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沖田瑞穂『すごい神話――現代人のための神話学53講義』試し読み

2022年4月1日

沖田瑞穂『すごい神話――現代人のための神話学53講義』試し読み

1 人間はなぜ死ぬようになったのか――インドネシアの「バナナ型」神話

著者: 沖田瑞穂

 神話は、世界各地にある。たとえ今は失われていても、どんな場所にもきっと存在したはずだ。
 神話を定義することは難しい。しかしひとつひとつの話を知ることで、それがいったいどういうものなのか、その輪郭を把握することはできる。さあ、世界各地をめぐる「神話の旅」にでかけよう。

(「はじめに」へ)

 漫画の話から始めていきたい。

 二〇二〇年の特筆すべき出来事として、『鬼滅の刃』(作者:吾峠(ごとうげ)()()(はる))が大ヒットしたことが挙げられる。漫画は二〇一六年から二〇二〇年まで『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて連載され、単行本が全二十三巻刊行されている。そのシリーズ累計発行部数は一億五千万部にのぼるという(二〇二一年二月時点)。また二〇二〇年十月には劇場アニメとして『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』が公開され、十二月二十七日に興行収入が三二四億円を突破し、それまでの第一位であった『千と千尋の神隠し』を抜いた。

 さて、この大人気作品の中心テーマには、じつは神話から読み解ける部分がある(以下に、『鬼滅の刃』に関するいわゆるネタバレがある。ご注意いただきたい)

 本作品では、首を取られない限り不死である「鬼」と、人間である主人公たちとの戦いが描かれている。主人公の(かま)()(たん)()(ろう)は鬼にされてしまった妹の()()()を人間に戻すべく、鬼の祖であり(かしら)である()()(つじ)()(ざん)を探している。炭治郎と禰豆子が体現する「家族愛」と、鬼が体現する「自己のみで完結していて愛はない」という価値観が対立しているものと読むことができるだろう。

 このような価値観の対立は、神話にも見られる。典型的な例が「バナナ型」と呼ばれる死の起源神話である。インドネシアの話だ。

 太古にバナナの木と石が、人間がどのようであるべきかについて激しい言い争いをした。石は言った。「人間は石と同じ外見を持ち、石のように硬くなければならない。人間はただ右半分だけを持ち、手も足も目も耳も一つだけでよい。そして不死であるべきだ」。するとバナナはこう言い返した。「人間はバナナのように、手も足も目も耳も二つずつ持ち、バナナのように子を生まなければならない」。言い争いが高じて、怒った石がバナナの木に飛びかかって打ち砕いた。しかし次の日には、そのバナナの木の子供たちが同じ場所に生えていて、その中の一番上の子供が、石と同じ論争をした。

 このようなことが何度か繰り返されて、ある時新しいバナナの木の一番上の子供が、断崖の縁に生えて、石に向かって「この争いは、どちらかが勝つまで終わらないぞ」と叫んだ。怒った石はバナナに飛びかかったが狙いを外して、深い谷底へ落ちてしまった。バナナたちは大喜びで、「そこからは飛び上がれないだろう。われわれの勝ちだ」と言った。すると石は、「いいだろう。人間はバナナのようになるといい。しかし、その代わりに、バナナのように死ななければならないぞ」と言った。(大林太良、伊藤清司、吉田敦彦、松村一男編『世界神話事典 創世神話と英雄伝説』角川ソフィア文庫、二〇一二年、一四八〜一四九頁を参照し要約した)

 この神話の説くところによると、石は、それ自体不老不死で変わることなく生き続ける。そのかわりに、家族を持つことはない。もしも個体として不死であり、なおかつ子孫を持つことができたら、生き物が増えすぎて世界の秩序が成り立たないからだ。一方、バナナは死ななければならない。しかし子を持つことができ、家族を成すことができる。個体として永久不滅か、個体としては死ぬが子を成すことで種として存続するか、どちらかなのだ。きわめて高度に練り上げられた神話の論理であると言える。

 これは、『鬼滅の刃』の鬼と人間のあり方と似ている。鬼は個として永久不滅であり、神話の石の運命を生きる。人間は死なねばならない、そのかわりに炭治郎と禰豆子のきょうだいは強い家族の絆で結ばれていて、そこには愛がある。一方の側に不死があり、他方の側には死と愛があるのだ。しかし鬼は家族に憧れてもいる。偽りの家族を作ろうとした悲しい鬼の話も本作には描かれていた。兄と妹のきょうだいが一体となった鬼も描かれている。死の直前に人間の記憶を取り戻すまでは、愛によるつながりを失っていたが、滅びる時に、人間であったはるか昔の記憶を取り戻し、ようやく愛を思い出す。やはり、人間側の愛と死、鬼の側の愛の欠如と不死が、本作の全体を貫く柱となっていると見ることができるだろう。インドネシアのバナナと石の関係性と酷似しているのだ。

 現代の作品と神話は、このように関連付けて読み解くことが可能である。いや、もっと言ってしまえば、ほとんどの物語の原型は神話に出尽くしていると言っても過言ではない。もちろん、そのことは現代の物語の価値を貶めるものではない。むしろ、いつの時代も才能豊かな作家たちによって、神話に新たな生命が吹き込まれ続けているのだと私には感じられるのだ。

「2 エロスにはタナトスがついてくる――ナイジェリア神話『カメと死』」はこちらから

沖田瑞穂

おきた・みずほ 1977年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程修了。博士(日本語日本文学)。中央大学、日本女子大学、等非常勤講師。専門はインド神話、比較神話。主著『マハーバーラタの神話学』(弘文堂)、『怖い女』(原書房)、『人間の悩み、あの神様はどう答えるか』(青春文庫)、『マハーバーラタ入門』(勉誠出版)、『インド神話物語 マハーバーラタ』(監訳、原書房)、共編著『世界女神大事典』(原書房)。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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「考える人」編集長
金寿煥


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