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映画の「現在」という名の最先端 ――蓮實重彦ロングインタビュー

2020年5月9日

映画の「現在」という名の最先端 ――蓮實重彦ロングインタビュー

第2回 『市民ケーン』は真に偉大な作品か?

聞き手:ホ・ムニョン 翻訳:イ・ファンミ

著者: 蓮實重彦

韓国のインディペンデント映画誌「FILO」。世界各国のシネフィル(映画通)に直接原稿を依頼するという意欲的な編集方針で知られる同誌には、過去に日本を代表する映画監督である黒沢清氏・諏訪敦彦氏、俳優の加瀬亮氏らも寄稿しています。そして、最新の第13号には、長年国内外の映画批評をリードし続けてきた蓮實重彦氏のメールインタビューが掲載。今回、蓮實氏と「FILO」編集部のご厚意により、「考える人」で特別にその日本語版を公開することになりました。
 
今年84歳を迎えた「映画狂人」は、自らが体験した映画史、さらに最前線を見据えて何を語るのか? 映画時評から離れて久しい蓮實氏が現代の映画監督についても率直な評価を明かしたこのロングインタビュー、聞き手を務めたホ・ムニョン氏による充実した後記とあわせて、ぜひお楽しみください。

第1回はこちら

―実現に至るかはともかく、本の題材として書きたいと考えている監督がもうひとりいるとしたら、誰ですか。

蓮實 モノグラフィーとして書きたいと考えているのは、個々の監督というより、むしろある時代の肖像です。それは、『ハリウッド映画史講義―翳りの歴史のために』(筑摩書房、1993)という書物で部分的に実現されているものですが、いまなお興味深く思っているのは、40年代後半から50年代にかけてのハリウッドの製作体制の改新とその挫折そのものです。その時期は、マッカーシーイズムによるいわゆる「赤狩り」の一時期にもかさなっていますが、一方では、RKOから有為の新人監督たち、すなわちニコラス・レイNicolas Rayを『夜の人々』(They Live By Night, 1948)で、またジョセフ・ロージーJoseph Loseyを『緑色の髪の少年』(The Boy with Green Hair, 1948)でデビューさせたプロデューサーのドーリ・シャリーDore Scharyの存在が重要に思われます。実際、彼のキャリアにはいまなお強く惹かれるものがあります。
 ハワード・ヒューズHoward HughesにRKOを乗っ取られてMGMに移ってからの彼は、『ビッグ・リーガー』(Big Leaguer, 1953)でロバート・アルドリッチRobert Aldrichの監督デビューに力を貸し―製作者としては名を連ねていませんが―、ヴェテランのウィリアム・A・ウェルマンWilliam A. Wellmanの『女群西部へ !』(Westward the Women, 1951)や新進気鋭のジョン・スタージェスJohn Sturgesの『日本人の勲章』( Bad Day at Black Rock, 1955)、さらにはヴィンセント・ミネリVincente Minnelliの『バラの肌着』(Designing Woman, 1957)など、製作規模はさして大きくないものの、内容的にはきわめて充実した興味深い作品をプロデュースしています。もちろん、彼は、ジャック・ワーナーJack Warnerだのダリル・F・ザナックDarryl F. Zanuckなどといったハリウッド最盛期のプロデューサーではなく、まさにその退潮期にBig Fiveの二つ、すなわちRKOとMGMとで、いわばハリウッドの喪の作業に従事していたという点でも、きわめて興味深い存在だと思っています。ところが、ドーリ・シャリーは合衆国においてもいまだ正当に評価されてはいないのです。
 さらに、40年代から 50年代にかけて活躍したプロデューサーとして、キング兄弟King Bros.の名前を忘れることは出来ません。何よりもまず、モーリスMaurice、フランクFrank、ハイマンHymanというこの三兄弟は、脚本家のフィリップ・ヨーダンPhilip Yordanを起用したマックス・ノセックMax Nosseck監督の『犯罪王ディリンジャー』(Dellinger, 1945)やジョゼフ・H・ルイスJoseph H. Lewis監督の『拳銃魔』(Gun Crazy, 1950)、ウィリアム・キャメロン・メンジースWilliam Cameron Menzies監督の『南部に轟く太鼓』(Drums in the Deep South, 1951)など、封切り当時のわたくしのお気に入りだったB級の犯罪活劇や西部劇を製作したことで知られるプロデューサーですが、彼らの活動には、わたくし自身がそうしたB級作品に接した1950 年代から21 世紀の今日まで、強い興味をいだき続けています。60年代に入ってからは、日本の怪獣映画を買い付けてアメリカに公開したりしています。
 もっとも、この二つの名前についてのモノグラフィーを書くつもりはありません。ドーリ・シャリーとキング兄弟については、いつか、何かの機会に回顧上映=レトロスペクティーヴのようなものが開催できれば、などと考えているところですが、おそらくわたくしの年齢からして、それも無理でしょう。

―先生はジョン・フォード、小津安二郎、ジャン・ルノワールが映画史において最も偉大な監督だとおっしゃってきました。彼らは映画史120年の前半期に活動した人々で、無声映画時代を経てきた人たちです。映画史の後半期には、この三人に匹敵するような監督はいないとお考えですか。もしそうであれば、その理由は個人的な才能の問題や時代の問題、もしくは環境の問題なのでしょうか、これについていかがお考えでしょうか?

蓮實 フォード、小津、ルノワールという三人をもっとも偉大な監督だといったかどうか、はっきりした記憶はありません。ただ、映画についてものを書き始めた1970年代の初頭に、できればモノグラフィーを書いてみたい映画作家として、その三人の名前を挙げたような漠たる記憶はあります。それは、偉大さとは関係のない相性のよさの問題なのです。つまり、彼らは自分にも書けそうだという雰囲気のようなもの親しく漂わせてくれる作家たちであって、必ずしも偉大な作家として意識していたのではありません。
 偉大な監督というのであれば、グリフィスGriffithもいるし、シュトロハイムStroheimもいるし、ムルナウMurnauもいるし、ドライヤーDreyerもいる。それにラングLangを加えてもよいでしょうが、いずれも文字通り偉大な作家たちです。しかし、わたくしの生まれるより遥か以前から活躍していたこうした真に偉大な作家たちについては、怖ろしくて書く手が震えてしまいます。ですから、これまで断片的にしか触れたことがありませんでした。日本でいうなら、溝口健二。彼も偉大な作家なのですが、どこかでこちらを誘ってくれているようなところもあるので、比較的に長い文章を書くことができました。
 では、こうした真に偉大な古典的な作家たちに匹敵するような監督が「映画史の後半期」にあたるいま、いるのかいないのかといえば、いや、おります。間違いなく存在しています。ジャン=リュック・ゴダールJean-Luc Godardは、まぎれもなくそうした一人です。2018年度の『FILO』誌のベスト・テンに彼の『イメージの本』(The Image Book, 2018)を入れなかったのは、わたくしがそれを見たのがかなり早い時期だったからという理由にすぎません。ただ、ゴダールの作品は、わたくしに書けと誘ってはおりません。むしろ、書くなと禁じているというか、書かれることに関してまったく無関心のようなところすらあります。だからこそ、そのつどその禁止の力学やその無関心にさからうように発言することの快楽を、彼の作品はわたくしに委ねてくれるのです。その意味で、ゴダールは「楽しい」作家だと思います。実際、『ゴダール革命』(筑摩書房、2005)以後も、彼の作品については、新作ごとに決まって論じております。
 ゴダールとともに、いずれも1930年生まれの三人組、クリント・イーストウッドClint Eastwood、フレデリック・ワイズマンFrederic Wisemanなどは、古典的な五人組とは別のかたちで映画史を支えるきわめて貴重な作家たちです。また、彼らとほぼ同世代にあたる胡金銓King HuやストローブとユイレStraub et Huilletもきわめて重要です。そうした名前に続くものとして、侯孝賢Hou Hsiao-Hsien, それから、惜しくも夭折してしまいましたが楊徳昌Edward Yang、これも故人となったアレクセイ・ゲルマンAleksei Germanなど、挙げればきりがありません。そのとき、問題は二つあるように思えます。一つは、現在のハリウッドに、すでに挙げておいた偉大なる作家たちに匹敵すべき人材がいるのか、という問題。それから、ソ連、ロシア時代にはたしてそれに匹敵するような貴重な監督がいるのか、という問題です。
 それは、映画史といえば決まって名前が挙がってくるエイゼンシュテインEisenshteinが、はたして本当に貴重な作家かという問題だといい換えてもかまいません。あるいは、オーソン・ウェルズOrson Wellsの『市民ケーン』(Citizen Kane, 1941)は、真に偉大な作品なのかと問い直してもよいでしょう。『ストライキ』(Strike, 1925)や『戦艦ポチョムキン』(Battleship Potemkin, 1925)が興味深い作品である以上に、優れて貴重な作品であることはいうまでもありません。だが、それ以後の彼の作品は、はたしてそれ以上に重要でしょうか。どうも、そうは思えません。たとえば、『帽子箱を持った少女』(The Girl with the Hat Box, 1927)や『青い青い海』(By the Bluest of Seas, 1936)を撮ったボリス・バルネットBoris Barnetよりエイゼンシュテインの方がより重要な作家だといったい誰がいえるのでしょうか。あるいは、『ベッドとソファ』( Bed and sofa, 1927)や『未来への迷宮』(A Severe Young Man, 1935)を撮ったアブラム・ロームAbram Roomよりエイゼンシュテインの方が重要だと、誰がいえるのでしょうか。いえないと思います。
 また、『市民ケーン』は、今日的な視点からして、同じ年に撮られたプレストン・スタージェスPreston Sturgesの『レディ・イヴ』(The Lady Eve, 1941)やヒッチコックAlfred Hitchkockの『スミス夫妻』(Mr. and Mrs. Smith, 1941)、 ハワード・ホークスHaward Howksの『教授と美女』(Ball of Fire, 1941)、さらにはラオール・ウォルシュRaoul Walshの『ハイ・シエラ』(High Sierra, 1941)などに較べて、決定的に優れているといえるのでしょうか。いや、いえないはずです。
 21世紀のわたくしたちにできることは、映画史的な視点から、エイゼンシュテインと『市民ケーン』の盲目的な絶対視を慎しみ、それらを相対化することにあるはずです。とはいえ、それは、エイゼンシュテインの後期の作品や『市民ケーン』を否定することを意味してはおりません。それにふさわしい位置に据え直すことが、むしろ彼らを映画史に生き返らせる有効な手段だと思っています。質問の意味からはややそれた答えになってしまったかもしれませんが、今日的な視点からして重要なことを述べたつもりです。

第3回へつづく

蓮實重彦

はすみ・しげひこ 1936(昭和11)年東京生れ。東京大学文学部仏文学科卒業。1985年、映画雑誌「リュミエール」の創刊編集長、1997(平成9)年から2001年まで第26代東京大学総長を務める。文芸批評、映画批評から小説まで執筆活動は多岐にわたる。1977年『反=日本語論』で読売文学賞、1989年『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュ・カン論』で芸術選奨文部大臣賞、1983年『監督 小津安二郎』(仏訳)で映画書翻訳最高賞、2016年『伯爵夫人』で三島由紀夫賞をそれぞれ受賞。他の著書に『批評あるいは仮死の祭典』『夏目漱石論』『大江健三郎論』『表層批評宣言』『物語批判序説』『陥没地帯』『オペラ・オペラシオネル』『「赤」の誘惑―フィクション論序説―』『「ボヴァリー夫人」論』など多数。1999年、芸術文化コマンドゥール勲章受章。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

蓮實重彦

はすみ・しげひこ 1936(昭和11)年東京生れ。東京大学文学部仏文学科卒業。1985年、映画雑誌「リュミエール」の創刊編集長、1997(平成9)年から2001年まで第26代東京大学総長を務める。文芸批評、映画批評から小説まで執筆活動は多岐にわたる。1977年『反=日本語論』で読売文学賞、1989年『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュ・カン論』で芸術選奨文部大臣賞、1983年『監督 小津安二郎』(仏訳)で映画書翻訳最高賞、2016年『伯爵夫人』で三島由紀夫賞をそれぞれ受賞。他の著書に『批評あるいは仮死の祭典』『夏目漱石論』『大江健三郎論』『表層批評宣言』『物語批判序説』『陥没地帯』『オペラ・オペラシオネル』『「赤」の誘惑―フィクション論序説―』『「ボヴァリー夫人」論』など多数。1999年、芸術文化コマンドゥール勲章受章。

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