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『人間をお休みしてヤギになってみた結果』試し読み

トーマス・トウェイツ、村井理子訳『人間をお休みしてヤギになってみた結果』

2017/11/1

公式HPはこちら

(前回の記事へ)

 「トースター・プロジェクト」から六年、われらのトーマスが、再びトンデモプロジェクト「ヤギ男」とともに帰ってきた。本書はその壮大なる試みをまとめた一冊である。

 あのとき学生だった彼も、すでに三十三歳。就職しようとがんばってはみたけれど、なかなか採用してもらえない日々。気がつけば、ガールフレンドはまっとうな職に就いているし(そろそろ結婚も気になるし)、学生時代の友人たちはそれぞれのキャリアを邁進まいしんしている。一方トーマスはといえば、いまだに実家暮らしのうえ、トースター・プロジェクト以降は鳴かず飛ばずの日々で、割り当てられた仕事は、めいっ子の愛犬ノギンの散歩だけ。さすがの彼もあせるのだが、トーマスが多少人と違うのは、そこで就職活動に本腰を入れるのではなく、将来に対する不安を忘れる、つまり、全力で現実逃避する道を選ぶところだ。そうだ、人間をちょっとだけ休んで動物になれば、このややこしい悩みからも解放されるんじゃないかな? そうだ、休んじゃおう! これがトーマスにとってのひらめきとなり、「人間をお休みする」という一大プロジェクトが動き出す(意味がわからない)。

 トーマスを、トーマスたらしめたる理由は、なりきる動物を選ぶところにもよく出ている。最初に選んだ象を、いとも簡単にあきらめるのだ。サファリで象を間近に見て、大きすぎ、ヤバイと気づく。いや、わかっていなかったのかと、訳していてさすがに驚いた。挙げ句の果てに「だって、象にはなりたくなくなっちゃったんだもん」と、軽く開き直ってみせる。なんなのそれ、わがままなの? 本気なの? 訳す手が何度止まったかわからない。結局、象をやめてヤギに決めるわけだが、その経過にも、凡人の私は唖然あぜんとしてしまう(意味がわからない)。でも、トーマスは至って本気だ。まったくメチャクチャだなと思いつつも、時折挟まれる彼の本音と、奮闘する姿をとらえた写真を見ると、どうしたって憎めない。トーマスの周辺でこのプロジェクトを手伝った多くの人たちも、同じような気持ちだっただろう。とにかく憎めない男なのだ(そして、大胆なようで、メチャクチャ恐がりだ)。

 しかし、トーマスのすごいところは、ここからである。一旦いったん目標を定めたら(その前の経過がどうであっても)、信じられないようなスピードと熱量で、一気にプロジェクトを進めていく。ルールなんてどうでもいい。危険なんて顧みない。資金提供を申し出ていたウェルコムトラストに、プロジェクトの変更を報告することもあっさり忘れてしかられる。え、そこ? そこを忘れる? と驚いていてはトーマスについていくことはできない。なにせ、ヤギになろうとするような男だ。ダメだと言われれば言われるほど燃え上がるトーマスに、周囲がタジタジとなる様子がよくわかる。結局最後は、「死ぬな」という言葉とともに、トーマスを送り出すしかないのだ。

 今回のトーマスの「ヤギになって人間をお休みする」という「ヤギ男」プロジェクトは、二〇一六年のイグノーベル生物学賞を受賞した。それからしばらくの間は、トーマスがヤギの四肢を模した装具をつけて、本物のヤギとアルプスでたわむれるユーモラスな姿が世界中の人びとの笑いを誘い、大きなニュースとして報道された。私もその報道に触れる度に、またトーマスがやってくれたと、とてもうれしかった。トーマスは今回、悩みから解放されるためにヤギになったのだけれど、結局彼は、自分自身の悩みを忘れることに成功しただけでなく、その試みで世界中の多くの人びとを笑わせることに成功した。おなかを抱えて笑った人たちは、きっとその瞬間だけは悩みを忘れていたのではないか。それであれば、トーマスの成し遂げたこのプロジェクトは、偉業とも言っていいのではないかと私は思う(たぶん)。

 今回のプロジェクトで、トーマスが身をもって教えてくれたのは、笑われる勇気だ。誰がなんと言おうとも、自分の目標に向かって突き進む強さだ。

 彼は本書の中でこう訴えている。

 「深い知性を離れ、泳ぎ出す僕についてきてくれ。一人だとおぼれてしまうかもしれないからね」

 もちろんだよ、トーマス。次のプロジェクトがどんなものになるか、果たして次があるのかどうかは誰にもわからないけれど、トーマスが泳ぎだした時には、きっと私もその後ろをワクワクしながらついて行くと思う。

 がんばれトーマス、負けるなトーマス。これから先もずっと、私たち読者を驚かせ続けてほしい。

二〇一七年 九月
村井理子

―気になる内容は本書で!

トーマス・トウェイツ、村井理子訳『人間をお休みしてヤギになってみた結果』

2017/11/1

公式HPはこちら

イグノーベル賞受賞! 世界があきれた爆笑実験の数々!

 

ハロー! ぼくはトーマス・トウェイツ、33歳。いい年して父親と同居、銀行からも口座の開設を断られちゃった。仲間はキャリアを得て、人生上向きなのに、今の僕には何もない。そして、これから先も…。こういう人間特有の悩みっていうのを、数週間だけ消しちゃうってどうかな!? 本能だけで生きるって楽しそうじゃない!? 人間をお休みしちゃって、少しの間、動物になれたら、すごくない!?

全部本気マジでやってみた! 

四足歩行で歩きたい→ヤギを解剖して人の骨格との相同関係を研究!
草から栄養を摂りたい→草に含まれるセルロースを糖に変える装置を開発!
何も考えたくない→脳に電気ショックを与える(※よい子は真似しちゃダメ!)

世界があきれた爆笑実験の数々! 抱腹絶倒サイエンス・ドキュメント!

トーマス・トウェイツ

トーマス・トウェイツ

Thwaites,Thomas デザイナー。2009年、英ロイヤル・カレッジ・オブ・アートを卒業。大学院の卒業制作として行ったトースター・プロジェクトは「ワイアード・マガジン」「ボストン・グローブ」「ニューヨーク・タイムス」「王様のブランチ」など各国メディアで話題となった。

村井理子

むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『(きみ)がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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