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映画の「現在」という名の最先端 ――蓮實重彦ロングインタビュー

2020年5月8日

映画の「現在」という名の最先端 ――蓮實重彦ロングインタビュー

第1回 執筆中の『ジョン・フォード論』について

聞き手:ホ・ムニョン 翻訳:イ・ファンミ

著者: 蓮實重彦

韓国のインディペンデント映画誌「FILO」。世界各国のシネフィル(映画通)に直接原稿を依頼するという意欲的な編集方針で知られる同誌には、過去に日本を代表する映画監督である黒沢清氏・諏訪敦彦氏、俳優の加瀬亮氏らも寄稿しています。そして、最新の第13号には、長年国内外の映画批評をリードし続けてきた蓮實重彦氏のメールインタビューが掲載。今回、蓮實氏と「FILO」編集部のご厚意により、「考える人」で特別にその日本語版を公開することになりました。
 
今年84歳を迎えた「映画狂人」は、自らが体験した映画史、さらに最前線を見据えて何を語るのか? 映画時評から離れて久しい蓮實氏が現代の映画監督についても率直な評価を明かしたこのロングインタビュー、聞き手を務めたホ・ムニョン氏による充実した後記とあわせて、ぜひお楽しみください。

―まず初めに私どものような小さな雑誌の書面インタビューに応じていただき、誠にありがとうございます。直接お会いしてお話を伺えればよかったのですが、それが叶わずとても残念です。2000年に『監督 小津安二郎』が韓国語で翻訳出版されて以来、2015年には批評選『映画の素肌』(韓国版タイトル、エモーション・ブックス)が、2017年に『夏目漱石論』が、そして2018年に鼎談集『映画長話』まで相次いで翻訳出版されました。2018年には小説『伯爵夫人』の韓国語版も出版されました。
 先生の膨大な書物のほんの一部に過ぎませんが、それでも今は遅ればせながら韓国の読者がその批評に触れるようになりました。先生の文章を読みながら、はたして私は批評する能力と資格があるのかと挫折感を味わいそうになりましたが、その挫折感より学ぶことの方がはるかに大きかったので、先生に感謝の意も申し上げたいと思います。
 以下の質問は先生の批評に触れながら私と同僚たちが気になっていたものの一部になります。恐れ入りますが、先生の数多い著書のすべてにまだ接することができずにおり、また読み終えたとしてもすべてを理解しきれないことから愚問を発することもあるかもしれませんが、どうかご理解いただけますようお願いいたします。

蓮實 頂戴した質問状に目を通しながら、なぜか年来の知人から親しく声をかけられたような気がしてなりませんでした。もちろん、それは愚かな錯覚にすぎず、ホ・ムニョンさんを初め、『FILO』の編集部のどなたともこれまでお逢いしたことはありません。にもかかわらず、映画においては、しばしばこうした錯覚に陥りがちなのです。それは、ある作品に接するとき、そこに間違ってもわたくしの感性を逆なですることのない穏やかなやり方でその肌触りを楽しんでおられる方々が、国籍、年齢、性別を超えて、この世界には間違いなく存在しているという悦ばしい事態にほかなりません。
 自分と同じ作品を擁護する人びとが離れた世界にも存在しているという、ひそかな仲間意識からくる確信ではありません。そうではなく、その人の映画の素肌への触れ方が自分に快い刺激を与えてくれそうな男女とふとめぐり会ったかのような至福の体験が、ここで問われているのだといったらよいでしょうか。そうした感性の持ち主と遭遇しえたことの幸福感が、わたくしにそのような錯覚をもたらしてくれたのでしょう。
 ですから、本来であれば、そのような感性に恵まれておられるだろう『FILO』の編集部の方々を東京の拙宅にお招きして、親しく言葉をかわしあう機会が持てればどんなにかよかったろうにと思わずにはいられません。しかし、現在、家族に病人がおり、わたくし自身も健康上の問題をかかえて通院生活を余儀なくされているので、それも叶いませんでした。どうか、ご理解いただければと願っております。それでは、メールによるインタビューを始めさせていただきます。通訳のイ・ファンミさん、よろしくお願いします。

―何よりもまず、ジョン・フォードに関する著書のことが気になります。現在、進行具合はいかほどでしょうか。そして、いつ発売される予定ですか。この本の執筆にこんなに長い時間を要している一番の要因も聞かせていただけますか。

蓮實 全編が三章からなるわたくしの『ジョン・フォード論』は、その二章と三章はすでにほぼ書きあげられており、10年以上も前に発表されております。また、現在、序章と一章の三分の二ぐらいが書きあげられており、一章の残りの三分の一、そして終章を書き終えれば一応は完成したことになります。全編を読み直し、新たな加筆や細部の修正、そして全体的な調整などをするにしても、今年の終わりには完成するものと思っています。
 では、なぜこれほどの時間がかかってしまったのか。それは、映画批評とは別の領域で、わたくしがフランスの近代文学を研究している学徒であることと深く関わっています。わたくしは、東京大学の文学部に在籍中から、19世紀の作家ギュスターヴ・フローベールGustave Flaubertの『ボヴァリー夫人』(Madame Bovary, 1856)を専攻しており、いまから半世紀以上も昔にパリ大学人文科学部に提出した博士論文も、その作家をめぐる論考でした。それから21世紀のいままでには目も眩むほどの長い時間が流れていますが、ちょうどわたくしが70歳を迎えようとしていた2006年がたまたま『ボヴァリー夫人』の刊行150周年に当たっており、フランスで大々的な記念事業が行われ、それを機にフランスの親しい仲間が開催した国際シンポジウムに招聘されていたので、そこでのかなり長めの発表原稿の執筆を含め、2000年代には、フランスや合衆国の学会誌へのフランス語論文の寄稿に追われていました。
 また、同時に日本語による『「ボヴァリー夫人」論』(筑摩書房、2014)も用意しておりましたが、その前提として、「近代における散文のフィクション」とは何かをめぐっての理論的な考察をかさねておりました。あえて「長編小説」とは呼ばず、ここで「近代における散文のフィクション」と呼んだことが意味を持つ歴史的な文脈というものが存在しているからです。フランス語の長編小説にあたるロマン(Roman)とは、中世では、ローマ時代のラテン語が各地に散在していく過程で、フランス語のようにいわば俗化したラテン語で書かれた散文詩を意味していたからです。また、それ以降も、散文による物語は散発的に存在していましたが、そうしたものが近代的な意味での「長編小説」、すなわちロマン(Roman)とは無縁のものであることを示す目的で、あえて「近代における散文のフィクション」と呼んでいるのです。
 『「ボヴァリー夫人」論』の前提として、わたくしにとってはきわめて意義深い著作である『「赤」の誘惑―フィクション論序説』(新潮社、2007)を刊行したのは、もっぱら近代に盛んになったジャンルとしてのロマン(Roman)、すなわち「長編小説」を、「近代」に生まれた定義しがたいジャンルととらえようとする意図があったからです。しかし、その間、フォードへの執念も断ちきりがたく、2005年の『文學界』の1月号と3月号に、のちに触れる『フォード論』の第二章、第三章となる文章を一応発表してはおりました。そのときは、愚かにも、『フォード論』と『「ボヴァリー夫人」論』を平行して書けるはずだと高を括っていました。しかし、年齢的にそれが不可能だと実感させられましたので、『フォード論』をいったん中断せざるをえないと決断したのです。
 それ以後、『「ボヴァリー夫人」論』の執筆のため5、6年を費やし、ついに2014年に刊行することが出来ました。つまり、2000年代の前半から2010年代の中程までは、余儀なくフランス文学の研究に時間を費やさざるをえず、それがジョン・フォード論の刊行が大幅に遅れた主な原因なのです。
 もちろん、その間、文芸雑誌の『群像』などに「映画時評」は毎月書いておりました。しかし、『「赤」の誘惑―フィクション論序説』や『「ボヴァリー夫人」論』の推敲と執筆は、映画を考えるために必須の迂回でもありました。それは、『ジョン・フォード論』の執筆にとって、まったく無駄ではありませんでした。というのも、映画と「近代における散文のフィクション」としての「長編小説」とは、まったく無縁のものとはいえないからです。ギリシャ以来の西欧の古典的な美学の伝統は、文芸のジャンルとして、「劇文学」、「抒情詩」、「叙事詩」の三つしか想定しておらず、したがって「近代における散文のフィクション」というものを、伝統的な美学では扱えなかったのです。だから、ほとんどの理論家たちは、20世紀にいたるも、「近代における散文のフィクション」を「叙事詩」の一ジャンルとしてしか扱いえなかったのです。
 ところが、「近代における散文のフィクション」は「叙事詩」とはまったく異なるものです。実際、フローベールFlaubertには「散文は昨日生まれた」《La prose est née d’hier》という強い自覚があったのです。それは、ミシェル・フーコーMichel Foucaultが『言葉と物』(Les Mots et les Choses, 1966)で述べていたあの「人間」l’Hommeという、その生誕の時期を古典主義的な思考が機能しえなくなった19世紀の初めと限定しうる一時期に捏造された新たな現実の誕生とほぼかさなりあうようにして、「近代における散文のフィクション」が初めて現れたものであります。すなわち、それは、古典的な美学の伝統では扱いかねる異端児というか、正統的な父親を欠いた私生児、西欧の伝統的な文化にとっては非嫡出子のようなジャンルだったのです。
 映画もまた、西欧の古典的な美学の伝統によっては扱いかねるいわば私生児として誕生したものでした。だから、「民主主義」などのように、ギリシャ以来の伝統的な西欧的な思考体系によってものを見たり語ったりするものたちをかりに「人類」とするなら、「近代における散文のフィクション」は、視覚的なフィクションとしての「映画」もまた、いわゆる「人類の遺産」には組みこまれえないものなのです。それは、それまで存在していなかった「人間」なるものが捏造したいかがわしい私生児的な何ものかにほかなりません。だから、「散文のフィクション」と「映画」とは、その非嫡出子性において、どこかで通じあっていると思っているのです。

―『ジョン・フォード論』の各章のタイトルをいくつか教えていただけますでしょうか。私たちはすでに発表された文章の中から、「投げること」や「翻る白さの変容」が見出しになるのではないかと認識していますが…。

蓮實 すでに述べましたように、わたくしが現在執筆中の『ジョン・フォード論』は三つの章からなっており、それにかなり長い序章と終章がつくことになりますので、ある意味では五部構成と考えることもできます。ご指摘の「翻る白さの変容」は、三つの段落からなる終章の最後に来ることになるでしょう。また、「投げること」は、第三章「身振りの雄弁―ジョン・フォードと『投げる』こと」におさまることになります。
 そこで、ひとまず全体の構成をお話ししておきます。すでに発表済みの「序章」(『文學界』、2019年12月号)は、「フォードを論じるために」の総題の下、「憎悪は増殖する」、「ブレヒトBrecht的な映画作家?」、「盲目、あるいはバザンBazinの『呪い』」の三つの段落からなっています。
 第一章の総題はまだ決まっていませんが、「馬など」、「樹木」、「そして人間」という三つの段落からなっています。第二章は「『囚われる』ことの自由」というのがその総題で、三つの段落の題はまだつけてはいませんが、Iは「追跡による追跡の廃棄」、「『囚われる』こと、『奪還する』こと」、「幽閉と自由」となっており、IIは「論告と弁護」、「女王の最期、大統領の誕生」、「医師の受難」、「救出とその対価」となっています。IIIは「概念と主題」、「ジョン・ウェイン、この脆弱なヒーロー」、「『禁止』の力学と女性」、「撃つこと=抱きあげること」という段落からなっています。
 また、第三章の「身振りの雄弁―ジョン・フォードと『投げる』こと」は、これも三つの段落からなっています。その段落の題はまだついてはいませんが、Iは「上院議員と郵便バッグ」、「ラム酒、コイン、石ころ」、「変化への動体視力」からなり、IIは「知られざる/知られすぎた作家」、「文体と主題」、「火を灯すこと、マッチを捨てること」、「多様性」、「孤独な身振りと連帯」という段落を含んでいます。IIIを構成する段落は、「『投げる』女たち」、「幸運な石/不幸な石」、「孤独」、「透明と混濁」となっています。
 まだ書いてはいない「終章」は部分的にフォードとセクシュアリティの問題を論じることになるでしょうが、そこでは、『これが朝鮮だ』(This is Korea, 1951)の撮影中にフォードが面識を得たという《a Korean Lady》にも触れるつもりですので、ことによると、今後新たな資料などについてお問い合わせをすることになるかもしれません。
 以上が現在執筆の最終段階に入っているわたくしの『ジョン・フォード論』の構成です。もちろん、章立てやそれを構成している複数の段落の題名はまだ決定的なものではなく、最終的なテクストを出版社に渡すまでに、なお変化する可能性がないとはいえません。しかし、書物の構成を根本的にくつがえすような大幅な書きかえはなかろうと思います。
 以上で、わたくしの『ジョン・フォード論』がどのような書物になるか、ほぼご理解いただけたかと思います。あるいは、かえって混乱させてしまったかもしれませんが、そうでないことを祈るのみです。

第2回へつづく

蓮實重彦

はすみ・しげひこ 1936(昭和11)年東京生れ。東京大学文学部仏文学科卒業。1985年、映画雑誌「リュミエール」の創刊編集長、1997(平成9)年から2001年まで第26代東京大学総長を務める。文芸批評、映画批評から小説まで執筆活動は多岐にわたる。1977年『反=日本語論』で読売文学賞、1989年『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュ・カン論』で芸術選奨文部大臣賞、1983年『監督 小津安二郎』(仏訳)で映画書翻訳最高賞、2016年『伯爵夫人』で三島由紀夫賞をそれぞれ受賞。他の著書に『批評あるいは仮死の祭典』『夏目漱石論』『大江健三郎論』『表層批評宣言』『物語批判序説』『陥没地帯』『オペラ・オペラシオネル』『「赤」の誘惑―フィクション論序説―』『「ボヴァリー夫人」論』など多数。1999年、芸術文化コマンドゥール勲章受章。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

蓮實重彦

はすみ・しげひこ 1936(昭和11)年東京生れ。東京大学文学部仏文学科卒業。1985年、映画雑誌「リュミエール」の創刊編集長、1997(平成9)年から2001年まで第26代東京大学総長を務める。文芸批評、映画批評から小説まで執筆活動は多岐にわたる。1977年『反=日本語論』で読売文学賞、1989年『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュ・カン論』で芸術選奨文部大臣賞、1983年『監督 小津安二郎』(仏訳)で映画書翻訳最高賞、2016年『伯爵夫人』で三島由紀夫賞をそれぞれ受賞。他の著書に『批評あるいは仮死の祭典』『夏目漱石論』『大江健三郎論』『表層批評宣言』『物語批判序説』『陥没地帯』『オペラ・オペラシオネル』『「赤」の誘惑―フィクション論序説―』『「ボヴァリー夫人」論』など多数。1999年、芸術文化コマンドゥール勲章受章。

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