第12回 わが家の中学受験体験記 〜夢中で伴走していたら、「違う世界の住人」になっていた〜
著者: 山野井春絵
「LINEが既読スルー」友人からの突然のサインに、「嫌われた? でもなぜ?」と思い悩む。あるいは、仲の良かった友人と「もう会わない」そう決意して、自ら距離を置く――。友人関係をめぐって、そんなほろ苦い経験をしたことはありませんか?
自らも友人との離別に苦しんだ経験のあるライターが、「いつ・どのようにして友達と別れたのか?」その経緯を20~80代の人々にインタビュー。「理由なきフェイドアウト」から「いわくつきの絶交」まで、さまざまなケースを紹介。離別の後悔を晴らすかのごとく、「大人になってからの友情」を見つめ直します。
※本連載は、プライバシー保護の観点から、インタビューに登場した人物の氏名や属性、環境の一部を変更・再構成しています。
今年も首都圏では5万人以上の児童が「中学受験(中受)」に挑戦した。受験熱を加速させるのは、教育環境へのニーズと、「わが子に最良の人生を」という親心。そんな熱量が高まるほどに影を落とすのが「ママ友」との関係だ。成績、志望校、塾への課金など、家庭の深部に触れる情報が交錯する中受界隈では、昨日までの信頼関係が模試の結果ひとつで一変することも珍しくない。SNSでのマウント、合否による断絶……親の理性を飲み込む感情の深淵が、そこにはある。
長女が中学受験に挑戦した会社員の結衣子さん(43)も、受験をきっかけにママ友と疎遠になった経験を持つ。相手は、受験を選ばなかったママ友2人。教育方針の違いに加え、思いがけない出来事が3人を分断した。
40、50代の女性を中心に、「中受をきっかけに友達と離別した」と語ったインタビュイーはとても多かった。ちなみに、中受で断絶したのは大人ばかりであり、当の子どもたちが揉めて離別した例は、一つも見られなかった。
仲良しの中で「受験組」は私だけ
受験を経て中高一貫私立校に進んだ長女は、現在高校生。下の長男も私立男子校に進学しました。苦い思い出になってしまった、長女のときの経験をお話しします。憧れる芸能人の影響で、「最難関校を目指したい」と娘が大手の塾に入ったのは小3の冬のことでした。
ママ友の希さん、紀恵さんとは、子どもたちが幼稚園のときから、家族ぐるみのお付き合いをしてきました。希さんは3人の男児を育てる専業主婦。紀恵さんは一人っ子女児で、ファミレスで長くパートをしています。中受を選んだのはわが家だけ。「大変だね、頑張って!」。気持ちの優しい人たちで、私はいつも励ましてもらいました。仲良しが受験組でないことは、かえって私にとっては気楽でした。
夏はキャンプ、冬はスキー。毎年、みんなで旅行に出かけました。最後に3家族で旅行をしたのは、娘が小5の夏休みです。2家族は3泊キャンプの予定で先に出発していましたが、わが家は塾の夏期講習があったので、中日1泊だけの参加。小5とはいえ夏期講習はなかなかハードで、私は焚き火の前でもつい、受験伴走の愚痴ばかりこぼしていたような気がします。一方、娘は久しぶりのフリータイムに思い切り羽を伸ばしていました。幼馴染みたちと野原を駆け回り、テントでトランプをするなど、大はしゃぎでした。
朝、テントで目覚めてすぐに、日課である算数のトレーニングテキストを行うように言うと、娘は膨れっ面です。ほかの子どもたちはすでに外で遊んでおり、楽しそうな声が響いていました。
「帰ったら絶対にやるから。今はみんなと遊びたい」
しかし私はそれを許しませんでした。なぜならまた翌日から夏期講習が再開し、帰宅した夜も夥しい量の宿題をこなす必要があったからです。算数のトレーニングだけは、朝やっておいた方があなたのためだと言うと、娘は突然、狂ったように泣き出しました。
「どうしたの? 大丈夫?」
テントの外から、紀恵さんが声をかけてきました。表に出て事情を説明すると、
「ストレス、たまってんのよ。今日くらいいいんじゃない? たかだか1ページでしょ」
と言います。私は、
「いや、ここでこの日課を崩してしまうと、本人が辛くなるだけだから」
そう言ってテントの中に戻ると、娘がノートをビリビリに破いています。私は思わず娘を大声で叱りつけました。たった1ページもできない子が志望校に受かるはずがない、などと言ったと思います。さらに娘も反抗してきたので、激しい言い争いになりました。見かねた夫が娘を連れ出し、少し離れたロッジのテーブルで勉強をさせたのでした。その後、子どもたちが遊んでいる間に、私と夫はテントを片づけ、短いキャンプを終える準備を進めました。そして、後ろ髪を引かれる思いで車に乗って帰路についたのです。娘はむっつりと押し黙っていたかと思うと、弟に嫌がらせばかりします。それをまた私が咎めて口喧嘩になり、車内は最悪の雰囲気でした。
それからも何度か希さんと紀恵さんの3人でランチをすることがありましたが、娘が小6になると、ほとんど会えなくなりました。
娘の偏差値が下がっていった理由
いよいよ受験の年です。夏から娘の成績は伸び悩み、塾のレベル順クラスは徐々に落ちていきました。このままでは、最難関校どころか、難関校、いや中堅校も危ういかもしれない。焦りを感じた私は、塾のテストをサポートしてくれる個別塾にも通わせることにしました。中受は娘も初めてなら、私も初めてです。藁をも縋る気持ちで、オンラインの補習コースにまで手を出すなど、とにかく必死でした。これだけ課金したのだから、そろそろ成績も上向きになるだろう。そう信じていたのですが、秋に行われた模試の結果は惨憺たるものでした。ここまでやっても無理なのか。わが娘には、中受は合っていなかったのか……。悶々とする日々が続きました。
そのころ個別塾の送迎で顔を合わせるようになった芳子さんと、よく会話をするようになりました。芳子さんは隣駅エリアに暮らす女児のママです。志望校はほぼ同じでしたが、芳子さんの娘は優秀でつねにトップクラス。気さくな人で、悩める私に伴走のアドバイスをしてくれたこともあって、仲良くなりました。
お茶やランチで利用していたのは、紀恵さんがパート勤めをしているファミレスです。紀恵さんは私たちが店を訪れると、いつも従業員割引のチケットを使ってサービスしてくれました。私と芳子さんは受験体験記や偏差値表を広げては話し込み、ときには迎えに行く時間を忘れて娘たちから叱られるほどでした。
このころ、勤務する会社の体制が変わり、仕事に雑務も加わって、にわかに忙しくなりました。夫も多忙な時期に入っており、わが家はしっちゃかめっちゃかでした。娘は学校から直接塾へ行き、息子はお迎え時間ギリギリまで学童へ。夕飯が遅くなることも多く、眠気を押して娘のテキストをファイリングしていました。畳めない洗濯物はまとめて週末にやっつけるという生活。コンビニで補食を買いたいと、娘から請われるままに交通系ICのチャージ代を渡していたのですが、ある日、娘の塾のリュックの中を整理していると、見慣れない文房具やアイドルのグッズがいくつも入っていることに気づきました。内ポケットには、個別塾の近くにある文房具店や本屋さんのレシートが何枚も……。支払いはすべて交通系ICです。こんなところで使い込んでいたのか! カッとなった私は、塾帰りの娘に問いただしたのです。すると、「買い物がストレス発散だった」などと言い、大袈裟に泣き出しました。その様子を逆に不自然に思ってさらに問い詰めると、何度か個別塾の自習室を抜け出し、こっそりと紀恵さんの娘と待ち合わせをして遊んでいたことを告白。「怒らないから本当のことを言ってごらん」などと言ったくせに、事実を知った私は激昂し、娘を罵倒しました。
「私もよくないとは思っていたけど、△△ちゃん(紀恵さんの娘)に誘われて、どうしても断れなくて」
娘は泣きながら言いわけを繰り返します。私はますますヒートアップしました。受験が近づいているのに気持ちが弛んでいる。そんなことをやっていたから偏差値が上がらないのだ。みんな少しの時間も惜しんで勉強をしている。塾にいくらかかっていると思っているのか。もう受験なんかやめてしまえ!……怒りがおさまらず、私は丸めたテキストを机に叩きつけながら夜中まで叱責を続けました。
泣きながら宿題をこなした娘が眠りについた後、私は紀恵さんにLINEをしたのです。もちろん、お宅の娘が悪い、という内容ではありません。うちの娘は誘惑に弱いから、受験が終わるまではちょっと遊びに誘うのを控えてもらえないかと、丁寧に書きました。翌日になって紀恵さんからは「本当に申しわけなかった」と、長文の謝罪が届きました。謝ってもらいたいわけではないのに、と、苦い気持ちになりましたが、気を遣わせて申しわけないとだけ、返事をしました。このころ私は、身も心も、疲れていました。
怒涛の受験は終わったものの……
12月に入ってようやくエンジンがかかった娘は猛烈に勉強をして、秋よりは多少偏差値が上向きになったものの、第1志望校にはとても届かない状態で、年が明けました。私は連日、受験スケジュール表と睨めっこ。第1志望は記念チャレンジをするとして、第2、第3志望校としては、安全を期して予定よりもレベルを下げた学校を選び、スケジュールを何度も作り直しました。「絶対に全落ちだけは避ける」というミッションを胸に、当初は想定外だった学校を第4、第5志望に組み入れて、セーフティーネットを広げました。
2月1日(首都圏の入試解禁日)からの数日間、それは、想像していた以上に厳しいものでした。初日からつまずき、その後もなかなか合格がつかめなかった娘は、連日、午前・午後の受験を繰り返し、最終的に合格したのは、第4志望の一校のみ。
結果を受けて、「ま、いっか。全落ちしなくてよかった〜」と、娘はサバサバしたものでした。しかし私は「奇跡よ起これ、せめて第3志望校に」という思いを捨て切れず、繰り上げ合格の連絡を待って毎日スマホを握りしめていました。登録のない番号から電話がかかってくるたびに、心臓が飛び出るほど緊張しました。しかし、意中の学校からかかってくることは、ありませんでした。
毎年、繰り上げ合格の連絡がひと段落するころ、塾への報告会が行われます。児童と保護者が菓子折などを持って、進学先を報告がてら、講師の方々にお礼を伝えるのです。その日、塾で会った芳子さんは、とても晴れやかな顔をしていました。娘さんは第1志望校だけでなく、最高レベルのチャレンジ校にも合格、全戦全勝していたのです。
「ずいぶん迷ってね。娘と、先生とも相談をしたのだけど、やっぱり第1志望校へ行くことにしたの。チャレンジ校に受かったことは、本当に彼女の自信に繋がったと思うけど、校風は合わないと思うから」
「本当におめでとう。選べるのが、うらやましいわ!」
「結衣子さんも、サポート本当にお疲れさま。なんとか終わって、お互いにホッとしたわよね。受験前から、いろいろお話しできて助かった。一緒にこの荒波を乗り越えた仲間として、これからも仲良くしてね。情報交換もさせてほしいし」
「もちろん。まだこの先に大学受験も待っているしね。これからもぜひ、お付き合いしてね」
そうやりとりをして、笑顔で別れました。
希さんと紀恵さんとのグループLINEに連絡をしたのは、この塾の報告会が終わり、私自身も諦めがついた3月のはじめごろです。結果を伝えると、2人は「頑張ったね」「お疲れさま」などと労りのメッセージをくれました。「久しぶりにランチはどう?」と送ると、日程を決めよう、というやりとりはあったものの、具体的な日にちは決まらないままでした。
すれ違いの予感は、なぜ当たってしまうのか
卒業式前後のイベントを手伝うため、有休をとって小学校のPTA室へ行くと、希さんと紀恵さんの姿もありました。2人の方へ向かおうとすると、受験組だったほかのママたちから声をかけられました。はじめは遠慮がちに、お互い大変だったよね、と労い合い、やがて誰かが結果をポロリと漏らすと、うちは……とカミングアウト大会がはじまりました。声高に話す内容でもないので、部屋の片隅で作業をしながらこそこそ話していたのですが、大いに盛り上がり、ふと気づくと、希さんと紀恵さんは先に帰ってしまったようです。このときふと、モヤっとしたことを覚えています。私は初めて2人との関係に不安を感じたのでした。いやまさか、しばらく会ってもいなかったし、気のせいだろう。そう考えて、この時はその思いを振り払ったのですが……こういう予感というのは、なぜか当たるものです。
私はLINEを見返してみました。最後に私が送ったランチの候補日程に、2人から返事はありません。ヒヤリとしながら、私はスタンプを送って、「どうかな?」とメッセージを送ってみました。ほどなく希さんからいくつか日程が送られてきたのでホッとしました。ところが紀恵さんからは「残念、どの日もシフト入ってる、ちょっと待ってね」と返事があり、またまたペンディングに。このときも最後のLINEを記したのは私でした。
一度思い込むと、どんどん悪い方へと気持ちが傾いていきます。私はしばらく流し見していた、2人のインスタグラムを確認してみました。わが家が参加できなかった約1年の間に、2家族は新たな思い出をたくさん作っていました。各地へ一緒に出かけている様子、頻繁に行われている飲み会。少し前までそこにあったわが家の姿は、当たり前ですが、どこにもありません。希さんと紀恵さんが2人で韓国旅行をしている投稿もありました。お土産はもらえなかったな……ふとそんなことを考えて、なんて自分は卑しいのだろうと反省します。いやいや、仕方がない。わが家にとって、娘の受験は、かつてないほどの重大事件だったのです。友達関係に気を取られている状況ではなかった、それに2人だって、私のためを思ってあまりコンタクトをとってこなかったはずなのだから、などと、自分を慰めるのでした。
ひとり歩きしてしまった受験の噂話
後日、小学校の別のママからLINEが来ました。娘とは別の塾だったのですが、同じ中学校に進学が決まった女の子のママです。
「受験、大変だったね。○○ちゃん(私の娘)は優秀だから、絶対御三家にいくと思ってたけど。残念だと思ってるかもだけど、ウチのは一緒になれてすごく喜んでるよ。だけど、○○ちゃんは中学に入ったら成績上位確定だから、大学も推薦とか取りやすいだろうし、いいこともあるよ!」
「ありがとう。これから何かとよろしくね」
「なんか小耳に挟んだんだけど、受験前に、△△ちゃん(紀恵さんの娘)が遊びに誘って、○○ちゃんの勉強を妨害してたんだって? だから御三家じゃなかったんだろうって、ウチの子、言ってたけど」
どすんと、胸に鉛が落ちてきたような気がしました。
「え、なんでそんな話に?」
「クラスで噂になってたって。△△ちゃんが、受験する○○ちゃんに嫉妬して、嫌がらせしてたんだって?」
「いやいや、そんなことないよ! まったくのデマ、それは! サボったうちの娘が悪かったんだよ」
「えー、そうなの? なんかそれで、男子が△△ちゃんのこと詰めて、ちょっとイジメっぽくなってるって聞いたよ。卒業式前なのに、ややこしいことになっちゃったね」
これはまずい、困ったことになった。私は事実関係を確認するために、すぐに娘に尋ねました。
「あ〜、なんか、そう。私があのとき、自習室を抜けてたことをほかの男子が見てて、噂してたみたいなんだよね。私は自分が悪いんだって言ったんだけど、△△がこの間ちょっとほかのことで男子たちと揉めたことがあって、その流れで私の話も乗っかってるって感じ。だけど私は、△△とふつうに遊んでるよ」
「そうなの。あなたは、△△ちゃんとは揉めてないんだよね? あなたが変な噂を広めたわけじゃないよね」
「私がそんなことするわけないじゃん。受験の失敗を人のせいにするとか、恥の上塗りでしょ!」
受験の失敗。その言葉は、鋭く私に突き刺さりました。
あのころ、私がもっとしっかりと娘のことを見ていたら、結果は違ったのだろうか。娘の異変にいち早く気づいていたら、△△ちゃんと遊び歩くこともなかったかもしれない。仕事をセーブして、芳子さんのようにきちんとテキストやプリントも整理していれば、もっと上位校に入れてあげられたのでは……。私の暗い表情を見て、娘が言いました。
「ママ。いい加減に切り替えてよ。私はもう、あの学校で頑張るって決めてるんだから。いつまでも、受験を引きずらないでくれる? ママのそういう顔を見ていると、すごい罪悪感、嫌な気持ちになる」
娘はもう、切り替えている。偉いな、と思いました。のんきで、明るいところが娘の取り柄です。ご縁のあった学校への進学を、私もしっかりと受け入れて、娘の新生活を応援しなければ……。
一方で△△ちゃんのことが気がかりでしたが、娘とはふつうに付き合っているとのことだし、紀恵さんも、希さんも、幼いころからうちの娘のことはよくわかっているはずだから、大丈夫だろう。「変な噂があるようだけど」などと、ここで下手に連絡をして、事態をややこしくするよりは、またタイミングがくるときまで待とう。そう考えて、しばらくLINEをすることはありませんでした。
感動の卒業式、からの悲しき宴会
希さんと紀恵さんに会ったのは、小学校の卒業式です。笑顔で集まると、私たちは3家族並んで体育館のパイプ椅子に座りました。卒業生代表の言葉を担当したのは、わが娘でした。
「……私はみんなと別の中学へ進むことになりましたが、この小学校で学んだこと、仲良くしてくれた友達との思い出を絶対に忘れません。本当にありがとうございました」
娘の言葉に、希さんも紀恵さんも、涙を見せていました。
「今夜は久しぶりに3家族でご飯をどう?」
卒業式が終わり、校庭で写真を撮っているとき、私は2人にそう声をかけました。ところが、2人ともなんとなくバツの悪そうな顔をしています。希さんが言いました。
「実は、お店を予約してあるの。結衣子ちゃんちも誘えばよかったかな。いろいろ忙しいのかなと思って」
「あ、そうなんだ。いや全然、大丈夫よ。今からうちの4人、追加できるかなぁ?」
「いや、個室で、人数が決まってて……ごめんね。また近々、仕切り直しで宴会しよう」
そのとき紀恵さんは、スッとその場から離れ、担任の先生と子どもたちの写真を撮りに行ってしまいました。
「うん、そうだね。ほんと、受験があったから、いろいろ生活がめちゃめちゃになってて、まだ家の中も整理できてないし、うん。またぜひね」
風の強い日でした。校庭の砂がさっと巻き上がり、子どもたちのキャーッという声が響きました。それを眺める私の心の中には、もっともっと冷たい風が吹き荒れていました。
その夜、卒業祝いの宴会は、同じ中学校に進むことになった家族と一緒に過ごしました。きょうだい構成も同じだったので、子どもたちは楽しそうにしていたのが、救いでした。私は、何を食べても、おいしいと感じませんでした。完全にハブられていることを知った日だったからです。
中受って摩訶不思議な世界らしいわよ
新生活が始まりました。娘は進学先の環境になじみ、部活動にも参加すると、あっという間に友達の輪を広げていきました。一方私は、保護者の会に参加をしても、積極的に誰かと関わる気持ちにはなれませんでした。なぜ私は2人から遠ざけられてしまったのか、あれこれ想像してはため息をつく日々が続いており、新しいママ友を作る余裕がまったくなかったのです。
夏休みが始まる直前、娘が通っていた塾のそばで、偶然芳子さんに再会しました。
「結衣子さん、会えて嬉しいわ。○○ちゃんは、学校、どう? よかったら、お茶をして行かない?」
カフェに入って、ひと通りお互いの娘の学校事情を話した後、私は芳子さんに、希さんと紀恵さんから避けられてしまったことを話しました。共通の知り合いがいない芳子さんになら、話してもいいと思ったのです。芳子さんは黙って話を聞いてくれた後、言いました。
「なるほど。それは残念だったわね。いいお友達だと思っていたんでしょう?」
「そうなの。娘の受験のときも、応援してくれていると思っていたんだけど」
「……それは、実際どうかな。中受って、させない人たちからすると、摩訶不思議な世界らしいわよ。親が目の色を変えて、過剰にお金をかけて、本来ならば遊ぶ時間に無理やり勉強をさせて。公立からでも東大に行く人はたくさんいるとか、親のエゴとか贅沢だとか、SNSには反対派の意見も溢れてるしね。結衣子さんのお友達も、本当はそんなことを思っていたのかも」
「そんな……」
「中受を選ぶか、選ばないかで、もう、違う世界の住人になったようなものなのよ。自分はそう思わなくても、向こうからそう思われることはある。結衣子さんのどこがどう悪い、ということではなくてね。彼女たちは、彼女たちが心地よいと感じる世界にいるの。結衣子さんには、また新たに付き合いやすい人たちが現れるわよ」
新しいママ友を作る自信がないとこぼすと、芳子さんは私の腕をポンと叩いて笑いました。
「そんな、失恋したみたいなこと言ってないで。○○ちゃんが馴染んでいるのなら、ママも馴染めるはずよ。私、学校ってね、不思議と似た感じの人たちが集まってくるなと思ってるの。ご縁なのよね。来年の今ごろになれば、結衣子さんも、新しいママ友と楽しくやっていると思うな」
芳子さんの言葉で、少し心が軽くなる気がしました。そして、さすが第1志望校に軽々と受かる子のママだな、と感心しました。
「芳子さんはすごいから、こんな、ママ友の関係なんかで悩むことはないでしょう?」
私が言うと、芳子さんは眉を顰めました。
「いや、やっぱり中受では、私もいろいろあったわよ。もともと仲良しだったママ友がいたんだけど、うちの娘と同じ学校に入れたいと張り切っていてね、塾がはじまったら、一方的にマウントを取られるようになったの。無視されて、SNSでもあることないこと書かれたり、ちょっと大変だった。彼女のところは結局、第2志望だった学校へ行ったんだけど、もう不登校になっているみたい。なんだか、ね。受験絡みのママ友問題は、本当に難しいわよね……」
あれから時が経ち、芳子さんが言った通り、娘の学校で気楽に付き合えるママ友が何人もできました。これから大学受験が控えていますが、中受のように親同士が張り合うこともなく、その意味では、平和に過ごすことができそうです。長男の受験は、私がさほど気合を入れず、淡々とテキスト整理にだけ努めた甲斐あってか、スムーズに終わりました。
希さんと紀恵さんとは、近所ですれ違うと笑顔で挨拶を交わしますが、お互いにもはや過去の関係、という感じ……かつてあんなに仲良くしていたことが不思議に思えるほどです。紀恵さんが働くファミレスへ行くこともありますが、割引券はもらえません。それは別にいいのですが。
そして、芳子さんとも、すっかり疎遠になってしまいました。その後何度か会いましたが、芳子さんは娘を東大専門塾やハイレベルな英語塾へ通わせるようになって、早くから大学受験に照準を合わせていったのです。のんびり屋のわが娘との差は開く一方で、話も合わなくなり、どちらからともなく連絡を取らなくなりました。
それこそ芳子さんは、違う世界の住人になっていったのでした。
娘は中高で20センチ以上背が伸びました。幼い受験生だった娘は、もう、どこにもいません。同じように、初めての中受に必死で伴走していた私も、もう、どこにもいないのです。それぞれがその都度居心地のいい世界を探し、気の合う友達と交流する。その繰り返しが人生なのだろうなと、今は思います。
(※本連載は、プライバシー保護の観点から、インタビューに登場した人物の氏名や属性、環境の一部を変更・再構成しています)
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山野井春絵
1973年生まれ、愛知県出身。ライター、インタビュアー。同志社女子大学卒業、金城学院大学大学院修士課程修了。広告代理店、編集プロダクション、広報職を経てフリーに。WEBメディアや雑誌でタレント・文化人から政治家・ビジネスパーソンまで、多数の人物インタビュー記事を執筆。湘南と信州で二拠点生活。ペットはインコと柴犬。(撮影:殿村誠士)
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はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
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手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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