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『世界史を変えた新素材』刊行記念 出口治明×佐藤健太郎 歴史と化学が出会うとき

佐藤健太郎さん(右)と出口治明さん(左)

歴史上の「謎の材料」たち

出口  今日は本屋さんでのイベントなので、本に関わる材料の話をすると、人間にとって何に書くかというのは非常に大事だと思うんです。
 たとえば、世界の四大文明――すなわち黄河文明、インダス文明、メソポタミア文明、エジプト文明ですが、この中で一番分からないのがインダス文明です。文字が解読されていないということが大きいのですが、そもそも書かれたものがあまり残っていない。なぜかと言えば、やっぱり「何に書いているか」、つまり書写材料の問題なんです。
 中国では、骨から竹簡・木簡を経て、そしてこの『世界史を変えた新素材』で1章を割いて書かれている通り、紙を発明して文字を書き残した。メソポタミアの場合は粘土板。粘土板というのは、じつは最強の書写材料で、一回焼いてしまえば、粉々に砕かない限り永遠に消えないんですよ。エジプトの場合はパピルスですけど、ロゼッタストーンのように石板などにもいっぱい書いています。
 ところがインドでは、「貝葉(ばいよう)」と呼ばれるヤシの葉っぱなんかに文字を書いているんですよ。でも、ヤシの葉ですから、あっという間にボロボロになる。つまり、残らないということ。すると、書く方の意欲も湧かないんですね(笑)。書く方は、「これを読めば100年、200年後の人も感心するだろう」とか思って、一生懸命文章やら詩なんかを書くわけですけど、すぐに消えてしまうと分かっていたら、どうしても創作意欲が消えてしまう。やっぱり書く材料って大事なんですよね。だから古代インドの文献は少なくて、結局、中国からインドへ行った人が書いたものとか、ギリシアからインドへ行った人が書いたものとか、そういうものを参考にするしかない。

15世紀または16世紀頃の貝葉

佐藤 この本でも、「人類史上最大の発明品は何か――という問いにはさまざまな答えがあり得るだろうが、紙は間違いなくその有力候補のひとつ」と書きました。

出口 あと本書のエピソードでぜひ紹介したいのは、ローマ帝国の第2代皇帝にティベリウスという人がいて、ある日、そのティベリウスの前にプラスチック製と思われる「しなやかなガラス」でできた盃を持った男が現れます。ティベリウスは「これの作り方を知っているのは誰だ」と訊ね、男が「私だけです」と自慢したら、即座にその男の首を刎ねてしまった。それで、その後2000年もの間、プラスチックという材料は発明されなかった――という話なんですけど、ティベリウスの前に差し出されたのは本当にプラスチックだったんですか?

佐藤 どうでしょうか……。樹脂か何かを固めた物ではないかというぐらいしか想像がつきません。もし松脂みたいな樹脂を何かしら加工して固めたものだったとしたら、成分的にはプラスチックと呼べるものではあります。本当は何だったのか、ものすごく気になりますね。

出口 あと僕が個人的にずーっと気になっている謎の材料があります。東ローマ帝国の海軍が使っていた「ギリシア火」と呼ばれている火炎放射器みたいな兵器があって、それでイスラム軍とかをやっつけていたと言うのですが、これは何だったのか。ナフサ(ガソリンに似た油)ではないかという説もあるようですけど、ご専門の立場から見て、あの時代――つまり7世紀とか8世紀に、相手の船に投げ込んで火事を起こし、さらに「火を消そうと思って水をかけるとかえって燃え広がる」という材料は、どんなものが考えられますか?

ギリシア火(『スキュリツェス年代記』の挿絵より)

佐藤 水をかけると燃え広がるというのは、われわれが実験に使う試薬にはあるんですけど、そんなものがあの時代に合成できるわけはないので、リン(燐)などの発火性のものだろうというぐらいしか想像がつかないですね。たぶん世界には「ギリシア火」の再現実験とかを真剣にやっている歴史オタクの化学者もいるはずですが、今のところ正体は分かっていないようです。

出口 歴史上には、何だか分からない謎の材料がたくさんあるんですよね。これも佐藤さんの本に出てくるんですが、インドのデリーにクトゥブ・ミナールという世界遺産があって、そこにグプタ朝時代(4~5世紀頃)に建てられた鉄柱が立っています。これが不思議なことに、まったく錆びていないんですよね。

デリーの鉄柱

佐藤 20世紀に入ってから、イギリス人が発明した「錆びない鉄」、すなわちステンレスが普及しましたが、当時はステンレスなどなかったはずなので、どうやって作ったのか謎とされています。かつては非常に純度が高い鉄鋼だから錆びないという話もあったんですけど、どうも違ったようです。リン(燐)が含まれていて表面を保護するような形になっているんじゃないかという説もありますが、いまインドの学者が研究を進めているようです。

出口 表面を削って、分析するわけにはいかないんですか?

佐藤 最新の測定器を使えば、削らなくても成分がわかると思うのですが……ともあれ、あの時代にどうやって錆びない鉄が作れたのか、興味が惹かれるところです。

偶然と勘違いから人生が始まる

出口  この本を読んで、僕らの近代的で便利な生活が、いろいろな材料をベースにして成り立っているということがよく分かりました。何が自分の生活のベースになっているのかを考えるのは、すごく楽しいですよね。
 次はどんな本を書いてみたいですか? 先ほどの話に出た「化学にもっとお金を使いましょう」という本は措くとして(笑)。

佐藤  「歴史×化学」モノは、この3部作で一段落かなと思っています。個人的には明治時代の科学者について書いてみたいと考えています。日本は開国してから30年ぐらいで、世界のトップレベルに追いついて、偉大な科学者もたくさん輩出しています。
 たとえば北里柴三郎なんかは、それこそ大河ドラマなどで取り上げて欲しいような人物です。また紅花の成分の研究をした黒田チカという女性化学者の元祖がいるのですが、彼女の生涯なんて、それこそ朝ドラにピッタリだと思っているのですが……。

北里柴三郎
黒田チカ

出口 じゃあ、大河ドラマも朝ドラも、佐藤さんの原作で実現するかも知れませんね(笑)。先ほど化学者は地味だというお話がありましたが、なかなかユニークな人材がいるじゃないですか。世界の化学者では、誰かドラマチックな人はいるんですか?

佐藤  アインシュタインとかホーキングみたいに、誰でも知っているような有名人は少ないかも知れません。ロバート・バーンズ・ウッドワード(1917-1979)という人は、「20世紀最大の有機化学者」なんて言われていますが、日本ではあまり知られていません。
 ウッドワードは6歳で有機化学に目覚め、11歳で専門の化学雑誌を読みこなし、27歳でキニーネというマラリアの特効薬の合成に世界で初めて成功した天才です。キニーネの原料となるキナのプランテーションは東南アジアにあり、太平洋戦争が始まると日本軍にすべて奪われてしまったのですが、ウッドワードのおかげでアメリカはキニーネの全合成ができるようになった。

ロバート・バーンズ・ウッドワード

出口 6歳で有機化学なんて、考えるだけでも面白いですよね。僕は大学入試で化学をやりましたが、高校生でも化学式にはとても難儀した記憶があります。

佐藤 ウッドワードとはまったくレベルが違いますが、じつは私も化学に目覚めたのは小学生の時でした。それも頭が良いのだか悪いのだかよく分からない話で、ある日、図書館で算数の本を探していたら、『分子の形とはたらき』(岩波科学の本)という本があって、てっきり「分母と分子」の「分子」だろうと思って借りたら、全然違う本だった(笑)。最初は「なんじゃこりゃ」と思ったのですが、分子の立体模型などの写真が面白くて、それがきっかけで化学に興味を持つようになったんです。たぶん学校の勉強だけだったら、化学を嫌いになっていた可能性が高いだろうなと思います。

出口  「分子」の勘違いから、化学者になったというのも、すごい偶然ですね。でも、小学生の頃って、そんなアホな勘違いばかりしてますよね。
 僕も小学生の頃はアホなミスばかりしていました。よく覚えているのは、小学4年生の時に図書館で『平家物語』を借りたんです。忠盛、清盛、重盛とか名前が似ているんで、系図を書きながら夢中になって読んだ。これは面白いなと思って、次に『源氏物語』を借りて読んだのですが、八幡太郎義家とか知っている武士がちっとも出てこない。「これはあかんわ」と思って、途中で返却した記憶があります(笑)。中学校になってからもう一回読み返して、源氏は源氏で面白いことが分かりましたけど、まあ、子供の頃はそういうアホなミスばかりしていましたよね。

佐藤 勘違いから人生の道が決まっていくということは結構ありますよね。たまたま私のホームページを見て、化学の研究者になってしまったという人もいるぐらいなんで、何でも書いてみるものだなと(笑)。

出口  歴史を見ていても、ちょっとした偶然で人生が変わった人がたくさんいます。
 これは僕が大好きな話なんですが、17世紀にフランス軍がイタリアに攻め入った時のことです。イタリア人は戦争で命まで取られるのはバカバカしいと考えるんで、敗けそうだと思うと、すぐに降伏しちゃうんですね。その時も降伏しようと考えて、フランス軍の大将がリシュリューという聖職者、つまりキリスト教の坊さんだというので、お坊さんにはお坊さんが良いだろうと考えて近所の教会を探し回ったら、マザランというお坊さんが見つかった。

リシュリュー枢機卿
ジュール・マザラン

 このマザランという人はすごい真面目なお坊さんだったんですが、軍に無理やり連れてこられて、降伏の使者として行ってこいと命令される。最初は断るんだけど、「命とどっちが大切や」と脅されて、仕方がなくリシュリューのところへ交渉に行く。この時にリシュリューはマザランの賢さを見初めて、その後さまざまな紆余曲折を経てフランスに連れて行くんです。
 リシュリューは、日本で言えば総理大臣みたいな地位に就いていたんですが、自分が死んだあとの後継者にこのマザランを据えるんです。フランスの貴族たちは激怒しました。もともとお坊さんの支配なんか嫌やと思っていたのに、後任もまたお坊さんで、しかも外国人とは何事だと。それでフランスの貴族は「フロンドの乱」という反乱を起こすんですが、マザランは有能で、貴族たちを叩き潰して、金庫にもお金をいっぱい貯めて、ルイ14世の絶対王政への道を切り拓く。もともと宗教の世界に生きようと思っていたマザランにしてみればいい迷惑だったかも知れませんが、偶然によって彼の人生は大きく変わり、またそれによって歴史も大きく動いたわけです。
 最近の若い人は、「大学を卒業したら4~5年働いてお金をためて、アメリカに留学してMBAを取って、それでまたランクアップして……」というように、真面目に人生の計画を立てるそうですが、それも立派だけど、「いや、偶然に流されていくのも結構楽しいよ」ってつい言いたくなります。

佐藤 私も会社員として人生を全うするつもりでしたけど、何を思ったのか会社を辞めてしまった。会社を辞めた時はやっぱり不安で、ビジネス書を買って「目標を立てて、それに近づいていくために云々」とか読んだりしたんですけど、いい加減な人間なんで、まったくそんな風に出来ない。目標を立てても、結局、目標を立てたところまでしか辿り着けないじゃないかという思いもあって、じゃあ、もう適当に転がっている方が面白いんじゃないかと……まあ、楽しく生きてますね(笑)。

出口 僕も同じで、大学の学長になるとは、まったく考えてもいなかった。でも、人生何が幸いするか、本当に分からないものです。佐藤さんが会社を辞めてくださったおかげで、こんな面白い本を読めて、また今晩こうして楽しい話ができたわけですから――。本日はどうもありがとうございました。

佐藤健太郎さん(左)と出口治明さん(右)

(了)

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*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹