パズルのような町と穴
最初に行ってみたいと思ったのは地底湖である。
地底湖!
もう字面だけでスペクタクルな予感がする。
しかし東京近郊、このぺったんこな関東平野に、地底湖なんてあるのだろうか。そういうのはシベリアとかユカタン半島とか、国内だったら岩手県とかに行かないとないのではないか。
実はネットで見たのであった。東京近郊で地底湖ツアーが行われているのを。
いったいどこにそんなものがあるかというと、栃木県の宇都宮市郊外、大谷石採集場の跡地である。
ネットで見た地底湖ツアーのホームページには、暗闇の湖に浮かぶラフティングボートや、天井に四角い穴が開いた巨大な竪坑の写真が掲載されていて、SF映画の一場面でも観ているようだった。
自然にできたものではなく、人工の穴に水が溜まったものらしい。自然にできた地底湖であれば、どこまでも透明な深く青い水と、シャンデリアのような鍾乳石、さらには生物学的に貴重な光る菌とか、目のない魚とかそういうものがいそうであるが、ここには鍾乳石もなければ、光る菌もおらず、水は全然透明でなく雑巾みたいな色だった。
が、まあ、細かいことはいいんである。
なにしろ地底湖なのだ。
地底なんて言葉、日常ではそうそう使わない。地下じゃないのだ。地下鉄、デパ地下など、地下ならいくらでも出かけたことがあるが、地底はない。どれだけ深いところを走っていても地底鉄とは言わないし、デパ地底なんて何を売ってるかわかったもんじゃない。地底といったら、その下はもう地獄しかないぐらいの覚悟が必要な世界なのである。
これだよ、こういうのだ、私が求めていた散歩は。
散歩というより冒険とか探検といったほうが似合いそうだが、冒険や探検も散歩の一種と言えば言える。いずれにせよスペクタクルであることは間違いないので、さっそく行ってみることにしよう。
同行してくれるのは、編集のシラカワ氏とカメラマンのスガノ氏。
これからずっといっしょに行動することになるので、ここで簡単に紹介しておくと、シラカワ氏は、やんちゃな2児の母である食いしん坊女子であり、スガノ氏は同じく食べ物にうるさい強面の山男である。この3名で東京近郊のスペクタクルを求めていく。
「私はべつに、スペクタクルに興味はないんですけど」
シラカワ氏は最初から身も蓋もないことを言うのだったが、そういう冷めた人間を感動させてこそのスペクタクルであるから、逆に彼女が感動するぐらいのスポットを見つけていこうと思う。
高低差に乏しい関東平野も、宇都宮あたりまで来ると、街の彼方に山が迫ってきてホッとする。東京から宇都宮にたどりつくまでの車窓風景の平板さは、かつて私が調布の寮の屋上で感じた息苦しさを思い起こさせ、私は関東地方でとりわけこの路線が苦手だ。
しかし宇都宮まで来れば、はるかに男体山の白い姿も見えて安心である。男体山に行く予定はとくにないけれども、そこに山があるというだけで世界が面白そうに思える。
「宇都宮に来たなら、最後ギョウザ食べて帰りましょうね」
シラカワ氏は早くも散歩後の食事のことを考えているようだが、ギョウザなんかどうでもいいのである。大事なのは、今まで見たことのないようなすごい景色を見ることだ。
駅前に出ると、いかにもアウトドアガイドといったワイルドな感じの男性が待っていた。ツアーガイドのマッハ氏である。どう見ても日本人であり、マッハというのはアクション映画のタイトルからつけたニックネームではないかと私は鋭く察したが、そんなことよりこんな屈強なガイドがつくということは、われわれは地底で何かと戦わされるのかもしれなかった。スペクタクルさんぽである以上、ある程度の危険は覚悟しなければならないのである。
地底湖ツアーは、正式には「OHYA UNDERGROUND~大谷地底探検と里山ハイキング~」といって、地底湖だけでなく、ハイキングがついている。ハイキングも嫌いじゃないが、そこにスペクタクルはあるのか、と不安に思いつつ現地へ向かったところ、いきなり想定外の世界が待っていた。町じゅうにヘンテコな形の岩山がそそりたっていたのだ。
こんな形の岩とか、
こんなのとか、
こういうのとか。
何これ、パズル?
そして町の住民は、そういうヘンテコな岩山の間に、その削った石で家建てて住んでいるのだった。なかには岩山をそのまま四角く家の形に削って倉庫にしているところもある。
なんだこの町、地面を切ったり貼ったり自由自在である。マインクラフトかよ。
大谷景観公園というスポットも通り過ぎたが、そそりたつ奇岩に大きな穴が開いていてなんだか面白そうであった。さすがのシラカワ氏も「なに、これ〜」なんて言ってテンションがあがっている。
いい傾向である。こういうスペクタクルにまったく興味のない人間を驚かせるぐらい、そのぐらいここはすごい景色であるということだ。
マッハ氏の説明によると、大谷石は火山灰が積み重なってできたもので、軽くて、加工しやすいのが特徴だそうだ。主に建築の化粧材として多く使われる。そしてこの町は地面の下がすぐ大谷石なので、そこらじゅう切り崩され、穴だらけになっているのだ。
とにかくもう町じゅうでかくれんぼできそうというか、どこかに黄金の国ジパングへの抜け道が隠されていてもおかしくないというか、地底湖に行くまでもなく、町そのものがスペクタクルであった。
すでに十分面白かったが、やがて車は田んぼの広がる一画にある石材屋さんの前で停まり、われわれはここでさらにすごいものを見たのである。
うながされるままに車を降りると、屋根の下に置かれている巨大なカッターが目に入り、これはつまり大谷石の加工の現場を見学せよというのだな、と勝手に解釈して、工作機械のパンクな見た目をしみじみ眺めた。
おお、粉塵にまみれたオレンジ色のスイッチよ!
そしてそのスイッチを入れればガタゴト動き出すのであろう愛玩動物的なベルトコンベアよ!
とか、そういうふうな心構えで見学し、それはそれで十分な味わいがあった。機械には詳しくないが、その形は見ているだけで面白い。
がしかし、そんなものは重要でもなんでもなかったのである。
工場の片側に金網に囲まれたテラスのようなものがあり、なにげなくそっちのほうへ歩いていくと、テラスの先が穴になっているのがわかった。どんな穴なのかな、と軽い気持ちでテラスから下を覗いた瞬間、われわれは思わずのけぞった。
深っ!
それは巨大な……巨大すぎる穴であった。穴といえばこのぐらいの深さかなと思う常識的な深さをはるかに超えて、奈落の底へと続いていた。
まるで高層ビルの屋上から見下ろしているかのよう。地表に立っているのに足がすくむほどである。テラスだと思ったものは、バンジージャンプの台みたいな感じでその穴の上にせり出していたのだった。
おおおお、これぞスペクタクル。
素晴らしい!
地底湖に行く前からこんな驚きが用意されていたとは。
まさにスペクタクルさんぽとはこのことであった。
気持ちいいのは、穴がきっちりと四角いことだった。四角く、広さはたぶん50メートルプールよりも広い。底のほうに横穴が開いているのが見えたが、その穴もきっちり四角かった。どこをとっても直線的で、高層ビルから見下ろしているように感じるのはたぶんそのせいだ。
さらにその穴の壁にジグザグに階段が取り付けられ、下まで降りられるようになっていたり、壁面が雨水に濡れ、赤錆色や緑色のコケのようなものでグラデーションになっているのは、全体として香港を表現しているらしい。表現していないのかもしれないが、結果として香港感があった。きっと底にある横穴の奥には、めくるめく中華風電飾ピカピカ世界が広がっているにちがいない。そんな妄想で頭がくらくらする。
目を地表に転じると、そこには日本全国どこにでもありそうな田園風景が広がっていて、それがまた珍妙だった。そこにはこんな巨大穴が存在していそうな気配は全然ないからである。田園風景の下に突然香港。その落差が味わい深い。関東平野にこんな変な場所があったとは。
さらに、そうやって、ひととおり穴を見物してから石材屋内部に目を移すと、さっき見たオレンジ色のスイッチやベルトコンベアなどの工作機械が、まるで極秘の機能を持ったSF世界のマシンのように見えてきて、スイッチひとつで重大なことが起こりそうなそんな気配を醸し出しているのだった。あたり一帯がゴゴゴゴゴと大きく割れて、地の底から何かが宇宙へ飛んでいきそうである。同じ景色でも穴のせいでどんどんスペクタクル感が増していく。
で、この後、てっきりこの穴の下に地底湖があってこれからジグザグ階段を降りていくのかと思ったら、そうではなかった。ラスボスは簡単には姿を現わさないらしい。
地底のリゾート
続いて、興奮したわれわれが連れて行かれたのは、里山ハイキングである。
里山ハイキング……。
語感からは、全然スペクタクルな匂いがしてこないが、まあついていった。
林の中にトロッコの軌道が残る小さなトンネルと、その横に廃屋となった小屋が残っており、いい感じに枯れていた。小屋の内部にはヘルメットや当時使われていたのであろうノートが散乱し、その上に蔦が這っている。机の引き出しのなかに何か手がかりがありそうだった。何の手がかりかはわからないが。
大谷石は、江戸の中頃から本格的に採掘が始まり、大正から昭和中期にかけては相当景気がよかったらしい。しかし昨今は安価な建材に押され、現在営業している採掘業者はひとケタに減ってしまったという。この廃屋もその名残りだ。
トンネルを覗いてみたが内部は暗くてよく見えなかった。マッハ氏によれば巨大な空間に通じているとのこと。
廃屋そばの道をさらに林に分け入ると、石を採った巨大で四角い穴が穿たれているのが見えた。そしてそのまま林を抜けた先には大きな屋敷と大谷石で造られた蔵があった。この蔵は最高級の大谷石で造られているそうで、明治期のものだそうだが、今もピカピカしていてそんなに古く見えない。なるほど最高級は違うのだということが素人にもわかる。
最高級の大谷石の特徴は、ミソと呼ばれる穴が少ないことだそうだ。大谷石は火山灰が積み重なってできたものなので、中には枯葉だの生きものだのが一緒に埋もれて紛れ込んでおり、その部分が年月を経て腐ったり抜け落ちたりしてミソになるという。
マッハ氏は、その穴だらけであるところに温かみというか素朴な味わいがあるのだというようなことを言って大谷石をPRした。
私は沖縄によくあるサンゴでできた石垣を思い出した。あのガラガラした素朴な風合いが、大谷石にもある。マッハ氏の説明を聞いているうちにだんだん大谷石が好きになってきたが、何事もそればかり見ているうちに好きになるのは旅先ではよくあることなので、うっかり極上大谷石壁掛け3点セットみたいなものを買ってしまわないよう注意が必要である。
里山をひと回りした後は、いよいよツアーは本題に入って地底湖へ向かう。
地底湖は、入口がゲートで閉じられていた。勝手に入ることはできないのだ。このツアーも、地主を説得し許可をとってようやく実現したのだそうである。
誰だか知らないが、よくぞ説得してくれた。でなければ、地底湖の存在など、一般人が知ることはなく、私がこうして散歩にやってくることもなかっただろう。
後に聞いたところ、今までにリピーター含め延べ2000人が訪れたそうだ。2000人といえばまだまだ少ない。これから期待の散歩スポットと言っていいだろう。
フェンスでできたゲートの鍵を開けて中に入ると、正面には大きな岩山がそびえており、大きくくりぬかれていた。この町ではありとあらゆる岩はくりぬかれている。くりぬかれていないものは岩とは呼べないぐらいだ。
ここでヘルメットを被り、ライフジャケットを着て、大きな開口部から中に入った。岩山の内部はかなり広く、バスやトラックでも軽く通れそうだ。天井がかなり高い。穴というより、大きな建物の中にいるようだった。こんなにくりぬいて天井が落ちてこないのか心配になるが、もちろん事前に安全性を確認し、そういう危険な場所は立ち入りを制限しているそうだ。
スロープを下っていくとすぐに暗くなり、それと同時にだんだん冷えてきた。内部の気温は4度ぐらいだという。
ぼんやりとした暗闇にポツポツと明かりが灯っているのが見えると思ったら、そこが地底湖だった。もっと地底の奥深くにあるのかと思ったら、わりとすぐ到着。地底ってほど深くなかった。深くなかったけど、もはやそんなことはどうでもよかった。
ついに念願の地底湖にやってきたのだ。
明かりは湖面すれすれに設置され、地底湖の姿をぼんやり浮かび上がらせていた。
大聖堂のような荘厳な雰囲気にワクワクする。
んんん、ついに来た。自宅から日帰りでこんな場所に立てるとは信じられない気持ちだ。スペクタクル過ぎるじゃないか。
「これはたしかにスペクタクルかも」
シラカワ氏も感激している様子。スガノ氏も目を見張っている。
湖は採石した跡の穴に水が溜まってできたもので、壁も天井も直線的であり、プールといったほうが近いかもしれない。ただ、四角い単純なプールではなく、奥のほうは枝分かれしているようだ。
そして水辺にあらかじめ用意されてあったラフティングボートに全員で乗り込むと、マッハ氏が静かに漕ぎだした。
水面には粉塵がうっすらと膜を張っていて、透明度はゼロ。こういう水には、たいてい巨大アナコンダ的生物が潜んでいて、闖入者はひとりずつ水中に引きずりこまれていくものと相場が決まっているが、生きものの気配はなく、音ひとつしなかった。
奥へ進むにつれ天井が低くなってきたのは、穴が斜めに掘られているせいです、とマッハ氏が教えてくれる。ということはつまりそれだけ水深のほうは深くなっているのだろう。そのへんからボートは交差している水路のほうへ曲がって、探検気分はさらに増していった。
曲がった水路の突き当りにちょうど人が通れるぐらいの穴があり、ボートがそこに着くと、マッハ氏はわれわれに上陸を促した。
おお、まだ進むのか。
上陸すると、そこにはまた別の空間があり、巨大な竪坑があって、その穴から太陽の光が降り注いでいた。
われわれのいる位置から空は見えなかったが、たぶん先ほどの石材屋で覗き込んだ香港穴も中はこんなふうになっているのだろう。外気が暖かくなる夏には、この竪坑部分に雲ができるとマッハ氏が教えてくれた。
の雲!
そんなものができるのか。なんだかことわざにでも使えそうである。
[地中の雲]:あり得ない場所に雲ができること。転じて……んんん、何か教訓をくっつけてうまいこと言おうと思ったが、思いつかなかった。
竪坑と別の方向には戦時中、軍需工場として使われた跡などもあり、ものすごい規模の空間がこの地下に張り巡らされていることが、だんだんわかってきた。
後に聞いたところでは、この町にはこういう採掘場跡が他に250か所ほどあるそうである。
約250か所!
ほとんど地下都市だ。
そう思って天井の穴を眺めると、地上はもう核戦争で滅びてしまったような気がしてきた。
放射線を避けて地下に住むようになった人類は、過酷な環境で苦しい暮らしを強いられていた。しかし、もう人間が住むことはできないと言われる地上では支配者階級が豪勢な暮らしを謳歌していた。地下の住民は真実を知らされないまま、支配者階級に搾取されていたのだ。真実を知ったわれわれスペクタクルさんぽ隊は、支配者階級の専制を覆すため、地下世界から決死の脱出を試みた!
おおお、なんというスペクタクル。
いつのまにかわれわれは、とてつもなく重大な局面にさしかかっていたようだ。
というかべつにあれこれ妄想しなくても、こんな巨大な地下世界が約250か所あるというだけで十分すごい話である。ここ以外にももっとでかい地底湖とか超巨大空間とか、謎の迷路状通路とか、ひょっとして地底人とか未確認生物とかそういうものが今後発見されないとも限らない。そうなってくるともう地底湖がどうとかいうレベルの話ではない。パラレルワールドである。
その無限のポテンシャルに注目している人はもちろんいて、実は今回の地底湖ツアーも、たくさんある採石場跡地を活用していこうという地元有志によるプロジェクトの一環なのだそうである。こんなにでかい地下世界があるのなら、何かに使おうと思うのは当然だろう。
そういえば、ツアー会社にもらった資料には、アンダーグラウンドリゾート事業などという言葉も書いてあった。
たしかにリゾートのひとつやふたつ、つくれそうである。今はまだ撮影や商品展示会用にスペースをレンタルするとか、独特な景観のなかでディナーを提供するといったメニューが中心のようだが、ゆくゆくは、ぜひトロッコ型のジェットコースターを走らせてほしいものだ。暗闇の中をトロッコで縦横に走り回れたらさぞかし爽快だろう。
それ以外にも地下温泉とか、地下ホテルとか、雨が降らないからテニスコートなんかもつくれるかもしれない。スケートリンクや、ボウリング場、クライミングウォール、地の底へのバンジージャンプ、あるいは地下ゴルフ場なんてどうなのか。壁や天井の反射も利用して立体的に攻めるのだ。
そして一番つくってほしいのはやはり香港のような地底都市である。地上はのどかな里山風景なのに、地下に潜れば香港があるという。それが一番スペクタクルな気がする。
まあ、べつにリゾートでスペクタクルを追求する必要はないけれども、私個人の好みを述べるならばそういうことであった。
ともあれ地底湖ツアーは、スペクタクルどころか壮大な広がりを見せて終了した。今までその平坦さをバカにしていた関東平野に、こんな地下世界が広がっていたとは、いっぱい食わされた思いだ。
東京近郊にもワクワクする場所はまだ残っていた。
散歩も捨てたものではないということである。
「ギョウザ行きましょう、ギョウザ」
これほどのすごいものを見た後なのに、シラカワ氏はあっという間に旨いもの方面に気持ちが移っていた。
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宮田 珠己/著
2018/4/26
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宮田珠己
みやたたまき 1964年兵庫県生まれ。『旅の理不尽 アジア悶絶篇』『わたしの旅に何をする。』『ジェットコースターにもほどがある』『なみのひとなみのいとなみ』『だいたい四国八十八ヶ所』『日本全国津々うりゃうりゃ 仕事逃亡編』『日本ザンテイ世界遺産に行ってみた。』など著書多数。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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