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川添愛×スージー鈴木「桑田佳祐の”ことば”を大解剖!」

2022年9月10日

川添愛×スージー鈴木「桑田佳祐の”ことば”を大解剖!」

後編 桑田佳祐は言葉にモザイクをかける

著者: スージー鈴木 , 川添愛

好評発売中の『桑田佳祐論』で、サザンオールスターズやソロ26作の歌詞を徹底分析した音楽評論家・スージー鈴木さんと、言語学者・川添愛さんによる対談です。川添さんは著書『言語学バーリ・トゥード』で、ユーミンの名曲の歌詞を分析。今回もその知見を活かして、スージーさんとともに桑田佳祐の独特にして絶妙な日本語の魅力に迫ります。はたして、桑田佳祐の歌詞のどごが凄いのか?――この難問に、音楽評論家&言語学者という異色のコンビが挑みます。

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濡れた桑田佳祐の造語

スージー まずはサザンの代表曲である「いとしのエリー」の歌詞を見ていきましょう。

スージー 前編でも少し触れましたが、これは桑田佳祐の歌詞を考えるにあたって避けられないフレーズです。この「誘い涙の日が落ちる」「泣かせ文句のその後じゃ」「みぞれまじりの心」という、いかにも桑田佳祐らしい造語を、私は『桑田佳祐論』で「湿度が高い。濡れている」と表現しました。しかも、今日の川添さんの話だと、ここでも自由な「の」が用いられていますね。

川添 はい。やはり注目すべきは「誘い涙の日が落ちる」だと思います。私の解釈では「涙を誘うような太陽があって、その太陽が沈む」という情景を歌っているのではないかと思っています。ただ、私のような凡人は、同じ情景を「涙を誘う日が落ちる」のように表現すると思うんです。しかし、「涙を誘う」という言葉で「日」を修飾するのは凡庸だし、「[涙を誘う日]が落ちる」という一文なのか、それとも「涙を誘う。日が落ちる」という二文なのか、微妙にわかりづらくなる。その点、「誘い涙の~」だと、一文だということが明確になりますよね。

スージー そこで自由な「の」が活きてくる。

川添 しかも「誘い涙」というフレーズも絶妙で、「もらい水」とか「もらい泣き」、「呼び水」のような言葉を想起させる。かつ、はたして「涙を誘うのか」、それとも「涙が何かを誘うのか」、はたまた別の意味なのか―さらに解釈が広がっていきます。

スージー 聴いた人によって解釈が大きく変わる、というのも桑田佳祐の歌詞の魅力のひとつですよね。まさにこのフレーズは、桑田佳祐による「言語革命」の最たるものだと言えると思います。

恋人たちの「ばか論争」

スージー 次はサザンのファンに長く愛されている曲です。「C調言葉に御用心」。

スージー その歌い出しですが、見事です。この曲はなかなかシュールと言いますか、意味や文脈から自由な桑田佳祐の面目躍如とも言える曲ですが、本当にダメそうな男が心情を吐露するこの歌い出しによって、リスナーのハートをロックオンするというか、そのリアルさでもってシュールさを押しとどめる効果もあり、とても好きなフレーズです。

川添 私のポイントはふたつあって、ひとつは「俺がばかです」の「が」です。

スージー 出ました! 「が」問題。

川添 前編でも説明しましたが、特殊な文脈がない場合、こういう文は普通「俺はばかです」なんですよ。でも、ここであえて「俺がばかです」になっているのは、先ほどの「恋人がサンタクロース」「私が変なおじさんです」と同じ事情があるからなのではないかと思うんです。つまり、「誰がばかなのか」という話が先にあったから、「俺『が』ばかです」となる。

スージー ちょっと言っていることがよくわかりません(笑)。それはどういう状況ですか?

川添 ご説明しましょう(笑)。おそらくですが、この歌詞の前の文脈で、恋人同士がケンカをしていた。それで「お前はばかだ」「いや、ばかはあなただ」と言い争っている状況があったと。つまり「ばかなのはどっちだ」という議論があった。

スージー 「恋人たちのばか論争」(笑)

川添 それで最後に男が折れて、「俺がばかです」と(笑)

スージー 論争に負けた(笑)

川添 単純に「俺はばかです」と言う場合は、「は」を使うわけじゃないですか。それをわざわざ「俺がばかです」と言うということは、その前に一悶着あったんだろうと。私はそう解釈しました。

スージー なるほど。たしかに「俺『は』ばかです」よりも「俺『が』ばかです」というほうが、歌の前に一波乱あって「ごめんなさい」と謝るニュアンスが強くなりますね。深いなあ。

「アンタ」か、「あなた」か

スージー 「いつもいつもアンタに」の「アンタ」も気になりますね。

川添 この「C調言葉に御用心」では、「アンタ」「あなた」と表記が混在しているんですよね。

スージー 確かに、サビ後のCメロでは同じメロディで「俺にだまって恋をしていた『あなた』もやはりダメね」となりますね。

川添 はい。なぜ「アンタ」と「あなた」が混在するのか、ちょっと考えてみたんです。

スージー そんなことを考えているのは、世界で川添さんだけだと思います(笑)。さて、言語学者はどう解釈したのか?

川添 最初の「いつもいつもアンタに」の時は、「俺」が謝っているんですよね。しかし次の「あなたもやはりダメね」は攻守交代で、「俺」が相手を責めています。謝っている時は「アンタ」で、責めている時は「あなた」。ここに桑田さんの絶妙なバランス感覚があるのではないかと。

スージー 謝っている時に「あなた」だと、へりくだり過ぎてしまう。逆に責めている時に「アンタ」だと、強く出過ぎてしまう。

川添 そういうことです。桑田さんの秀逸なバランス感覚がここにもあらわれているのではないかと。

スージー 凄いところに気づきましたね。

川添 『桑田佳祐論』でスージーさんも、別の文脈で桑田さんのバランス感覚について論じられていて、それこそが桑田さんがトップに君臨し続ける要因ではないかと書いておられましたが、そのバランス感覚がここにもあるのではないかと。

スージー これはさすがに気づきませんでしたけど、言われてみれば納得の指摘ですね。

「照らう元気」「ありゃしもないのに」

スージー 同じ「C調言葉に御用心」のフレーズ「照らう元気もありゃしもないのに」。

川添 ポイントは「照らう」と「ありゃしもない」ですね。調べてみたのですが、「奇を衒(てら)う」の「衒」の語源はもともと「照」で、「てる」の未然形の「てら」に「ふ」がついて「てらふ」。それが今の「衒う」になっているのではないかという説があることは確認しました。

スージー ちゃんと学説があるのですね。でもそれを桑田佳祐は知らないでしょう。

川添 何か新しい言葉のつもりで歌詞に入れたのかもしれないですね。

スージー あるいは単純に間違えたのかもしれない。

川添 でも、「照る」と「衒う」に似た表現で、「語る」と「語らう」があります。「語る」の「る」が「らう」になると、複数の人が語り合うみたいなニュアンスの言葉になりますが、もしかしたら桑田さんの「照らう」というのも、私とあなた、つまり複数で互いに照らし合うみたいな意味を狙ったのかもしれません。

スージー 「照らし合う」というのは、ポジティブな響きもあっていいですね。

川添 共同で何かをするというニュアンスも出てくる言葉です。

スージー 「ありゃしもないのに」はどうでしょうか?

川添 これは普通に日本語として変だと思います(笑)

スージー ただ言語学的な意味論でいうとおかしいかもしれませんが、おそらく桑田佳祐は歌っていて気持ちがいい日本語を選んでいるのだと思います。まさに「声に出して歌いたい日本語」というか、それが絶妙。「照らう元気もありゃしもないのに」という音韻は、非常に気持ちがいい。

川添 たぶん「りゃ」が重要ですよね。「ありもしないのに」にしなかったのは、「りゃ」という音を入れたかったからなのかもしれません。

スージー そこは大事なポイントでしょう。音楽評論家として、ロック言語学あるいはロックボーカル言語学というものがあるとすれば、母音が少ない日本語をどう音にあてていくかということが、教科書の1ページ目に出てくるトピックです。いかにして英語のようなバラエティ豊かな母音に日本語を当てはめていくか―それに挑戦してきたのが日本のロックの歴史であって、桑田佳祐の前には矢沢永吉がいたわけです。例えば「かわいいあの娘はルイジアンナ」というキャロルの歌詞がありますが、「きゃうぁわいいっ」と矢沢は歌う。「きゃうぁ」のあたりが英語で使われる「あ」と「え」の中間の音。桑田佳祐が方言や古語をよく歌詞にするのも、その音がほしいゆえでしょう。それとリズム。「あ、ちょいとC調言葉に」というように、「あ、ちょいと」という詰めたリズムがほしくなる。

ラ行も濡れる日本語

スージー 意外と言っては何ですが、川添さんはKUWATA BANDのこの曲を挙げられました。

川添 とにかく歌い出しの「Lennonが流れる」ですね。ラ行の音は言語学では「流音」と言われていて、その名の通り、滑らかで流れるような感じがするのですが、桑田さんの絶妙な歌い方も相まって、かなりの水分を感じるというか。

スージー つまり濡れている。

川添 それと、曲のなかで他のミュージシャンについて言及するというのが、ちょっと劇中劇のような感じがして面白いなと。曲を聞いて浮かぶ情景の中に、ジョン・レノンの姿と声と曲が入ってくるわけじゃないですか。ちょっと二重構造にもなっている。

スージー これも重要なご指摘です。桑田佳祐以前の歌謡曲には、人名や既存の曲名などの固有名詞があまり出てこない印象があります。もちろん「函館の女」や「津軽海峡冬景色」など、特に演歌には地名がよく出てくるのですが、どちらかというと固有名詞を避けて、どんな世代や地域の人々にも届くようにと抽象的な歌詞が多かったように思います。それが例えば1980年発表の田中康夫の小説『なんとなく、クリスタル』以降、より細かい地名やブランド名が歌詞にも入ってくる。他のミュージシャンの名前が入ってくる曲という意味では、1973年のガロの「学生街の喫茶店」が有名ですよね。「片隅で聴いていた ボブ・ディラン」。

桑田佳祐は言葉にモザイクをかけている

スージー そして同じ「スキップ・ビート(SKIPPED BEAT)」の「すんげェ」。

川添 個人的にこの曲の中心は、この言葉なんじゃないかと思っていて。

スージー 「割れたパーツのマニア」「腰をからめ すんげェ」ですから、割と直球でエロな歌詞ですね。

川添 これはストレートですよね。でも桑田さんは隠語を使ったり、それとわからないような歌い方をしながら、巧妙にエロいことを歌う。それを以前、知り合いの言語学者が「桑田佳祐は言葉にモザイクをかけている」と表現していて、非常に感銘を受けました。桑田佳祐は独特の方法で、言葉にモザイクをかけているんだと。

スージー けだし名言ですね。言葉にモザイクをかけているから、大衆に届くし、テレビやラジオでも流せる。

川添 でも、この曲にはモザイクをかけていないなと(笑)。それが妙に本音っぽく聞こえたというか。

スージー 「純正(なま)ジュニア」ですからね(笑)

倒置法だよ、人生は

スージー いよいよ最後です。これは2011年の傑作ソロアルバム「MUSICMAN」に収録されている「月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)」の一節です。

川添 これはスージーさんの『桑田佳祐論』を読んでから聴いてみたのですが、とてもすばらしい曲ですね。私は倒置法マニアなので、この歌詞の倒置法にグッときたんです。

スージー 「倒置法マニア」という人に初めてお会いしました(笑)

川添 倒置法は印象を強くするという効果があります。日本語の歌詞だと「飾りじゃないのよ涙は」とかがありますね。もしこれが「涙は飾りじゃないのよ」だったら、あそこまで売れていないと思うんです。

スージー たしかに。

川添 「浪花節だよ人生は」も、「人生は浪花節だよ」だったら絶対にヒットしていなかったはずです。歌詞に倒置法が使われること自体は珍しくないのですが、桑田さんのこの一節は倒置法を効果的に使っていて、強く印象に残りました。「変わったよ」で一度終わったような気がするのですが、追い打ちをかけるようにして「知らぬ間に」が続く。倒置法は追い打ちをかける効果があり、その効果と楽曲がとてもマッチしていて、心に残る倒置法だなあと。

スージー いい曲ですよね。私も大好きな曲です。追い打ちというのはその通りで、自分が知らぬ間に日本という国が変わってしまったことがスマートに強調されています。

川添 「知らぬ間に変わったよ」だと、そこまで印象に残らないと思うんです。

スージー なるほど。いやあ、すばらしい解説でございました。

川添 こちらこそスージーさんの『桑田佳祐論』を読んだおかけで、桑田さんの魅力にあらためてハマることができたので感謝申し上げます。

スージー というわけで本日は、川添さんに言語学の知見をお借りしながら、桑田佳祐の歌詞の魅力に迫っていったわけですが、自由自在な「の」の使い方、独特な造語、接続詞や倒置法の効果的な挿入と、たくさんの論点が出てきましたね。間違いなく、これまでになかったアングルで桑田佳祐の歌詞の魅力をプレゼンできたと思います。正直私の『桑田佳祐論』以上のポイントがあるのかなと思っていたのですが、思い過ごしでございました。それだけ桑田佳祐の歌詞が広くて深いという証拠でもあると思うのですが。

川添 そう思います。

スージー これに懲りずに、ぜひ今度はユーミンやドリカムなど、他のアーティストの歌詞についてもお話しできれば。

川添 こちらこそぜひよろしくお願いいたします。

スージー 本日はありがとうございました。

スージー鈴木『桑田佳祐論

2022/06/17

公式HPはこちら

川添愛『言語学バーリ・トゥード 』

2021/07/26

スージー鈴木

1966(昭和41)年大阪府生まれ。音楽評論家。早稲田大学政治経済学部卒業。昭和歌謡から最新ヒット曲までその守備範囲は広く、様々なメディアで執筆中。著書に『EPICソニーとその時代』(集英社新書)『1984年の歌謡曲』(イースト新書)『チェッカーズの音楽とその時代』(ブックマン社)『平成Jポップと令和歌謡』(彩流社)『サザンオールスターズ 1978-1985』『桑田佳祐論』(新潮新書)など。Twitter:@suziegroove

川添愛

九州大学、同大学院他で言語学を専攻し博士号を取得。津田塾大学女性研究者支援センター特任准教授、国立情報学研究所社会共有知研究センター特任准教授等を経て、言語学や情報科学をテーマに著作活動を行う。著書に『白と黒のとびら オートマトンと形式言語をめぐる冒険 』『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」』『聖者のかけら 』『ヒトの言葉 機械の言葉「人工知能と話す」以前の言語学』『言語学バーリ・トゥード 』『ふだん使いの言語学』等。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

スージー鈴木

1966(昭和41)年大阪府生まれ。音楽評論家。早稲田大学政治経済学部卒業。昭和歌謡から最新ヒット曲までその守備範囲は広く、様々なメディアで執筆中。著書に『EPICソニーとその時代』(集英社新書)『1984年の歌謡曲』(イースト新書)『チェッカーズの音楽とその時代』(ブックマン社)『平成Jポップと令和歌謡』(彩流社)『サザンオールスターズ 1978-1985』『桑田佳祐論』(新潮新書)など。Twitter:@suziegroove

川添愛

九州大学、同大学院他で言語学を専攻し博士号を取得。津田塾大学女性研究者支援センター特任准教授、国立情報学研究所社会共有知研究センター特任准教授等を経て、言語学や情報科学をテーマに著作活動を行う。著書に『白と黒のとびら オートマトンと形式言語をめぐる冒険 』『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」』『聖者のかけら 』『ヒトの言葉 機械の言葉「人工知能と話す」以前の言語学』『言語学バーリ・トゥード 』『ふだん使いの言語学』等。


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