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川添愛×スージー鈴木「桑田佳祐の”ことば”を大解剖!」

2022年9月9日

川添愛×スージー鈴木「桑田佳祐の”ことば”を大解剖!」

前編 世界一マニアックな「勝手にシンドバッド」論

著者: スージー鈴木 , 川添愛

好評発売中の『桑田佳祐論』で、サザンオールスターズやソロ26作の歌詞を徹底分析した音楽評論家・スージー鈴木さんと、言語学者・川添愛さんによる対談です。川添さんは著書『言語学バーリ・トゥード』で、ユーミンの名曲の歌詞を分析。今回もその知見を活かして、スージーさんとともに桑田佳祐の独特にして絶妙な日本語の魅力に迫ります。はたして、桑田佳祐の歌詞のどこが凄いのか?――この難問に、音楽評論家&言語学者という異色のコンビが挑みます。

「恋人がサンタクロース」問題

スージー 音楽評論家のスージー鈴木です。私が今年6月に上梓した『桑田佳祐論』(新潮新書)は、桑田佳祐の歌詞を詳しく分析したものです。その歌詞は独特で、日本語としてかなりぶっ飛んでいる。ならばゲストには「言葉の専門家」をお招きしようと。というわけで、言語学者の川添愛さんにお越しいただきました。

川添 どうぞよろしくお願いいたします。

スージー 昨年刊行された、川添さんの著書『言語学バーリ・トゥード』(東京大学出版会)が滅法面白いんです。そこではユーミンの歌詞を言語学的に分析されています。

川添 ありがとうございます。

スージー 本日は、桑田佳祐の歌詞を言語学の知見をお借りして分析していこうという、おそらく史上初の試みになると思います。本題に入る前におうかがいしたいのですが、言語学者というのはどのような事柄を研究する仕事なのですか?

川添 言語に関する学問全般が言語学と呼ばれるのですが、その中には音声や文法や意味を研究する分野、コミュニケーションを研究する分野、言葉の歴史を研究する分野など、さまざまな研究領域があります。私の専攻は理論言語学というもので、主に文法と意味について研究しています。人はどのように言葉を生み出したり理解したりしているのか、脳内で言葉はどのように処理されているのか、などが主な研究対象です。

スージー なるほど。まずは、川添さんが分析されたユーミンの「恋人がサンタクロース」の歌詞を見ていきましょう。端的に言うと、なぜ「恋人『は』サンタクロース」ではなくて、「恋人『が』サンタクロース」なのか? ということですよね。音楽評論家を名乗っておきながら恥ずべきことですが、私も「は」なのか「が」なのか判然としないままユーミンを語っていました。桑田佳祐の話をする前に、まずはこちらをご説明いただけますでしょうか?

川添 はい。「は」と「が」の使い分けはかなり複雑なのですが、通常、「誰かがこういう性質や属性を持っている」ということを述べる場合は、たいてい「は」が使われます。例えば、自分や他人がどういう人なのかを言う場合、「私は言語学者です」とか「スージーさんは音楽評論家です」などと言うのが普通です。

スージー たしかに「は」ですね。

川添 一方で、「が」が使われるのは、「この中に言語学者がいるらしいけど、それは誰だろう」といった文脈がある場合です。つまり、何らかの性質や属性を持っている人がその場にいることが分かっているけど、それが誰だか分からないときですね。そういう時は、「私が言語学者です」というふうに、「が」が使われます。

スージー 「そうです。私が変なおじさんです」のパターンですね(笑)

川添 それです、それです(笑)。あのコントでは、事前に「誰だ君は?」という問いかけがありますよね。それを受けて、志村けんが「私『が』変なおじさんです」と答えるわけです。普通、「あなたは誰ですか?」と問われると、「私は○○です」と答えます。しかし、変なおじさんの頭の中では、「自分は有名人で、みんなは『変なおじさんってどの人だろう』と知りたがっているに違いない」という思い込みがあるんですね。変なおじさんは変だから、普通の人と認識がズレているわけです。だからこそ、「私がそれなんです」とばかりに「私が変なおじさんです」と表明しているわけです。

スージー すでに「変なおじさん」というものが、状況の中で存在しているからこそ「が」になるわけですね。

川添 はい。みんな、「変なおじさん」のことを知っているでしょう? 私がその「変なおじさん」なんですよ、となるわけです。

スージー なるほど。ふまえて話をユーミンの「恋人がサンタクロース」に戻しましょうか。

川添 はい。この曲の歌詞は、「昔近所のお姉さんがクリスマスの夜にサンタクロースがやって来ると言うのを聞いた」というところから始まるわけですが、歌詞の語り手はお姉さんの言う「サンタクロース」が誰なのかがわからない。つまり「サンタクロースって誰のことだろう」という疑問があるわけです。そしてサビの部分でようやく、「恋人がサンタクロース」つまり「サンタクロース=恋人」だったということがわかる、という流れになっています。

スージー だから「恋人『が』サンタクロース」なのですね。まさに「私が変なおじさん」と同じパターンであると。川添さんはご著書でその部分をこう分析しています。

 

この歌の歌詞において、「サンタクロース」という言葉は序盤に導入されているため、サビの「サンタクロース」は旧情報だ。そして、サビで「サンタクロース」と関連づけられる「恋人」は、ここで新規に導入される新情報だ。もし、ここでサビの歌詞を「恋人はサンタクロース」にすると、「は」の性質上、「恋人」が旧情報として提示されることになり、そこまでの情報の流れから見て不自然である。文脈に合った情報の提示の仕方を考えるならば、「恋人がサンタクロース」のように、「恋人」を新情報として提示する歌詞が選ばれてしかるべきなのである。(川添愛『言語学バーリ・トゥード』)

 

川添 ただし、ここでご紹介した用法は、「は」と「が」の数ある用法のひとつです。「は」と「が」には他にも多くの性質があります。言語学における「は」と「が」の問題は、深入りすると危険な沼です。

「Jポップありがち歌詞問題」

スージー 私も川添さんの分析を読む前まで、「が」なのか「は」なのか判然としていなかったと申し上げましたが、裏を返すとそれは、Jポップにおける歌詞の地位の低さをあらわしているのかもしれません。歌詞の意味、あるいは言葉の微妙なニュアンスなんてどうでもよくて、サウンドと一体になっていてカラオケで歌って気持ちよければいいじゃないか、という風潮というか。あるいは、私は「Jポップありがち歌詞問題」と呼んでいるのですが、「翼広げ過ぎ、君の名を呼び過ぎ、君に会いた過ぎ…」というように、歌詞に使われる言葉があまりにも定型化され過ぎていると、ずっと思っていました。そんな風潮に抗うようにして書いたのが、この『桑田佳祐論』でもあるのですが。

川添 このスライドを見ると、誰にとっても当てはまるというか、「あるある」な歌詞が多いですよね。食べ物にたとえると、主食というか。ただ、お米は毎日食べても飽きないけれど、言葉ってやはり飽きちゃうんですよ、どうしても。

スージー また「翼広げやがって」と(笑)

川添 それが食べ物と言葉の違いというか、難しいところで、言葉は少し尖ったところがあったり、定期的にアップデートしたりしていかないと、段々と陳腐化する傾向があるんです。

新しい概念を成立させる「桑田語」

スージー そこで伺いたいのが、桑田佳祐はどうなのか? ということです。

川添 それでいうと、桑田さんの歌詞は、意外な食材を「えっ⁉ そんな味付けで…」という驚きがありますよね。

スージー ゴーヤやホヤのような。

川添 まさに(笑)

スージー 逆に言うと、普通の言葉遣い、つまり主食がない。とにかく自由で新しい料理。

川添 それでも満足感はすごい、みたいな。独自のセンスというか「桑田語」と言いたくなります。それまでにない言葉を創るということは、ある意味、概念として固定しちゃうことになるじゃないですか。

スージー 「概念として固定される」というのは、どういうことですか?

川添 例えば、「いとしのエリー」には「誘い涙の日が落ちる」とか、「スキップ・ビート(SKIPPED BEAT)」には「乱れしぐさに心を奪われて」とかいう言葉が出てきますよね。実際には、「誘い涙」とか「乱れしぐさ」のような言葉は日本語にはないんだけど、いかにもありそうな、絶妙なラインですよね。そういう造語を創り出すということは、そのあたりを概念として成立させていいんだ、と判断したということだと思います。そのあたりの思い切りの良さは、「桑田語」の特徴の一つだと思います。

スージー 「誘い涙」という言葉を歌詞に用いて、その曲が大ヒットして何千万という日本人が聴く。すると、これまでに存在しなかった「誘い涙」という概念が結果として成立してしまう、ということですね。

川添 はい。

スージー なるほど。造語が新しい概念を生む、というのが桑田語の凄みでもあると。たしかに「乱れしぐさ」によって「心奪われ」そうですもんね。

「の」は自由だ! ―「砂まじりの茅ヶ崎」と「胸さわぎの腰つき」

スージー ところで川添さんが桑田佳祐に出会ったのはいつ頃ですか?

川添 5歳か6歳だと思うのですが、テレビの歌番組で観て、めちゃめちゃ怖かったのを覚えています。動きが激しくて、暴れているようにも見えて。

スージー 早口で何を歌っているのかもわからないし(笑)

川添 子供にはわからないですよね(笑)。初めて「いいな」と意識したのは、「オレたちひょうきん族」です。明石家さんまさん演じるアミダばばあが「アミダばばあの唄」を歌っていて、その曲が好きだったんですが、作詞作曲が桑田さんだと知って驚きました。

スージー 桑田佳祐との出会いが「アミダばばあの唄」というのは、かなりレアですね(笑)

川添 そうかもしれません。今思うと「男と女のあいだのばばあ」とか、結構大人向けの歌詞なのですが、子供ながらにすごい曲だなと衝撃を受けていました。

スージー なるほど。では、一緒に桑田佳祐の歌詞に迫っていきましょう。まずはこちら。

スージー 1978年のデビュー曲「勝手にシンドバッド」。私の『桑田佳祐論』でも、この「胸さわぎの腰つき」という歌詞を大きくフィーチャーしていますが、言語学的には、どのような点に注目していますか?

川添 結論から言いますと、桑田さんは日本語の特性を最大限に活かしているなと。

スージー ほほう。日本語の特性ですか。

川添 「砂まじりの茅ヶ崎」については、かつて有名な言語学者が「文法的に間違っている」と言ったという説もあるようです。それだけ、当時は桑田佳祐の日本語が規範から逸脱したものであるように思われていたということでしょう。ちなみに、私の立場からすると、別に文法的には間違っていないと思います。ただし、意味が明確でなく、さまざまな解釈を許します。それゆえに、何か非常にミステリアスな言葉になっている。

スージー 川添さんは、「砂まじりの茅ヶ崎」と「胸さわぎの腰つき」の「の」の部分に注目されています。それがこちらのスライドです。

川添 慶應義塾大学名誉教授の西山佑司先生が日本語における「〇〇の△△」という表現について詳しく研究されているのですが、それによると「〇〇の△△」には5種類ぐらいの用法があります。英語の「of」や「〜’s」と比較してみると、「の」の自由さが際立つと思います。

 例えば「音楽評論家のスージー鈴木」を英語にすると、「Suzie Suzuki, a music critic」のように言うのが普通で、「Suzie Suzuki of music critic」や「music critic’s Suzie Suzuki」にはなりません。つまり、「の」をそのまま「of」や「~'s」では表せない。同様に「雨の公園」も、「park of rain」や「rain’s park」とは訳せなくて、「park in rain」とか「rainy park」のように「雨」と「公園」の関係をきちんと明示しなければいけません。つまり日本語の「の」は、かなり広い範囲をカバーしています。

スージー なるほど。日本語の「の」を英訳するときに、我々は「of」や「~’s」を使うと習いましたが、日本語の「の」にはそれには収まらないもっとフワッとした広い用法があるということですね。

川添 はい。英語の「of」や「~’s」がカバーできない部分まで、日本語の「の」はカバーできてしまう。しかも「〇〇の△△」と言う場合、「○○」と「△△」がどのような関係なのかをはっきりと言わなくてもいいですよね。「胸さわぎの腰つき」を英訳しようとしたら、「胸さわぎ」と「腰つき」がどういう関係なのかをはっきりさせないと難しいですが、日本語ではぼんやりと「胸さわぎの腰つき」と言えてしまう。

スージー 実は私も「胸さわぎの腰つき」の英訳にトライしたことがあるんです。私の解釈では、茅ヶ崎あたりで自分と別れそうになってる女を見て男がイライラ、あるいは悶々としている。それで自分の腰のあたりがムラムラと身悶えている―よって英語にすると「frustrated hip」(笑)

川添 なるほど(笑)。「胸さわぎの腰つき」をしているのは「自分」という解釈ですね。そっちなんですね。

スージー 川添さんの解釈は違いますか?

川添 はい。実は、「アミダばばあの唄」に「ケイレンの夜風にKISSを」という歌詞があって。

スージー また「アミダばばあの唄」だ(笑)

川添 そこで歌われている「ケイレンの夜風」は、ケイレンを引き起こす風なんじゃないかと思っているんです。そしてそれと同様に、「胸さわぎの腰つき」も「胸さわぎを引き起こす腰つき」で、女の人の妖艶な腰つきを見て自分が胸さわぎをしている―そんなふうに私は解釈していました。

スージー 丸っきり私と視点が逆ですね(笑)

川添 こうした対極的な解釈までも包摂してしまうところが、日本語の「の」の自由なところで、桑田さんはそれを最大限に利用していて、結果的にいろいろな解釈を包摂する、ミステリアスなフレーズになっていると思うんです。

スージー 面白い! 桑田佳祐は「の」の魔法を最大限活用している。

川添 はい。それを意識しているのか、無意識なのかはわかりませんが。

スージー それだけ日本語の「の」は、極めて寛容な助詞であると。

川添 もともと寛容なのですが、桑田さんはその広いストライクゾーンの中でも外角低めギリギリの際どいところを攻めている―そんなイメージですね。「偽りのシャツ」とか「ためらいのボタン」とか(ともに「みんなのうた」)。

スージー 絶妙な「の」のコントロール(笑)。実に面白い分析ですね。

松田聖子における「の」

スージー 実は、私も「の」にうるさくてですね、松田聖子の初期のシングル曲に「の」がつくものが多いことに気づいて、ある研究を発表したことがあるんです。スライドをご覧ください。

 

スージー 「裸足の季節」「夏の扉」「渚のバルコニー」「小麦色のマーメイド」…と、タイトルに「の」がつく曲を縦と横に分けて並べて全部の組み合わせを作ってみた、というだけなのですが(笑)

川添 やっぱり「ピンクのモーツァルト」が、訳がわからないという意味で飛び抜けていますね(笑)

スージー 個人的に好きな組み合わせは「天国のモーツァルト」です。それはそうやろって(笑)。やはり「の」は大事なんですね。桑田佳祐に限らず、イメージを幅広く喚起するためにも、「の」を最大限に利用しない手はない。これは作詞における実に有効なアドバイスかもしれません。

「それにしても」「江の島が見えてきた」

スージー どんどん参りましょう。次のスライドです。

スージー またもや「勝手にシンドバッド」の一節「それにしても涙が 止まらないどうしよう」です。

川添 私、歌詞に接続詞が使われていると注目してしまう癖があって。

スージー 接続詞マニア(笑)

川添 私たちが普段話す言葉と歌詞とを比べてみると、さまざまな違いがありますが、その一つに「接続詞の多寡」を挙げることができるかなと。文の途中に出てくる接続詞は歌詞でもよく使われるのですが、文の最初に出てきて、その文と前の文とをつなぐタイプの接続詞は、あまり歌詞には出てこない印象があって。

スージー たしかに「しかし」とか「そして」とか、あまり歌詞に出てきませんね。

川添 だからこそ、出てくると耳に残ります。アン・ルイスの「六本木心中」は「だけど…こころなんて」で始まりますし、私の好きな筋肉少女帯の「バトル野郎~100万人の兄貴~」の中にも「そこで!」という接続詞が出てきます。

スージー 「そして神戸」も(笑)

川添 「そして…めぐり逢い」など、「そして」はままありますね。だけど、「それにしても」は少ないような気がします。

スージー この「それにしても」を川添さんはどう解釈されますか?

川添 パッと聴いただけだと、「なんで入れたの?」って思いますよね。桑田さん以外であれば、別の何か具体的な言葉をあてはめると思うのですが、あえて「それにしても」を入れたということは、歌詞の中に自分の思考というか意識の流れを丸ごと入れちゃえ、ということなのかなと。それによって、聴く側に生々しさを感じさせる。

スージー それは非常に示唆に富む意見ですね。作詞家のレジェンドである松本隆は、歌詞に自分の心象や気持ちをストレートにあらわすのは下品であるというようなことを言っています。そうではなく、周りの風景を描写することで、その心象や気持ちを表現するのだと。そう考えると、桑田佳祐の「勝手にシンドバッド」は心の独り言であって、松本隆のメソッドとは真逆のもの。

川添 たしかに。ただ、しばらくすると「江の島が見えてきた 俺の家も近い」と続くわけですよね。

スージー 大事なポイントに差し掛かりました。ここは『桑田佳祐論』でも書いたのですが、本来ならば「砂まじりの茅ヶ崎」と同じ音列があてられるべきところなのに、「江の島が見えーてきたー」の「えー」のところはナインスというちょっと物悲しいコード進行になっていて、それによって聴いているほうはグッと胸を掴まれる。さらにここは心の独り言ではなく、具体的な風景を描写しているわけです。この「江の島」という歌詞の具体性とセンチメンタルなメロディが、「勝手にシンドバッド」に大衆性を与えて、ヒットに導いた―というのが私の分析です。

川添 そこは読んで私も「なるほど」と唸りました。そして続くのが、「俺の家も近い」。

スージー 「俺の家『も』」なんですよね。「俺の家『は』」でも、「俺の家『が』」でもなく。なんで「も」なんでしょうか?

川添 それをずっと考えていたのですが、もし「は」や「が」だったら、「今そのことに気づいた」というようなニュアンスになりますよね。

スージー その線で想像してみましょう。歌の中の主人公は、車で海沿いの国道134号線あたりを走っている。そして「あ、江の島だ。俺の家が(は)近いじゃないか」と、そこで初めて気づく。

川添 でも、「も」だと、そうではないわけです。なぜ「も」なのか? 「も」というのは、言語の性質として「何かのついで」に言っているみたいなところがある。例えば、「宴もたけなわですが」とか「子供も大きくなったし」とか、そんな「ついで感」。

スージー なるほど。「も」における「ついで用法」ですね。

川添 すでに念頭にあったことを、何かのついでに言っている感じが、この「も」にあらわれているのではないかと。だから、「俺の家」のことはもともと念頭にあって、それをことさら言う必要はないんだけれど、江の島が見えてきたことのついでに「俺の家も近い」と言っているんじゃないかと。じゃあ、何で「俺の家」というのが念頭にあったかというと、この主人公の男性は家に帰るまでの間に、恋人との関係をどうにかしないといけないと思っているのではないかと。

スージー はい、はい(笑)

川添 そうした「どうにかしなきゃ」という切迫感が、「も」を使うことでより効果的に表現されているのではないでしょうか。

スージー すばらしい! 「勝手にシンドバッド」の歌詞をここまで精緻に分析したのは我々以外にはいないんじゃないでしょうか。世界一マニアックな「勝手にシンドバッド」論です。

 とにかく、これがデビュー作ですからね。デビュー作にして桑田佳祐は、日本語の「の」と「も」を自在に駆使しつつ、独り言のような心象と「江の島」という具体的な固有名詞を組み合わせて、不朽の名作を作り上げた。それも45年前に。あらためてその凄さがわかるというものです。

後編へつづく

スージー鈴木『桑田佳祐論

2022/06/17

公式HPはこちら

川添愛『言語学バーリ・トゥード 』

2021/07/26

スージー鈴木

1966(昭和41)年大阪府生まれ。音楽評論家。早稲田大学政治経済学部卒業。昭和歌謡から最新ヒット曲までその守備範囲は広く、様々なメディアで執筆中。著書に『EPICソニーとその時代』(集英社新書)『1984年の歌謡曲』(イースト新書)『チェッカーズの音楽とその時代』(ブックマン社)『平成Jポップと令和歌謡』(彩流社)『サザンオールスターズ 1978-1985』『桑田佳祐論』(新潮新書)など。Twitter:@suziegroove

川添愛

九州大学、同大学院他で言語学を専攻し博士号を取得。津田塾大学女性研究者支援センター特任准教授、国立情報学研究所社会共有知研究センター特任准教授等を経て、言語学や情報科学をテーマに著作活動を行う。著書に『白と黒のとびら オートマトンと形式言語をめぐる冒険 』『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」』『聖者のかけら 』『ヒトの言葉 機械の言葉「人工知能と話す」以前の言語学』『言語学バーリ・トゥード 』『ふだん使いの言語学』等。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

スージー鈴木

1966(昭和41)年大阪府生まれ。音楽評論家。早稲田大学政治経済学部卒業。昭和歌謡から最新ヒット曲までその守備範囲は広く、様々なメディアで執筆中。著書に『EPICソニーとその時代』(集英社新書)『1984年の歌謡曲』(イースト新書)『チェッカーズの音楽とその時代』(ブックマン社)『平成Jポップと令和歌謡』(彩流社)『サザンオールスターズ 1978-1985』『桑田佳祐論』(新潮新書)など。Twitter:@suziegroove

川添愛

九州大学、同大学院他で言語学を専攻し博士号を取得。津田塾大学女性研究者支援センター特任准教授、国立情報学研究所社会共有知研究センター特任准教授等を経て、言語学や情報科学をテーマに著作活動を行う。著書に『白と黒のとびら オートマトンと形式言語をめぐる冒険 』『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」』『聖者のかけら 』『ヒトの言葉 機械の言葉「人工知能と話す」以前の言語学』『言語学バーリ・トゥード 』『ふだん使いの言語学』等。


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