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映画の「現在」という名の最先端 ――蓮實重彦ロングインタビュー

2020年5月12日

映画の「現在」という名の最先端 ――蓮實重彦ロングインタビュー

第5回 蓮實重彦の批評は難解なのか――『FILO』誌編集部による後記

文:ホ・ムニョン 翻訳:イ・ファンミ

著者: 蓮實重彦

韓国のインディペンデント映画誌「FILO」。世界各国のシネフィル(映画通)に直接原稿を依頼するという意欲的な編集方針で知られる同誌には、過去に日本を代表する映画監督である黒沢清氏・諏訪敦彦氏、俳優の加瀬亮氏らも寄稿しています。そして、最新の第13号には、長年国内外の映画批評をリードし続けてきた蓮實重彦氏のメールインタビューが掲載。今回、蓮實氏と「FILO」編集部のご厚意により、「考える人」で特別にその日本語版を公開することになりました。
 
今年84歳を迎えた「映画狂人」は、自らが体験した映画史、さらに最前線を見据えて何を語るのか? 映画時評から離れて久しい蓮實氏が現代の映画監督についても率直な評価を明かしたこのロングインタビュー、聞き手を務めたホ・ムニョン氏による充実した後記とあわせて、ぜひお楽しみください。

第4回はこちら

およそ、生真面目な悲劇性ほど<知>にふさわしからぬものもまたとあるまい。何にもまして、艶やかな色気と、爽快な笑いとで<知>を軽やかに彩らねばならぬ。そして、いくぶんかの距離の意識をもって、言語にしなやかなうねりを与えること。実際、動くことを知らない<知>は、醜さと同義語にほかならぬ。

(蓮實重彦共著『知のモラル』、小林康夫・船曳建夫編、東京大学出版会、1996)

 爽やかな笑い、軽やかさ、柔軟な距離の意識、しなやかなうねりのような動き…。東京大学教養学部のサブテキストとして出版された本の末尾に書いてある「執筆者紹介の一言」で、蓮實重彦が大学の新入生に勧める知の態度だ。そして、これは蓮實自ら60年に近い執筆人生で実践しようとした批評的態度でもある。がしかし、知の行為である批評においてこれは実現可能なことだろうか。だとしたら、どのようにして可能だろうか。
 2003年8月、第3回光州(クァンジュ)国際映画祭に訪れた蓮實氏のことを思い出す。光州銀行の会議室に集まった20人足らずの聴衆の前で、彼はジョン・フォードに関する講演を始めた。講演の題名は「ジョン・フォードと『投げる』こと」だった(この講演録は韓国で出版された批評集『映画の素肌』(蓮實重彦著、パク・チャンハク訳、エモーション・ブックス、2015)に載っており、近々日本で出版される彼の『ジョン・フォード論』にも載せられる予定である)。30本あまりのフォード映画から選んできたビデオクリップを先に見せてもらった。講演の要旨はシンプルだった。大半のフォードの映画では主要人物が何かを投げ、この行為の後、概ね重大なことが起こるということだった。2000年に韓国で出版された『監督 小津安二郎』 (蓮實重彦著、ユン・ヨンスン訳、ハンナレ出版)も読んでおり、彼の短い批評文にもいくつか触れたことはあったが、この講演を聞いてただ呆然となるばかりだった。
 私は一体何を見てきたのだろうか。個人的にジョン・フォードのファンであることを自任してきたが、この講演の前ではフォード映画を1本も見ていなかったことと同様だった。物語の起伏が最小化され、日常の細部が躍動する小津映画の批評で試みられた方法論が、西部の男や残酷な生存ゲーム、モニュメントバレーでの叙事詩的な映画の批評でも用いられるとは夢にも思わなかった。日本の小説家である松浦理英子の表現を借りれば、「天から地に向かって降るものだとばかり思っていた雨が突然右から左に向かって降ったかのような」驚きだった(松浦理英子「蓮實重彦を初めて読んで驚く人のためのガイダンス」、『夏目漱石論』、蓮實重彦著、講談社文芸文庫、2012に収録) 。このような人の前ではフォードの話は口にしないほうがいいだろう。しかし、しばらくすると心の奥底から同時に意地悪な疑問も浮かび上がった。“それで何? 人物が何かをよく投げて、その後に重要な出来事が起きるということがフォード映画の偉大さと何の関係があるというのか?” 
 我々は蓮實の批評がしばしば難解だと感じる。何か断固たる主張を長々と述べ立てているが、合理的な根拠と言える言葉はなかなか登場しない。これは1970年代に彼が初めて日本に紹介したジル・ドゥルーズやミシェル・フーコー、ジャック・デリダのようなフランス哲学者たちの概念的な難解さとは無縁である。この難解さの理由はむしろその向きが正反対である。 蓮實の批評は解釈を求めない。正確に言えば彼は解釈を軽蔑する。解釈などは「無駄な饒舌」に過ぎないのだ。
 彼の映画批評では解釈の言葉を経由しなければならない要素は削られる。物語はショットの連鎖によって、キャラクターは役者の顔と形象によって、出来事は人物たちの身振りと行為(行動ではない)によって置き換えられる。勿論、時代や思潮、作家の思想や世界観のようなものは初めから入り込む余地などない。彼の批評的な触手で触れる細部は人間と世の中に対するある種の判断と感想が介入された上位の、あるいは深層の命題に奉仕する下位の機能ではなく、あくまでも独立した物質性を持った表層の記号であり、この記号との無媒介的な遭遇こそ「映画の素肌」との対面であり、蓮實の用語から言わせると「批評体験」である。彼がかつて唱えた「表層批評」はこの批評体験の言語的な実体化だ。
 これらの記号から蓮實はロラン・バルトから受け継いだと思われる自己流の「テマティスム(主題論)」(映画作家や小説家の意図とは無関係に、ある「作品」に散見されるテーマ群―色彩や形象や数など―を拾い出しては繋ぎ合わせ、その「作品」が語っていることになっているのとは別の、もうひとつの「物語」を紡ぎ上げるというもの) (佐々木敦、『ニッポンの思想』、講談社現代新書、2009)を再構築する。『監督 小津安二郎』は、蓮實のテマティスムが最も美しく展開された代表作だ。要するに彼の批評というのは、対象作品に関連した他の作品の鑑賞以外にいかなる予備知識など要求しない。なので、もしかしたら彼の批評は最も易しいと言うこともできる。
 だが、我々が彼の批評で依然として驚きと不慣れを感じるならば、また“それで何?”という問いかけから離れないのであれば、それは我々がどうしても意味という束縛から逃れられないからだろう。蓮實はそれをよく知っており、自らそこから抜け出せるとも言い切らない。それゆえに、彼はより頑なに「表層」と「今」という、去勢されることで意味が導き出される時空間に没頭する。彼にとってはその没頭こそが意味であり、彼の表現を借りれば「物語」であり、ちょっとした操作だけで簡単に正反対側に転化してしまう一般の真理命題の凡庸と虚弱さを牽制できる唯一の姿勢である。彼は、その姿勢を鼓舞する映画、意味に対する強迫から離れ、表層の動きだけで直ちに感化を与えるような映画を絶えず賛美する。いや、映画こそそれを完全に可能にさせた存在である。だから映画は作家の意識やら何やらによって汚染される前に、一つのショットだけで成立してしまうのだ。蓮實にとっていい映画というのは「的確なショット」や「強いショット」に他ならない。
 勿論、我々は反問することだってできる。「書くこと」と「読むこと」は根本的に説得や論証の名で美化される権力作用を真似た行為ではないか。書く者の願望とは関係なく、言葉で書かれた書物は読む者にその意味を強制する力ではないか。ここで問題になるのは、間違った意味あるいは不正確な意味ではなく「書くこと」と「読むこと」に内在された意味の権力作用である。蓮實が映画に魅せられた本当の理由の一つは、映画は広い意味での「書くこと」になるにもかかわらず、まさにそのような権力作用から抜け出し、凝視という力を取り戻してくれたことにあるだろう。ところで、映画を批評という言語行為で書き直す時、裏腹にその権力作用は裏口から再び入ってくることになるのではないか。それがそこにあるからという同語反復、あるいは「美しい」「恐ろしい」など書く者が自分自身に向かって吐き出す感嘆詞以外、いったい映画に対して何を書けるというのだ。
 蓮實の批評の荒唐無稽さはここから始まる。一切のメタ言説を拒否し、映画の細部あるいはオブジェ(物)の即物性に限りなく近づこうとする言葉の這って行くような姿勢、主部と述部を忘れるほど長い蔓衍体の文章、根も葉もない一回性の系譜学、説明を省いた挑発的断言は、意味を永遠に括弧に入れたまま自分の批評をいかなる確定記述にも還元されまいと取っている必死な振る舞いだろう。ここにはただ映画のオブジェたちと同行しようと全力を尽くしていること、したがって映画そのものに近づこうとする遂行的行為があるだけだ。テクストに権限を与える「絶対的に正しい意味」に没頭する経典主義も、読む側に権限を与える無限大の「相対的に正しい意味」を想定する読者至上主義もここにはない。「正当な意味」自体が棄却される。
 蓮實の批評は起源も完結も中心もない、つまり、あらゆる部類の碇泊の誘惑を拒む終わりのないパフォーマンスである。爽やかな笑い、軽やかさ、柔軟な距離の意識、しなやかなうねりのような動き…。彼が若い学生たちに勧めた「知の態度」は、それゆえ高度な知的緊張と「底なしの愚かさに墜落する勇気」を必要とするだろう。それがおそらく「品のある魅力」という言葉に込められた徳目ではないか。

 インタビューは書面で行われた。多くの質問を用意したが、様々な理由でかなり減らすしかなかったことは極めて残念だ。それにもかかわらず、蓮實重彦は質問一つ一つに対して私たちの予想をはるかに超えるほど、とても丁寧で詳しい回答を送ってくれた。誌面を借りてもう一度深く感謝の気持ちを伝えたい。

(おわり)

(初出=韓国のインディペンデント映画誌『FILO No.13』/ 매거진 필로 / 2020年3・4月号) 

蓮實重彦

はすみ・しげひこ 1936(昭和11)年東京生れ。東京大学文学部仏文学科卒業。1985年、映画雑誌「リュミエール」の創刊編集長、1997(平成9)年から2001年まで第26代東京大学総長を務める。文芸批評、映画批評から小説まで執筆活動は多岐にわたる。1977年『反=日本語論』で読売文学賞、1989年『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュ・カン論』で芸術選奨文部大臣賞、1983年『監督 小津安二郎』(仏訳)で映画書翻訳最高賞、2016年『伯爵夫人』で三島由紀夫賞をそれぞれ受賞。他の著書に『批評あるいは仮死の祭典』『夏目漱石論』『大江健三郎論』『表層批評宣言』『物語批判序説』『陥没地帯』『オペラ・オペラシオネル』『「赤」の誘惑―フィクション論序説―』『「ボヴァリー夫人」論』など多数。1999年、芸術文化コマンドゥール勲章受章。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

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金寿煥

著者プロフィール

蓮實重彦

はすみ・しげひこ 1936(昭和11)年東京生れ。東京大学文学部仏文学科卒業。1985年、映画雑誌「リュミエール」の創刊編集長、1997(平成9)年から2001年まで第26代東京大学総長を務める。文芸批評、映画批評から小説まで執筆活動は多岐にわたる。1977年『反=日本語論』で読売文学賞、1989年『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュ・カン論』で芸術選奨文部大臣賞、1983年『監督 小津安二郎』(仏訳)で映画書翻訳最高賞、2016年『伯爵夫人』で三島由紀夫賞をそれぞれ受賞。他の著書に『批評あるいは仮死の祭典』『夏目漱石論』『大江健三郎論』『表層批評宣言』『物語批判序説』『陥没地帯』『オペラ・オペラシオネル』『「赤」の誘惑―フィクション論序説―』『「ボヴァリー夫人」論』など多数。1999年、芸術文化コマンドゥール勲章受章。

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