チュニジアで始まりエジプトのムバラク政権を倒して広がる「アラブの春」がリビアで夥しい流血をもたらし行き詰まるかと思ったら、東日本大震災と大津波が起きて、そこに未曾有の原発事故が加わった。ニュースを扱う者として、こんな忙しい思いをするのは冷戦が崩壊した二十年前、9・11テロが起きた十年前以来だと感慨にふける間もなく、世紀のテロリスト、ウサマ・ビンラディン殺害の報に接して仰天し、待てよ、これらすべてをつなぐ何かがありそうだ、と不思議な気がしてきた。

 二十一世紀最初の年の9・11から十年経て起きた3・11。黒煙を吐き崩落した世界貿易センタービルのツインタワーと、東日本大震災で、水素爆発により噴煙を上げて建屋が損壊した福島第一原発の1号機、3号機……。どこか相似があるではないか。このイメージの重なりは何なのだろうか。

 メディアを通じて見る画像や映像によって時代のパラダイム転換が意識されることを「アイコニック・ターン(Iconic Turn)」と呼ぶ。ツインタワー崩落と、フクシマの原子炉建屋の爆発。ともに、それが起きた。アメリカと日本のそれぞれが自負していた安全神話が崩壊し、世界に意識転換を促した。イメージが重なる背景だろう。が、重なりは、それ以上に「近代」が経てきた経験に由来するのではなかろうか。

 世界貿易センターは双子ビルだった。フクシマで壊れた原子炉建屋も、当たり前に思われるかもしれないが、コピーされたように同じ方形、同じブルーの建物だ。つまり、ともに機械的な複製技術―あるいは大量生産技術によって生まれた典型だ。近代、特に二十世紀以降を「複製技術時代」と定義して、そこにうまれる新しい芸術から近代の意味を読み解こうとしたのは、ドイツのユダヤ系思想家ベンヤミンである。唯一無二であるという「一回性」によるアウラ。それがない芸術作品を次々と生み出す新しい時代を迎えたのが、二十世紀だった。アウラなき複製技術の建築が崩壊するのを、さらに複製映像で繰り返し見続ける―それがツインタワーとフクシマだ。そこに人は近代性の行き詰まりを無意識に見ている気がする。

 そのベンヤミンは、ナチスの台頭で一九三三年にフランスに亡命した。第二次大戦が勃発し、一九四〇年のパリ陥落直前にスペイン経由で米国に逃れようとするが、スペイン国境で入国拒否に遭って自殺する。間もなく始まるホロコーストを予感しての死だ。彼がパリ亡命中に著したのが「複製技術時代の芸術作品」だ。二十世紀になって芸術領域に入ってきた複製機械技術による写真や映画の文明史的な意味を考察した。アウラ喪失の問題だけではない。複製芸術の政治性も指摘された。

 映画が必要とする「スター崇拝」、あるいは逆に「観客崇拝」。それらが「大衆の心性の腐敗」を促し、ファシズムを助長する。そんな危険を指摘したのは、ベンヤミンが最初であろう。ファシズムによる政治の耽美主義、共産主義による芸術の政治化。いずれも機械による複製技術が前提だ。その複製技術=大量生産技術というコインの裏側こそ、大量破壊=大量殺害(ジェノサイド)だ。二十世紀は、その中葉にホロコーストとヒロシマで、人間存在の「一回性」のアウラをまったく忘却して機械仕掛けのジェノサイドを行った。ホロコーストとヒロシマは、互いにつながる双子の悲劇だ。

 二つのつながりは、原爆の誕生を考えてみると分かる。原爆はホロコーストへの恐怖から生まれた。ナチスに追われるようにドイツを去りアメリカに渡ったユダヤ系のアインシュタインは、一九三九年ルーズベルト米大統領に親書を送る。原子力を使ったすさまじい破壊力の爆弾の製造が可能だ。ナチス・ドイツが先行するかもしれない。アメリカも動きだすべきだ―。アインシュタインと、彼に手紙を送るよう促したユダヤ人科学者らの脳裏には、ヒトラーのユダヤ人迫害がドイツの勝利で全世界に及ぶことへの恐怖があっただろう。だが、その恐怖の結果生まれた原爆が日本に対して使われたのを見て、アインシュタインは「生涯の過ち」を犯したと悔やむ。ホロコーストとヒロシマという二十世紀の暗部を象徴する二つの出来事は密接につながり、ともにその後の世界に大きな影を落とした。

 ホロコーストは中東におけるユダヤ人国家イスラエルの誕生を導いた。だがそれは、パレスチナ人という新たな流浪の民をうみ、二十世紀後半の国際政治混迷の核心ともいえる中東紛争を引き起こす。「石油の世紀」二十世紀の後半は、中東の混迷とエネルギー問題を軸に推移した。四次にわたった中東戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争……資源問題も絡めて繰り返される戦争の末、二十一世紀に入るなり米本土中枢へのテロ攻撃9・11が起きた。ホロコースト以降の二十世紀後半の歴史が、この事件の中に集約された。以来、アメリカにより「テロとの戦い」と名付けられた新しい戦争の時代に世界は突入し、いまもって終わらない。

 他方にヒロシマからフクシマへの道がある。ホロコーストへの怖れから始まった原爆開発が行き着いたヒロシマ。そこから核兵器競争の時代が始まる。ヒロシマの悲惨と核兵器競争の恐怖を覆い隠そうとするかのように原子力の平和利用の道も開かれた。「石油の世紀」は中東の混乱による石油供給不安定化に直面し、石油依存から逃れたくて原子力に向かう。

 原子力発電は常に、その安全性への懸念だけでなく、核兵器拡散という危険も抱え込んでいた。だが、石油依存からの脱却を促す地球温暖化問題という別の追い風も生まれた。そこに、死神の大鎌が技術進歩のすきをぐさりと突くようにして起きたのが、3・11大震災によるフクシマ原発事故なのである。

 二十世紀半ば以降の歴史をこうしてたどると9・11と3・11が、ある種の「複製」であることが明らかになる。二十一世紀の初頭十年に起きたこの二つの大事件は、ともに二十世紀の暗闇につながる。その闇の奥にあるのは、ホロコースト―アウシュビッツの収容所のガス室の冷たく暗いコンクリートの空間だ。その暗い部屋から、ヒロシマを経由して「近代」のアポリアが長い影となって、今日まで伸びる。

 ツインタワー崩壊とフクシマの原子炉建屋爆発のイメージが重なるのは、こうした歴史の闇を包み込んでいるからだ。双子のようなこれらの事件を通して起きた意識転換―国民国家時代終焉後の不安が覆う国際社会と、技術進歩の末の破滅の恐れという認識―から、われわれはどこへ向かうべきなのか。9・11と3・11は二十一世紀最初の十年が投げかけた大きな問いだ。
(9・11とベンヤミンについては飯島洋一『建築と破壊』から示唆を得た)

(「考える人」2011年夏号掲載)