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三品輝起×島田潤一郎「雑貨の地図と断片化する世界」

2020年11月6日

三品輝起×島田潤一郎「雑貨の地図と断片化する世界」

後篇 スモールビジネスをつなぎとめるささやかな倫理

著者: 三品輝起 , 島田潤一郎

東京・西荻窪で雑貨店「FALL」を営む三品輝起さんが、「考える人」に連載したエッセイに書下ろしを加えた『雑貨の終わり』が2020年8月に出版されました。刊行を記念して、9月16日には下北沢の本屋B&Bで、三品さんのデビュー作『すべての雑貨』の編集・出版を手がけられた夏葉社の島田潤一郎さんとのオンライン配信のトークイベントを開催。三品さんが半径10メートルの店内から観察した「雑貨化」と、パラレルに進行する断片化する世界。もはや資本に覆われた世界の外部に私たちは立つことができないのか?! 白熱した対話の模様を前後篇に分けてお届けします(司会・構成:小林英治)。

(前篇はこちらから)

島田 雑貨の終わり』には、意図的であるか分からないけど、雑貨文化というのは日本特有のものだという言い方が何回か出てくると思うんですが。

三品 はい。やっぱり日本の雑貨文化はすごい特異で、文学と一緒で、「アメリカの影」が常につきまとっているんですね。日本の雑貨史は戦後の輸入雑貨から始まっています。1960年代のソニープラザが最初期の雑貨屋のひとつと言われてますけど、要するに日本人のライフスタイルというものが戦争でいったん途切れてしまって、戦前のライフスタイルを誰も継承したくないし、しないような教育も受けてきたせいで、若者たちは日本風であることをたいへんダサく思ってたわけですよね。だから、こうやってアメリカのライフスタイルに憧れるかたちでスタートした雑貨文化は、80~90年代にピークを迎えます。つまり欧米の暮らしを夢見るお洒落雑貨が雑貨界の頂点に君臨していた時代があったんです。それを僕は「前期雑貨時代」と呼んでいますけど、その部分は日本独自だし、やっぱり哀しみがあるんですよ。もうひとつ、雑貨文化の陰画的なものとしてオタク文化が挙げられると思うんですけど、いずれも日本の歪な戦後の文化を象徴しています。でも、もう少し時代が下って「断片化」の段階にまで進むと、それは世界中、少なくともAmazonがあるような国では誰もが影響を受けていて、断片化すればするほどインターネット・ショッピングの世界に最適化していくはずです。つまり物理的なものに対する感覚っていうものはどんどん変わっていく。きっと断片化した世界が当たり前の世代の子に、「雑貨化してる」と言っても、「だから何? してていいじゃん」っていう答えが返ってくるでしょう。

島田 そうでしょうね。そしてそれは急速な流れのような気がします。『すべての雑貨』を書店営業していたときは、僕もものすごく三品さんに影響を受けて、「すべてが雑貨化してますよね!」みたいな感じで営業していたんですけど、全然通じなかった(笑)。でも、3年たった今では、その前提で話をしてる気がします。

三品 「雑貨化」浸透してますか?!

島田 「雑貨化」という言葉としてはそんなに浸透はしてないと思うけど、感覚としては共有されてる気がする。そういう意味では3年でずいぶん変わりました。だからといって、今の世の中に悲観してるわけでもないし、その商売に対してつまらないと思ってるわけではまったくないわけですよ。僕が忘れられないのは、『古くてあたらしい仕事』を去年の秋に出したとき、三品さんがさっきもおっしゃった倫理という言葉でこの本を褒めてくれたことです。

三品 ああ、メールに書きましたね。

島田 それまで自分の中で倫理という言葉は、特にそれをよすがにして何かを考えるということはなかったんですけど、三品さんがそう言ってくれたときに、「ああっ!」って。これでいいのかもと思えました。

三品 はっきり言って、スモールビジネスというものを擁護する言葉って今もうないですよ。構造改革だ何だって、結局、赤字の企業はさっさと退場してもらって、もっと生産性の高い企業に再就職してくださいってことでしょ? 経済が成長しつづけるってそういうことですから。それが今の世の中のあたり前の考え方で、大企業ばかり儲かって、日本の中小企業はほとんど赤字ですよ。僕とか島田さんみたいにひとりでやってるスモールビジネスになってくると、統計の数にも入ってないようなものだし、もう好きにやってればいいってことなんだと思うけど、やっている本人としては、やっぱりやってる意義がほしいじゃないですか。やっている意味があると思いたい。島田さんはそのことを、本の中で、あらゆる批判や仮想敵をかいくぐるような感じで書いてるわけです。「Amazonも僕は好きだ」と。

島田 好きとは言ってないです(笑)。

三品 お金持ちになりたいとも書いてるんです。お子さんにもっと美味しいもの食べさせたいとか。キレイ事ばっかりだとやっぱり今の時代、何だよってなると思うんだけど、そういうものもうまく回避しながら、一本の倫理を見事に提出されてると僕は思ったんですね。

島田 細~いやつですけどね。

三品 でもそれを読んで、つま先立ちで立ってる小さい足場かもしれないけど、あ、そこに僕も立とうって思ったんです。

島田 夏葉社は今年12年目なんですけど、年々、直取引の割合が増えていて、今半分くらいになっています。その直とのやり取りは、出版業界のどの統計にも載らないわけですけど、そういったものがどんどん強くなって、Amazonに対しても積極的に商売をしなくても、何とかやっていけそうな感じがあります。

三品 すごいですね。

島田 常に迷いはありますよ。大きいところに行けば数の論理で負けてしまうので、資本の論理に負けない場所を常に移動していきながら、その中で、三品さんがおっしゃってくださったように、自分なりの倫理というものを、何とか紡いでいくというのが正しいと思うんですけどね。常に確固としたものを持つというのは、不可能だから。

三品 それは断片化という問題が、スモールビジネスとも無関係ではないからです。スモールビジネスをやっている店主の方が、よっぽど断片化してる例なんていっぱいありますよ。インターネットのテクノロジーはもともと大手が握って、それで断片化を加速したけれども、今やそういったプラットフォームがあるので誰でもウェブショップが作れるようになって、スモールビジネスから一足飛びに資本の最先端に跳べるわけですよね。で、それをやれば食っていけるわけです。だから今は実店舗をやる意味が、相対的に落ちていると思うんです。

島田 リアルな場としての店の意義ですね。

三品 コロナ禍になって、みんな家でZoom飲みしても面白くないと気づいてきたから、飲み屋だったらまだ良いかもしれません。でも僕みたいな店をやる論理は、それを擁護する倫理といってもいいですけど、ほとんどないです。あるとすれば、これはだれかが言ってたことの受け売りですけど、デジタル上のコミュニティというのは出入りの自由がありすぎて、記憶がうまく積み重なりにくい。一方でリアルな場所というものがあると、その空間と時間に紐づいた記憶が重なって、比較的コミュニティが途切れにくく、だからやる意味があるんだという論理です。それは僕が知ってる唯一の店をやる論理ですけど、それは真っ直ぐそのまま雑貨化しないものの論理、つまり物理的なものには記憶が積み重ねられて、そういうものが雑貨化にあらがう方法だという論理と一緒なんですけど、やっぱり100%は信じられないですよね。結局、残るとすれば、ある意味排他的な濃いコミュニティをつくるしかない。だから僕が考えてるような、いろんなクラスターをぐるぐる巡るような店は一番駄目なんですよ。時と場合によって来る客が違うから、コミュニティが重なっていかない。

島田 そんなことはないですよ。「FALL」に集うコミュニティはちゃんと重なっていってるような気がしますけどね。

オルタナティブな自営業の系譜の最前線はどこにある?

島田 一方で、僕が若い人と話していて感じるのは、いまだに何か店をやりたいという人が絶えないことです。

三品 まだいますか? もうみんなYouTuberになりたいのかなと思ったけど(笑)。

島田 少なくとも、本に関する限りはいます。

三品 あ、本屋さんね。『雑貨の終わり』では、「ふたりの村上」という章で、ある種のオルタナティヴな生き方としての自営業の系譜というのを探っていますけど、その系譜の大元はジャズ喫茶にあると思うんです。60~70年代の半ばには、日本全国に600軒もジャズ喫茶があって、そこからさらにドロップアウトするようなかたちで村上春樹さんが出てきたり、今陶芸界を支えている桃居の広瀬一郎さんが出てきたりしている。だけど、『すべての雑貨』を読んだ村上隆さんは、SNSに書いた感想の中で、そういった系譜の「円環は閉じつつある」と書かれたんです。

島田 村上隆さんが『すべての雑貨』を読まれていたのは、びっくりしましたよね。

三品 ちょっと不思議な仮説でしたけど、たぶん村上隆さんが言いたかったのは、いわゆる記号的にお洒落でくくられるような自営の系譜は終わりを迎えるということだと思います。でも、今、島田さんの話を聞いて思ったんですけど、もしかして個人で始める本屋さんにその系譜が生きているのかもしれないですね。

島田 とにかく、すごく数は増えてますね。こんなところにできるの?っていう辺鄙な場所にもできていて、このあいだは五島列島に新しくできました。

三品 島田さんはそういう情報が、直取引の注文が来ることでわかるんですね。

島田 そうです。そして、そういうものに僕はけっこう未来を感じているところがあります。指摘する人がいるように、新規で始めて取次を通さないで本を仕入れるようなお店は、たしかに品揃えが似てしまいます。でも、それを「どこに行っても同じだ」というのは旅行者の目線であって、それぞれのお店が地域に密着すれば全然違うんですよ。そこで暮らしてる人の目からすれば、例えば五島列島にあるものと下北沢にあるものが一緒とかそういうことではなくて、そこでは違う意味を持つし、違う物語が発生する。それはみんなが思っているよりも、もう少しタフなもののような気がするんです。

三品 なるほど。円環は閉じないと。

島田 いや、もっと何て言うんだろう、そういう図式ではとらえられないもののような気がします。というのは、こういうセレクトショップ化した本屋さんの文化は2010年代の前半ぐらいから出てきていて、当時の僕は、もしかしたら一過性のブームで終わるのかもしれないと思ったけれど、少なくともそれから10年は続いていて、さらにどんどん拡がっているような感じがするからなんです。

三品 それは明るい未来ですね。

島田 本っておもしろいから、1冊読むと次の本につながって、人によっては異形化したり、変な方向にいったりするじゃないですか。そうやって本はいろんな物事につながっていくし、そうやってできた力はみんなが思っているより強いんじゃないかなという感じがします。そんなに小さくまとまらない。むしろ、本にはまとまるものに対して逃げる力というものがある気がします。

三品 それもデータでは測れない部分ですよね。

島田 10年前、例えばヴァージニア・ウルフがこんなにいろんな人に読まれるようになるとは僕は思ってもみなかった。リトルプレスとかzineとか、B&Bにはフェミニズムの大きな棚がありますけど、そういったいろんなものが火付け役になって…、信じられないですよ。それは大きな資本や、大きな出版社が牽引したものではないように思います。

雑貨化の外部へ出ることはいかにして可能か

三品 ただ、僕が言ったジャズ喫茶の系譜って、もともとは資本主義に対するアンチテーゼだったと思うんですね。でもそのアンチテーゼの形が、今は決定的に変わってきてるとは思っています。当時は本気で資本主義の外側に立てると思ってた人がいっぱいいたんですよ。資本主義の世の中から外に出て、違うシステムを打ち立てるぞと。でもそれがどんどん無くなって、さっき僕が雑貨化の外部に立てないと言ったのとまったく同じで、資本の外部に立つということが、今やほとんどできなくなっている。先日亡くなったデヴィッド・グレーバーのような人は一部にいますけど、一般にはむしろ、資本の外に立つという想像すら働かなくなってきているような気がします。同時にその自営業の系譜というのも、あるときから社会へのアンチテーゼではなくなって、セーフティネットじゃないけども、社会から降りた人がどう生きてくかみたいな救済の形になったと思うんです。それももちろん意義深いことだし、実際僕もそうやって店を始めてるわけだから偉そうなことは何も言えないけれど、闘争的なものっていうのはそこにはないですよね。それでも、目に見えない何かと闘ってるような気もするし、雑貨化の外ぐらいには出たいと自分では思ってるんですよ。でもどうやっても出られない。うまく言葉にできないですけど。

島田 いや、わかります。でも、出たらヤバいっていう感じもないんですか?

三品 僕の考えでは、「出る」ということが雑貨化の領土を増やすことにつながると思うんですよ。要するに反雑貨化みたいな雑貨化、雑貨化してないかのような雑貨化、といったやってる本人たちも気づかないくらい高度な資本の流れというのがあると思うんです。そこまで僕の言葉では記述できる力は持ってないけど、確実にあると考えていて、なんとか化けの皮を剥がそうと頑張ったけど、今回はうまく書けなかった。それはもう文学の領域というか、村上春樹さんの「リトルピープル」のような、そういう言葉でしか記述できないような気もします。だからといって、僕が小説を書くつもりないですよ。ただ、今文学が相対的に弱ってきてる部分があると思うんですけど、だからこそ文学でしか語れない領域というのを、作家たちは考えてるはずなんですよね。島田さんが夏葉社でやってることもそうだし、やっぱりそこに希望があると思うんです。そういう話を島田さんにお聞きしたいですけどね。

島田 少なくとも、若い人はどんどん私的なものを書いてますよね。昔はもう少し文学というものは大きい世界が書けると思っていた気がするから、以前は、僕も私的なものを物足りなく思ったんですけど、そうじゃなくて、やっぱり私的なところを突き詰めることによって、初めて普遍的なものが現れてくると思うようになったから、そういう意味では、今はみんな文フリ(文学フリマ)とかでも自らの物語を作ろうとしてるし、やろうとしている人が増えてるのは良いことだと思います。それは10万とか100万とかそういう数にはならないかもしれないけど、少なくともプレイヤーが増えていることは悪いことではないし、その人たちがお互いの作品を読みあっているのも良いことだと思います。

三品 夏葉社から新人作家の本を出す予定はないんですか?

島田 それこそ今、これまで小説を書いたことない人の企画を進めています。そういうものも、ちょっとずつ少部数でやってこうかなと。

三品 いろんなことをやってるんですね。

島田 たくさん売ろうと思うと、大きな資本の論理に従ってやらなければいけないような気がするんです。バズらないといけないし、ツイートで何千のお気に入りにならないと売れない時代。恐ろしいぐらいに、リツイート数とお気に入り数が、その本の売上げと比例する世界になってますから。完全にその外に立って自分が商売をやってける気もしないし、三品さんのようにぐるぐる地べたを這いつくばるじゃないですけど、自分の立ち振る舞いを毎秒毎秒変えるようにして生きていくしかないのかもしれない。それが正しいのかわからないけど。

三品 大変な時代ですね。

島田 でも、それが別に嫌いではないんですよ。三品さんも別に嫌いじゃないでしょ?

三品 いやいや、僕はもう駄目です。島田さんはSNSの振る舞いを見ても相当に上手いですよ。断片化する世界に最適化してるとまでは言いませんけど、やっぱり考え抜いた人間のつぶやきです。フォローして全部チェックしてますからね(笑)。

(おわり)

雑貨の終わり

三品輝起

2020/8/27

新潮社公式HPはこちら

古くてあたらしい仕事

島田潤一郎

2019/11/27

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三品輝起

みしな・てるおき 1979年京都府生まれ。愛媛県にて育つ。2005年より東京の西荻窪で雑貨店「FALL」を経営。著書に『すべての雑貨』(夏葉社)がある。
Photo © 本多康司

雑貨の終わり

2020/08/27発売

島田潤一郎

島田潤一郎

1976年高知県生まれ。東京育ち。日本大学商学部会計学科卒業。大学卒業後、アルバイトや派遣社員をしながら小説家を目指していたが挫折。2009年9月に33歳で夏葉社を起業。ひとり出版社のさきがけとなり、2019年に10周年を迎えた。著書に『あしたから出版社』『90年代の若者たち』『古くてあたらしい仕事』がある。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

三品輝起

みしな・てるおき 1979年京都府生まれ。愛媛県にて育つ。2005年より東京の西荻窪で雑貨店「FALL」を経営。著書に『すべての雑貨』(夏葉社)がある。
Photo © 本多康司

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1976年高知県生まれ。東京育ち。日本大学商学部会計学科卒業。大学卒業後、アルバイトや派遣社員をしながら小説家を目指していたが挫折。2009年9月に33歳で夏葉社を起業。ひとり出版社のさきがけとなり、2019年に10周年を迎えた。著書に『あしたから出版社』『90年代の若者たち』『古くてあたらしい仕事』がある。


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