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『世界史を変えた新素材』刊行記念 出口治明×佐藤健太郎 歴史と化学が出会うとき

2018年12月26日

『世界史を変えた新素材』刊行記念 出口治明×佐藤健太郎 歴史と化学が出会うとき

第1回 「文明の3要素」とは何か

著者: 出口治明 , 佐藤健太郎

当サイトに連載されていた佐藤健太郎さんの『世界史を変えた新素材』(新潮選書)の刊行を記念し、2018年11月23日に八重洲ブックセンター本店で、トークイベントを開催しました。

佐藤さんのお相手を務めたのは、出口治明・立命館アジア太平洋大学(APU)学長。『全世界史(上・下)』(新潮文庫)をはじめ、歴史に関する著作が多数ある、当代切っての歴史通です。

これから3回にわたり、トークイベントの模様をダイジェストで掲載します。

佐藤健太郎さん(左)と出口治明さん(右)

高校生の質問から生まれた本

佐藤  このたび刊行した『世界史を変えた新素材』という本は、人類の歴史を「材料科学」の視点から描き直してみたものです。「材料」と言うと、ホームセンターで売っている木材とかアルミとか、漠然としたイメージが頭に浮かぶと思うんですが、学問的にはかっちりとした定義があって、「物質のうち、人間の生活に役立つもの」を「材料」と呼びます。
 私はもともと有機化学を専門にしていますが、縁があって材料科学を研究している科学者の方々とのお付き合いが深まって、それで材料科学についても興味が広がっていきました。
 じつは本書は、いわゆる「3部作」―まあ、そんな大層なものではないですが―の最後の作品にあたります。1作目は2013年に出した『炭素文明論―「元素の王者」が歴史を動かす』(新潮選書)という作品で、これは僕の専門である有機化学の視点から、世界史を描き直してみたものです。

『世界史を変えた新素材』
『炭素文明論』

 それまでも有機化学についてはブログや本で書いてきて、化学者のコミュニティの中では「面白い」と言ってもらえたのですが、それ以上の広がりはありませんでした。だんだん同じサークルの中で盛り上がっているだけでは物足りなくなってきて、もっと広く読んでもらえるにはどうしたらよいのかと考えて、歴史と化学を絡めた話を書いてみようと無謀にも思ったわけです。
 『炭素文明論』では、カフェインとかエタノールといった有機化合物―つまり炭素を含んだ化合物を主に取り上げて、それらが歴史をどう動かしてきたのかについて書きました。それが幸いにも評判が良かったということで…。

出口 『炭素文明論』は本当に面白かったです。

佐藤  ありがとうございます。それで調子に乗ったわけじゃないですけど、医薬品と歴史の話も書いてみようと思って、2作目の『世界史を変えた薬』(講談社現代新書)という本を書きました。私はもともと大学院で合成化学を専攻して、それから製薬会社の研究者になって医薬品の開発をしていたので、薬については詳しかったんです。

『世界史を変えた薬』

 そして、この2冊を書いた後、ある高校で講演した際に、生徒から「有機・無機を問わず、歴史に最も大きな影響を与えた物質ベスト3は何だと思いますか?」と質問を受けたんです。どう答えようかと一瞬詰まった後に、「まあ、鉄とかアルミとか材料として使われているものが一番影響が大きいのではないか」と苦し紛れに答えたわけです。そうしたら先生が「では、次は『材料文明論』を書いていただきましょう」と言われて、「ああ、これで3冊目のネタができたな」と(笑)。それでこの本を書いたわけです。

「文明の3要素」と日本の生きる道

出口  なるほど。では、佐藤さんの3部作にちなんで、僕からも3つほどお話ししたいと思います。
 まず一つ目は、今日のトークイベントは事前打ち合わせはしないで、ぶっつけ本番で臨んでいるのですが、それはなぜかという話です。じつは僕はここに来る前に別の場所で会議をしておりまして、この会場に着いたのが本番開始の5分前。物理的に打ち合わせができなかったんですね(笑)。
 ただ、それだけではなくて、もともと僕は横着な人間で、事前に打ち合わせをやってしまうと、本番が面白くなくなってしまうんです。ぶっつけ本番でドギマギする方が面白くなると、こんな不埒なことを考えていまして、それに佐藤さんも無理に付き合わせてしまったわけです。すみません。

佐藤 いえいえ(笑)。

出口  二つ目は、僕は佐藤さんの仕事を本当に素晴らしいと思っているという話です。なぜかと言えば、最先端の研究を分かりやすい形で一般読者に伝えるということは、とても大事だと考えているからです。欧米では一流の科学者が自分の研究のことを、ちゃんと一般の人にも知ってもらおうと思って、本を書くんですよ。自分で書けない場合は、その研究分野のことをよく知っているサイエンスライターと組んで本を出す。そうやって最新の研究成果をPRするんですよね。
 やっぱり学問や研究というものは、その成果を一般の人にも知ってもらってなんぼの世界だと思います。プロの世界だけで盛り上がっていても仕方がない。その意味で佐藤さんのように科学的素養をしっかり持った人が、一般に向けた本を出すということは、とても社会的に意義があることだと思って、昔から尊敬しているんです…昔からと言っても『炭素文明論』を読んでからの話なので、ここ5年ぐらいの話ですが(笑)。

佐藤 ありがとうございます。

出口  三つ目ですが、トランプ大統領が「アメリカ・ファースト」と言っていますよね。すると、「相手がそう言っているんだから、日本も『ジャパン・ファースト』と言えばいいじゃないか」と素朴なことをおっしゃる方がいます。でも、僕はこれは根底から間違っていると考えています。
 なぜかと言えば、「文明の3要素」は―これは僕の独断と偏見で勝手に言っているんですけど―「化石燃料」と「鉄」と「ゴム」だと思っているんです。たとえば飛行機や自動車もこの3つですよね。でも、この3つの資源は偏在している。だから、アメリカのように、この3つのうちのいくつかを大量に持っている国は、「自国ファースト」ができる。だってバーター取引ができるから。でも、日本を含めて、ほとんどの国はこの3つを持っていないんですよ。そういう国が今の豊かな文明を維持していこうと思ったら、国際平和と国際協調を大事にして、「自国ファースト」などと言わずに、みんなと仲良くしていく以外に道はない。

 資源が偏在している以上、「自国ファースト」ができる国は限られている。だから僕は、政府がTPPの署名に漕ぎ着けたのは偉いと思っている。戦後から今までの政権は、アメリカが嫌だということは大抵「はい、わかりました」と言って、従ってきたわけですよね。でも、TPPはトランプ大統領が「こんなのは嫌だ」と言ったのに、米国抜きで粘り強く交渉をまとめあげたので、「おっ、やるな」と思った。
 でも、よく考えれば、やはり日本は「文明の3要素」がないんで、そうする他に道がないということなんですね。そんなことを思いながら、佐藤さんの本を読んできたのです。

佐藤  まさに日本はそういう資源がない中で、「材料科学」という分野を発展させて、ずいぶんと世界に貢献してきたと思います。たとえば今期待されている炭素材料もそうですし、鉄鋼や磁石などの材料でも、日本が大きな役割を果たしてきました。
 ただし、これからの日本の科学の先行きには不安を感じています。もちろん、科学の世界に国境線を引いても仕方がないと思っていますが、それでも日本の科学がこのまま衰退していいのかと言えば、そうは思えません。たとえば日本に優秀な学生がいて、彼らが海外で研究したり働いたりするのは大いに結構だとは思いますが、一方で国内に彼らが研究を続けられる場所がない、あるいは食うためには他の仕事をせざるを得ないとなると、日本の活力がどんどん衰えてしまうんじゃないかと危惧しています。
 私がいた製薬業界なんかは、まさにいま研究所がどんどん閉鎖されてしまい、海外の製薬会社で開発された薬のタネを買ってきたり、あるいはその製薬会社ごと買収すればいいという方向になってきて、もはや製薬会社と言うより薬の商社のようになりつつあります。それは抗えない流れなのかもしれませんが、国内で研究者が活躍できる場がなくなっていくことに対しては、「残念」などという言葉だけでは表せない危機を感じています。

出口治明

1948(昭和23)年三重県美杉村生れ。立命館アジア太平洋大学前学長。京都大学法学部を卒業後、1972年日本生命保険相互会社入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006(平成18)年に退職。同年、ネットライフ企画株式会社(現ライフネット生命保険株式会社)を設立。2017年会長職を退任。2018年より現職。旅と読書をこよなく愛し、訪れた世界の都市は1200以上、読んだ本は1万冊を超える。とりわけ歴史への造詣が深く、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では歴史の講座を受け持った。著書に『生命保険入門 新版』『仕事に効く教養としての「世界史」』『全世界史(上・下)』『座右の書 「貞観政要」』『「働き方」の教科書』『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇』などがある。

佐藤健太郎

さとうけんたろう 1970年、兵庫県生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了。医薬品メーカーの研究職、東京大学大学院理学系研究科広報担当特任助教等を経て、現在はサイエンスライター。2010年、『医薬品クライシス』(新潮新書)で科学ジャーナリスト賞。2011年、化学コミュニケーション賞。著書に『炭素文明論』(新潮選書)『「ゼロリスク社会」の罠』(光文社新書)『世界史を変えた薬』(講談社現代新書)『国道者』(新潮社)など。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

出口治明

1948(昭和23)年三重県美杉村生れ。立命館アジア太平洋大学前学長。京都大学法学部を卒業後、1972年日本生命保険相互会社入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006(平成18)年に退職。同年、ネットライフ企画株式会社(現ライフネット生命保険株式会社)を設立。2017年会長職を退任。2018年より現職。旅と読書をこよなく愛し、訪れた世界の都市は1200以上、読んだ本は1万冊を超える。とりわけ歴史への造詣が深く、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では歴史の講座を受け持った。著書に『生命保険入門 新版』『仕事に効く教養としての「世界史」』『全世界史(上・下)』『座右の書 「貞観政要」』『「働き方」の教科書』『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇』などがある。

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佐藤健太郎

さとうけんたろう 1970年、兵庫県生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了。医薬品メーカーの研究職、東京大学大学院理学系研究科広報担当特任助教等を経て、現在はサイエンスライター。2010年、『医薬品クライシス』(新潮新書)で科学ジャーナリスト賞。2011年、化学コミュニケーション賞。著書に『炭素文明論』(新潮選書)『「ゼロリスク社会」の罠』(光文社新書)『世界史を変えた薬』(講談社現代新書)『国道者』(新潮社)など。

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