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沖田瑞穂『すごい神話――現代人のための神話学53講義』試し読み

 神話学、という学問をご存知だろうか。おそらくあまり知られていない分野であろうと思う。そもそも神話とは何か、という問いが先に出てくるかもしれない。しかし「文学とは何か」と問われて容易には答えられないのと同様に、これはなかなか難しい問題である。定義したとたんに、その範疇(はんちゅう)から外れたものが主張をはじめる。

 私自身、神話学者を名乗っているものの、そもそも神話の本質をとらえることは可能なのかと思うことすらある。我ながら甚だ心もとない。にわかに心配になったであろう読者のために急いで申し添えると、この一冊を通して、神話とは、神話学とは、といった問題をしっかりと考えられるように書くつもりなので安心していただきたい。とは言え、本書では一般の入門書とはかなり異なる書き方をする。なぜそのような書き方をするのか、簡単な自己紹介を交えつつ、説明しておきたい。

 私はインド神話を専門としている。いつから神話に惹かれるようになったのか記憶にない。文字どおり物心がついた頃から神話的なものが好きだったわけで、理由はよくわからない。一方で、神話学に惹かれたのは間違いなく中学生の時に読んだ『神話学とは何か』((よし)()(あつ)(ひこ)、松村一男、有斐閣新書、一九八七年)の影響である。自分が好きだった神話が、学問として体系づけられて説明されていることに感動し、「将来は神話に関する本を書く人になりたい」と思ったのだ。そう、私の夢は、「学者になりたい」でも「教授になりたい」でもなく、「本を書く人になりたい」だった。

 『神話学とは何か』の著者の一人、吉田敦彦(一九三四~)先生は、フランスの最新の比較神話学を日本に持ち帰り、日本と世界の神話を分析し神話学を大きく前進させた研究者で、のちに私の師匠となってくれた人である。では、私はなぜインド神話を専門にしているのか。よく聞かれるが、これも理由はよくわからない。子供のころから、神話を勉強したい、それもインド神話を中心に勉強したいと、漠然とではあっても、そう思っていた。きっかけとして「この本を読んで」とか、「このアニメを見て」とかいう理由があれば面白かったかもしれない。でもそれは本当に、なんとなく、なのだ。人生における選択のすべてに理由があるわけではない。

 そんなところから始まった私の神話学は、いつの間にか、インド神話を通じてインド=ヨーロッパ語族に(さかのぼ)る古い神話要素を導き出したい、という壮大な目標が据えられるようになった。古い方向に遡っていく「神話学」。もともとは私の師匠の師匠であるフランスの大学者、ジョルジュ・デュメジル(一八九八〜一九八六年。神話学者・言語学者。主著『神々の構造 印欧語族三区分イデオロギー』〔松村一男訳、国文社、一九八七年〕)が追究したテーマだ。おそらく私にとって生涯の課題となるだろうし、研究のバトンは、私の後も繋がっていくだろう。そう願ってもいる。

 さて、なぜ本書は普通の入門書とは異なる書き方をするのか。端的に言えば、普通の入門書であれば、先に挙げた『神話学とは何か』と『神々の構造』の二冊を読んでもらえれば足りると思ってしまったからである。いずれも三十年以上も前に書かれた本であるが、今なお私の神話学のベースはこの二冊にある。これに『神話学入門』(松村一男、講談社学術文庫、二〇一九年)を加えれば、今さら私が屋上屋を重ねる必要もない。

 私が書くべきものがあるとすれば、それは学者や教授が神話学の研究を志す人に向けて書くような本ではないだろう。あくまで「本を書く人」の立場から、特に理由もなく神話的なものに惹かれてしまう一般の人、つまりかつての私のような人に向けて、神話とは何かを考える手掛かりを与える本ではないか。

 そう考えた時に思い浮かんだのが、私が好んで利用しているTwitterなどのSNSでのやり取りである。そこでつながっている人々のあいだでよく話題になり、私がしばしば質問を受けるのが、現代のフィクション作品がどのように神話と関連しているのか、ということだ。実際に現代の映画やゲームには神話の神々や英雄や武器などの名前が多く出てくる。つまり、彼らが興味を持っている神話とは必ずしも過去のものではなく、今も生きているものなのだ。

 思えば私自身にとっても、物心がついた頃から神話は常に「今ここ」で息づいているものだった。もし過去の物語だと思っていたら、ここまで神話に夢中になることはなかっただろうし、吉田先生の本で神話にはじつは一定の構造や系統があると知ったときに、あれほど衝撃を受けることもなかっただろう。そもそも、太古の昔から神話を語り継いできた人たちは、きっと自分たちの語るものが「神話」であるとは思っておらず、生や死、世界のあり方と直接つながっているものと信じて語り継いできたはずだ。

 だとすれば、本書でも、神話を今も生きているものとして語ってみたいと思う。なるべく私たちの日常に即した形で、あたかもSNSで交わされるやり取りのような雰囲気で、最近面白かった映画やゲームの話をするような感じで、自由気ままに神話を紹介してみたい。一つの結論に向かうのではなく、ランダムに、なるべく多彩な神話をそのままに近い形で提示することで、読者の皆さんが神話そのものを体感できるように書いてみたい。

 もちろん、その中でこれまで神話学が解き明かしてきた神話の構造や系統の話を少しずつ織り交ぜて解説していきたいと思っている。皆さんが本書を読み終わる頃には、知らず知らずのうちに神話学の基礎知識がある程度身につくように工夫して書くつもりだ。そして何より、現代の小説や映画やゲームも、じつは神話とまったく同じ構造を持っているのだとぜひ気づいてほしい。そう、「神話は今も生きている」ということを皆さんに感じてもらうことが本書の目的である。

(「1 人間はなぜ死ぬようになったのか―インドネシアの『バナナ型』神話」はこちら)

(「2 エロスにはタナトスがついてくる―ナイジェリア神話『カメと死』」はこちら)

沖田瑞穂

おきた・みずほ 1977年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程修了。博士(日本語日本文学)。中央大学、日本女子大学、等非常勤講師。専門はインド神話、比較神話。主著『マハーバーラタの神話学』(弘文堂)、『怖い女』(原書房)、『人間の悩み、あの神様はどう答えるか』(青春文庫)、『マハーバーラタ入門』(勉誠出版)、『インド神話物語 マハーバーラタ』(監訳、原書房)、共編著『世界女神大事典』(原書房)。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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