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『世界史を変えた新素材』刊行記念 出口治明×佐藤健太郎 歴史と化学が出会うとき

「海洋資源」の可能性

出口  日本には資源がありません。化石燃料も鉄鉱石もゴムも採れない。でも、海洋を含めて考えれば、日本は世界で6番目に大きな排他的経済水域(EEZ)を持っています。海の中の資源をもう少し活用できるようになれば、日本も資源大国になれるという意見を言う人もいるんですけど、これはどう考えたらいいですか?

佐藤 はい。具体的にはメタンハイドレード(深海の海底などでメタンガスが氷状に固まったもの)などの話かと思うんですけど、なかなか難しいものがあると考えています。地面に穴を掘ると自然に噴き出してくる石油とは違って、深さが1000メートルもあるような海底で探索を行い、掘り出して来なくてはならない。これは非常に手間とコストがかかるものであって、よほど天然ガスや石油の値段が上がらない限り、採算が取れない…もちろん期待はしているんですけど。

日本周辺におけるメタンハイドレート推定埋蔵域 (2009年、MH21による) (ジャコウネズミ/Wikimedia Commons)

 海洋資源と言えば、じつは海水にはいろいろな元素が溶けていて、それを集めて利用すればいいじゃないかという話もあります。周期表にある約100種類の元素のうち、実際に自然界に存在するのは80種類ぐらいですが、そのうちの77種類までもが海水から検出されています。たとえばウランなどは、効率よく抽出できるのではないかと言われています。私もリチウムとかマンガンとかなら、比較的可能性があると思っています。

出口 それは楽しみですね。

佐藤 あと個人的に期待しているのは、オーランチオキトリウムという藻類を利用してスクアレンという炭化水素を生産する仕組みです。『炭素文明論』でも詳しく書いたのですが、スクアレンは重油とほとんど同様の性質を持つエネルギー源で、またオーランチオキトリウムは増殖力が強い。筑波大学をはじめ、いろいろなところが研究していますけれど、大いに可能性があると思っています。iPS細胞なども重要ですがより、こちらも大いに予算を投入してよいのではと。

オーランチオキトリウム (NEON ja/Wikimedia Commons)

 それこそ空気中の二酸化炭素と、ゴミとして廃棄されるような有機物から、いくらでも油が作れるという夢のような話です。もっとも、藻類ですから肥料となるリン(燐)が必要で、それをどこから調達するかという問題はあるので、空気から無限に油を作り出せるとまでは言えないのですが…。こちらもコスト面ではまだ石油や天然ガスに追いつかないようですが、私は非常に期待しています。

出口 海の藻から油が取れたら、素晴らしいですね。何しろ日本の周囲には、いっぱい海がありますから。これはどの程度、可能性があるんですか?

佐藤 実際にすでに油は取れていて、量産もできることは分かっているのですが、やはりコスト的になかなかペイできない。現時点ではコストが石油の10倍ぐらいになってしまうらしいんです。もう一つ、二つブレイクスルーが必要なんでしょうけど…。

出口 どんなブレイクスルーが必要なんでしょうか?

佐藤 一つは、先ほども申し上げた通り、肥料になるリンの問題です。もう一つは、油を搾り取る工程の効率化をはじめ、あらゆる生産工程で大幅なコストダウンをしなければならない。でも、まだまだ難しいようです。

出口 でも10倍ぐらいのコストであれば、シェールオイルの例を見ても、10年か20年ぐらい経てば、ひょっとしたらできるかもしれませんよね。

佐藤 そうですね。そこは期待したいと思っています。

AIよりも化学が大事?

出口 今はみんながAI、AIと言っていますが、海がこんなに広いんだから、佐藤さんが指摘されたように、海をもっと活用するために研究費を集中投下しても良さそうな気がするんですが、そういう議論は起こっていないんですか?

出口治明さん

佐藤  海についてもそうですが、今の科学行政はいろいろなところに歪みがあるように思います。たとえば、製薬業界にいた自分が言うのも何ですが、ちょっと医療に偏重し過ぎているんじゃないかと…。もちろんガンが治るようになれば、それは素晴らしいことです。しかし、寿命を何年か延ばすことだけではなく、他にもっとやるべきことがあるのではないか。
 たとえば、さきほど話したエネルギー問題。エネルギーがなければ人類は何もできないわけですから、何よりも先に解決しなければならないことだと思うのですが…。

出口 その通りだと思います。先日の北海道大地震(2018年9月6日)でも、電力がダウンしてブラックアウトが起きて、みんなびっくりしましたよね。命綱のスマホですら、電源がないと使えない。やっぱり人間生活で一番重要なのはエネルギーだと思います。

佐藤 化学という分野は、まさにエネルギー問題をもっとも解決し得る分野だと思うんですけど、科学行政からも世間からも、あまり重視されていないように思います。実力はあるんです。ノーベル賞を見ればわかる通り、日本の化学は非常に強い。

出口 そうですよね。ノーベル化学賞の受賞者が7人もいます。

2010年のノーベル化学賞に選ばれた鈴木章(左)と根岸英一(中) (Holger Motzkau/Wikimedia Commons)

佐藤  それなのに今一つ人気がないのは、いろいろな要因があると思うんですけど、やはり化学は地味過ぎるというか、アピール下手なのかも知れません。
 たとえば書店で科学書の棚を見ても、やはり生物学が強い。それこそ福岡伸一先生なんかはベストセラーをたくさん書いていらっしゃいますし、物理学でもホーキングとかファインマンとか一流の研究者が本を書いています。天文学をはじめ、ベストセラーになるような本が各ジャンルにあるんですけど、化学の本がベストセラーになったというのは一度たりとも記憶にない(笑)。
 なんでかなぁと思うんですけど、一つには、努力しなくてもそこそこカネとヒトが集まって来てしまうからかも知れません。そもそも化学は産業と一番結びつきやすい。「○○化学」という会社は山ほどありますが、「○○天文」とか「○○生物」という会社はあまりありません。大学でも化学科は就職先を見つけやすく、お金もそこそこあるので、そんなに宣伝しなくても生き残っていける。それこそ天文学なんかは、「こんなに面白いですよ!」とあの手この手で宣伝しまくらないと、なかなか人とカネが集まって来ない。すると、自然にそういう宣伝に長けた人材が出てくるんですけど、化学にはそういう人材が出てこない。また化学は、かつて公害問題などがあり、「脛に傷を持つ身」であることが響いているのかも知れません。

出口  なるほど。でも、先ほども話した通り、エネルギーがなかったら生活なんてできません。そのことを考えたら、化学にもっと力を入れなくてはいけません。佐藤さんには、次作で「もっと化学にお金を使いましょう」という啓蒙書を書いていただいて、総理大臣をはじめ政治家の方々に読んでもらわなくちゃいけない(笑)。

佐藤  私は大学に勤めていた時期もあるんですけど、いわゆる日本の科学コミュニケーターは何をやっているかと言うと、大学に所属して、高校生を相手に「うちの大学の理系の学部に来てね」と宣伝をする役目なわけです。一方、アメリカの科学コミュニケーターは、政府のトップに最新科学のレクチャーをして、「これから、こういう分野にもっと予算を投じるべきだ」と提言する役目を担っている。日本もこれからはそういうことができる人材を育成しなくてはいけないと思います。

出口 それは大事なことですね。

佐藤 先ほど化学の人は宣伝下手という話をしましたが、不人気のもう一つの要因として、なぜか化学研究者は、皆さん性格が固くて真面目なんですよ。これは不思議なもので、ジャンルによってちょっと研究者の性格が違う。たとえば生物学者には「それ本当?」というような面白い話をされる方が多いように経験的に思います。

出口 どなたかが言っていましたが、生物学で理論らしいのはダーウィンの自然淘汰しかない。だからいろんなことが言いやすいんでしょうね。

佐藤 化学は、原子が相手なんで、反応実験をやれば世界中で同じ結果が出るわけです。良くも悪くも、ぶっ飛んだ仮説をぶち上げたりする余地がほとんどないんです。実験すればすぐわかってしまうので…。また、目に見えない地味なものを相手にしているんで、基本的に性格も地味な人が多いのかなぁと。まあ、そんなこともあって化学の人というのは、なかなか表に出てこないのかなと思います。

出口 なるほど。じゃあ、もう佐藤さんが先頭に立ってやるしかないですね。文章もお上手で面白いですから、本をいっぱい書いて下さい。

マイクロプラスチックの問題

出口 もう一つ、『世界史を変えた新素材』を読んで佐藤さんに伺いたいと思ったのが、マイクロプラスチック(数ミリ以下の細かいプラスチック片)の問題です。この前も、マッコウクジラが浜辺に打ち上げられて、その胃の中に大量のプラスチックがあったというニュースがありました。2050年頃には、マイクロプラスチックを海の底に敷き詰めると1メートルも積み上がるなんて話もあるようですが、どのくらいの脅威だと考えていらっしゃいますか?

佐藤健太郎さん

佐藤  現時点で何かしらの大きな被害が発生しているわけではないとはいえ、何しろ量が莫大ですから…各種の天然材料のように細菌や酵素によって分解されて自然に還るということがないので、今のうちに手を打っておいた方がいいと思っています。
 ただ、なぜか「ストロー」がやたらと目の敵にされていたりするマイクロプラスチック対策の現状には、首を傾げるところもあります。かつて森林保護運動において「割り箸」が目の敵にされたことがありましたが、日常生活で目に付くものがスケープゴートにされやすいというのは、ちょっと問題だと思います。

出口 一番の原因は、やはりポリ袋なんですか?

佐藤 あとは船の底とか、漁網や浮標(ブイ)などに使われているプラスチックなども大きな原因です。ボロボロに劣化して、海にまき散らされてしまう。まずは、その方面にしっかりと手を打つ方が先決だと思います。

出口 新聞で、自然に分解されるプラスチックを作るという話を読んだことがあるんですが、この研究は今どの程度まで進んでいるんですか?

佐藤 盛んに研究されていますが、強度とか耐久性の面で実用化レベルにあるのは、まだ「ポリ乳酸」と呼ばれる素材しかありません。その他にもいろいろ研究されてはいるのですが、この本の終章でも書いた通り、1億4000万を超える物質のうち、材料として使えるのはほんの一握りのスーパーエリート。人類の長い歴史の中で、いろんな条件をくぐり抜けて、勝ち残ったものだけが材料になれるんです。

出口 ある意味、ダーウィンの自然淘汰と同じですね。

佐藤  そうです。そのような中で、現在のプラスチックに勝てる材料はなかなかない。「生分解性」ということは、やはり壊れやすいということ。今のところ、なかなか実用レベルに達しているものはありません。
 私は、生分解性のプラスチックを新たに作るより、むしろ現在のペットボトルを分解してくれる細菌を探す方が、現実味があるかも知れないと思っています。

出口 プラスチックを分解できる細菌というのは、理論上、存在し得るんですか?

佐藤 はい。じつはプラスチックを分解する菌は実際に見つかっているんですが、ただ効率の面でまったく実用的ではない。それも当然で、もし効率よくプラスチックを分解できる細菌がそこら中にウヨウヨしていたら、世界のプラスチックはみんなすぐにボロボロになってしまうわけで…。遺伝子操作技術などで細菌の分解効率を上げていけば可能性はあると思うのですが、万が一、それが自然界にばら撒かれてしまったらどうするんだという危惧もあります。

出口 もし、そんな細菌が海に広まってしまったら、いま海に浮かんでいるプラスチック製の筏とかが全部沈んでしまう。

佐藤 実際にはそう簡単にはいかないと思いますが、ちょっと空恐ろしい話です。

出口治明

1948(昭和23)年三重県美杉村生れ。立命館アジア太平洋大学前学長。京都大学法学部を卒業後、1972年日本生命保険相互会社入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006(平成18)年に退職。同年、ネットライフ企画株式会社(現ライフネット生命保険株式会社)を設立。2017年会長職を退任。2018年より現職。旅と読書をこよなく愛し、訪れた世界の都市は1200以上、読んだ本は1万冊を超える。とりわけ歴史への造詣が深く、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では歴史の講座を受け持った。著書に『生命保険入門 新版』『仕事に効く教養としての「世界史」』『全世界史(上・下)』『座右の書 「貞観政要」』『「働き方」の教科書』『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇』などがある。

佐藤健太郎

さとうけんたろう 1970年、兵庫県生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了。医薬品メーカーの研究職、東京大学大学院理学系研究科広報担当特任助教等を経て、現在はサイエンスライター。2010年、『医薬品クライシス』(新潮新書)で科学ジャーナリスト賞。2011年、化学コミュニケーション賞。著書に『炭素文明論』(新潮選書)『「ゼロリスク社会」の罠』(光文社新書)『世界史を変えた薬』(講談社現代新書)『国道者』(新潮社)など。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

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著者プロフィール

出口治明

1948(昭和23)年三重県美杉村生れ。立命館アジア太平洋大学前学長。京都大学法学部を卒業後、1972年日本生命保険相互会社入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006(平成18)年に退職。同年、ネットライフ企画株式会社(現ライフネット生命保険株式会社)を設立。2017年会長職を退任。2018年より現職。旅と読書をこよなく愛し、訪れた世界の都市は1200以上、読んだ本は1万冊を超える。とりわけ歴史への造詣が深く、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では歴史の講座を受け持った。著書に『生命保険入門 新版』『仕事に効く教養としての「世界史」』『全世界史(上・下)』『座右の書 「貞観政要」』『「働き方」の教科書』『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇』などがある。

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佐藤健太郎

さとうけんたろう 1970年、兵庫県生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了。医薬品メーカーの研究職、東京大学大学院理学系研究科広報担当特任助教等を経て、現在はサイエンスライター。2010年、『医薬品クライシス』(新潮新書)で科学ジャーナリスト賞。2011年、化学コミュニケーション賞。著書に『炭素文明論』(新潮選書)『「ゼロリスク社会」の罠』(光文社新書)『世界史を変えた薬』(講談社現代新書)『国道者』(新潮社)など。

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