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沖田瑞穂『すごい神話――現代人のための神話学53講義』試し読み

2022年4月4日

沖田瑞穂『すごい神話――現代人のための神話学53講義』試し読み

2 エロスにはタナトスがついてくる――ナイジェリア神話「カメと死」

著者: 沖田瑞穂

 神話は、世界各地にある。たとえ今は失われていても、どんな場所にもきっと存在したはずだ。
 神話を定義することは難しい。しかしひとつひとつの話を知ることで、それがいったいどういうものなのか、その輪郭を把握することはできる。さあ、世界各地をめぐる「神話の旅」にでかけよう。

(「1 人間はなぜ死ぬようになったのか――インドネシアの『バナナ型』神話」へ)

 子供の頃から愛読している絵本に、佐野洋子の『一〇〇万回生きたねこ』(講談社、一九七七年)がある。有名な絵本なので、ご存知の方も多いだろう。

 この絵本は、一匹のとらねこの繰り返すいのちを描いた話で、生と死について深く考えさせる作品である。とらねこは百万年もの間、死んではまた生きることを繰り返し、決して本当の意味では死ななかった。

 ある時、とらねこは野良猫として生まれる。めすねこたちにモテモテの立派な風貌で、とらねこ自身も自分のことが大好きだった。しかし、とらねこは自分に見向きもしない白いめすねこに恋をして、いつも一緒に過ごすようになる。そして、子ねこもたくさん生まれる。とらねこは、自分のことよりも、白いねことたくさんの子ねこたちをもっと大好きになるが、子ねこたちは大きくなってどこかへ行ってしまい、ついには白いねこも死んでしまう。

 とらねこは、朝になっても夜になっても泣き続け、そしてある日泣きやむと、そのまま死ぬ。絵本の最後は、「ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした。」という一文で終わる。

 なぜねこは、今度こそ本当に死んで生き返ることがなかったのか。その謎は、「カメのおねがい」というナイジェリアの神話で解き明かすことができる。この神話は、マーグリット・メイヨーによって子供向けに再話され、日本でも百々(もも)佑利子(ゆりこ)によって訳され『世界のはじまり』というタイトルで岩波書店から刊行されている。

 この世のはじめには、誰も死ななかった。カメにカメおくさん、男と女、石ころたち、この世にあるものはみんな、いつまでも生きていた。そういう風に決めたのは、この世の造り主であった。

 ある日、カメとカメおくさんは、小さいカメがたくさん欲しいと考えて、造り主のところにお願いに行った。造り主は言った。「そうか、子供が欲しいのか。だが、よく考えなさい。子供を持つと、いつまでも生きていることはできない。いつかは死ななければならない。さもないと、カメが増えすぎてしまうからだ」。カメとカメおくさんは答えた。「まず、子供を授けてください。そのあとでなら、死んでもかまいません」。「では、そのようにしよう」と造り主は言った。それから間もなく、カメとカメおくさんに、たくさんの子ガメが授かった。

 人間の夫婦も、同じようにして造り主のところへ行き、子供を授かった。

 石は、子ガメや人間の子供たちがよちよち歩き回ったり、楽しそうにしているのを見た。けれども石は、子供を欲しいとは思わなかった。だから、造り主のところに行かなかった。

 このようなわけで、いまでは、男も女も、カメもカメおくさんも、死ぬ時が来る。造り主が、そう決めたから。けれども、石は、子供を持たない。だから、死ぬことはない。いつまでも、生きている。(マーグリット・メイヨー再話、ルイーズ・ブライアリー絵、百々佑利子訳『世界のはじまり』岩波書店、一九九八年、三四~三七頁を参照し要約、一部引用した)

 このナイジェリア神話も、神話学では「バナナ型」に分類される。亀や人間は子を産んで死ぬ、つまりインドネシアの神話でいうバナナの命を生きているのだ。そして石は、子を産むことがない代わりに個体として不死である。

 この神話に照らしてみると、『一〇〇万回生きたねこ』のねこの一生は、前半部分と後半部分で、正反対の意味を与えられていることがわかる。前半部分は、「石」の命である。真の意味で死なない。死んでも生き返る。すなわち、個として永久に存続する命である。後半部分は、「バナナ」の命である。子供を作って、子孫繁栄を得ることができる。しかし、個としては死なねばならない。

 ねこの命は、一生は、どういうものだったのか。死んでそれで終わっただけなのか。命は無為なのか。決してそうではない。ねこは、愛を知った。愛の果実として、子供たちを作った。それが命の代償なのだ。愛は性でありそれは死と切り離せない。エロス(愛)とタナトス(死)は表裏一体なのだ。そしてそれらは不死の対極にある。それが神話の論理である。『一〇〇万回生きたねこ』の物語は、古い神話的価値観、死と愛と生への深い洞察を、現代によみがえらせている。

沖田瑞穂

おきた・みずほ 1977年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程修了。博士(日本語日本文学)。中央大学、日本女子大学、等非常勤講師。専門はインド神話、比較神話。主著『マハーバーラタの神話学』(弘文堂)、『怖い女』(原書房)、『人間の悩み、あの神様はどう答えるか』(青春文庫)、『マハーバーラタ入門』(勉誠出版)、『インド神話物語 マハーバーラタ』(監訳、原書房)、共編著『世界女神大事典』(原書房)。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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