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釈徹宗『天才 富永仲基 独創の町人学者』試し読み

2020年9月17日

釈徹宗『天才 富永仲基 独創の町人学者』試し読み

序 早すぎた天才

著者: 釈徹宗

富永(とみなが)仲基(なかもと)」と聞いて、「ああ、あの人か」とすぐにピンと来る人はそう多くないでしょう。富永仲基は、江戸中期の大坂に生きた町人学者で、世界に先駆けて仏典を実証的に解読。「大乗仏教は釈迦の直説に非ず」という「大乗非仏説論」で知られ、本居宣長や平田篤胤といった国学者、内藤湖南や山本七平といった歴史家にも絶賛されています。その反面、仏教界では長く敵視されていた時代もありました。それもそのはず、日本仏教の大勢を占める大乗仏教を「釈迦の直説に非ず」と喝破したわけですから――。

その〝知られざる天才〟に、「大乗仏教の申し子」浄土真宗の僧侶にして宗教学者の釈徹宗さんがチャレンジングに迫るのが『天才 富永仲基 独創の町人学者』です。仲基の功績や評価、独創性についてまとめたその序文「早すぎた天才」を掲載します。

天才の条件

 富永(とみなが)仲基(なかもと)は天才である──。
 それを最初に言ったのは内藤()(なん)でしょう。内藤は仲基のことを「日本が生み出した第一流の天才」と評しました。
 内藤湖南は、漢学・儒学の流れを汲む東洋史研究者です。埋もれていた典籍を発掘・研究した人としても知られています。
 大正14(1925)年、内藤は「大阪の町人学者富永仲基」という講演において、仲基を稀代の天才であると紹介し、仲基の研究がどれほどすごいものであるかを述べています。この講演は、大阪毎日新聞が15000号を発行した記念に行われたものでした。今日にも伝わる名講演であり、富永仲基を大いに顕彰する内容となっています。内藤はすでに明治中頃から富永仲基についての文章を何度か発表しており、歴史に埋没しそうになっていたひとりの町人学者へ光をあてることに成功したと言えるでしょう。
 内藤湖南だけではありません。
 東洋史学者の石濱純太郎、評論家の山本七平(しちへい)、日本文学者の水田紀久(のりひさ)、宗教学者の姉崎正治、哲学者の井上哲次郎、仏教学者の村上専精(せんしょう)、インド思想学者の中村(はじめ)など、多くの人たちが富永仲基の天才性を高く評価しています。
 天才の条件とは何でしょうか。
 もちろん〝独創性〟を挙げることができるでしょう。そしてそれは〝同時期の人たちには、なかなか理解されない〟ことと表裏の関係となります。誰もがすぐに「それはそうだな」と理解できる内容や思想では、たいした独創性と言えませんから。
 さらに、〝早熟〟ということも加えてよいのではないでしょうか。つまり、多くの人が長年にわたる研鑽・努力で到達する地平へと、早い段階でやすやすと飛躍してしまう。それが天才というものでしょう。
 このような条件で考えるならば、富永仲基はまさに天才の呼称にふさわしい人物です。独創的で、長い間にわたって理解されず、早熟・早逝の人生でした。

仲基のオリジナリティ

 富永仲基は18世紀を生きた大坂の町人であり、()(せい)の学者です。正徳5(1715)年に生まれ、31年ほどの短い生涯でした。はじめに儒教を学び、独自の手法で仏教経典を解読しました。そこで展開された加上(かじょう)説は今なお輝きを失っていません。他にも言語論や比較文化論などを駆使したオリジナリティの高い思想で、儒教・仏教・神道を批評しています。
 現在、逝去する約9カ月前に刊行された『出定後語(しゅつじょうごご)』と、約6カ月前に刊行された『(おきな)(ふみ)』、そして『楽律考(がくりつこう)』という未刊行の書の清書本が現存しています。
 それらの著作によってわかるのは、仲基のオリジナリティあふれる方法論や思想です。詳しくは後述しますが、次の五つを押さえておいてください。

1. 「加上」

 思想や主張は、それに先行して成立していた思想や主張を足がかりにして、さらに先行思想を超克しようとする。その際には、新たな要素が付加される。それが仲基の加上説です。つまり、そこにはなんらかの上書き・加工・改変・バージョンアップがなされているとするのです。

2.「()()名字(みょうじ)(なん)(ひつ)()(かい)(異部の名字は必ずしも和会し(がた)し)」

 同じ系統の思想や信仰であっても、学派が異なると用語の意味や使い方に相違が生じ、所説も変わる、そのつじつまを無理に合わせようとすると論理に歪みが生じる、とする立場です。

3.「三物五類」

 言語や思想の変遷に関するいくつかの原則です。三物とは、(1)言に人あり、(2)言に世あり、(3)言に類ありの三つを指します。(1)は学派によって相違するということ。(2)は時代によって相違するということ。(3)は言語の相違転用のパターンを五つに分類したもので、〝張〟〝(はん)〟〝()〟〝反〟〝転〟を挙げています。これが「五類」です。

4.「国有俗(国に俗あり)」

 思想や信仰には文化風土や国民性が背景にあることを指摘したものです。仲基は「くせ」とも表現しています。言葉には三物五類の諸条件があって、思想や教えが分かれる。さらに、国ごとに民俗・文化・風土の傾向があって、そのために説かれる思想・教えが異なっていく、ということです。

5.「誠の道」

 どの文化圏や宗教においても共有されているもので、人がなすべき善を実践していく道を指します。「道の道」とも表現しており、〝人が道として歩むべき真実の道〟だと仲基は考えました。

 1から4は、いずれも現代の人文学研究において前提となるべき態度であると言えるでしょう。しかし、十八世紀の日本に、このような方法論を独自に構築していた人物がいたのです。

大乗非仏説論

 さて、富永仲基と言えば「大乗非仏説論」の先駆者として知られています。「大乗非仏説論」とは、大乗仏教の経典は釈迦が説いた教えではないとする説です。江戸時代の半ばにおいて、仏教の思想体系を根底から揺さぶる立論を、世界に先駆けて世に出した人物が富永仲基です。しかも、それを独力で成し遂げたのですから、内藤湖南をはじめ、数多くの人たちが〝天才〟と評するのも無理はありません。
 実は大乗仏教が釈迦の説いた教えではないという議論は、インドでも古くから論じられてきたことです。本文中でも触れていますが、たとえば紀元4~5世紀において、()(じゃく)()(しん)が『大乗(だいじょう)(しょう)(ごん)(きょう)(ろん)』でこの問題に応答しています。
 ただ、仏典を思想史的に解明するという方法論をとったのは、やはり富永仲基が世界で初めてだと言えます。
 仲基が蒔いた種は、その後、国学者たちの仏教批判を生み出し、近代における大乗非仏説論争の源流となりました。哲学者の井上円了(えんりょう)や宗教学者の姉崎正治、真宗僧侶の村上専精らによる近代知性と仏教学の展開によって、大乗非仏説問題は今日においてもしばしば俎上に載せられています。そして、今日の議論を通して考察しても、仲基の立論は色あせるものではありません。仲基の眼力がいかにすごかったかがわかります。
 仲基は加上説によって、「()(ごん)」→「般若(はんにゃ)」→「法華(ほっけ)」→「()(ごん)」→「大集(だいじつ)()(はん)」→「(とん)()(りょう)()」→「()(みつ)(まん)()()」といった仏教思想の展開を推論しました。
 簡単に説明すると、最初は釈迦の直説(じきせつ)(直接説いた教え)から始まったものが、文字化されずに口伝だったので、いろいろ加上や分派があって、阿含経典群が成立。そこから(くう)を主張する般若経典や『法華経』(今で言うところの初期大乗経典群)、そして『大集経』や『涅槃経』(中期大乗経典群)や『楞伽経』(禅宗を指します)、最終的に密教経典群(後期大乗経典)が生まれたと考えたのです。これは、おおよそ現代の研究結果と符合しています。
 他にも、「大乗仏典にも異なる系統がある」といった慧眼や、宗教聖典の権威性に足をすくわれることなく読みこんでいく姿勢や、荒唐無稽な話を単に揶揄するのではなく文化という側面からアプローチするところなど、注目すべき点はいくつもあります。

近代になって再発見

 仲基を天才と評した内藤湖南は、彼の方法論に注目しました。

 学問上の研究方法に論理的基礎を置いたということが既に日本人の頭としては非常にえらいことであります。その外に宗教・道徳に国民性の区別があり、時代相の区別があると、あらゆる点に注目して居ります。これが我々の非常に尊敬する所以(ゆえん)であって、恐らく日本が生み出した第一流の天才の一人であると言っても差支(さしつかえ)ないと思うのであります。(講演「大阪の町人学者富永仲基」)

 確かに仲基は、西洋近代の学術方法論を学んだわけでもないのに、独自の工夫で同様の方法論を編み出したのですから驚嘆すべきことでしょう。
 このことは、その後、湖南門下の東洋学者で重視されるようになります。たとえば武内義雄『支那学研究法』(岩波書店、1949年)では、仲基の「加上」法運用がいかに効果的であるかが語られています。
 他に東洋史学者の石濱純太郎は、仲基の伝記を書き、仲基はすべてから解放された独創性をもつと絶賛しています。
 あるいは、評論家・山本七平は「現代の日本で、仲基の思想を根本から否定する日本人はおそらくいないであろう」(『日本人とは何か。』下巻、PHP文庫、1992年)として、仲基の自由な思想展開を讃えています。
 宗教学者の姉崎正治は26歳の時、『仏教聖典史論』(1899年)において、仲基の仏典批判とクリスチャン・パウルの聖書批判とを東西宗教書批判の二大先駆書として、「此の如き数千年の葛藤中に処し、特に歴史的感覚に乏しき東洋に出で、明朗なる判断、鋭利なる批判力を(そな)えて、(これ)に兼ねるに該博の学識を(もっ)てし、仏典に歴史的批評を与えたる富永仲基氏の如きは、(まこと)に泥中の蓮たらずんばあらず」と評しています。
 哲学者の井上哲次郎も『日本陽明学派之哲学』(1900年)で、『出定後語』を「仏書の批評として(すこぶ)る注意すべきもの」と述べています。
 そして仏教学者・村上専精は『大乗仏説論批判』(1903年)の「第三章 近世日本に於ける大乗仏説論」において「富永仲基氏の大乗仏説論」を論じています。
 他にも数多くの人々が仲基に注目しており、ここではとても書ききれません。

著作を概観する

 仲基の魅力を知るには、どうしてもその著作を読まねばなりません。中でも主著である『出定後語』を読むことが必要でしょう。しかし、上下2巻の分量があり、けっこう難解なのです。たとえば、江戸時代の学僧や国学者の多くは、単なる仏教批判書として扱ってしまいました。しかも、かなりの誤読を含んでいます。『出定後語』は、今日の仏教学の研究結果を踏まえなければ、誤読する可能性は高いと思います。
 本書では、かなり抄訳・意訳することで、特別な知識なしでも読めるように、できる限り工夫しています。
 さらに、死の半年前に上梓した『翁の文』で語られた「誠の道」「道の道」とは何なのか。これについても『翁の文』を概観することで考えてみたいと思います。なにしろこの「誠の道」については、これまで多くの論者が酷評してきた部分なのです。
 また、『楽律考』の内容も紹介します。これまであまり知られていない仲基の一面を知ることができると思います。
 それでは、ご一緒に富永仲基の思想をひもといてみましょう。

(つづきは本書でお楽しみください)

釈徹宗『天才 富永仲基 独創の町人学者

2020/9/17発売

釈徹宗

しゃく・てっしゅう 1961(昭和36)年大阪府生まれ。僧侶。宗教学。相愛大学副学長・人文学部教授。論文「不干斎ハビアン論」で涙骨賞優秀賞(第5回)、『落語に花咲く仏教』で河合隼雄学芸賞(第5回)、また仏教伝道文化賞・沼田奨励賞(第51回)を受賞している。著書に『不干斎ハビアン』『法然親鸞一遍』『死では終わらない物語を書こうと思う』など。

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