からそりが合わず、関係に苦しんでいたことは知っていましたし、私も寂しかったので、喜んで受け入れることにしました。
まさみは中学生時代、陸上部のエースで、生徒会では会長を務めたこともあります。私は書記として一緒に生徒会に入ったことから、仲良くなりました。頼りになるまさみに、私は悩みをなんでも相談してきました。まさみと同じ高校に行きたいというモチベーションから、受験勉強も頑張りました。
ところが、高校1年のとき、お父さんが不幸な亡くなり方をして以来、まさみは人が変わったように覇気がなくなりました。もともと折り合いが悪かったお母さんとの関係は、お父さんが亡くなったことで、ますます悪化。まさみは自分で作ったお弁当を、いつも蓋で隠しながら食べていました。修学旅行も「成績不振のペナルティ」とのことで参加できませんでした。部活をやめたまさみが、校庭で1人ボーッとしている姿を見かけるたび、何も力になれない自分に、私はずっともどかしさを感じていました。
「私、お母さんに褒められたこと、人生で一回もないんだよね」
まさみが、よくこぼしていた言葉です。
それでもまさみは持ち前の頭の良さを活かし、お母さんの望んだ通りの国立大に進んで、有名な金融系の会社に就職しました。
まさみは小さなキャリーケースひとつを引いて、半ば家出のように引っ越してきました。「私が金を出したモノは何も持ち出すな、ってお母さんに言われた」と泣き笑いしながら玄関に立っていたまさみの顔が、忘れられません。その日私はケーキを買って、まさみの独立記念をお祝いしました。
その日からはじまった生活は、とても平和で、幸せだったと思います。まさみはきれい好きで気遣いもあるので、2人暮らしはとても風通しのよいものでした。茶碗蒸しや炊き込みご飯など、家庭料理をたくさん作ってくれました。夕飯の後は、いつも夜更けまでおしゃべりをしてしまい、時計を見て慌てることもしょっちゅう。お互いに予定のない休日には、台所に棚を作ったり、居間の壁を塗り替えたりするなど、女2人で慣れないDIYに取り組んで、楽しい時間を過ごしました。
「老後、またお互いがひとりぼっちになったら、一緒に暮らしたいね」
そんな話をよくしたものです。
恋した相手は年の離れた旅芸人
2つ年上の夏子さんは、大学時代のバイト仲間でした。
当時、夏子さんは女優志望で、都内の劇団に所属していました。高校時代から同じファミレスでバイトをしていた夏子さんは、その店では古参で、新人指導やシフトの調整をする役割。いつもテキパキと動いて、失敗するとさりげなくフォローしてくれました。私にお酒を教えてくれたのは、夏子さんです。行きつけの居酒屋やバーに連れて行ってくれて、ちょっと大人の世界を見せてくれました。少し気分屋で、お酒に飲まれやすい面がありましたが、明るくて気のいい先輩でした。よく家に遊びにきて、祖父とも仲良く将棋を指したり、一緒に食卓を囲むこともありました。
私が就職活動をしているころ、夏子さんは妊娠し、あっという間に結婚して、静岡へ引っ越していきました。
そんな夏子さんから電話がかかってきたのは、まさみと同居をはじめて半年くらいが経ったある日のことです。スマホのバイブ音で目覚めたのは、深夜2時。こんな時間に、しかも電話なんて珍しい、と思いながら出ると、鼻水を啜る音が聞こえました。
「志麻ちゃん、ごめんね。ほんとごめん。まだ、おじいちゃん家で暮らしてる? 今、近くにいるんだけど」
実家には訳あって帰れない、家の近くのコンビニにいるというので、私はパジャマに上着を羽織り、スマホを握りしめて出て行きました。
コンビニのトイレから出てきた夏子さんは、私を見つけると抱きついてきました。お酒とタバコの強いにおいがしました。
「志麻ちゃん、ごめん。今夜だけ泊めて。明日になったらどこかへ行くから」
しゃっくりが止まらない夏子さんを放ってはおけず、私は彼女と腕を組んで自宅に連れ帰りました。居間に夏子さんを座らせると、休んでいたまさみが二階から降りてきて、心配そうに眺めています。私が居間に布団を敷くと、まさみが手渡した水を一杯だけ飲んで、夏子さんは倒れ込んでしまいました。
「ごめん、明日、すべて説明する」
そう言って夏子さんは眠ってしまったのです。私もまさみも翌日には仕事があるので、もう寝ようと話し合って、2人で二階へ上がりました。
翌朝、野菜ジュースとまさみが握ったおにぎりをテーブルに置いて、「19時くらいに帰るから、もしも家を出る場合は鍵を郵便ポストに入れておいてほしい」とメモを残し、私とまさみはそれぞれ出勤しました。仕事中、夏子さんからLINEが入り、私が帰宅するまで待っているとのこと。急いで帰ると、シャワーを浴びてさっぱりした顔の夏子さんが待っていました。まさみはまだ帰宅していなかったので、2人でバイトしていたファミレスへ行き、夕飯を食べながら話をしました。
夏子さんは、静岡に引っ越してまもなく流産してしまったそうです。結婚してはじめて知ったのは、旦那さんの強烈なマザコン。同居する義父母とはどんどん険悪になっていき、旦那さんとの関係も冷え込む一方でした。慣れない土地で孤独を極めた夏子さんは居酒屋でアルバイトをはじめると、男性客と不倫関係に。相手は、全国をめぐる小さな大衆劇団の座長でした。
「それで思いきって家を出て、その劇団にジョインすることにしたの。九州から北海道まで、いろんなところへ行ったよ。でもさ、彼、やっぱり、地方、地方にオンナがいるわけ。だんだん、つらくなってきちゃって。いい役ももらえなくて、ほとんど雑用ばっかりだし。彼がオンナのところに行っちゃう夜は本当に孤独で、もう死にたいくらい悲しかった。いま、川崎に来てんだけど、それでちょっと実家に寄ってみようかなーと思ってこっち来たら、追い出されちゃって。まあ、私も離婚届だけ置いて逃げるように静岡を出てきちゃったから、その後、うちの親は大変だったみたい。もともと私も親と仲悪いしさ、それで昨日は大げんかになって。歌舞伎町行って飲んで、でもまたこっちに戻ってきちゃってた」
ファミレスバイト時代、夏子さんのお母さんを何度か見かけたことがありました。とても品のいい、優しそうな女性です。お父さんは夏子さんが幼いころに亡くなっており、お母さんは再婚しています。夏子さんは以前から、母親の再婚相手を毛嫌いしていました。
さらに話を聞けば、不倫相手の座長は既婚者で3人の子持ち、年齢はなんと60代だというので、私は仰天しました。
「ごめん、引くよね。でもさ、私って結局、筋金入りのファザコンなんだよ」
そう言って、夏子さんは泣きました。
「もうさ、私、どうしたらいい? 劇団には戻りたくない。あの人のことは死ぬほど好きだけど、一緒にいると、死にたいくらい、つらいの。戻る家もない。私はもうだめだ」
「夏子さん、ひとまず、嫌かもしれないけど、実家に帰ったら? 仕事はこのファミレスに戻ってもいいわけだし。今度こそ、本当に女優を目指してよ。夏子さんはとびきり美人なんだから、いくらでもチャンスはあると思う」
私はそう言って、夏子さんを説得したのでした。
その夜、夏子さんはわが家にもう一泊し、翌朝、「方々に話をつけてくる」と意を決したように出て行きました。数日後、「実家に戻った」とLINEで伝えてきたので、私は安堵しました。
夏子さんの顛末を話すと、ほとんど恋愛経験のないまさみは「信じられない、60代っておじいちゃんじゃん。ありえない」と露骨に嫌な顔をしました。私は複雑な気持ちになり、「恋愛は自由だと思うけどな」と夏子さんの肩を持って言いました。
禁煙、禁欲がシェアハウスのルール
夏子さんは実家に帰ったものの、元のファミレスには戻らず、「てっとり早くお金を貯めて実家を出たいから」と、スナックでバイトをはじめました。私はそんな夏子さんと、ふたたびよく会うようになりました。実家での窮屈な生活に愚痴をこぼし、意気消沈している夏子さんに、「一緒にうちに住んだら?」と提案したのは私の方です。
「本当に、本当にいいの? ありがとう。お金を貯めたらすぐに出ていくから」
夏子さんは大喜びして、パフェをご馳走してくれました。
家に戻って、夏子さんも一緒に暮らすことになったと伝えると、まさみは眉を顰めました。
「夏子さんて水商売なんでしょう? 時間帯が合わない人と共同生活をするって、難しいと思うよ」
初対面のとき泥酔状態だったこともあり、夏子さんの印象は最悪だったようです。潔癖なまさみは、夏子さんの奔放な恋愛遍歴にも引き気味でした。
「なんか、夏子さんって、お金にもルーズそうな気がする。問題が起きるんじゃないかって不安だな」
まさみは私の祖父の家に引っ越してくるとき、「家賃を払う」と申し出てくれたのですが、いろいろと調べてみると、祖父や孫の私が賃料を受け取ることには税金の問題があるようなので、「共同生活費」として、2人でお金を出し合うことにしていました。「折半はさすがに申し訳ないから」と、まさみはよく外食でご馳走してくれたり、おやつを買ってきてくれたりと気を遣ってくれました。そんなふうに、なんとなくうまくやってきた金銭関係も崩れてしまうのでは、と心配したのです。
「大丈夫だよ、夏子さんも大人だし。いい人だよ、とっても」
まさみの反応に、少し不安がよぎりましたが、すっかりうちへ引っ越してくる気になっている夏子さんを思うと、もう流れを止められなかったのです。
翌週の休日、夏子さんは、借りた車で荷物を運び込んできました。納戸のようになっていた祖父の寝室を片付け、そこで夏子さんが暮らすことになりました。
その夜はピザやお寿司をデリバリーで頼み、3人で初めての夕飯を囲みました。
そこで私たちは、お金のこと、鍵のこと、掃除やゴミ出しの当番制など、3人でシェアハウスの取り決めについて話し合ったのです。夏子さんは100均で買った冷蔵庫用の収納カゴを取り出して、油性ペンでそれぞれの名前を書き、絶対に自分のものと決めた食べ物はそれぞれここに入れよう、などと具体的な提案をしました。
「ああ、うれしい。女友達と暮らすなんて、最高。私、ようやく自由になったって気がする。ほんとにありがとね、志麻ちゃん、まさみちゃん。日中、2人が出かけている間に、やれることはなんでもやるから!」
私と夏子さんはビールや缶チューハイを飲みながら、ご機嫌で話を進めましたが、ウーロン茶を飲み続けているまさみが乗り気でないのは雰囲気でわかりました。
「あ、そうだ。これも大事なことだから言っておくけど、このシェアハウスには、セックスを持ち込むのは禁止ってことでお願いします。女の園では、揉める素だからね。私は大丈夫。当分、オトコはいいや。ハッハー」
豪快にまさみの背中を叩き、夏子さんは笑いました。まさみは居心地悪そうに苦笑していましたが、夏子さんが換気扇を回し、その下でタバコを取り出したとき、立ち上がって言いました。
「あの、夏子さん。ごめんだけど、タバコはこの家ではやめてくれないかな? 換気扇の下でも、やめてほしいの。私、タバコの煙は苦手で。この家では誰も吸っていなかったから、お願いします」
夏子さんはハッとした表情になって、慌ててタバコを箱に戻します。
「ごめん、ごめん。そうだよね。オッケーオッケー、タバコも禁止! うん、私もなんとかして、やめる方向で頑張ろうかな。その前に一本、外で吸ってくるね」
夏子さんがタバコを持って外に出ると、まさみは何も言わずに、テーブルの上を片付けはじめました。初日からなんだか変なムードになってしまい、私は落ち着かない気分でした。
2人はシンパシィ感じてた、昼下がりの祖父の家
ひょっとしてこの共同生活は、失敗だったかも? ぎこちないまさみの態度を見て、そんなふうに後悔することもありましたが、1ヶ月もすると、だんだんまさみの態度は軟化していきました。それぞれがひととおり家事もできる、女の3人暮らしです。朝早く出勤する私とまさみ、夕方からお店へ出かける夏子さんと、それぞれ家事をうまく分担できるようになりました。日中、家にいる夏子さんは、私たちの分まで洗濯物を取り込んだり、宅配便を受け取ってくれたりするので、とてもありがたい存在でした。まさみも徐々に夏子さんのキャラクターに慣れ、軽口を叩き合う間柄になっていったのです。
休みが合う日には、3人で映画を観たり、買い物へ出かけたりしました。日光や房総など、何度か一泊旅行にも行きました。一緒に料理をする食卓は、いつも賑やかでした。
「みんなそれぞれ、結婚とかしてバラバラになるんだろうけど、いつまでもこんな生活がしたいなあって思っちゃう。だって、寂しくないんだもん。志麻ちゃん、まさみちゃん、本当にありがとうね」
ある休日の午後、畳敷きの居間でお茶を飲んでいるとき、ふと夏子さんが言いました。それを聞いてまさみが泣き出しました。
「お礼を言うのは私の方だよ。夏子さん、志麻、ありがとう」
私ももらい泣きをして、なぜか3人でわんわんと泣き、我に返って「なんで泣いてるんだろう」と大笑いしたあのとき、私たちの心は確かに繋がっていたと思います。
気兼ねなく、楽しい女3人のシェアハウス。その均衡が崩れはじめたのは、夏子さんが来て半年ほど経ったころです。
職場の人間関係に悩んでいたまさみは、過労からの体調不良も重なり、会社を休みがちになっていきました。やがて、気持ちのアップダウンが激しくなり、一日中喋らないこともありました。私がメンタルクリニックの受診を勧め、夏子さんが付き添ってクリニックへ行き、診断書をもらうと、まさみは休職しました。
そこから、日中はほとんど寝てばかりのまさみと、スナックから朝方帰宅する夏子さんとの生活時間が一致するようになったのです。夏子さんは甲斐甲斐しくまさみの世話を焼き、まさみも夏子さんを頼るようになっていきました。まさみが心配だったので、夏子さんがいてくれてよかったと、私はほっとしていました。一方、気になることもありました。まさみは、休職してからほとんど家事をしなくなったのです。料理はまったくせず、たまに使ったコップやお皿はシンクにそのまま、ゴミや洗濯物もどんどん溜まっていきました。見かねた私と夏子さんがまさみの分までやっていましたが、さほど掃除が好きではない夏子さんも、居間に乾いた洗濯物をそのまま山積みにしたまま仕事に出かけるようになったのです。
私は月に1、2回、彼が暮らす関西へ泊まりに行っていたのですが、帰宅するたびに、家の中の散らかり度合いが高まっていくことを感じていました。
「夏子さん、忙しいところ申し訳ないんだけど、できれば掃除のルーティーンは崩してほしくないんだよね」
思い切ってそう言うと、夏子さんは両手を合わせて言いました。
「ごめん。まさみちゃんがさ、掃除機の音とかうるさいのが、苦しいって言うもんだから。なるべく隙を見てやるようにするね。でも、まさみちゃんも、彼女なりに頑張ってるからさ」
掃除機はかけられなくても、掃けばいい。床に散乱したモノやゴミくらいは、音を立てずとも片付けられるでしょう。そう思いましたがグッと堪えて、
「そうか、まさみのこと、ありがとう。夏子さんがいて助かるよ」
そう言って、私が掃除をするのでした。
そんな日々が続いていたころ、秋休みに私は彼と予定を合わせて有休を取り、長期で海外へ行きました。お昼に羽田に着いて、彼と一緒に祖父の家に戻ると、家中の雨戸が閉められたままになっています。不思議に思って玄関を開けると、もわっと生ゴミとタバコの臭いがしました。
「なんだよ、これ。ひっでーな」
彼が窓を開けると、散乱した室内が顕わになりました。居間も台所も、これまで以上にモノが溢れて、ゴミ屋敷とまではいかずとも、それに近い状態になっています。そこへ、居間の片隅で寝ていた夏子さんがむっくりと起き上がったので、私たちはびっくりしました。
「おかえり、ああ、今日だったんだっけ。早かったね」
だらしなく目を擦る夏子さんに声をかけられないまま、私は二階へ上がっていきました。まさみの部屋をノックしますが、返事はありません。戸を開けると、閉め切った真っ暗な部屋の中で、体操座りをしてタバコを吸っているまさみの姿がありました。私は雨戸と窓を開け、まさみからタバコを取り上げると、目の前に座りました。
「何これ。体調が悪いのはわかるけど、これはなくない?」
まさみは俯いたまま、ごめん、を繰り返します。これ以上病気の人を責めてはいけないと思い、「体に悪いことは、やめておこうね」と言って、取り上げたタバコを持って下に降りました。それから私と彼とで大掃除をし、夏子さんも鈍い動きながらそれを手伝い、ようやく片付いたころ。コンビニで買った惣菜を温めようと、レンジの扉を開けた彼が突然大声を上げたのです。
恐る恐る覗くと、レンジの中で何かが腐り、そこにたくさんの蛆が蠢いていました。
「私じゃないよ!」
夏子さんは叫びました。
それから数日経ち、夏子さんがお休みの夜に、3人で話し合いをしました。このままでは一緒に生活を続けることは難しい、と私が言うと、2人は慌てた様子で、「これからはきちんとする、申し訳なかった」と謝りました。それからしばらくして、まさみの状態も少しずつ良くなり、ひととき静かな日々が続きました。しかし、以前通りに戻ったというわけではありませんでした。決定的に何かが、変わっていたのです。
あちらの世界に憧れる2人
シェアハウスは、完全に1:2に分かれていきました。私が孤立したのです。相変わらず日中を2人で過ごしているまさみと夏子さんの間には、不思議な絆が生まれていました。夏子さんのインスタグラムで、2人で過ごす投稿を見ることもありました。夏子さんが作った料理をおいしそうに食べるまさみ。2人で近所のスーパーや銭湯へ出かけている様子。いずれも私が仕事で出ている日中の出来事です。インスタの中のまさみはとても元気そうで、「だったらもう仕事に行ってよ」と私はイライラしました。
私が帰宅をする時間には、まさみはほとんど部屋から出てきませんでした。また寝ているのかなと思い、私は1人で夕食をとり、お風呂に入って寝床に入るという生活が続きました。ある日、まだ暗いうちに目が覚めたとき、階下から夏子さんが帰宅する音が聞こえてきました。すると隣の部屋の扉が開く音がして、まさみが階段を降りていきます。しばらくすると、なんとなくいい匂いが漂ってきたので、誘われるように私も台所へ降りていきました。台所では、2人が並んでインスタントラーメンを食べながら、ノートPCを覗き込んで熱心に話しています。私の姿を認めると、まさみが慌ててPCをパタンと閉じました。
「おはよう、……何してるの?」
私が言うと、2人はバツが悪そうに顔を見合わせました。
「志麻ちゃんごめん、起こしちゃったね。明日も早いんでしょ? もっと寝たほうがいいよ」
夏子さんが言いました。
目が冴えてしまった私も、ラーメンを作ろうとお湯を沸かし始めましたが、2人はじっと黙っています。明らかに、2人から拒絶されている。私は背後でそれを感じて、ゾッとしました。
「……やっぱりこんな時間に食べたら、明日、調子悪くなっちゃうかもしれないから、寝るね。お休み」
そう言って二階上がりましたが、なんだか胸がドキドキして寝付けません。しばらくすると2人が上がってきて、それぞれの部屋に入る音がしました。
私はそっと起き出して、また台所へ降りていきました。テーブルの上には、PCが置きっぱなしになっています。私はそれを開けて、ブラウザの履歴を見てみました。「極楽浄土サークル」や「本当の自分に出会える死後の世界」などのサイトが羅列され、検索履歴にも「あの世 幸せ」「輪廻転生」「死 希望」「ソウルメイト 心中」といった意味深な言葉がずらりと並んでいました。まさみと夏子さんは、「死」に対する憧れのような気持ちで、繋がっているのではないか。私は愕然とその画面を見つめました。
思えば2人には、父親の喪失という共通点があります。先に心の健康を崩したまさみに、夏子さんが共鳴するかたちで、2人は特別な絆を築き上げていったのでしょう。この家で、何か大変なことが起こったら、どうしよう。私は、なんという2人を引き合わせてしまったのか。……モヤモヤしながら日々を過ごしている間に、私と2人との距離は、どんどん開いていきました。居間には、私には理解ができないスピリチュアル系や、宗教めいた本が増えていき、いよいよ2人はその志向を隠すことなく、「早く転生したい」などと、気軽に口にするようになっていったのです。私が怪訝な表情を浮かべると、2人は押し黙り、申し合わせたようにどちらかの部屋へこもってしまいました。「あなたには、わからないでしょう」。言葉なく、そう言われている気がしました。
こうして私の祖父の家は、私にとって、どんどん居心地の悪い場所になっていったのです。
そのころから、強い吐き気を感じるようになりました。食欲がなくなり、いろんな食べ物のにおいが日に日に苦手になっていきます。特に2人が夜中に食べるインスタントラーメンのにおいには、ずいぶん苦しめられました。
私は妊娠していたのです。ここから、事態は急展開しました。
ルールを破ったのはあんたたちでしょうが!
彼が私の両親に挨拶をしに埼玉の実家へやってきた日、結婚の話はそっちのけで、まさみと夏子さんにどうやって出ていってもらうかの家族会議になりました。
「志麻はお嫁に行くことだし、もうおじいちゃんも1人では暮らせないし、いずれはあの家を処分しなければならないと思っていたから、これはいいタイミングよ。今ここで、2人に連絡しなさい」
母にそう言われ、私は迷いながらも、自分が妊娠していること、祖父の家は処分することが決まったので今月中には引っ越してほしいという内容を、3人のグループLINEに送りました。すぐに既読はつきましたが、翌日になっても2人からの返事はありませんでした。
彼を伴って祖父の家に戻ると、まさみと夏子さんは2人で台所にいました。
まさみは私の目を見ようとせず、ゆっくりと冷蔵庫の中を片付けはじめ、夏子さんはダイニングチェアの上で胡座をかいていました。怒りの気がそこに満ちているようで、気持ち悪くて倒れそうでした。
口火を切ったのは、夏子さんです。
「今月中に出てって、って、ちょっと急すぎるんだけど。私たちの都合も聞かずに、勝手すぎない?」
私は吐きそうなのを堪えながら、言いました。
「ごめんね。私も急だとは思うんだけど、両親がもう決めたって譲らないから」
ゴネられたらそう言えと、母から助言されていたセリフでした。
「いやいや、だけど、まさみちゃんもまだ病人なわけだしさ。私も行くところないし。どうしたらいいの? 解散する時はちゃんと早めに伝えるって、ルール決めてたんじゃないの?」
そんなやりとりを見かね、カッとなった彼が口を挟みました。
「そもそも、家賃も払わずにここで長い間暮らすことができた、そのことに、感謝すべきなんじゃないの? 掃除だってちゃんとしてなかったみたいだし、シェアハウスのルールを破ってきたのは、夏子さんたちの方じゃないかって、俺は思うけど。蛆が湧いたんだよ。信じられない」
「いや、だから私だって蛆にはびっくりしたよ。でも勝手に湧いたんだから」
夏子さんと彼が言い合ううちに、まさみはヘナヘナと床に座り込んでしまいました。
「やだ! まさみちゃん、大丈夫? ねえ、あんたたちわかってる? まさみちゃん、病気なんだよ。こんなかわいそうな人を追い出すなんて、ひどいよ。そもそも、ルールを破ったのはあんたたちでしょうが!」
夏子さんは慌ててまさみを抱き起こしながら言いました。
私は驚いて言い返しました。
「は? 私が、何のルールを破ったっていうの?」
「あんたたち、セックスを持ち込んだじゃない、この家に! 禁止ってあれほど話したのに!」
「持ち込んでないだろ。俺、この家に泊まったこともないんだよ」
彼が呆れて言うと、夏子さんは叫びました。
「赤ん坊が、できただろうが! それは同じことなんだよ!」
私たちが絶句していると、夏子さんはまさみに言いました。
「ほら、何も言えない。のたれ死ねってことでしょう、私たちみたいなこの世のゴミは。なんでも持ってるお幸せな志麻ちゃんにとってお荷物だもんね。まさみちゃん、すぐ出ていこう。私たち、迷惑らしいから」
「何よ、それ……! ねえ、まさみ、まさみもそんなふうに思ってたの?」
沈黙の後、まさみが言いました。
「……志麻には、私たちの気持ちは、きっとわからないよ」
堪えきれず私が泣き出すと、彼は拳を強く握りしめたまま、低い声で言いました。
「……いつ、出ていってもらえますか? 志麻の体も心配なんで、できるだけ早くお願いできますか」
そして、居間の畳に転がっていた古い自殺の指南本を拾い上げると、夏子さんの前に放り投げて続けました。
「こういう目障りなもの、すべて残さず持って、出ていってください。俺たちは、これから、新しい命を育てていくんだよ。そんなときに、あなたたちみたいな人とは、一緒にいられないんだ」
その後、私はしばらく会社の近くのビジネスホテルに泊まって出勤しました。1週間後、夏子さんからグループLINEに「引越し完了。お幸せに」と送られてきて、直後、2人は立て続けにグループから退出しました。
誰か助けて、悲しみが止まらない
祖父の家に戻ると、2人の荷物は一つ残らずなくなっていました。がらんとした居間に座り込むと、大好きだった友達を一度に2人も失った事実を突きつけられ、涙が溢れてきます。「志麻には、わからないよ」。まさみはそう言いましたが、そうです、確かに、私にはわかりませんでした。いったい、私の何がいけなかったのか。なぜこんなことになってしまったのか。2人への嫌悪感と、喪失感とが混ざり合い、怒りと悲しみが交互に押し寄せてきます。畳をかきむしりながら、私は子どものように大声で泣きました。
私も、あなたたちと同じように苦しめばよかったっていうの? 幸せになって、何が悪いの。いいよ、いいよ、あなたたちは、2人で不幸を舐め合って生きていけばいい。あなたたちに、私は、友達をくれてやった。引き換えに、私は幸せになる。絶対に、幸せになってみせるから!
心の中でつぶやきながら、しばらく呆然と畳に横たわった後、私は立ち上がって鼻をかみ、家の隅から隅まで掃除機をかけました。冷蔵庫を開けて、私の名前が書かれた収納カゴだけが残されているのを見ると、喉が痙攣し、しばらく止まりませんでした。
1人暮らしに戻った私は、お腹の子が8ヶ月になるまで勤務を続けました。退社して実家に戻り、お産をした数ヶ月後、夫が暮らす関西へ引っ越しました。現在は、家族でニューヨークに暮らしています。売りに出された祖父の家は、すぐに買い手がつき、今は新しい家が建っているようです。
まさみと夏子さんが、その後どうしているのか、私は知りません。
一緒にいるのか、いないのか。生きているのか、いないのか。
誰からも情報が来ないので、きっと、どこかで生きていることでしょう。
結局、2人を引き合わせてしまった私が悪かったのだろうな、と思います。不用意に友達はまぜないこと。これを教訓として、今は、できるだけ人には深入りしないことを心がけています。一方で、これからの人生、まだ本当の友達ができるだろうか、と考えてしまう自分がいます。
生きづらさを抱えた「同志」を見つけた2人を、どこかで羨ましいと思うのは、弾かれてしまった妬みでしょうか。また2人と繋がりたい、とは思いません。でも、楽しかった3人での暮らしを思い出すたびに胸が苦しくなり、孤独を感じるのです。
(※本連載は、プライバシー保護の観点から、インタビューに登場した人物の氏名や属性、環境の一部を変更・再構成しています)
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山野井春絵
1973年生まれ、愛知県出身。ライター、インタビュアー。同志社女子大学卒業、金城学院大学大学院修士課程修了。広告代理店、編集プロダクション、広報職を経てフリーに。WEBメディアや雑誌でタレント・文化人から政治家・ビジネスパーソンまで、多数の人物インタビュー記事を執筆。湘南と信州で二拠点生活。ペットはインコと柴犬。(撮影:殿村誠士)
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MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
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